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2章
2-10
国王軍と聖騎士団の兵士を全て牢に入れることはできなかった。それほど多くの兵士が動員されていたということだ。仕方がないので急遽屋敷の外にある蔵や倉庫を牢の代わりにする。あらかたの指示を出したあと、俺とノア様は簡単に身を清めてヘンリー伯爵の元へと向かった。
戦いには勝った。どちらからも死者を出さず、領土はほとんど無傷だ。唯一血を流したのはノア様だけで、その傷も俺が癒やしている。あとは捕らえた兵士たちの対応をどうするかのみ。朝早くから戦いが始まり、想像以上に短時間で終結したため、細々とした片付けが終わってもまだ夕方を迎えていない。
最初はどうなるかと思った戦いだったが、こんなにもスムーズに事が進むとは思ってもいなかった。それもこれもノア様の作戦が的確だったおかげだ。しかし、前を歩くノア様の表情はどこか硬い。まだ戦いの余韻が抜けていないのか。それとも何か思い悩んでいる事があるのだろうか。
下手に声をかけられず、俺は静かに半歩後ろを歩き続ける。
「父上、ノアです。失礼します」
「入れ」
ヘンリー伯爵のドアをノックし、返事を聞いてすぐ中に入っていく。あまりの性急さに驚きつつ、俺も慌てて追いかけた。その姿は何かに焦っているような様子にも見える。後始末はほとんど終わっていて、ノア様が動く必要は何もないはずなのに。
「ノア……今回の戦い、素晴らしい働きをしたな」
「畏れ入ります」
儀礼的な会話を済ませたあと、ノア様は手早く報告を始めた。終始防衛に徹していたため、伝えることはほとんどない。また作戦と結果がノア様の言葉通りだったことからヘンリー伯爵様も疑問を抱くことなく静かに聞いているだけだ。
時間で言うとわずか十分に満たない報告を終えたノア様は、じっとヘンリー伯爵を見つめた。何か言いたそうな顔だ。でも、伯爵様の様子を見て言うべきか悩んでいる。
「このあと、どうされますか」
「どう、とは」
「兵士たちをどう労うか、です。労働力を割いてまで防衛戦に参加してくれた領民たちを労うことは父上の役割かと」
「それはわかっている。だが……」
普段は快活に話す伯爵様が珍しく言葉を詰まらせた。執務室の奥を見ると、父上も同じように悩んでいるように視線を逸らしていた。まあ、それもそうだろう。戦いに勝ったことを祝うのは領民にとって大きな報酬となる。また、自分たちがこの土地を守ったのだと高揚感も湧くだろう。
しかし、それをしてしまうとベルリアンは国王軍を倒したという事実を認め、祝福することになるのだ。信仰心が篤く、最後まで神と国王への信仰心や忠誠を捨てられなかった伯爵様にとっては苦しい判断になるだろう。その板挟みに悩んでいるのだ。そしてノア様は、伯爵様の気持ちをわかっているからここに来た。
憂いを晴らし、悩みを消し去るために。
「父上はベルリアン領主です。領民と領土を愛しているから今回の戦いを決意した。そして、領民は父上の気持ちに応えてくれたのです。それに報いるのは貴方にしかできない」
「……お前、本当にノアか?」
「そもそもこの作戦を立てたのは僕だ。指示を出したのも、刀を抜いたのも僕。父上はただ僕の指示に従っただけです。だから何も思い悩むことはありません」
「まさかお前にそんなことを言われる日が来るとはな。とんだ親孝行だ」
いくらノア様が作戦を立て、指示を出したと言っても最終的な決定権は伯爵様にある。だからノア様が全て背負い込む必要はないし、そんなことはできない。伯爵様もノア様もわかっているけれど、あえてそう言葉にすることで割り切ろうとしているのだ。
伯爵様は領民の前に出て、ただ労い慈しめばいい、と。
向けられる悪意は全て自分が受け取る、と。
ノア様は言外にそう伝えようとしている。
「セオドラ、使用人たちに伝えろ。このあと祝勝会を開く」
「かしこまりました」
「参加した兵士は全員参加するように、またその家族も同じだ。領民全員が参加できるように食事も酒も大盤振る舞いだ」
「きっと喜ぶことでしょう」
そこまで伝えて、ようやく肩の荷が降りたのか。伯爵様は深くため息をついた。父上もそれを見て安心したように執務室を後にした。きっとこれから屋敷の中は大忙しになる。おそらく夜が更けても宴は続き、領民は喜び歌うだろう。
これまでずっと重たい雰囲気が流れていたベルリアンにようやく喜びが訪れる。
「僕は少し休んでから参加します。初めての戦いで流石に疲れました」
「そうしてくれ。きっとみんなお前の顔を見たいだろう」
伯爵様の執務室を後にする。さて、ノア様は少し休まれると言っていたので、その間に俺は宴の準備を手伝おう。起きたら服を選んで、支度をして。領民の前に出るのだから小綺麗な格好がいいだろう。
そんなことを頭の中で考えていると、突然ノア様の足が止まった。
「ジョシュア、ちょっと僕の部屋に来てもらえる?」
「はい。お風呂に入られますか? それとも少しお休みしますか?」
「あー、それもあるけど。ちょっとだけ君にしたいことがあるんだ」
「私に?」
「そう。すぐに終わるから」
一体何をしたいんだろう。もしかして、俺が勝手に光魔法を使ったことに対してまだ怒っているんだろうか。だとしたらちょっと怖いな。以前ならノア様が癇癪を起こしてもある程度放置しておけば勝手に落ち着いてくれていた。
でも今のノア様にそれが通用するかわからない。本気で怒ったところを見たことがないし、感情の振れ幅がほとんどないからどんなふうに怒るのか想像もつかない。
(母上に怒られる前の父上みたいだ……)
家臣の前では堂々としている父上も、家に帰ると母上の前では途端に弱くなる。大きな体をした父上が部屋の隅で小さくなり、母上に叱られる姿が思い出される。数分後の自分とかつての父上の姿が重なり、ずんと胃が重たくなった。
戦いには勝った。どちらからも死者を出さず、領土はほとんど無傷だ。唯一血を流したのはノア様だけで、その傷も俺が癒やしている。あとは捕らえた兵士たちの対応をどうするかのみ。朝早くから戦いが始まり、想像以上に短時間で終結したため、細々とした片付けが終わってもまだ夕方を迎えていない。
最初はどうなるかと思った戦いだったが、こんなにもスムーズに事が進むとは思ってもいなかった。それもこれもノア様の作戦が的確だったおかげだ。しかし、前を歩くノア様の表情はどこか硬い。まだ戦いの余韻が抜けていないのか。それとも何か思い悩んでいる事があるのだろうか。
下手に声をかけられず、俺は静かに半歩後ろを歩き続ける。
「父上、ノアです。失礼します」
「入れ」
ヘンリー伯爵のドアをノックし、返事を聞いてすぐ中に入っていく。あまりの性急さに驚きつつ、俺も慌てて追いかけた。その姿は何かに焦っているような様子にも見える。後始末はほとんど終わっていて、ノア様が動く必要は何もないはずなのに。
「ノア……今回の戦い、素晴らしい働きをしたな」
「畏れ入ります」
儀礼的な会話を済ませたあと、ノア様は手早く報告を始めた。終始防衛に徹していたため、伝えることはほとんどない。また作戦と結果がノア様の言葉通りだったことからヘンリー伯爵様も疑問を抱くことなく静かに聞いているだけだ。
時間で言うとわずか十分に満たない報告を終えたノア様は、じっとヘンリー伯爵を見つめた。何か言いたそうな顔だ。でも、伯爵様の様子を見て言うべきか悩んでいる。
「このあと、どうされますか」
「どう、とは」
「兵士たちをどう労うか、です。労働力を割いてまで防衛戦に参加してくれた領民たちを労うことは父上の役割かと」
「それはわかっている。だが……」
普段は快活に話す伯爵様が珍しく言葉を詰まらせた。執務室の奥を見ると、父上も同じように悩んでいるように視線を逸らしていた。まあ、それもそうだろう。戦いに勝ったことを祝うのは領民にとって大きな報酬となる。また、自分たちがこの土地を守ったのだと高揚感も湧くだろう。
しかし、それをしてしまうとベルリアンは国王軍を倒したという事実を認め、祝福することになるのだ。信仰心が篤く、最後まで神と国王への信仰心や忠誠を捨てられなかった伯爵様にとっては苦しい判断になるだろう。その板挟みに悩んでいるのだ。そしてノア様は、伯爵様の気持ちをわかっているからここに来た。
憂いを晴らし、悩みを消し去るために。
「父上はベルリアン領主です。領民と領土を愛しているから今回の戦いを決意した。そして、領民は父上の気持ちに応えてくれたのです。それに報いるのは貴方にしかできない」
「……お前、本当にノアか?」
「そもそもこの作戦を立てたのは僕だ。指示を出したのも、刀を抜いたのも僕。父上はただ僕の指示に従っただけです。だから何も思い悩むことはありません」
「まさかお前にそんなことを言われる日が来るとはな。とんだ親孝行だ」
いくらノア様が作戦を立て、指示を出したと言っても最終的な決定権は伯爵様にある。だからノア様が全て背負い込む必要はないし、そんなことはできない。伯爵様もノア様もわかっているけれど、あえてそう言葉にすることで割り切ろうとしているのだ。
伯爵様は領民の前に出て、ただ労い慈しめばいい、と。
向けられる悪意は全て自分が受け取る、と。
ノア様は言外にそう伝えようとしている。
「セオドラ、使用人たちに伝えろ。このあと祝勝会を開く」
「かしこまりました」
「参加した兵士は全員参加するように、またその家族も同じだ。領民全員が参加できるように食事も酒も大盤振る舞いだ」
「きっと喜ぶことでしょう」
そこまで伝えて、ようやく肩の荷が降りたのか。伯爵様は深くため息をついた。父上もそれを見て安心したように執務室を後にした。きっとこれから屋敷の中は大忙しになる。おそらく夜が更けても宴は続き、領民は喜び歌うだろう。
これまでずっと重たい雰囲気が流れていたベルリアンにようやく喜びが訪れる。
「僕は少し休んでから参加します。初めての戦いで流石に疲れました」
「そうしてくれ。きっとみんなお前の顔を見たいだろう」
伯爵様の執務室を後にする。さて、ノア様は少し休まれると言っていたので、その間に俺は宴の準備を手伝おう。起きたら服を選んで、支度をして。領民の前に出るのだから小綺麗な格好がいいだろう。
そんなことを頭の中で考えていると、突然ノア様の足が止まった。
「ジョシュア、ちょっと僕の部屋に来てもらえる?」
「はい。お風呂に入られますか? それとも少しお休みしますか?」
「あー、それもあるけど。ちょっとだけ君にしたいことがあるんだ」
「私に?」
「そう。すぐに終わるから」
一体何をしたいんだろう。もしかして、俺が勝手に光魔法を使ったことに対してまだ怒っているんだろうか。だとしたらちょっと怖いな。以前ならノア様が癇癪を起こしてもある程度放置しておけば勝手に落ち着いてくれていた。
でも今のノア様にそれが通用するかわからない。本気で怒ったところを見たことがないし、感情の振れ幅がほとんどないからどんなふうに怒るのか想像もつかない。
(母上に怒られる前の父上みたいだ……)
家臣の前では堂々としている父上も、家に帰ると母上の前では途端に弱くなる。大きな体をした父上が部屋の隅で小さくなり、母上に叱られる姿が思い出される。数分後の自分とかつての父上の姿が重なり、ずんと胃が重たくなった。
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