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第一章 舞台の幕が上がるまで
27話 密やかな会談(コードウェル公爵side)
しおりを挟む王都の外れに佇む小さなレストラン。周囲は景観のために残された木々で囲まれており、都会の喧騒から離れるにはおあつらえ向きの場所だ。
レストランの中に入ると、7つの席が並べられたフロアに出迎えられた。白いクロスがかけられたテーブルには、季節の花と小さなキャンドルが置かれている。
時刻は既に夕刻を迎えており、テーブルの上には小さな光が灯っていた。
私が予約した席は、そのフロアにはない。
このレストランは奥まったところに個室席があるのだ。周囲の席から切り離されるように作られたその席は、密会に適した場所だった。
個室席に通されると、私は一人腰を下ろす。相手はまだ到着していないようだ。
この席には窓がなく、入口は完全に扉で仕切られている。この席へ行くには細い通路を通る必要があり、無関係の者が近寄れば店員に弾かれる。
そういう意味でも、ここは実に都合のいい場所だった。
「あぁ、すまないなコードウェル公爵。待たせてしまったかな?」
先に席に着いて待っていた私に、詫びの声がかかる。と言っても、本気で詫びているわけではない。
元より、この方が相手となっては、私が先に待っていなければならないのだから。
私は静かに席を立ち、彼に一礼した。
「いえ、貴方様がお気になさることではありますまい」
「ありがとう。あぁ、ここは個人的な席だ。堅苦しいのはいい。
さぁ、席に着こうか。この店の食事は美味しいから楽しみだ」
そう言う彼に合わせて、ウェイターが席を引く。彼が腰を下ろしたのを確認し、私も席に着いた。
給仕されたシャンパンに口をつける。
ある名産地で収穫された葡萄を使い、限られた製法によって作られた物のみが名乗れる名。それがシャンパンだ。その希少性は推して知るべし。
それゆえ、この酒は貴族の中でも人気が高い。すっとした飲み口に、軽やかな後味が病みつきになる代物だ。
彼はまだ飲酒に適さない年齢のため、手元のグラスにはノンアルコールが注がれている。それを少し不服そうな目で見つめる彼に、存外可愛いところがあるものだと笑った。
「で? 君のところで面白い話が出たと聞いたけれど……どういったことなのかな?」
グラスを傾けていう彼に、私は無言で一つ頷く。
そう、今回のこの密会は私が彼に伝えた情報がきっかけだ。その内容が気にかかるのだろう。型通りの会話を終わらせた後、すぐに切り出してきた。
「私の娘、ブリジットのことです。貴方も我が娘についてはよくご存知でしょう」
そう言う私に、彼はくつりと笑みを見せる。無言でこちらを見つめる彼に返事をする気はなさそうだ。その意図を汲み、私は言葉を続けた。
「どうやら我が娘は、見てしまった悲劇的な未来を回避したいようなのです。娘が言うには、あの子が17歳になる前に断罪されるのだとか」
「断罪?」
「えぇ。娘は投獄の上死罪、我が公爵家はその責を問われ没落するのだとか」
穏やかでないな、と眉をひそめる彼に頷きでもって返す。
本当に、穏やかさなど全くない話だ。この言葉全てを信じるのであれば。
ウェイターにより、オードブルが運ばれてくる。
魚介と新鮮な野菜で作られたそれは、見た目にも鮮やかだ。食欲を駆り立てるという役目をきちんと果たしている。酸味がありさっぱりとした料理は、酒によく合う味だ。
「没落ねぇ……そもそも、何が原因でそんなことになると?」
「聖女様を虐げた罪だそうですよ」
一瞬、空気が固まった。料理に向けられていた彼の顔は上げられ、今はこちらを見つめている。その瞳が見開かれているのは、驚きゆえで間違いないだろう。
「……聖女?聖女を虐げたというのか?」
「はい、娘曰く冤罪だということでしたが」
どこまで娘の話が本当かは分からないが。その言葉は口にせず飲み込んだ。おそらく彼には言わなくとも伝わっているだろうから。
それを証明するかのように、彼の瞳には怪訝な色が浮かんでいた。
「冤罪……、冤罪ねぇ……」
「貴方様が不審に思うのも無理はないでしょうね。そもそも、色々と娘の話は可笑しいのですよ」
「おや、そうなのかい?」
そう、娘の話には不自然な点が多々見受けられた。
聖女を虐げた罪で処刑される。程度にもよるが、あり得ない話ではない。聖女は数百年に一人生まれる貴重な存在。それを害したというのならばお咎めがあるのは当然だ。
また、聖女は教会に属する人間でもある。それを害すれば教会も黙ってはいまい。教会からの圧力により、令嬢一人の命で贖おうとすることもあるだろう。
しかし、それが冤罪だったというのならば話は別だ。聖女が害されたとあれば、徹底的に調べられるだろう。加害者のためというよりも、被害者である聖女のためだ。
万が一、加害者に余罪があったらどうする。そうでなくとも協力者がいたら。それを見逃すなど、国の威信を汚す行為だ。国がそれを容認するはずもない。
徹底的に調べ上げ、罪は白日の下に晒されるだろう。仮に冤罪なのであれば、途中でその事実が判明するはずだ。
「徹底的に調べ上げるだろう事件で冤罪が見逃されるとは、正直疑わしいな。もしあり得るとするならば、聖女が調べ上げることを妨害した場合だが……」
「普通に考えれば、あり得ないでしょうね」
自分を害した者を調べ上げる、それを妨害するとは思えない。それでも妨害するとしたら、聖女にこそ疑わしいモノがあるときだろう。その場合、当然聖女も疑われる。
仮に聖女が問題を起こしていた場合、得をするのは国だ。罪人として聖女の能力のみを有効活用できるからだ。
そして、聖女が教会に所属していることがここで活きてくる。
国が聖女を抱え込んだのではない以上、教会へ監督責任も追及でき、国としてのダメージは少ない。聖女と呼ばれる者がそのような人間だったことに、国民感情として嘆きはするがそれだけだ。
だからこそ、聖女が調査の妨害をするとは考えられないのだ。自身への疑いを強めるだけで、百害あって一利なしだ。
もちろん、聖女に罪がある際は別だが……自身の立場を弁えられる者であれば、そんな橋は渡らないだろう。
「さて、そうなると一つ気になることがある。そもそも、君の娘が冤罪だったと仮定するならば、誰に罪を被せられたのかだ」
彼の言葉に思考を切り替える。考え難いことであるが、ブリジットが冤罪で処刑されたと仮定すると、罪を被せた誰かがいることになる。彼が聞きたがるのも無理はない。
そして、ブリジットはそれについて回答を口にしていた。一層理解できないことだったが。
「娘が言うには、聖女様に罪を被せられたようです。聖女にとって都合が悪い自分を嵌めたのだろうと言っていました」
「嵌めた?」
「ブリジットの知る聖女様は、ジェームズ殿下をお好きなようです」
私の言葉に、彼は面食らったような表情をした。
想定すらしていない答えだったのだろう。何を言われたのか理解できていないのではと、勘繰りたくなる顔をしている。
「……あの聖女が? 好いた男に婚約者がいたから陥れたと?」
「ブリジットの話では、ですね」
「君は確か聖女……アクランド子爵令嬢と話をしたことがあると言っていたね?
その話では聖女を褒めこそすれ、愚かと評することはなかったように記憶しているが……」
「えぇ、彼女は将来有望な少女です。まだ甘い部分はありますが、あの年齢と考えればそれも当然。
むしろ、年齢より遥かに優秀と言っていいでしょう。
愚かという言葉は、全くと言っていいほど似合いませんね」
スープが下げられ、メインディッシュが運び込まれる。
最初に運ばれたのは、通常通りポワソンだ。本日は白身魚のムニエルらしい。バジルソースとレモンによって色鮮やかに飾られた料理は、とても美しい出来だ。
「……何というか、本当に噛み合わない話だな。君から聞く聖女の人間像と、君の娘のいう聖女の話はズレが大きすぎる。
彼女の事業を見る限り、愚かという言葉が似合わないという評価は理解できる。あれほどのことは、相当機転が利く者でなければできないだろう」
「その通りです。そもそも、株式会社という組織を作ったのも、ナーシングドリンクを安価で販売するためだったようです。
そこまで人を思いやれる少女が、一つの恋で愚かしい真似をするとも思えません」
「恋は人を変えると言うけれど?」
「彼女ならば、もっと賢く娘を蹴落とすでしょうね」
そう。あの日真っ向から自分に啖呵を切った少女だ。彼女なら、正々堂々とブリジットを蹴り落とすことくらい容易いだろう。
嘆かわしいことであるが、ブリジットには優れた知恵もなければ機転もない。もしそれを持ち得ていたのなら、こんなことにはなっていないのだから。
「……自分の娘に対して随分酷い親がいたものだ。
とはいえ、そう言われても仕方がないのかな? 彼女は貴族社会に向かないようだね」
口直しのソルベに舌鼓を打ちながら、彼は困ったように笑った。その言葉に、こみ上げたのは諦観だ。
苦々しく思うことすらできなかった。あの娘は、本当に何も分かっていない。いや、分かろうとすらしていないのだから。
「以前、ソフィアから君の娘の話を聞いたよ。貴族、それも公爵家の令嬢とは思えない立ち回りだったようだね?」
ソフィアがいい笑顔をしていたよ、という彼の瞳は鋭かった。
当然だ。ブリジットは同じ公爵令嬢に失礼を働いたのだから。あちらの地位が同格だったから、表沙汰にならなかっただけだ。我が家が侯爵であれば、そんな簡単に話は終わらなかった。
とはいえ、ブリジットの犯したことは社交界では致命的だ。己の教養のなさを笑われているようでは、立つ瀬がないというもの。
「ソフィアに日焼けをするなと注意したそうだね。令嬢にあるまじき姿だと。……ウィルソン公爵家について学んでいれば、そんなことにはならなかったはずだ。
彼女の母親がエクセツィオーレの出身だと、知っていればね」
エクセツィオーレは南国だ。その気候ゆえか、褐色肌の者が大半を占める。
ウィルソン公爵夫人は、そのエクセツィオーレより輿入れされた方だ。当然肌の色は褐色で、子どもたちもそれを受け継いでいる。
同じ公爵家同士、知ろうと思えばすぐ知れたこと。
それだけではなく、あの子は妃教育を受けている。真面目に取り組んでいたのなら、有力貴族の事情など知ることができたはずだ。
あの子は未来を知っているという自負から、そこで知り得た内容にしか目がいかないのだろう。自分に知らないことはない、と言わんばかりのところがある。
あの子の知るものなど、世界のほんの一部でしかないというのに。それが原因でソフィア嬢に失態を犯したのでは目も当てられない。
その上、ブリジットにはソフィア嬢と比べて明確に劣った部分がある。それが社交経験だ。
ソフィア嬢は既に他の令嬢と交流をされている。ブリジットが妃教育を受ける傍ら、彼女はお茶会を通じて社交をしているのだ。令嬢たちにとって、どちらの存在感が強いかなど比べるべくもないだろう。
他方、ブリジットはというと、ジェームズ殿下と交流を深めるばかりで令嬢同士の交流には見向きもしない。慈善事業には手を出しているようだが……それも他の令嬢がやっていることとそう差はない。
いずれくる社交の日、ブリジットが苦境に立たされるのは目に見えている。
その事態を自ら招いた以上、娘が貴族社会に向かないと言われても仕方がない。
「当然のご指摘と、言わざるを得ませんな」
「おや、否定しないのかい? 君の娘はまだ幼い。現時点で足りない子ではあるだろうが、矯正できないほどではないだろう」
「それは、本人に自覚があってはじめて成功するものです」
「……そこまで手をかけるに値しないと? 娘の幸せに興味がないのかい?」
彼の問に、一度瞼を下ろす。
娘の幸せ。当然、それは願っている。けれど、それ以上に私は公爵家当主としての義務がある。
貴族の権利とは、義務を果たしてこそ認められるべきなのだ。娘には、残念ながらそれだけの才覚はない。ならば、得られるものは自身に見合ったものであるべきだ。
「……あの子の願いは、ジェームズ殿下と結ばれること。それだけにございます」
「それだけ、ね……。しかし、聖女が彼に恋をするのではそれも難しいのでは?」
「いえ、それはないでしょう。彼女は極めて冷静かつ理知的な少女です。ジェームズ殿下に恋をするとは思えない。
何より、彼女を支える者にランシアン前侯爵がおります。間違っても、ジェームズ殿下との関係は認めないでしょう」
仔羊のローストを食べ終え、皿が下げられる。
続いて新たなカトラリーが運び込まれると、テーブルの上に色鮮やかなデザートが並べられた。果物のジェラートや、クリームに彩られたケーキなど様々だ。
「なるほど。君から聞く聖女の話を考えれば、その通りだろうね。ましてや、ランシアン前侯爵の存在があるならば尚更だ。
では、改めて聞こうか。
――娘の幸せに、興味はないのかい?」
彼の瞳がすっと細められる。これは、彼からすれば最終確認だろう。自分の望む答えを私が返せるのか。それが図られている。
「私の答えは先ほどと変わりません。
――娘の願いはジェームズ殿下と結ばれること、それだけにございます」
冷えた空気が室内を覆う。
一分、それとももっと長い時間だっただろうか。時間の感覚も曖昧になるほどに、室内には緊張が張り詰めていた。
彼が視線を逸らすと同時に、張り詰めた空気が霧散する。
斜め下を向いた彼は、口元に手を当てて笑いをこらえていた。
「いや、すまない。君を笑いたかったわけではないよ。
ただ、何とも愛らしい願いだと思ってね。愛する王子様と結ばれたいというのは、実に少女らしい夢じゃないか。
……どうやら、君の娘はその先を考えていないようだしね?」
少女、という言葉に揶揄が含まれているのはすぐに分かった。娘の願いが子どもらしいというのは事実だ。
何度も言っている通り、あの子の願いはジェームズ殿下と結ばれること、ただそれだけなのだから。
「君の娘は御伽噺に憧れているのだろう。年頃からすれば珍しい話でもないさ。白馬の王子様と結ばれる、それが世の少女たちの夢と聞く。
ただ、人生は物語のように幕を下ろしてはくれないのだけれどね」
苦笑するその顔は、私へ向けたものか。それとも、我が娘に向けたものなのか。私には判別がつかなかった。
この方は時折、とても遠いところにいるように感じる。それが育った環境ゆえだと分かってはいるけれど。
ほんの少しだけ、不憫にも思うのだ。
「君の考えは分かったよ、コードウェル公爵。君の提案を受け入れよう。
こちらとしても、悪いことではないからね。今までもこうして支えてくれた君の言うことだ。無下にはしないさ。」
「ありがとうございます。きっと、我が息子ノアは貴方のお役に立つことでしょう」
「期待しているよ。もちろん、これからの君の助力も含めてね」
そう笑う彼の顔に隙はない。
だからこそ、この方に託すことができるのだ。
「もちろんです、殿下。これからも我が公爵家の意向は貴方と共にあります」
――進むべき道は定まった。後は、理想の未来を実現するために尽力するのみだ。
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