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廃屋
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10分くらい夜景を楽しんでいただろうか。気が付けば陽は完全に沈み、辺りは漆黒の闇に包ままれていた。
もうそろそろ帰らないとな。
そう思った時、ふと、ある場所に視界が奪われた。
自分が立っているメインの道路から脇道へ行ってほんの50メートルくらいの場所に、一軒の家が建っていたのだ。その家は僕達が暮らしている集落から明らかに離れており、そして立派に見えた。 他の家とは違って灯りは点いておらず、まるで漫画に出てくる様に、人知れず非人道的な実験を行っている組織の施設を思わせる雰囲気があった。
時間的には帰宅しなければならない頃合いだった。
普段なら、気にも留めずに坂道を下りているはずだ。
だが、僕は何故か『その家』に手招きされ、そちらへ行く以外に選択肢はないかの様な想いに捉われてしまい、いつの間にか背中を押されるかのように足を運んでいた。
家の前に立った僕は、遠くから見たさっきまでの印象をいとも簡単に覆されてしまった。
遠くからは立派に見えた家の玄関は引き戸がはずれて壁に立てかけられ、掃き出し窓を通して見える障子のほとんどは破れて茶色に変色しており、家を支えているはずの太い筋かいや通し柱は朽ち果ててスカスカになって所々腐っている。
月明かりを利用して玄関から辛うじて室内を覗いてみると、物置や衣類、本や靴等の生活用品が所狭しと散乱しており、人目見ただけで家全体がごみ屋敷になっていることが容易に想像できる程非道い有様だった。
その家に近づいた時から、言いようのない薄気味悪さを感じずにはいられなかった。
長年人が居住していた形跡がなく、その荒れ果てた様相が所謂幽霊屋敷だとか心霊スポットだとか云われる類のものだったからではない。
都会に暮らしていた頃から、近所には同様のゴミ屋敷や空き家、幽霊屋敷と呼ばれていた場所は存在していた。だが、眼の前に立ちはだかるそれは今までに見て来た物とは明らかに性質を異にしていた。
壮大に広がる田畑の中に建てられた豪華な日本家屋。
付近に街灯すら無いことで周囲はより一層漆黒の闇に照らされており、更にその闇をも遥かに凌駕した、現世では存在しうるはずのない異世界の闇を一点に凝縮したものが家屋全体に隙間無く立ち籠めている、とでも云うべきだろうか。
驚異的な自然の力ですらも容易に撥ね退ける圧倒的な存在感を放ちつつも、微小な埃一つ看過しないであろう粘着質且つ鬱鬱たる空気が、僕をとてつもなく不安に気持ちにさせた。
どういう理由で、この様に放置されているのだろうか。
集落の他の家と比べてこの家が遥かに立派であることから考えても、ここが双宝村の中でも裕福で、所謂豪農や権力者の家系が暮らしていたことは想像に難くない。
事業の失敗による失踪、時代の変化による権力の失墜・没落、未婚や後継ぎが誕生しなかったことによる自然消滅……。
いずれにしても、外から眺めているだけでは判断材料が少なすぎる。だからといって、中に入る勇気などあるはずもなかった。
だけど、玄関から中を見るだけなら……。
そんな気持ちと相反する様に、僕の気持ちは家屋に吸い込まれていく。
恐怖心と好奇心の均衡を保ちながら、足音を立てない様にそろりそろりと敷地を通ると時間を掛けて玄関まで辿り着いた。
こんな荒れ果てた家屋に人が暮らしているはずがない。いるとしたら浮浪者の類だろうが、こんな田舎にそういう人間がいるとも思えない。
玄関中央の上部に表札らしき物が取り付けられていることに気付いた。
黒字で名前が書かれているのだろうか?暗闇で読み取ることができない。
慌てて携帯電話の懐中電灯のアプリで白い灯りを点けると、腕を伸ばして表札に近付けてみた。表札までもが腐って変色しているため確認できない。爪先立ちになって男にしては低い背を一所懸命に伸ばし、表札に灯りを灯すと辛うじて読み取ることができた。
如月。
重々しい字体だった。おそらく「きさらぎ」という名なのだろう。
踵を下ろして疲れた足首を癒すため、無意識に玄関横の壁に手を置いた時だった。
掌全体に粘着質な古い油の様な感触が伝わり、思わず壁から手を離した。
「うわっ、何だこれ」
思わず情けない声を上げてしまい、自分の手を見つめた。
ねっちゃりとしたものが手全体を覆い、あまりに強い粘着質のせいか、黒とも黄色とも取れぬものが壁から蜘蛛の糸の様に自分の手まで連なり、必死に腕を振るとようやく糸が切れた。長年手入れのされていない場所に、安易に手を触れてしまったことを後悔した。ズボンからハンカチを出して手を拭くが、粘着質なものは簡単には取れない。
手からハンカチを離す度にネチャリとした不快な感覚が伝わり、思わず舌打ちをした。ハンカチを汚れていない箇所に変えたり、裏返したりしながら手から出来るだけ粘着物を取り除いていくが、その度にネチャリ、ネチャリという音が響いた。
ネチャリ
ネチャリ
何だよ、ったく……。
誰かに八つ当たりをしたい気持ちになりつつも、その衝動を必死に抑えながら手を拭っていると、ようやく手に残った不快感が和らいできた。
これ以上は家に戻って石鹸を使わないと取れそうにない。
ネチャリ
自分の身体が金縛りに掛かったかの様に固まった。
全身の毛が一瞬で逆立ち、頭の天辺から爪先まで体内から無数の針が突き出されて、今にも皮膚を貫通しそうな程の鳥肌が溢れ返った。
気を抜いていたのだろう。こんなことに気が付かなかったなんて……。
自分の手に付着した粘着物は皮膚感覚として知覚したものであって、聴覚として知覚したものでは無かった。
だが、ネチャリという音は確かに耳に届いていた。その音は小さく、そして少しずつではあるが、次第に大きくなっていった。
もうそろそろ帰らないとな。
そう思った時、ふと、ある場所に視界が奪われた。
自分が立っているメインの道路から脇道へ行ってほんの50メートルくらいの場所に、一軒の家が建っていたのだ。その家は僕達が暮らしている集落から明らかに離れており、そして立派に見えた。 他の家とは違って灯りは点いておらず、まるで漫画に出てくる様に、人知れず非人道的な実験を行っている組織の施設を思わせる雰囲気があった。
時間的には帰宅しなければならない頃合いだった。
普段なら、気にも留めずに坂道を下りているはずだ。
だが、僕は何故か『その家』に手招きされ、そちらへ行く以外に選択肢はないかの様な想いに捉われてしまい、いつの間にか背中を押されるかのように足を運んでいた。
家の前に立った僕は、遠くから見たさっきまでの印象をいとも簡単に覆されてしまった。
遠くからは立派に見えた家の玄関は引き戸がはずれて壁に立てかけられ、掃き出し窓を通して見える障子のほとんどは破れて茶色に変色しており、家を支えているはずの太い筋かいや通し柱は朽ち果ててスカスカになって所々腐っている。
月明かりを利用して玄関から辛うじて室内を覗いてみると、物置や衣類、本や靴等の生活用品が所狭しと散乱しており、人目見ただけで家全体がごみ屋敷になっていることが容易に想像できる程非道い有様だった。
その家に近づいた時から、言いようのない薄気味悪さを感じずにはいられなかった。
長年人が居住していた形跡がなく、その荒れ果てた様相が所謂幽霊屋敷だとか心霊スポットだとか云われる類のものだったからではない。
都会に暮らしていた頃から、近所には同様のゴミ屋敷や空き家、幽霊屋敷と呼ばれていた場所は存在していた。だが、眼の前に立ちはだかるそれは今までに見て来た物とは明らかに性質を異にしていた。
壮大に広がる田畑の中に建てられた豪華な日本家屋。
付近に街灯すら無いことで周囲はより一層漆黒の闇に照らされており、更にその闇をも遥かに凌駕した、現世では存在しうるはずのない異世界の闇を一点に凝縮したものが家屋全体に隙間無く立ち籠めている、とでも云うべきだろうか。
驚異的な自然の力ですらも容易に撥ね退ける圧倒的な存在感を放ちつつも、微小な埃一つ看過しないであろう粘着質且つ鬱鬱たる空気が、僕をとてつもなく不安に気持ちにさせた。
どういう理由で、この様に放置されているのだろうか。
集落の他の家と比べてこの家が遥かに立派であることから考えても、ここが双宝村の中でも裕福で、所謂豪農や権力者の家系が暮らしていたことは想像に難くない。
事業の失敗による失踪、時代の変化による権力の失墜・没落、未婚や後継ぎが誕生しなかったことによる自然消滅……。
いずれにしても、外から眺めているだけでは判断材料が少なすぎる。だからといって、中に入る勇気などあるはずもなかった。
だけど、玄関から中を見るだけなら……。
そんな気持ちと相反する様に、僕の気持ちは家屋に吸い込まれていく。
恐怖心と好奇心の均衡を保ちながら、足音を立てない様にそろりそろりと敷地を通ると時間を掛けて玄関まで辿り着いた。
こんな荒れ果てた家屋に人が暮らしているはずがない。いるとしたら浮浪者の類だろうが、こんな田舎にそういう人間がいるとも思えない。
玄関中央の上部に表札らしき物が取り付けられていることに気付いた。
黒字で名前が書かれているのだろうか?暗闇で読み取ることができない。
慌てて携帯電話の懐中電灯のアプリで白い灯りを点けると、腕を伸ばして表札に近付けてみた。表札までもが腐って変色しているため確認できない。爪先立ちになって男にしては低い背を一所懸命に伸ばし、表札に灯りを灯すと辛うじて読み取ることができた。
如月。
重々しい字体だった。おそらく「きさらぎ」という名なのだろう。
踵を下ろして疲れた足首を癒すため、無意識に玄関横の壁に手を置いた時だった。
掌全体に粘着質な古い油の様な感触が伝わり、思わず壁から手を離した。
「うわっ、何だこれ」
思わず情けない声を上げてしまい、自分の手を見つめた。
ねっちゃりとしたものが手全体を覆い、あまりに強い粘着質のせいか、黒とも黄色とも取れぬものが壁から蜘蛛の糸の様に自分の手まで連なり、必死に腕を振るとようやく糸が切れた。長年手入れのされていない場所に、安易に手を触れてしまったことを後悔した。ズボンからハンカチを出して手を拭くが、粘着質なものは簡単には取れない。
手からハンカチを離す度にネチャリとした不快な感覚が伝わり、思わず舌打ちをした。ハンカチを汚れていない箇所に変えたり、裏返したりしながら手から出来るだけ粘着物を取り除いていくが、その度にネチャリ、ネチャリという音が響いた。
ネチャリ
ネチャリ
何だよ、ったく……。
誰かに八つ当たりをしたい気持ちになりつつも、その衝動を必死に抑えながら手を拭っていると、ようやく手に残った不快感が和らいできた。
これ以上は家に戻って石鹸を使わないと取れそうにない。
ネチャリ
自分の身体が金縛りに掛かったかの様に固まった。
全身の毛が一瞬で逆立ち、頭の天辺から爪先まで体内から無数の針が突き出されて、今にも皮膚を貫通しそうな程の鳥肌が溢れ返った。
気を抜いていたのだろう。こんなことに気が付かなかったなんて……。
自分の手に付着した粘着物は皮膚感覚として知覚したものであって、聴覚として知覚したものでは無かった。
だが、ネチャリという音は確かに耳に届いていた。その音は小さく、そして少しずつではあるが、次第に大きくなっていった。
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