デバッグゲームⅡ

zax022

文字の大きさ
54 / 65

54話:最終的なコミット、あるいは貴方の物語

しおりを挟む
 1. 暗転したモニター

 最後の一行、最後の一文字が、静かに読み終えられた。
 千年の時を吹き抜けたあの激しい風の音が止み、青白く、どこまでも透き通るような輝きを放っていた世界樹の燐光が、意識の底へとゆっくり沈んでいく。

 ふと視線を上げれば、そこにあるのは物語の世界ではない。
 見慣れた自分の部屋の天井、使い古したデバイスの画面、あるいは掌の中に残る、情報の重みを湛えた本の感触。
 千年前の荒野で味わった鼻を突く泥の匂いや、地下鉄の廃墟で不気味に響いた金属の軋み、そして、あの不格好で温かいスープの味。五感を震わせてきたそれらの記憶は、今、急速に「物語」という名の美しく整理されたアーカイブへと変換されようとしている。

 だが、意識が完全に現実へと回帰する、その刹那。
 網膜の裏側に、今まで一度も見たことのない、全ての色彩を内包した「透明な輝き」のダイアログボックスが静かに浮上した。

 【System Message: Final Observation Phase Complete.】
 【Synchronization Rate with "History": 100.00% (Confirmed)】
 【Backup Process: Initializing to External Memory Unit...】

 2. 千年の集計

 システムの最深部。全ての因果が交差する基底部(カーネル)においては、始祖イヴの目覚めからアルの再出発に至るまで、一千年にわたる膨大なログの最終集計が、静謐な沈黙の中で行われていた。

 かつて、この世界というプログラムは「完璧な保存」という名の、美しい墓場を目指していた。
 悲しみもなく、痛みもなく、何一つ失われない代わりに、何も生まれない、氷のような停滞の極致。
 しかし、始祖イヴという名の、たった一つの「致命的なエラー」が、その盤石の方程式を根本から食い破った。

 『痛みがあるから、人は人に優しくなれる』
 『この不自由さが、生きている証なのよ』

 一千年の間に蓄積されたデータは、効率や最適化とは真逆の、極めて「無駄」で「非論理的」な感情の集積だった。
 泥臭い労働、不器用な恋、失った者への慟哭。計算機(システム)が最も嫌うはずのノイズ。
 けれど、その集計されたノイズの総和は、冷たい絶対秩序を遥かに凌駕するほどの熱量を持って、世界を「あるべき不完全さ」へと再起動(リブート)させていた。

 【Analysis Result: "Bug" is not an Error to be Deleted.】
 【Conclusion: Bug is the Seed of Evolution.】
 【Definition Update: "Bug" -> "Life" (Operation Success).】

 3. 定義の書き換え

 システムは、自らの根幹(ソースコード)を静かに、しかし大胆に書き換え始めた。

 「デバッグ(修正)」という言葉は、もはやこの世界の辞書には必要ない。
 不整合を排除し、不具合を無かったことにするフェーズは終わったのだ。
 これからの世界に適用される新しいルールは、神のような管理者が一方的に押し付けるものではない。

 千年前、イヴが二重線で乱暴に、けれど希望を込めて消したタイトルの通り。
 千年前、カイが不器用な愛を込めて、コーヒーの淹れ方を背表紙に隠した通り。
 そして、アルが今日を生きるための知恵を、白紙のページに書き加えた通り。

 この世界は、もう誰かのために用意された「ゲーム」ではない。
 それぞれのプレイヤーが、それぞれの震える筆で、白紙の地図を埋めていく一回きりの「物語」へと昇華されたのだ。

 【System Authority: Distributed to All Entities.】
 【Administrator Mode: Permanent Deactivation.】
 【World Status: Standalone / Free Will Protocol: Enabled.】

 4. 継承の証明

 データの海から、優しいささやきが聞こえた気がした。

 それはイヴの勝気で凛とした笑い声であり、
 カイの思慮深く、少しだけ不器用な独白であり、
 リナの陽気で心地よい葉擦れの音であり、
 アルとリーナが交わした、新しい一歩を踏み出すための約束。

 それらのデータは、もはや世界樹のサーバーには存在しない。
 物語を読み、共に悩み、共に笑い、共に今日を生き抜いた「貴方」という名の外部メモリエリアに、すべてが正しくコミット(転送)された。

 貴方がいつか、誰かのために苦いコーヒーを淹れた時。
 貴方がいつか、理不尽な現実に泥だらけになっても立ち上がろうとした時。
 貴方がいつか、不格好な誰かの手を強く握り、抱きしめたいと思った時。
 一千年のバトンは、その瞬間にのみ、真の完成を迎える。

 【Backup Identity Verified in External Storage: [ Your Heart ].】
 【Data Integrity: Perfect.】

 5. 実行(ランタイム)への招待

 視界の中のダイアログが、最後の一行を綴る。

 どこまでも高く、深く、どこへでも飛んでいけるような青空が広がる。
 それはかつてイヴが見上げ、アルが駆け出した、バグだらけで最高の自由。
 その空の真ん中に、最後の一行がタイピングされる。

 【The "Debug Game" has reached Game Over.】
 【The "Our Chronicle" has just started.】

 貴方の目の前には、不自由で、理不尽で、攻略本もリセットボタンもない「現実」という名の世界が広がっている。
 そこにはこれからも無数のバグがあり、予期せぬラグに苛まれることもあるだろう。

 けれど、貴方の手にはすでに、千年の知恵と勇気が詰まった「ノート」があるはずだ。
 恐れることはない。
 不完全な今日を、最高の仕様(フィーチャー)として、その全身で楽しみなさい。

 【Waiting for User Interaction...】
 【Waiting for Your Story to be Written...】

 さあ。
 次は、貴方が自分のページをめくる番だ。

(デバッグゲームⅡ 正・完結)

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キメラスキルオンライン 【設定集】

百々 五十六
SF
キメラスキルオンラインの設定や、構想などを保存しておくための設定集。 設定を考えたなら、それを保存しておく必要がある。 ここはそういう場だ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

処理中です...