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木下三栄 ※犯罪行為、グロ表現、新生児や胎児の死亡表現あり

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「ほいでは、こちらの念書に名前と拇印をお願いしやす」

 女は渡された用紙を見るが、目が泳いでいる。念の為、木下三栄きのしたみえは確認する。

「姉さん、字は判る?」

「あの、漢字がちょっと…」

「あいよ、ならば読みますんで。『養子縁組組成覚書』。つまり養子に出すにあたって、親である姉さんが『養子に出すのを決意しました』っちゅう事を誓うもんや。
こいつが無いと、私らは人様の子を攫って養子に仕立て上げたってなっちまう。だから書いてもらうん」

「はあ」

「あと、決まりがあります。縁組後、お姉さんは子供とうてはなりまへん。新しい親御はんに、子供が慣れるのが遅うなりますから」

「会うてはいけないって…、ずっとですか?」

「そう。養子は奉公とちゃいますよ」

 女は、隣の座布団の上で眠る我が子に目をやった。三栄は続けた。

「そいで、お姉さんに新しい親御はんの事は教えられまへん。養父母はんに迷惑をかけない為です」

「そんな…。どないなお家に行きはるか、分らないなんて」

 女は泣きそうな顔をした。三栄は少し表情を和らげて答えた。

「安心しなはれ。ウチに来はる方は、ちゃんとしたお家柄の方ばかりですよ。
…勿論、辞めてもよろしゅうございますが?」

 女は顔を強張らせ、下を向いた。女は借金で遊郭に売られた身だった。生まれた子に、どんな未来が待っているかは想像に容易い。

 女は子を見た後、口を開いた。

「この子を、どうか良いお家の方へ…」



 女は何度も振り返りながら、三栄の産院を後にした。

「…5000円か。借財持ちやのに、よう揃えたもんやな」

 夫である昭一郎しょういちろうが、包みを開け呟く。三栄は赤子を背負うと、医院の奥の倉庫へ向かった。

「あんた、袋を」

 床の取っ手に手をかけ外すと、闇へ向かう梯子が現れる。三栄は赤子と共に入った。地下だ。

 上から昭一郎が、火のついた蠟燭と袋を三栄に手渡す。冷たい空気に、背中の赤子がぶるっと身震いした。
 底に降りた三栄が、手近の台の上に蠟燭を置くと、薄明りに照らされた麻袋が幾つか見えた。

 三栄は渡された袋を広げると、背中から赤子を降ろした。赤子は異変に気付いたのか、目を開けて三栄を見る。
 三栄は構わず赤子を袋に入れ、口を縛った。途端に赤子は泣き始めた。

 三栄は泣き喚く赤子の入った袋を床に置くと、隣にあった冷たい袋を持ち、梯子を上り始めた。

 上で待つ昭一郎に袋を渡すと、地下へ繋がる蓋を閉じた。くぐもった赤子の泣き声は聞こえなくなった。
 昭一郎は、裏庭に穴を掘ると、小さな亡骸を袋ごと埋めた。



 三栄と昭一郎が子殺しに手を染めるようになったのは、7年前からだった。

 華族に仕える若い女中が、主人の子を宿し医院へ来た。女中は『愛する人の子なので産みたい』と懇願した。
 腹が目立つ前から暇を貰い、潜伏しつつ極秘出産する手筈だったが、華族の本妻は既に知っていた。

 医院へ来た本妻は、三栄と昭一郎の10年分の稼ぎに匹敵する大金を出し、言った。
 『男児ならば取り上げたのち、殺してくれ』と。

 本妻や公認の妾にも男児は生まれず、もし女中の産んだ子が男児ならば、財産や家が教養の無い田舎女の子供のものになると案じていたのだ。

 結果、生まれたのは男児だったので2人は赤子を殺した。産湯を深めに張りうつ伏せに沈め、上から濡れ布巾を包む様に張り、20分浸した。

 男児は生まれつき肺が弱かった、という事で届けを書き、2人は大金を手にした。


 『訳ありの子は金になる』と知った2人は、養子縁組を自由に行える自身の立場を悪用した。

 遊女、芸者、金持ちの家に勤める女中、職業婦人などの訳あり妊婦から金をせしめ(養育費や縁組締結金の名目)、赤子を預かったり産後に、地下に放置して殺していった。


(直接、手にかける事は出来ひん)

 三栄も昭一郎も、命の誕生の現場で幾つもの『生』を取り上げて来た身だ。誰よりも赤子の死に、悲しみや憤りを感じてきた筈だった。

 昭一郎が、寝る前に煽る酒の量が増えた。三栄も、吐くほど飲む日が多くなった。
 朝、目を覚ました三栄は酒臭い寝室の窓を軽く開けると、朝支度の為に台所へ行った。


 汁物を啜った昭一郎は呟くよう言った。

「あの芸者がまた来寄ったぞ」

「『あの』じゃ分からんて。ぎょうさん居るわ」

「赤子を預けた次の日に『返してくれ』って来た奴や」

 思い出した三栄は、むすっとして漬物を口にした。翌朝の日の出と共に来た女だ。

「そいで?」

「『夜遅うに引き取りにくるなんぞ、養父母はどこぞの者や?』言うてたから、『お前さんには教えられへん』って追い返したわ」


(いつまで、この生活が続くだろう)

「みえせんせい!」

 往診の帰り道、呼び止められ振り向くと4歳くらいの幼児が駆け寄ってきた。

「おお、富市とみいちやん! またおっきくなったなあ」

 彼は4年前、三栄が取り上げた赤子だった。そして3か月前に兄となったばかりでもある。

「ミヨもお母ちゃんも元気かい?」

「げんきだよ!」

 三栄も顔を綻ばせつつ話してると、カンカン帽を被った男が笑いながら見ているのに気付いた。

「久しぶりです、先生」

 新聞記者の保村やすむらだった。三栄は富市に帰宅を促すと、保村を睨みつける。

「あんさんに『先生』呼ばれる筋合いはありまへん」

「いやあ、だいぶ嫌われましたなあ。見かけたから挨拶でも思て」

 保村は、半年程前から三栄達を付け回す厄介な男だった。

「ああそう。ほいでは挨拶も終わったし、うちはこれで…」

「待って下さいな先生。今日はお願いがありましてな」

 歩く三栄に追いつこうと保村も歩き出す。

「聞く義理などありまへんわ」

「先生、金持ちの知り合い多いやろ? 誰か紹介してくれへん?」

「はあ?」

「僕も先生みたいに、金持ちの友達欲しいねん。紹介して!」

 保村はずっと『赤子の行方』や『養子の締結金』やらの話ばかり聞いてきたのに、どういう風の吹き回しだろう。
 三栄は毅然と答えた。

「うちに金持ちの友達なぞ居らんで」

 すると保村はニヤリとする。

「養子先って金持ちで無いん? 貧乏人は子供なぞ欲しがらんやろ? 食い扶持あるし」

 三栄は反論する。

「養子先が必ずうちの友達やとは限らないやろ? 下らん言いがかりつけないでや」

 足早になる三栄に、尚も保村は食い下がる。

「先生、いず葉さん知っとる? 原葉楼の芸者さんさぁ」

「興味あらへんて! もう!!」

「…警察行きはったで」

 三栄は思わず足を止めた。保村から、笑いは消えていた。

「嘘やないで。医院にお巡りぎょうさんおってな。『養子縁組先の連絡先は何処や』って大騒ぎになってる」


 木下昭一郎及び、その妻三栄は殺人罪で捕まった。確認出来るだけで、敷地内には49人もの嬰児の遺体があった。

 公判により、懲役8年の刑が執行されたが、三栄は拘置所内で病死し、刑に処したのは昭一郎だけとなった。



(気掛かりと言えば、償いが出来なかった事だった)

 真っ暗で何も見えない。けれどもそこは温かで居心地が良かった。

(ただ反省するだけでは足りない。出来る事なら、殺してしまった子の数以上の新しい命を取り上げたかった)

 明るい場所に出て、ずっと泣き喚いていた。

(出来なくなった以上、償いだけでもしたかった)

 子守歌だろうか。優しい歌声と、胸の上でパタパタ動く温かな手。

(その矢先に、飲み過ぎた酒のせいで自分は病に罹り、死んでしまった)

 泣いていると、首に大きな何かが巻き付く。苦しくなり、視界は赤黒くなる。

(だけど、こうやって死後に償う事が出来て、本当に良かった)

 真っ暗で何も見えない。けれどもそこは温かで居心地が良かった。

(それにしても、産婆をしていたのに、自分は赤子の事など何一つ判ってなかった)

 暗い中に響いてくる罵声と泣き声。

(赤子は思っていたより、何でも知っている)

 闇の中で、激痛が走る。

(中絶がこんなに痛いとは知らなかった)

 強制的に繋がりが切れ、全ての感覚が遮断される。

(産婆が赤子を殺し、)

 真っ暗で何も見えない。けれどもそこは温かで居心地が良かった。

(殺した人数と同じ回数、赤子になり、)

 聞こえてくる優しい歌。

(不幸な死に方をするなんて、)

 明るい場所に出て行く。

(私に最適な罰じゃないか)



 現在相殺中の特殊ケースだった。

 20代くらいの痩せた女:細羅さいらがリモコンを押すと、目の前の映像は終わり、ただの鏡へ戻った。
 鏡には、細羅と青蓮華が映っていた。細羅が口を開く。

「特殊罪ねえ…。ほぼ地獄だわ」

「そうですね」

 青蓮華も感想を述べると、事務所の奥から温和そうな40代後半の女がやって来た。

「2人とも、見終わったようね」

 細羅と青蓮華は、起立して言う。

無等むとう所長、お疲れ様です」

「お疲れ様です。ご無沙汰しております」

 背筋を伸ばす2人に、無等は苦笑する。

「いいのよ、そんなきちんとしなくても。…そうそう、ちょっといいかしら?」


 場所を別室に移し、無等が話し始める。

「三末耶さんですが、息子さんの件をもって引退します。三末耶さんに限らず、全体的に動きが多いので班編成組み直しです。
後任者の研修が終わるまで、あなた方2人は私と組んでいただきます」

 細羅と青蓮華は一瞬驚きの表情を浮かべた後、頷いた。

「分かりました」
「はい」

 無等は笑顔で続けた。

「そして、その後に新人さんが入ります。ここまでで質問は?」

 青蓮華は口を開く。

「後任者が入ってから、新人さんが入る…? 4人編成って事ですか?」

「いいえ。後任者、は三末耶さんのではなく、私の後任者よ」

 無等がにこやかに答えると、細羅は驚きの声を上げた。

「え、無等所長の?」

「そうなの。私の後任者は、この仕事自体が初心者なので、まずこの仕事を覚えて貰います。なので、通常の新人研修と変わりありません」

 とは言え、未来の上司の教育をするとは、妙な気分である。無等は続けた。

「所長後任者も新人さんも、まだ存命です。なので、研修はもう少し後になるわね」

(存命ねえ。まだ生きている内にもう『進路』が決まっているのか)

 感心する青蓮華をよそに、細羅が口を開く。

「私とても嬉しいです。こちらでもまた3人で、こんな風に顔を合わせる事が出来て」

「そうね。それはあなた方2人も『徳』を沢山積んだからよ。私だって、積んだ『徳』の半分以上はあなた達のお陰よ」

 無等の言葉に、青蓮華も感謝を口にする。

「そんな、勿体ないお言葉です…。私、2人と出会えて良かったです。でなければ、きっとまだ彷徨って居た筈ですし」

 無等も細羅も微笑む。

「そんな事無いわ。『変わりたい』という意志を持っていたからこそ、青蓮華さんは変われたのよ」

(『変わりたい』という意志。持っていたのかな?覚えてない)

 ノックがして、別の所員が呼び掛ける。

不可人ふかとさん、じきにお見えになります」

「分かりました。…では、行きましょうか」

 3人は起立した。



「無等所長、1つよろしいですか?」

 歩きつつ細羅が言った。

「所長の後任者は、どうやって決定したのでしょうか?」

 無等は少し考える素振りを見せて、すぐ返答した。

「所員は本人の希望で就任する場合もあるけど、所長は『上』から指名されるの」

 それを聞き、青蓮華は呟いた。

「『上』、ですか…」

「そう。会った事も見た事も無いけどね」

 窓の外に視線をやり、無等は明るく答えた。

「素晴らしいですよね、お眼鏡にかなった訳ですから」

 細羅が言うと、笑って無等は返した。

「どうかしら? …ただ、次の後任者さんは少し事情が違うけどね」

 その言い回しに、細羅と青蓮華は思わず無等の表情を見たが、穏やかな笑み以外何も読み取る事は出来なかった。

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