とら×とら

篠瀬白子

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終幕 5

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酒盛りは結局明け方までつづき、後片付けを終えて帰る頃にはもう朝陽が顔を覗かせていた。その眩しさに目を擦りながら、タクシーに乗り込む皆を見送る。なぜか志狼が新山さんと仙堂さんに捕まり、未成年だから大人が必ず送ると言ってきかない二人に志狼はここ一番疲れた顔を見せていた。


「今日は遅くまでありがとうございました」
「おー、いいっていいって。楽しかったしな。お前らも気を付けて帰れよ?」
「はい、じゃあ失礼します」


帰りのタクシーの中ですっかり酔いつぶれて眠ってしまった雄樹の頭を撫でてから、仁さんに頭を下げる。きっと今回のことを詳しく知らないだろう仁さんだが、それでもこうして皆が笑い合える場を提供してくれる彼の心の広さに労いの意味を込め、去りゆく姿にもう一度頭を下げた。

明け方まで起きていた体に朝の空気は堪える。隣を歩く玲央もそれは同じようだった。


「ごめん、付き合わせちゃって」
「気にすんな」


帰りは歩きたいと言い出した俺の言葉に嫌な顔一つせず、先にタクシーで帰ることもせず、俺の歩幅に合わせて歩く玲央が頭を撫でた。
ぐしゃり、と掻き乱された髪に通る指の感触が柔らかい。気持ち良くて、気を抜けば眠ってしまいそうだ。


「……なんか、色々あり過ぎて、ちょっと頭冷やしたかったのかも」
「あぁ」
「なんか、さ……うん、なんだろ……ははっ、ごめん。上手く言えないや」


苦笑を浮かべると、頭を撫でていたその手でそっと、玲央が俺の手を握る。明け方で人もいない住宅街で、知らない人が俺たちの姿を見たらどんな勘違いをするのだろうか。
そんなことを思いながら、胸が張り裂けそうな思いで玲央の手を握り返す。すると倍の力で握られて、なんだか泣きたくなった。

けれど、ふと玲央の歩みが止まり、それまで込み上げてきた気持ちがどこかへ下っていく。


「……巴、さん」
「よぉ、お疲れさん」


先に帰ったはずの巴さんが、まるで俺たちを待っていたかのように立ち塞がる。その姿に疑問を持つ俺とは違い、玲央は怒気を孕んだ声で「何の用だ」と唸る。心なしか、俺を守るように前に立つ姿にさらに疑問が膨らんだ。


「警戒すんなよ、襲ったりしねーって」
「……」
「や、なんつーか、あれだな。悪かった」


悪かった。恐らく謝罪だろう言葉を放った彼は、こちらに頭を下げる。
これには玲央も予想外だったのか、一瞬言葉を失うもやはり警戒は解かない。


「お前らには特に迷惑かけただろ? や、小虎に、か? まぁだから、悪かったな」
「……」
「おいおいだんまりかよ。なんか言ってくれや」


カラカラ。一人笑う巴さんの声が、静かな住宅街に響く。その反響は寂しく消えた。


「司を唆したのはてめぇだろ」
「うん?」


明け方の冷めた空気に玲央の怒気が交わる。それを正面から受ける巴さんは顔色一つ変えず、微笑んだ。


「どうやったのかは知らねぇが、あの司が一時でも豹牙を置いてくことを考えたんだ。どう考えたって誰かが、てめぇが唆したに決まってる」
「そんなの決めつけんなよ。司だってそりゃ理由があれば豹牙を置いてくことも考えるだろうさ」
「んなわけねぇだろ」
「おいおい玲央ぉ、てめぇの価値観押し付けんなや。司の気持ちが、てめぇには分かるってか?」
「あぁ、分かる」
「はぁ?」


淡々と続く会話が途切れる。俺はこちらに背を向ける玲央を見つめながら、繋いだままの手をもう一度、強く握った。


「俺と司は、兄貴なんだよ」
「…………お前、」


明け方の空気に負けないくらい、どこか清らかで有無を言わせない絶対的な真実。倍の力で俺の手を握る玲央に、そっと微笑んだ。
玲央の言葉を聞いた巴さんはしばらく呆けていたが、なにかを思い出したように笑いだすと、降参と言わんばかりに両手を挙げた。


「悪かった。うん、俺が悪かったな。けど弁明させてもらうが、俺ぁ唆したんじゃなくてお願いしただけだ」
「お願い?」


巴さんの声に俺が反応すると、玲央は横目でこちらを射抜く。咎めているわけではないが、少し強い視線に笑みを返す。
「そ、お願い」呟く巴さんに視線を戻すと、彼は煙草を咥えて火をつけた。


「迷惑かけといてそりゃねぇだろって思うかもしんねぇけどよ、詳しくは語れねぇ。そこまで言っちまうと俺はお前らを襲わなきゃいけなくなる。分かるな?」
「……」
「まぁ、なんだ……これはただの、復讐だった。うん、復讐だったんだ。俺一人じゃ到底太刀打ちできねぇ相手に、俺は司に協力を求めた。唆した、つもりはねぇけどその相手が司にとっても復讐すべき相手であることを煽ったのは確かだ。そのせいで……まぁ、随分と大事になっちまったけどな」


ははは。笑う巴さんの口から煙が漏れる。澄んだ空気に溶けていく様は、どこか悲しい。


「巴さん」
「うん?」


だから、だろうか。その様があまりにも悲しいから、だろうか。


「泣いてもいいんですよ?」


気がつくと俺の口からはそんな言葉が零れ、それを耳にした二人は目を見開いた。ただでさえ静寂な世界が一層音を無くして彷徨う。けれど、不思議と今は寂しくない。


「辛い時や悲しい時、嬉しい時だって泣いてもいいんですよ。そうじゃなきゃ、自分が今なにを感じてるのか、忘れそうになるでしょう?」
「…………」
「だから巴さん、泣いてもいいんですよ?」


玲央の後ろから踏み出して、そおっと巴さんに近づいていく。けれど玲央の手が離れることはなく、俺もそれ以上前に進む気はないので歩みを止める。
そんな俺を見ていた巴さんは、大きく見開いた目からふいに、ポロリと水滴を溢した。


「……あ? んだ、これ……」


自分の意志ではないそれに手を伸ばして確認した巴さんは、茫然とそれを眺めてからおもむろに目を伏せる。パタリ、とまた水滴が溢れた。


「行け」
「え?」
「もう行け。早く帰れ……引き止めて悪かったな」


巴さん、と呼ぼうとした声を飲み込む。今、彼がいる世界に俺や玲央の居場所はない。そしてそれを、俺も玲央も望んではいない。
手を繋いだまま歩き出す俺たちが、動かない巴さんの横を通り過ぎる。


「……巴さん」


けれど慰めを言うつもりはない。謝罪も感謝もお門違いだ。
俺は足を止めて、振り返った。


「ノエルさんはまたお粥を食べに来てくれるって、俺と約束しましたよ」


動かずにいた巴さんの肩がぴくりと揺れる。けれど俺はすぐに向き直り、繋いだ手を離さないまま歩き出した。
後ろのほうで誰かが泣く声が聞こえた気がしたけれど、俺も玲央もなにも言わず、ただ歩みを進める。
そうしてしばらく無言でいた帰路で、ふいに玲央が笑った。


「玲央?」
「いや、少し気が晴れた」
「気が晴れた?」
「あぁ、俺が一番敵視してたのは巴だからな」


それは初耳だ。思わず凝視する俺に、笑いが止まらないのか玲央は咎めるように前髪をぐしゃぐしゃと掻き乱してくる。


「あいつの実家がなにしてんのかは知ってるか?」
「うん、さっき仙堂さんに……今回のこと、ちょっと聞いた」
「さっき巴は復讐だって言ってたけどよ、それは親のためとは思えねぇ。そもそも家業自体、あいつは嫌ってたしな」
「じゃあ、今回巴さんがこんなことした理由って……」


自分で乱した髪を丁寧に整えて、その手で頬を撫でてきた玲央が不敵に微笑む。


「どっかの性悪が馬鹿するような理由と、似てんじゃねぇの?」


それを聞いた瞬間、脳裏に浮かんだノエルさんの笑顔に頬が緩む。いいや、正確には巴さんを突き動かした理由は今は亡き、ノアさんにあるのだろう。けれどこれ以上先を知る必要はない。ただ彼が、彼らを突き動かす馬鹿げた幼稚な理由は、しかし俺の真実と酷似しているのだから。


「玲央は今回のこと、最初から知ってたわけ?」
「多少は、な。でも全部知ってたら許すわけねぇだろ。お前が危険な目に合うことに俺が加担するかよ」
「……」
「照れんな、馬鹿トラ」
「て、れて、ねーよ」


嘘つけ馬鹿、と笑いながら再び歩き出す玲央に引っ張られ、俺も歩みを進める。


「でも玲央が巴さんのこと、そういう風に見てたのにはちょっと驚いた」
「あ?」
「だって玲央、巴さんのこと嫌ってたじゃん?」
「……あいつはなに考えてんのか分かんねぇからな」
「うん、でも玲央らしい」
「は?」


矛盾したことを言いのける俺に玲央がこちらを向く。そんな玲央を見上げるような形で視線を向けて微笑む。


「玲央ってさ、実は結構周りのこと見てるし、ちゃんと考えてるもんね?」
「……」
「ほら、その証拠にブラックマリアの不良たちもさ、突然解散されたのにさっきはお世話になりましたってちゃんと挨拶してたじゃん? それってさ、玲央が解散させる前に皆で売人捕まえて警察に突き出した、なんだろ、正義の活動? みたいなことをして、ちゃんとブラックマリアってチームに意味を与えたからじゃん?
それに司さんのことも、玲央は撮影に行ってて近況なんて分かんなかったのに、帰って来てものの数日で説得できたのは、普段からちゃんと司さんのこと見てて知ってるからでしょう?」


だから玲央は、自分勝手だけどちゃんと考えてるよね。そう笑った俺を見つめていた玲央が、視線を前に戻して口を開く。


「俺が一番考えてるのは小虎、お前だけだ」
「え?」
「正直、司や巴が誰かのために馬鹿なことしようが、そんなの興味ねぇ。だから撮影を続けた」
「でも、撮影は仕事だし、実際玲央は帰ってから……」
「今回の撮影は今後俺の人生を大きく左右する。お前を養うためにも好機は逃したくねぇ。意味、分かるか?」
「……」


なにも答えずにいる俺に、獣が笑う。


「俺は他の誰よりお前自身と、お前との将来を考えてるってことだよ」


はっきりと告げられた言葉に一瞬で顔が熱くなる。繋いだままの手が澄んだ空気の中で火照って、恥ずかしい。
口を閉ざしたままなにも答えない俺に、玲央がちらりと視線を寄こした。


「まぁ、今回は撮影のタイミングに合わせて司が馬鹿しやがって、お前には寂しい思いさせたけどよ。あぁいや、そんなに寂しくなかったんだよな?」
「……前にちゃんと寂しかったって言いましたけど?」


以前のことをなぜか根に持っているのか、俺が茹ったタコのように顔を真っ赤にしたままジト目を向けると、玲央はいつのまにか視線を戻していて、言った。


「俺も寂しかった」
「へ?」
「メールも電話も、何回もしようか悩んで結局できなかった。お前との将来のために仕事優先してんのに、お前に寂しいって言われたらすっ飛んで行きそうだった。実際、言われたら無理してでも会いに行ってただろうしな」
「あの……玲央、酔ってる?」
「あんくらいで酔うか馬鹿」


繋いだままの手で軽く頭を小突かれて、その痛みで今が現実であることを思い知る。
つまり、あの玲央が、自分勝手でプライドの高いあの玲央が、寂しかったと口にしたのだ。俺に会えない時間を、寂しかったと言ったのだ。


「――……っ」


恥ずかしいやら疑わしいやら夢じゃないのか、なんて考えがグルグルと頭の中を駆け巡る中、最初に脳裏に浮かんだ思いは「卑怯だ」という感情。そんなことを言われて俺がどう思うのか、きっと玲央は知らないのだ。

なにか言おうと耽る俺に影が射す。何事かと上を向いた時にはすでに遅く。


「……やっぱ甘ぇ」


ひと気がないとはいえ、こんな住宅街のど真ん中で。まさかまさかの、玲央は俺にキスをしたのだ。


「れ、おっ!?」
「お前、次のテストで赤点取るなよ」
「へ?!」


こんな場所でなにをするのだと口を開く俺に、けろりとしている玲央は急な話題を持ち出す。百八十度どころではない話題の方向性に呆然とする俺に、玲央は笑った。


「テスト明け、旅行に行くから赤点は取るなよ。いいな?」


いいな? そう念を押す玲央に、俺はただ頷くことしかできなかった。
そんな俺の姿に気をよくした獣は、至極楽しそうに歩みを進めるのであった。

あれから玲央に引っ張られるようにして家につくと、鍵を開けようとする玲央を見てふと思い出す。
俺は慌てて玲央を止め、自分が持っていた鍵で開けた。そんな俺の行動を怪訝な表情で見つめる玲央には悪いが、これだけは譲れない。

開いた玄関扉を前に、ひとつ息をつく。

終わったのだ。自分が巻き込まれ、結局は事の詳細を知る由もないこの茶番は、今、終わったのだ。
この扉の向こうには日常がある。俺と玲央の、それらを取り巻く日常が。
けれどあの茶番もきっと日常の延長線上にあって、ふとまた別の形で俺の前に現れるのだ。

だから、この場所だけは大切にしたい。
そうやって小さな差別をしなくちゃ、俺はもっと駄目になるから。だから、自分を守る日常を、俺は大切にしたい。

ノブを回して扉を開く。瞬間、鼻腔をくすぐる自宅の匂いはひどく優しくて。
もう一度ひとつ、息をつく。
俺は足を踏み入れて、続く玲央の方へ振り返った。

玲央はそんな俺をやはり怪訝な表情で見つめていたが、俺が微笑むとそれに返した。

俺との将来を優先したと言ってくれた玲央に抱くこの感情は、きっと普通じゃない。
抱きしめられたり、触れられただけで嬉しく思うこの感情は、きっと兄弟の域を超えている。
今なら素直にそれを受け入れることができる。だから、この溢れんばかりの感情の波に身を委ね、


「おかえりなさい」


俺は、愛おしい獣にそう告げた。

瞬間、目を見開いた黄金の獅子は口元を緩める。


「あぁ、ただいま」


俺以上に甘い声で告げた玲央はゆっくりと近づき、扉を閉める。少し急いたように俺を抱きしめると、会えなかった時間を確かめるように匂いを嗅いだ。はぁっ、と悦に入った声が俺の口から漏れるのを、獣は聞き逃さない。
まるで壊れ物でも扱うような優しい手つきで俺の後頭部を支えると、獣は甘い牙で俺の首筋に食らいつく。

このまま喰われてしまってもいい。

なんて、馬鹿なことを思った。

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