いきなり有能になった俺の主人は、人生を何度も繰り返しているらしい

一花みえる

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1章

1-13

 新しいシャツとジャケットを着て、冷たいハーブウォーターを飲み、ようやくさっぱりとした気持ちになった。ノア様も同じように身支度を整え、いよいよ伯爵様の執務室へと向かう。半歩前を歩くノア様は今日もしっかりとタイを結んでいる。髪も綺麗に整えていて、ジャケットも着崩したりせずに身につけている。手袋の下にはいつも身につけているシグネットリングがあるのだろう。

 こうして見ると立派な子爵に見えるから不思議だ。中身が入れ替わっているというのはまだ信じられないけれど、あまりにも様子が違うから疑うことも難しい。

「父上、お待たせしました。ノアです」
「入れ」

 ドアを開けると執務室には伯爵様と父上の二人しかいなかった。伯爵様の親衛隊はもっと数が多く、軍議を開くときは各部隊長も集まるためこの部屋は手狭になってしまう。そこに俺たち四人だけとなると、どこかがらんとした印象を抱いた。

 軍議で使う大きな机にはフィカリア王国の地図が置かれている。伯爵様に呼ばれ、俺とノア様は地図に近づく。よく見るとベルリアンから王都までの道に赤い印が書かれていた。

「国王からの声明が出た。ベルリアンが今回の非を認めれば労働力を送ることで許すそうだ」
「人数は?」
「若い男子を百人。ただし税率は変わらない」
「どのみち税が払えなくなって、また何十人も連れていかれるのがオチですね」

 ノア様の言葉に伯爵様は頷いた。王太子の崩御に関わっているとしたら、これはかなり軽い刑だろう。下手したら死罪の可能性もある。労働力で済むのであれば温情と受け取ることもできる。

 しかし伯爵様は渋い顔をしたままだ。

「だがな、私はこれを受け入れたくない」
「そうでしょうね。これを受け入れるとベルリアンの領民を裏切ることになる」
「ああ……私はベルリアン領主として領民を信じたい。この土地で育ったものに毒など入っていない。私の愛する領民が汗水流して作ったものを疑われることは、領民を疑われることと同じだ。だから」
「父上は潔白を表明する、ということですね」

 ノア様の言葉に伯爵様は深く頷いた。父上もその隣で深刻な顔をしている。それもそうか。国王の声明に反するということは、つまり国王に反旗を翻すということだ。そして、国王は神に選ばれた存在だ。国王に反することはすなわち神に反することになる。信心深い伯爵様にとっては苦渋の選択だっただろう。

 それでも領民を選んだのは、自分の守るべきものが何かを深く考えた結果だ。

「おそらくこの後、国王はベルリアンに攻め込むと発表するでしょう。一カ月の間でもしも考えを変えるなら侵攻はしない。でも考えを変えなければ」
「国王軍と聖騎士団が攻め込んでくる……本当にお前の言う通りになったな、ノア」

 そう言われてもノア様の表情は硬いままだった。むしろどこか苦しそうな顔をしている。どうにも気になって声をかけたかったが、伯爵様の前でそんなことはできない。今はただ、お二人の話を聞くことしかできなかった。

 しばらく伯爵様とノア様が今後について話をしていた。その中で決まったことは二つだ。一つ目は、一カ月間、何があっても潔白の表明を取り下げないこと。二つ目は、この一カ月で軍備を調整すること。こちらから国王軍を攻めることは決してせず、防衛に徹することが目的だ。明日、緊急で軍議を開いて他の軍部長たちにも伝えるらしい。

 なんだか事が大きくなってきた。一体ベルリアンは、そして俺たちはどうなってしまうんだろう。

「ジョシュア、少しいいか」
「父上? どうしたんですか」
「こっちに来い」

 それまでずっと静かだった父上が俺を部屋の端に連れてきた。伯爵様たちはまだ話をしている。お二人に聞かれてはいけないことなんだろうか。

「ノア様は入浴されたんだな」
「しましたが、それがどうしたんですか」
「邪神ルシエルに取り憑かれた痕などはなかっただろうな」
「は、はぁ?」

 急にそんなことを言われて、思わず変な声が出てしまった。邪神ルシエルは俺が幼い頃に何度も聞かされた悪い神様だ。いたずらをしたら邪神ルシエルに攫われるぞ! と父上に脅されたことは数知れず。今となってはおとぎ話にしか思えないが、伯爵様よりも信心深い父上はその存在を本気で信じているらしい。

 そういえば俺が髪を伸ばしているのも「魔力は髪に宿るから」と父上に言われているからだ。見た目は筋肉質で無愛想なのに、そんなものを信じていることがどうにもミスマッチだが、人が信じていることを馬鹿にしてはいけない。俺も真剣に答えよう。

「ノア様の体に何もおかしなところはありませんでした」
「本当か? 隅々まで見たのか?」
「隅々……ええ、まあ」
「それならいいのだ。ノア様の言う通りになったことで、気が触れたわけではないだろうと思うことにした。だが念には念を入れなければな」
「そう、ですね」

 心から安心している父上を見て、つい風呂場でのノア様を思い出してしまう。

 白い指がこちらに伸びてきて、シャツに触れて。濡れたグリーンアイズがじっとこちらを見つめてきて。

(そのまま急所を取られるとは……俺もまだまだ訓練が必要だな)

 邪神ルシエルの痕は見られなかったが、ノア様の身体能力については考える必要が出てきた。これについてはまだ話さなくていいだろう。俺の訓練不足だと怒られる可能性もあるし。

 次こそは絶対に懐に入られないようにしようと、強く誓った。
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