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第二章 そして舞台の幕が開く

54話 木箱と詩

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 「聖女様!」

 舞台上へと戻ると、オーウェンが真っ先に声をかけてくる。彼は表現しがたい顔をしていた。怒っているような、心配しているような。ルーファスを同行させたため、怒るに怒れないのだろう。眉を寄せつつも、困り切ったような表情をしている。
 心配かけて申し訳ない、と私は小さく頭を下げた。

 「いえ、ルーファスを連れて行っていますし、大きな問題はないかと。
 ……ですが、何かする前に一言お言葉をいただければ。自分も安心できますので」

 オーウェンの瞳は、心配そうにこちらを見つめている。本当にいい従者に巡り合えたものだ。少しでも、彼らに報いなければ。

 「ところで、ルーファスが持っている物は? 木箱、でいいのでしょうか?」

 ルーファスが手にしている物へ、全員の視線が集中する。

 オーウェンが戸惑うのも無理はない。木箱、とはいうものの、これが本当に箱なのかは分からないからだ。ただの木の塊にも見える。
 これには開ける場所がない。継ぎ目が見当たらないのだ。蓋らしき部分もなければ、引き出しのようなものもない。外見から木箱と呼んでいたが、箱として機能するかは疑わしい。

 唯一の飾りは、箱の天面につけられた石だ。半透明の石が、ダークブラウンの木目に埋まるように取り付けられている。石の周囲は金具で固定されており、外れそうにもない。

 「そういえば、シャーロット様。どうやってこれを見つけたのですか?」

 メアリーの言葉に、私は自身の思考を振り返る。
 きっかけはそう、かつての記憶。そして、メアリーの一言だった。

 「随分昔の話だけれど、楽譜を見たことがあったの。そこにね、音に合わせてアルファベットが書かれていたのよ」

 日本の音楽教育で馴染み深いのは、ドレミでの表現だろう。
 リコーダーのテストがあるときは、譜面にドレミを書き入れたものだ。五線譜の上に描かれた音符を見て、瞬時にどの音か判別するのは難しい。必死に書き入れて練習するしかなかった。

 音楽祭を控えるある日、先生から一枚の楽譜が配られた。そこには、音に合わせてアルファベットが振られていた。それを生徒の一人が指摘すると、先生は慌てて新しい楽譜と取り換えた。
 その際に説明があったのだ。ドレミだけでなく、音をアルファベットで表現することもあるのだと。

 懐かしい記憶を掘り起こす最後の一手が、メアリーだった。私の名を呼んだこと。それが引き金となったのだ。シャーロットという綴りはCから始まる。そこに意味があった。

 「今回、何の音がズレているのか、つまり『仲間外れを探してごらん』はクリアしたでしょう? けれど、その先何をすればいいかの指示はなかった。指示がないということは、その必要がないのではと思ったの。
 要するに、仲間外れが分かった時点で、自ずと次の行動が示されているのだと考えたのよ」

 次に気になったのは、ズレている音に何の意味があるか、だ。異常があったのは、ミニピアノのシ。

 「シの音、そして31番目の鍵盤。それを見て思い出したの。この客席が、アルファベット順に割り振られているのを」

 ドレミに対応するアルファベットはCDE。シの音に対応するアルファベットはBだ。

 「これがグランドピアノだったら厳しかったかもしれないわね。88も鍵盤がある中、何個目の鍵盤なのかを把握する必要があったでしょうし。
 その点、あのミニピアノの鍵盤数は32。数えやすくて助かったわ」

 私の言葉に、メアリーは納得したように頷いた。その表情は感心したように、輝いている。

 「さすがですわ、シャーロット様。私、そこには気づきませんでした」
 「何言っているの、メアリー。お手柄はあなただわ!
 最初に音階ではないかとあたりをつけてくれたし、音の異常にいち早く気づいたのもあなた。メアリーがいたから解けたのよ」

 ありがとう、と礼を告げると、メアリーは嬉しそうに微笑んだ。
 事実、私だけではここにたどり着くのは困難だった。音楽に慣れ親しんだ彼女がいたこと、それが何よりの幸運といえる。

 「さて、次はこの木箱か。継ぎ目はないし、引き出せるような箇所もない。どうしたものかな」

 ルーファスの呟きに、皆の思考が切り替わる。
 許されるなら壊してしまいたいが、さすがにダメだろう。中に物が入っているかも分からず、無駄骨になる可能性が高い。あげくにおしかりを受けるかもしれないと思えば、割に合わない。

 「すみません。少し、その箱を見せてもらっても?」

 そう問いかけるのは、ヘレンだ。その瞳は、ひたりと箱を見据えている。
 ルーファスが彼女へ箱を差し出す。それを受け取ると、彼女は箱全体を観察しだした。側面から始まり、底面へ。最後は、石の取り付けてある天面だ。

 「うーん……やっぱり、そうかなぁ」

 天面に、何度も視線を滑らせる。特に長く見ているのは、取り付けられた石。何か思い当たることがあるのだろうか。その石をじっと見つめ、彼女は言葉を漏らした。

 「多分、ですけど。これ、箱だと思いますよ。仕掛けがあるはずです」
 「そうなんですか!?」
 「えぇ。皆さんの想像する開き方ではないと思いますが……」

 そう言うと、彼女は私へ視線を向ける。暫し見つめ合うも、彼女から言葉は出てこない。
 どうかしたかしら? と首を傾げると、彼女は決意したような瞳で口を開いた。

 「シャーロット様、この箱、開けてもらえませんか?」
 「……はい?」

 ヘレンの言葉に、一瞬脳内が停止する。箱を開ける? そもそも、その開け方すら分からないのだが。箱か否かの判断もできなかった身には、少々荷が重い。

 「あ、す、すいません! 突然言われても分かりづらいですよね!? あぁ、本当に、こういうところを直さないといけないのに……」

 しょんぼりと肩を落として俯くヘレンに、私が慌てて声をかける。彼女は別に悪くないのだ。そんなに気落ちされても困る。

 「ヘレン様、大丈夫ですから! その、勉強不足で申し訳ありませんが、私にはこの……箱? 箱の開け方が分からないのです。教えていただけますか?」
 「も、もちろんです! 私でよければよろこんで!」

 ヘレンは箱を私の前に差し出すと、片手で石を指さした。この石が要のようだ。

 「この箱は、おそらく魔道具だと思います。石が魔力を感知して、この箱が機能する仕組みです」
 「魔道具、ですか」

 我が国では、魔道具あまり普及していない。エクセツィオーレでは研究が盛んなようだが、我が国では歓迎されていないのだ。既得権益の問題だと聞いたことがある。

 我が国の研究は、魔術研究院が先導している。祈信術はアシュベルク正教会、魔術は魔術研究院がトップの機関だ。
 魔術研究院は、魔術師こそ至高と考えているらしい。そのため、魔術師なくして魔術行使が可能となる、魔道具への嫌悪感が強いとか。それが我が国で魔道具の研究が進まない要因だ。

 それでも、この学園は別だ。形上は魔術研究院の下部組織だが、王家主導で作られた学園。それゆえ、国から一定程度の介入がある。
 国全体の発展を考えれば、魔道具の導入は利益が大きい。それもあり、国は魔道具への知識が深い魔術師を求めているのだ。その意向も相まって、学園内では魔道具についての研究も可能だ。

 ヘレンのように、魔道具へ強い関心のある生徒にとってはありがたい話だ。学園で学べなければ、エクセツィオーレに出るしかなくなる。それは人材の流出という、大きな負債だ。国としても、放置はできなかったのだろう。

 「魔道具の要は、この石です。台座に注目してみてください。文字が彫られているんです」
 「え? えぇっと……『光が欲しい。暗闇を照らすには、燃える光が必要だ』?」

 彫られていたのはその一文。正直何のことやら、と言った感じだ。この石に光を照射すればよいのだろうか。

 「石に光を当てる、その発想は正しいです。この石は、ムーンストーン。魔道具にもよく使用される石です」
 「ではこの一文は、月から連想すれば解読できるということでしょうか。燃える光、つまりは太陽光のこと。月は太陽の光が無ければ輝けないですよね」

 そのとおりです。そう言ってヘレンは頷いた。ムーンストーンをひと撫ですると、再び口を開く。

 「燃える光ですが、実際には魔力の照射さえできれば問題ないと思われます。
 今回のチーム編成は、当日任意によって決められるもの。火属性の生徒がチームにいるとは限りません。
 ですから、あくまでも必要なのは魔力の照射。その際に発する光を、太陽の光と称しているのでしょう。ムーンストーンを使っているからできる言葉遊びですね」

 なるほど。彼女の言うことは一理ある。現にこのチームには火属性の魔力を持つ者はいない。そして、当日の天気が分からない以上、本当の太陽光を当てる必要もないのだろう。
 この問題は事前に用意される。その際に想定できる範囲で問題が作られるはずだ。努力さえすれば解ける、そんな難易度のものを用意しているだろう。

 「そこまでは分かりました。けれど、私でいいのでしょうか? 魔術の腕ならルーファスやオーウェンも素晴らしい術師ですが……」

 そう言う私に、ヘレンは首を横に振る。お二人がダメなわけではありませんが、と前置きした上で、彼女の見解を語った。

 「お二人が優秀なのは、シャーロット様のおっしゃるとおりでしょう。ですが、今回はシャーロット様の方が適任かと。
 魔力の照射先は石。鉱物である以上、土属性持ちであるシャーロット様の方が相性がいいのです」

 その言葉に、ルーファスたちは納得したように頷いた。確かに、このメンバーで土属性は私だけだ。それを思えば、魔力量もある私がやるのが適当だろう。

 「分かりました。それでは私が担当いたしましょう。何か注意事項などはございますか?」
 「そうですね。思い当たることが、一つだけ」

 ヘレンの顔が歪む。どこか言い難そうな表情に、こちらの顔も強張った。
 まさか、そんなに大変なことなのだろうか。とんでもない魔力量を持っていかれるとか? 幸い魔力量は多いため、他の人よりは耐えられるだろうが。
 そんな不安が頭をよぎった頃、ヘレンが重い口を開いた。

 「その、ですね。ムーンストーンの魔道具は、少々厄介な性質を持っているんです」
 「厄介な性質、ですか?」
 「はい。月が輝くのは、どれだけ太陽光を受けられるかで変わりますよね? 満月だったり、三日月だったり。
 それと同様に、ムーンストーンを使った魔道具は、適切な量の魔力照射が必要なんです。魔道具を起動させている限り、必要があります」

 適切量の魔力照射が無ければ起動できず、起動させ続けるには一定量の魔力照射を継続しなければならない。魔力が途切れれば、途端に魔道具は停止してしまうのだとか。つまり、

 「問題文を読み終わるまで、場合によっては解読が終わるまで照射し続ける必要がある、と?」
 「も、もちろん! 今までのように一文のみの可能性はあります! それならば誰かが読んだ時点で停止させてもかまいません!」

 慌てたように言うヘレンに、口の端が引きつる。それは、フラグというのでは? 嫌な予感がひしひしと迫っていた。

 思えば、オリエンテーションについてトラヴィスは言っていた。
 朝食の大広間、おもむろに紙を配り始めたときのことだ。彼は「基礎魔術でできる範囲だ」と説明した。

 基礎魔術。一年生の実技で真っ先に行うのが、魔力コントロールだ。まずは魔力を取り出せるよう訓練し、次に決められた量のみ取り出せるよう調整していく。
 適正量のみの取り出し。これは基礎魔術の一環なのだ。それならば、このムーンストーンの仕掛けにも納得がいく。
 授業で学んだことが身に付いているか。それを見極めるための課題である可能性が高い。

 「その、適正量がどの程度かは、石を見ていれば判別できるはずです。青白い輝きを石自体が放つようになりますので! 土属性の魔力は黄色。違う色の光が混じり出したら、そのまま維持していただければよいかと!」
 「……そうですね」

 ヘレンの言うことは正しい。正しいが、今は慰めにもならない。
 つまり、私は二つの工程をこなさなければならないのだ。まずは適正量の見極め。どの程度の魔力が適当なのかを、照射し続けながら調整することになる。
 次に、魔力照射の維持だ。これは集中が切れると乱れる可能性がある。下手に問題については考えず、魔力維持に集中するしかない。魔力維持を怠れば、魔道具が停止してしまうのだから。

 「君、大丈夫かい? 優秀なのは知っているが、負担なら変わろうか?」

 心配そうにこちらを見るのはルーファスだ。いつもは私をからかってばかりいる彼も、さすがに気の毒に思ってくれたらしい。眉を下げ、こちらを窺っている。

 「大丈夫よ。……そう、大丈夫。ナタリア先生の授業に比べればこれくらい。全力疾走させられることもないし、疲れ切った身体に攻撃しかけてこないし、重りを足されることもない。大丈夫、何も心配いらないわ」
 「寧ろ普段の君に心配が必要なようだね?」

 まくしたてるように呟く私に、ルーファスは苦笑を漏らす。私の肩を優しく叩くと、「気楽にね」と微笑んだ。

 「とりあえず、やりますか!」

 気合を入れ、ヘレンの持つ木箱へ手を向ける。そっと瞼を閉じ、精神を集中させた。

 私は、昔から魔力コントロールが苦手だった。
 まだ5歳の頃。カーターに魔術を教えてもらっていたときの話だ。魔力で鉢植えの中にある土を操るつもりが、勢い余って鉢植えごと操ったことがある。盛大に笑われたあの件は、もはや軽いトラウマだ。
 その二の舞は起こすまい、と意識を集中させる。石が変質するようなことはないだろうが、注意するに越したことはない。なお、当時の鉢植えが土に戻ってしまったのは、言うまでもない。

 最初は少量の魔力から始める。徐々に放出量を増やし、数十秒が経過した。
 そろそろだろうか、そう考えたとき、石が青白い光を発した。慌てて魔力量を固定し、一定量の放出へと切り替える。

 石は光を強め、わずかばかり振動する。それに驚いて目を丸めると、土台となっていた金属部分が木から浮かび上がった。

 「っ、ぇえ!?」
 「集中!」

 思わず驚きの声を漏らすと、ルーファスにぴしゃりと注意を受ける。それに慌てて魔力放出へと意識を切り替えた。
 しかし、驚くのも無理はないだろう。箱が空くとばかり思っていたが、台座が浮き上がるなんて想定していなかった。

 どうやら台座の下には螺旋階段のような金属がついていたらしい。ゆっくりと顔を出すそれは、きらきらと輝いている。木箱は、これを保護する囲いだったのだろう。壊さなくてよかった。

 ゆっくりとした動きがピタリと止まる。魔力放出が途切れたわけではない。隠されていたパーツが全て外に出たようだ。螺旋階段のような金属の下には、小さな人形が飾られている。金色の蛇が、紫色の石を抱きしめて眠っていた。

 『三つの謎を解き明かし、君が見るのは4つ目の謎』

 耳をかすめたのは、可愛らしい声だ。誰の声だろうか。それは分からないが、間違いなく目の前の木箱から声が流れている。
 ヘレンは慌ててペンを走らせる。聞き逃すことがないよう、メモをとるつもりのようだ。

 『今しか得られぬ喜びを、どうかあの人に渡してほしい。誰より君を見守って、そっと送り出してくれる人。どちらも愛すその人は、学び舎の中、その奥で、きっと君を待っている』

 その言葉を最後に、音は途切れた。しばらく魔力を注ぎ続けたものの、声が流れる様子はない。
 ヘレンへ視線を向けると、彼女は静かに頷いた。それを見て、私は魔力の放出を止める。

 ゆっくりと仕舞われていく小さな人形。螺旋状の金属も箱の中へ沈んでいき、ムーンストーンが蓋をした。

 講堂に静寂が戻る。新たな謎だけを残して。


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