鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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奇跡の師弟

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「…あれ? もしかして、スズキ先生ではありませんか?」

 その声のした方を見ると、そこには40代半ばのロングヘアの女が、70代過ぎと思われる白髪の女に話しかけている所だった。

 ワンテンポ遅れて、白髪の女が目を丸くして答える。

「え、もしかして昔教えてた…?」

「あの、イトウです。イトウモトカです。お久しぶりです!!」


(恩師との再会ねぇ。何年前なのかは知らないけど、よく覚えてるものね)

 ゆず子は一瞬だけ眺めた後、書類作業へと戻った。

(あたしぐらいの齢になると、もう恩師なんてだいたい土の中だわ)

 同窓会も数回は参加したが、仕事や日々の生活に追われ、いつの間にか行かなくなっていた。
 世話になり、記憶に残る恩師も何人か居たが、現在存命なのかすら、ゆず子に知る由もない。

(あたし達の世代は年賀状や電話ぐらいだけど、もっと下の世代だとSNSやスマホなんかで繋がってる人、多いんだろうな。そういう意味では、お気軽で便利な時代になったものね)

 本日の珈琲を口にしていると、カウンター席に居るスズキとイトウの話す声が聞こえてきた。

「スズキ先生って、こちらのご近所なんですか?」

「いいえー。母がね、こっちの施設に入ってるから、顔を見に行った帰りなのよ。こんな所で会えるなんて奇遇ね!」

 2人は懐かしさで弾んでいるようだった。スズキが続ける。

「イトウさんは、あれから保母さんの夢、叶えたの?」

「保母さん…、っていうか、音大まで行ったんですけど、普通のOLになりまして。でも今は縁あって、ピアノ講師との二足わらじをしています」

(成程。子供の頃ピアノを習っていた→ピアノを弾く仕事を志す→将来の夢は保母さんや幼稚園の先生、っていう感じか。それでもイトウさんは遠からず夢を叶えた訳ね)
 ゆず子はふんふん頷きながら、記入をした。

 スズキが口を開く。

「そうなのね。あなた、音楽好きだったものね」

「まあ、ピアノ教室の先生との相性が良かったからだと思いますよ。正直、ピアノ以外はからきしでしたから」

「え、そうだったっけ?」

 スズキは意外そうな声を出した。イトウは言った。

「そう言えばスズキ先生、大病をしたと聞いたのですが、あれからお加減いかがでした?」

「えーと、あー…、あれは何とかね。手術だけして、再発はないまま今に至ってるわよ」

「再発…、あ、でもそれが無いなら良かったです。あの頃、もう卒業しちゃっていたけど、弟経由で話を訊いていたので、とても心配だったんです。結構、休まれていましたよね?」

「うーん、と言っても4カ月ぐらいかな? 受験生の居るクラスを受け持っていたからね、休職期間も早くに切り上げたの」

(ほうほう。スズキ先生は在職中に大きい病気をして、休んでいたのか。受験生が居ると、おちおち休んでられないよね。推薦文とか内申書とか、時期によるけど他人任せに出来ないよね)
 教職には詳しくないが、ゆず子は訊きながらそう思った。

 イトウは戸惑った様な声を上げた。

「受験生…? そっか、まあ居ますよね。うちの弟も、直接スズキ先生が担任になった事は無いから、違う学年だと思ってました」

「そうなの? ちなみに弟さんは元気?」

「ええ、おかげさまで。一昨年、3人目が生まれました」

「あらまあ、賑やかになったのね」

「そうなんです。男3人だから、『そのうち家を壊されるぞ』なんてよく言われますね。そうそう、あの校舎建て直したようですよ、去年大規模改修工事をしたらしくて」

「建て直し? まだそんなに古くないわよね、生徒数でも増えたの?」

 スズキが首を傾げると、イトウは言った。

「いいえ、古いですよ。あ、でも建て直したのは創立当時からある南校舎だから、それ以外はそんな古くないかも」

「え、創立当時からの校舎? でもあそこ、確か創立して100年くらいよね? 私が居た時に70周年式典をした筈だから」

「100ですか? 何か、45周年と聞いたんですが…」

(ムムム?何か行き違いが発生しているぞ?)

 40代のイトウと70代のスズキが顔を合わせたのは、少なくても30年位前の事だろう。どちらかが『当時』の事でもう一方が『現在』の時間軸で物を言い、齟齬が生じたのではないか。

(でもな。流石に100年前の校舎を現役で使用する、なんて事は有り得ないしな)

 2人はしばし黙り込んだ。イトウが口を開く。

「すみません、もしかすると私の記憶違いかも…」

「いえいえ、私こそ在職していた他の学校と勘違いしてるのかもしれないから。…そっか、建て替えかぁ。それじゃあ、私が知ってる学校じゃなくなったかもしれないわね」

「そうですね。私も、とうに行かなくなってしまった場所ですから。覚えてますか? 先生。学校祭で校長先生が和太鼓を披露したこと」

「校長先生の和太鼓?」

「はい。お名前はもう失念してしまったんですけど、出し物で校長先生が趣味の和太鼓演奏を披露して、子供ながらにカッコイイな、って思ったんです」

(へー、校長先生が!和太鼓の良さなんて子供は分かりっこないけど、目の前で見たら迫力あるでしょうね)
 話を訊きつつ、ゆず子が思うと、スズキは思いもよらぬ事を言い出した。

「え? ちょっと待って。校長先生の和太鼓演奏? …私、それは分からない」

「あら…? 勘違いかな。えー、でも確かに『ハセ小祭り』の時だった筈なんですけど」

(あらら、スズキ先生、色んな思い出が濃過ぎて和太鼓演奏の事、忘れちゃった?)
 気が気でないゆず子。スズキは声を上げる。

「『ハセ小祭り』? ハセ小って、ハセジマ小学校の事? …え、あなた、イトウモトカさんと言ったわよね? ブラスバンド部で部長をしていた…」

 イトウは呆気に取られた声を出す。

「いいえ。ブラスバンド、小学校はおろか、中高でもやってません…」

(え?)
 思わずゆず子が目線をやると、2人は眉根を寄せて向かい合っていた。スズキはハッとする。

「ちょっと待ってね。…ちなみに、私の下の名前は、分かる?」

「スズキ、マサコ先生ですよね?」

 イトウの答えから2秒程遅れて、スズキは自分の額に手を当てる。

「あ…。ごめんなさい、私、スズキカズミと申します」

 イトウは両手で顔を覆って、うなだれた後、口を開いた。

「やーだっ!! あたしったら! 人違いでした!! ごめんなさーい!」

(噓!)
 思わず2人を凝視してしまった事に気づいたゆず子は、慌てて壁の時計に視線をずらす。

 2人はカウンター席で大笑いしていた。スズキが笑いつつ口を開く。

「何かね、話してて、『合わないな?』っては思ってたの! ははは! でも昔の事だから、私すっかり忘れてるんだと思って」

 イトウも顔を赤くして笑っていた。

「ほんと、恥ずかしい! でも勘違いなのに、ここまで話し込んじゃうなんて! あははは!」


 スズキカズミは中学校の教諭で、イトウモトカをブラスバンド部の教え子だと思い込み、ピアノが大好きなイトウモトカはスズキカズミを小学校の教諭:スズキマサコだと、互いに勘違いしていたのだ。


 スズキは笑い過ぎて涙目になったのか、目をこすった。

「そっかぁ、そちらの『スズキ先生』も病気していたのね。私は胃がんだったの。そうよね、小学校じゃ中学受験の子、あまり居ないわよね」

「成程、だから『再発』…。『確か婦人科の病気と聞いたけどな?』って思ってました。そちらのイトウモトカさんも、弟さんがいらっしゃったんですね」

 スズキは首を振った。

「いいえ、うろ覚えだったのよ。言われて『確か下の名前これで、弟さんも居たような?』って、思って。えっと、ちなみに中学はどちら?」

「スキハラ中学です。私の5年上の学年から、統合されたとこで」

「あー、スキハラね。あそこ、定年前に居たわ」


 勘違いで話し込んでいた2人は、共通の話題を見つけ、更に数分話してから互いに謝罪して席を立ったのだった。

 赤の他人なのに、互いに『共通の知人』と勘違いしてここまで話し込む人は、なかなか珍しい。逆にこの一件が縁となり、『本当の知人』に成り得る出来事である。

 ゆず子は少し笑って珈琲を口にした。

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