僕達は大人になれない

チャロコロ

文字の大きさ
10 / 48

何かがいる 3

しおりを挟む
 どんなに力を入れてもびくともせず開けることができない。
 「何で……、何でっ?」
 荒くなった呼吸と共に怒気を帯びた声を上げるが、現状は一向に変わらない。引き戸は上半分が擦りガラスになっている。
 殴りつけて割ってやろう。
 背後を確認すると、僕の足首を掴んでいたはずの腕はいなくなっていた。それでも念のため、後ろを気にしながら玄関から少し離れてガラスを割ろうとした時だった。
 引き戸玄関の向こう側、つまり外側に人影らしきものがぼんやりと立っていたのだ。大声を出して助けを求めようとしたが、躊躇した。
 明らかな空き家であるのに、こんな時間帯に人が来るのはおかしいのではないか?それに人影は電灯すら点けていない……。にも関わらず、その人影は何故かくっきりと見えていた。
 様子を見るために引き戸の擦りガラスに顔を近づけた瞬間、突如ガラス越しにべったりと顔を付けた女がこちらをじっと覗いて来た。
 「わっ!」
 驚いて声を上げてしまう。玄関が無かったら身体がぶつかる距離だ。
 さっきの人影だ……。
 体型や長髪であることからも女であることは間違いないだろう……。
 僕を外に出さないために、さっきまで足首を掴んで来た奴が移動して玄関を塞いでいるのかも知れない。
 女は身体ごとガラスにべっとりと貼り付き、こちらの様子をじっくりと観察している。僕が少し横に動いただけで眼がぎょろりと動き、一挙手一投足を見逃さんとしていることが嫌でも分かる。
 その女は引き戸ごと押し倒す勢いで蜥蜴の様に貼り付いており、こちら側に来るのは時間の問題だった。
 女は頭と胴体と手足の全てがあべこべに動く度に「ぜはああぁぁぁー」という絶叫とも悲鳴とも歓喜とも取れる声を上げ、それが薄気味悪い動きと相まって、僕の身体を恐怖心で貫いた。
 僕はパニックの余り、玄関を両手で抑えて侵入を拒むことしか出来なかった。
 女の呻き声は次第に大きくなり、擦りガラスがビシビシと音を立ててひび割れていき、蜘蛛の巣状に広がってきたので、咄嗟にひびの中心部を抑えた。
 これ以上の損壊を何とか防ぎたかったのだ。
 やばい、やばい……。
 大量の汗が眼に入ってきたが、気にしている場合ではない。
 どうにかして女から免れる方法はないだろうか。室内に入って窓から逃げるか?
 いや、足首を掴んで来た奴がこの女だとは限らないし、暗闇の中で窓を見つけて外に出ることが出来る保障はない。それに、他の化物がいる可能性も十分にある。これで安易に中に入ったら、それこそ女の思う壺かも知れない。
 そう考えると、女が侵入して来た時に入れ違いで玄関から外に出て逃げた方がいいだろう。
 女が入って来たと同時に反対側の引き戸を開いて外に出るか、何とかして女が入って来た箇所から抜け出すしかない。
 女が体重をかけて引き戸を破ろうとしており、建物が老朽化していることを考えれば、女が引き戸ごと倒れて、その間に逃げることは十分可能なはずだ。重要なのはタイミングだけだ。
 引き戸を抑えながら、それを離すタイミングを伺った。引き戸ごと自分も倒れてしまったら確実に掴まってしまう。
 まだだ、まだ早い……。
 擦りガラス越しに、女が口の両端から大量の涎を垂らしながら呻き声を上げる。
 その度に、ピシャリ、ピシャッと涎がガラスに飛び散って来る音に思わずたじろいてしまいそうになるが、その気持ちを必死に抑えた。
 そうこうしている間にもひび割れは大きくなり、玄関はミシミシと音を立てて耐久の限界を告げている。
 もう少しだ。そしたらタイミングを見計らって一気に両手を離そう。
 その時だった。女の呻き声が突如消えた。
 自分だけが異世界に放り込まれたかの様に辺りは無音になり、それに比例して自分の息遣いだけが虚しく室内に響く。恐怖で思考の限界値を越えた脳が常識を覆されたことで思考停止状態に陥っている。
 僕は信じられない思いのまま、自分の右腕に視線を移した。
 自分の手首をしっかりと掴む女の手が、そこにはあった。
 女の腕は外から伸びているはずであるのに、擦りガラスはまだ割れていない。
 だが、確かに女の腕は外から来ているものなのだ。腐敗して真っ黒に変色した腕からは無数の蛆が湧いており、それがウヨウヨと活発に動き廻っている。
 腐りきった肉片が僕の腕を掴んだことで、ベチャリと音を立ててタイル製の土間に落ちた。排水溝の奥底で大量に溜まった汚濁物の様にヌメリとした感触が腕から全身に伝わり、それが強烈な腐敗臭と共にねっとりと纏わり付いて来た。更には女の腐った腕から僕の腕に蛆がベチョベチョと伝って来たことで僕は猛烈な吐き気に襲われた。
 ドンッ
 玄関からの衝撃音だった。
 それが合図であったかの如く無音状態は無くなった。
 はっとして音がした方向に視線を戻すと今の衝撃で割れた小さな穴から、こちらをじっとりと見つめる真っ赤な眼がそこにはあった。
 あの女だ……。
 「ぜはあぁぁー……」 
 訊いているだけでもむせ返りそうな呼吸音を繰り返しながら、べったりとガラスに顔を擦り付けて瞬き一つせず興味深げに僕の顔を見つめていた。
 真っ赤に見えていたのは白目の部分が真っ赤に充血したもので、かっと大きく見開いた眼は完全に常軌を逸している。
 「この野郎、離せっ」
 力いっぱい腕を振っても女の手は離れない。
 ドロドロに溶けて腐った女の手が僕の腕に浸み込んで来て、じわじわと細胞を破壊していくかの如き不快感が腕から全身に伝わり、火事場の馬鹿力とでも云うべき力で腕を強く引いた途端、女の手が離れた。
 逆にこっちから引き戸を蹴破って逃げてやろう。
 勢いのまま玄関を蹴り飛ばそうとした時に、ふと腕に違和感を覚えた。
 もしかして……。
 腕を見ても異変はない。それを見て少し安堵する。
 女が触れた箇所が腐ってグジュグジュになってしまったかと思ったが幸い異変は見当たらない。さっきまで強く腕を掴まれていたので感触が残っているだけなのだろう。
 僕の手首を掴もうとする手を払いのけながら玄関との距離を図ると力を込めて玄関を蹴ろうとした、その時だった。
 黒いモノが視界の隅に入り、咄嗟に顔を向けた。
 その瞬間、落雷を受け、それと相反して全身に氷水を浴びせかけられたかの様な重い衝撃が身体に突き刺さった。
 長い髪を振り乱した蒼白い、いや……、蒼い顔をしたと云っていいだろう。
 肩越しに、女が顔を横に向けて、僕を見据えて立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

処理中です...