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玲央side
しおりを挟む*玲央side**
情けない兄貴だと、お前は笑うだろう。
――あとにも先にも、弟の前で泣いたのはあの日だけだった。
次の日も、その次の日も俺は小虎を殴っていたし、小虎はそんな俺にへらへらと笑ってついてきた。
不快だった。でも、悪い気はしなかった。
安心していた。俺がどんなに悪に染まろうとも、人として堕落していっても、振り返った先にはコイツがアホ面をかまして側にいる。それだけで、悪い気はしなかった。
でも、それ以上に恐ろしかった。
無性の愛なんて存在しない。なのにコイツはへらへらと、へらへらと笑ってあとを追う。
その伸ばしてくる手でなにを掴むのか、その高い声で俺を呼び、次になにを言い出すのか、不安で不安で、恐ろしかったのだ。
きっとコイツにはそんな気はなかったんだろう。ただ兄貴という存在が眩しくて、理由もなくあとを追うほどひた焦がれていたのだろう。
だけど、俺からしてみればその現実味のない理由こそが一番、恐ろしかった。
期待されている。たったそれだけの事実が、もしかしたら暴力の極端な理由であったのかもしれない。
だから、本当は確信していた。
お袋と家を去るとき、コイツは最後の最後まで泣いていると、確信していた。
なのに実際はどうだ。ゾッとするような冷えた双眸が、丸いその眼球がじっとりと見つめている。
憎しみ、悲しみ、憤怒、厭悪――そのどれでもない感情が、いや、感情そのものがなかった。
なにか言葉を当てはめるならきっと、がらんどう。
なんにも、ない。
お袋が亡くなって、クソったれも死んで、コイツを引き取った日。
俺は少しだけ恐れていた。開口一番に「許さない」と言われることを、少しだけ恐れていた。だがそれ以上にそうあることを望んでいた。
なのに……コイツは。
どこか他人行儀なよそよそしい態度に苛立って、一発殴れば昔のようにへらへら笑うかと思ったときにはもう……遅かった。
殴っても笑わない。当然だ、当然のことだ。だけど床に転がる弟は、体をそこに放棄して、ひたすらに事が終わることをただじっと、待っていた。
痛いなら言えばいい。辛いなら言えばいい。
ふざけんな、また暴力か、アンタは最低だ。そう叫べばいい。
なぁ、お前はいつからそうやって我慢していた?
昔、俺が殴っていたときから、そうやってずっとずっと、我慢していたのか?
違うだろ。昔のお前なら、痛いと止めてと泣き叫び、それでもなお俺のあとを追っていた。
なぁ、俺が笑いかけたか? 一緒に遊んでやったか? 褒めてやったか? 我慢して偉いぞなんて、褒めてやったか?
罪の意識が体を蝕む。加害者であることから逃れられない。――受け入れていた、つもりだった。
昔はクソったれの暴力で受けた不満を、引き取った日からは我慢しかできない弟への苛立ちを。
殴っては言いそびれる。我慢してねぇで叫べよ、痛いって、叫べ。――なぁどうして、最後の最後までお前は叫ばない。
――情けない兄貴だと、お前は笑っていい。
なのに、たまに牙を向きだして俺に言うセリフが余計にあおった。
だからコイツに言われたことは嫌々ながらも受け入れた。嬉しかったんだ、単純に。
あぁ、こいつは求めている。俺に、ちゃんと求めている。
矛盾した思いにもほどがある。
昔はその期待が恐ろしかったのに、今はその期待を〝期待〟している。
『我慢するなっつったのはアンタだろ。だから我慢しねぇよ。俺はアンタと家族として過ごすこと、我慢しねぇ』
「……はっ」
てめぇはよ、いつからそんな強くなったんだろうな。
誰よりも強くて、誰よりも脆い。崖っぷちに立ったまま牙を控え、強風にあおられようとその場に居座る。
少しでいい。てめぇが少しその足を踏み出せば、もっと安全な場所になる。けどなんでだろうな。てめぇはその一歩を踏み出さねぇ。
うしろが崖だと分かっているくせに、怯むことを知らねぇ。
だから、てめぇの言う家族ってやつがどんなにくさくても俺が支えてやる。
要らないと振り払ってもいい。邪魔だと蔑んでもいい。だが、誓った以上――てめぇの世話はきっちり俺が見る。
「……れ、お……」
「あ?」
小虎の部屋に運んでやったあと、そのまぬけな寝顔を眺めていたら急に俺の名前を呼んだ。
しばらくしても反応はない。寝言らしい。
夢でまで俺を求めているなんて、正直自惚れにすぎないが悪い気はしない。
「……我慢しなくていい。けどな、俺も我慢しねぇ。だから、」
だから、誰よりも早く、近く、俺の元に来い、小虎。
もうこれ以上、お前が情けないと思うような兄貴には、ならねぇからよ。
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