鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗

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噓八百

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「あ! おばさん、こっち! 久しぶり~!!」

 珈琲をお供に書類作業をするゆず子の前の座席で、片手を上げたのは、50代くらいの女。

「久しぶりね、ちょっと瘦せたんじゃない?」

 言いつつストールを外したのは、ゆず子と同世代くらいの白髪の女だった。姪と思しき50代の女が軽口を叩く。

「そんな事無いよ、むしろ3キロ太った」

「3キロなんて誤差の範囲よ。ルミはもうちょっとふっくらしていいくらい」

「え~、ヤダ」

(あら、仲の良いおばさんと姪なのね)
 ゆず子はペンを動かしつつやり取りを窺う。

 姪は言った。

「事務所閉めちゃうのって、いつにするの?」

「何もなければ私が75になった年にね。色々もう準備してるよ、事務所の子たちの受け入れ先とか、お得意さん達にも順次お知らせして」

「そうなんだぁ。着々と終わりに向かっているんだね」

 声のトーンの落ちた姪とは裏腹に、おばは明るい声だった。

「何しんみりしてるの、新生活の始まりじゃない? ワクワクしてるよ、私は。『隠居したらどんな趣味始めようかな?』って」

「ああ、そういう考えもあるか…」

 2人は笑ってメニューを選び始めた。

(昔は定年退職したり隠居すると、本当に『余生』って感じで人生の終わりを意識したもんだけど、今は違うわよね)

 遊びも仕事も、死ぬまで現役。『終活』は、頭がまともに動いてる内にやるもの。

(今の私と同じ齢だった頃の、私の母親もおばあちゃんも、どうだったかしら?のんびりと時間を持て余した過ごし方だった気がするな)

 子孫であるゆず子は、書類の締め切りに追われている。シンプルに、後回しにしたツケだ。

(のんびり過ごすのは、まだまだ先ね)
 ゆず子は人知れず苦笑した。

 オーダーを終えた姪が口を開く。

「そう言えば、友達の葬式だったんだって? 横浜の?」

「うん、横浜の子。大学一緒だったチカちゃん。ガンでね、見つかった時はもう末期だった」

「そうだったんだね。友達亡くすって、辛いよね」

「…それがね、それよりももっとショックだった事があってね」

(ほう?)
 ゆず子は聞き耳をそばだてた。

「亡くなったチカちゃんは、ミス横浜A大に選ばれたり、雑誌のファッションスナップで声掛けられたりもする、とっても美人さんだったの。私は税理士、チカはアナウンサー志望で同じ学部でね。考え方とか真逆だけど、何故か仲良くなったの」

「何か昔の写真見たなあ。スタイル良くてちょっと派手めの人だよね」

「そうそう」

 おばはお冷に口をつけた。

「周りの他の友達がどんどん結婚していく中、仕事で婚期逃したあたしと、選り好みし過ぎて晩婚になったチカは、学校出てからもいい友達だったのよ。仕事終わりにご飯しに行ったり」

「分かる! 結婚すると、未婚の子と合わなくなるんだよね」

「そういうやつね」

(『女は2回友達が変わる』ってやつね。でもこの齢になると、そろそろ既婚未婚関係なくなるかも)

 子育てや介護の終了、死別、離婚。誰もみな、終わりは1人だ。

 おばは続けた。

「チカが結婚したのは、31の時かな。それでこっちに嫁いだけど、お姑さんにかなりいびられてよく愚痴の電話貰ってたの。『あの人は人の心を持ってない』『夫は姑の言いなりだ』『若くないのに貰ってやってその態度は何だって言われた』とかって」

「ああ~、そればっかりはね。運みたいなものだ」

「まあ、時代もあるよ。同居だったし」

「お子さんは居たの?」

「男の子が1人。葬式で初めて会ったけど、チカに似てなかなかの男前だったよ」

「じゃあ息子さん40近いんだ」

「うん。更にお子さん2人居た」

(昭和の時代に晩婚して高齢出産したけど、息子さん立派にお父さんになったのね)

 女の価値が、若さと男児を産めるかで決まった時代。いびられつつも、彼女は立派に勤めを果たしたのだ。

 おばは続けた。

「チカが嫁いでからはほとんど会ってないけど、よく電話してたよ。最後に会ったのは、7年位前かな。前からお酒飲む子だったけど、ストレスをお酒で発散させてる感じがしてさ。顔色は悪いし、若い頃の面影がないくらいに太っちゃって。
『姑がまだ元気でやんなっちゃう』『息子の嫁は地味で陰気臭くて嫌だ』『夫の退職金が思ったより貰えなくて、毎月カツカツ年金生活なのに姑が生活費を出さないから、あたしの身銭を切って補填してる』ってずっと愚痴っていた」

「あらら、大変だ。同居はストレスかかるよね」

「そうね。ストレスが原因かは知らないけど、50手前で大動脈瘤の手術もしていてさ。チカが頑張っているのに身体をいたわる事も無く、金銭関係も甘えきりの家族に、あたしも腹が立ってたんだよね」

 オーダーした物を受け取り、姪は言った。

「会った事あるの? チカさんの旦那さんとかは」

「同居してるから、基本的に会う時は外なんだよね。旦那さんがチカに惚れ込んで、それに応えた形での結婚だったよ。結婚式でしか会った事ないけど、人が好さそうな感じだったから尚更、結婚後に掌返すなんて!って思った」

「まあ、結婚してから変わるって言うのはよくある話だもんね。実はマザコンだった、とか」

「そうね。で、生活が激変したのは5年前かな。自宅がボヤを出した」

(『ボヤ』?)
 ゆず子も思わず手を止める。

「チカの話では、『姑さんがストーブの火を消し忘れてボヤになったけど、姑さんはこれはあたしのせいじゃない、チカの仕業だ!って騒いで、家から出て行け!って追い出された』らしいの」

「わぁ、酷い。旦那さんは?」

「定年退職していた旦那さんは、高齢のお姑さんのお世話があるから家に残って、チカを庇う事なくあの子だけが追い出された。チカの実家は両親もう他界して弟夫婦が住んでいて帰れないから、一戸建てで生活していた息子夫婦のとこで同居する事になったの。そこでも色々あって」

「えー、更に?」

「『息子の嫁は無職で、おんぶに抱っこ状態』『私の分の食事を用意してくれない』『孫押し付けて遊びに行く』って、今度はお嫁さんの愚痴よ」

「あらら、次から次へと…」

「それで3ヶ月くらい前に、『肝臓癌が見つかって入院する事になった。末期なの』って連絡があって、実質それが最期」

「…あっという間だったんだね」

「うん。こんなに早く、呆気ない別れになるとは思わなかった」

(分かるよ、別れって呆気なく来るものなのよね)
 発病など、事前に判明してる場合もあるが、寿命の事は誰にも予想はつかないものだ。心の準備など出来る様で出来ないのが、現実である。

 おばは珈琲にミルクと砂糖を入れつつ、話を続けた。

「お通夜と告別式、両方出たよ。傍に居れるのはこれが最期だから、長く居たいからホテルも取って。お通夜の会場で座っていたら、隣の席がご近所さんで会話が聞こえてきたんだよね。『確かイクシマさんのとこって、5年前にボヤだしたんだよね』『うんうん、チカコさんの過失』って」

 姪は口を尖らせた。

「え、どういう事? チカさんのお姑さん、ご近所さんには『嫁の仕業』って事にして、言いふらしたってこと?」

「それでさ、あたしもたまらず『その話って本当ですか?私はお姑さんの過失と聞きましたが』って言ったら『間違いないです。火元2階だし、おばあちゃん階段上れませんから』って言われてね」

「お姑さんが階段上れないって言うのは、確かなの?」

「確かよ。最後に会った7年前の時に『姑さんが転んで骨折して、要介護2になった』って聞いていたし。『階段上れなくなったから、部屋を覗かれる事も無くなったわ!』っても言ってたし」

(情報の錯綜かしら?それとも…?)
 ゆず子は手を止め、珈琲を口にした。

「ご近所さんは更に『家事もおばあちゃんの介護も、チカコさんは旦那さんに全部丸投げしていた』とか『ゴミ出しも回覧板も町内会の係も何一つやらなかった』とか、耳を疑う話をしていて」

「ええ⁈ どこまでが本当なの?」

「そうなのよ。チカから聞いていた話と、色々食い違っていたの」

 2人は黙りこくった。沈黙を破ったのは、おばだ。

「お通夜の後に旦那さん達に挨拶に行ったのよ。そしたら、息子さんの奥さんに呼び止められてね。『もしかして、千葉で税理士事務所に居ませんでしたか?』って。息子さんの奥さん、あたしが以前担当した人だった」

「へえ! 偶然にも。世間は狭いのね」

「…チカね『息子の嫁はずっとニートをしていた世間知らずで、結婚後も絶対に働かず毎日家に居る』って言っていたけど、奥さん漫画家なのよ。単行本は勿論、最近のデジタル図書?そういうの何冊も出しているの」

「すごい…。じゃあ、無職じゃないじゃん?」

「そうなの。独身の頃、会社員と二束わらじだった頃に相談を受けてね。会社員経験あるじゃない! いま現在もウェブで育児マンガを連載してるみたいだし! 懐かしくてちょっと立ち話したわ」

(嘘、なのかな?それとも勘違いなのかな?)
 ゆず子も話につられて首を傾げる。

 姪は言った。

「えー、じゃあ、チカさん噓ついていたの?」

「その段階ではまだ確信を得てなかった。で、帰り支度してたら、パーテーションの向こうで息子さんと奥さんが話す声が聞こえて、それで確信した」

「何?」

「息子さんが『さっきの話し込んでた人、誰?』って聞いて来て、『あの人、お義母さんがいつも言ってたお友達の池田さんだよ。私、独身の頃あの人にお世話になった』って奥さんが答えて、『何で知り合いなの?』、『だって税理士だもん』。
そしたら息子さんが『税理士なの?俺、義母さんから【池田って言う友達は、学校出てずっと無職で自分の親の脛かじって寄生してる奴】って聞いてたぞ』って言ってて…」

「何それ! 酷い!!」

 姪が言うと、おばも肩を竦めた。

「…ね? これが、ショックだった事の全貌よ。どうやら、友達だと思っていたのは、あたしだけだったみたい」


 チカは何故嘘をついていたのだろう。もしかしたら、嘘ではなく本当の事柄もあっただろう。けれど、今その全ての確認をするのは、とても現実的ではない。

 おばは息をつくと、明るく言った。

「死んじゃった以上、あの子は過去よ。あたしは今を生きてる。だからもう、未来の事しか考えない事にした」


 最初は、同情を引くために大袈裟に物を言っただけかもしれない。『墓場まで持って行く』というものは、半永久的に秘密を保てるイメージがあるが、あくまで先に墓場へ入った場合は、無効になるのだ。


(いやはや、嘘はつくもんじゃないわね)
 ゆず子は会った事も無い誰かの失敗を、肝に銘じるのであった。

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