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長北吉男1 ※グロ表現あり

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「おっちゃん」

 その呼びかけに、長北吉男ながきたよしおは声の主を見た。
 グレーのスエットパーカーに、雨の跡が沢山付いた、大学生くらいの若い男だった。彼もまた、この大雨に遭ったのだろう。

「また会ったなあ」

 男の顔に見覚えの無い吉男は、怪訝な顔をした。人違いか?男は気にせず続けた。

「結局、おっちゃんは何もせんかったんだな」

「何や? お前、誰かと間違えてるぞ」

 男はビニール傘を手に、こう言った。

「…終わりやで」

 その言葉に、吉男は不気味さを感じた。男は煙る様な雨の中へ消えて行った。



 吉男は疲れていた。

(俺の人生、どこで間違ったんだろう)


 吉男は父親の設立した『長北製作所』の2代目社長だった。
 農機具や生活用品類の修理を主にやっていたが、戦後の高度経済成長の波にのまれ、先代社長時代に1度廃業の危機に陥った。

 だが、吉男の提案した農業機械等の部品製造への転換を経て、危機を脱したのだ。
 会社は順調に大きくなり、工場も2つ出来て従業員数も400人を超えた。
 県内でも有数の中小企業に成長したさなか、ある時から歯車が狂いだした。


 始まりはバブルの崩壊だった。地方企業と言えども、日本の中心からドミノ倒しの様に不況の波を食らった。

 農業離れ、円安、平成大凶作…。会社の売り上げは大きく落ち込み、人件費削減の為のリストラを決断せざるを得なかった。
 リストラ対象者の1人が社内で首を吊り、売り上げだけでなく評判もガタガタになった。

 妻がノイローゼになり、拝み屋を頼った。『先祖供養』『土地のお祓い』等をしているさなか離婚届を残し、妻は拝み屋と共に祈禱料800万を持って蒸発した。


 2人の居場所を探偵を使って調べ上げ、乗り込もうとした矢先に阪神淡路大震災が起きた。
 2人を含め沢山の友人知人を亡くし、会社と工場、吉男が設計した100坪の自宅も、全て無くなった。
 元から赤字だった所への震災の打撃で、会社の立て直しは不可能となった。業務は関連企業へ譲渡し、会社は事実上倒産した。


 現在の吉男は、『長北製作所』時代に取引していた会社に嘱託職員として置いてもらっている。
 400人もの人間を束ねていた男が、今はただの電話番だ。

 庭師に整えてもらった植木を眺めつつ、8畳の書斎で高級ウイスキーを飲んでいた男が、今や6畳2間の仮設住宅で週末に缶酎ハイ。

 自宅の再建も、負債持ちの吉男は審査が通らず、幾ばくかの金と共に土地を手放さざる負えなくなった。


 けれど、吉男には新たな希望もあった。昨年生まれた初孫の存在だ。
 震災の翌年に生まれた孫の成長ぶりを見るのが、最大の生き甲斐であった。

 初孫:あきらの為なら、つまらない仕事も頑張れたし、疲れた日の子守も喜んで出来た。


 吉男はコンビニでスポーツドリンクを買うと、急いで軽自動車(社長時代は高級セダン)へ戻った。
 晶が高熱を出していた。後部座席で毛布に包まる晶は咳をした。吉男はスポーツドリンクにストローを挿すと、声を掛けた。

「あーちゃん、ゆっくり飲んで」

 咳き込みつつ50㏄ほど飲んだ所で、晶が口を放した。吉男は運転席に乗り込むと、運転を再開した。


 晶の父である吉男の長男は市内の食品工場で働き、その嫁はスーパーでパート勤めをしている。


 保育園から体調不良の連絡を受けた吉男が仕事を早退し(20歳下の上司は嫌な顔をした。もし奴が自分の部下なら殴っている)、迎えに行った。

 長男夫婦に連絡をしたが、すぐに行けないと返事されたらしい。

(自分の子が具合悪い時に何をやっている!)

 頭に来たが、湯たんぽの様に熱い晶を抱きあげた吉男は、怒りが吹き飛んだ。早く病院へ。

 今日はついてない事に天候不良な上に、かかりつけ医が休診だった。先のコンビニで地図をコピーして、行った事の無い小児科医院へ。

 ついてなさ過ぎて腹が立つ。

 ワイパーを最速で動かしても視界が悪く、対向の大型車に多量の水撥ねを浴びせられる。

(次の交差点を右折、か)

 対向車が無いのですぐ曲がると、瞬間的に無重力になった。轟音。あり得ない方向に重力と衝撃。

(何?何なん?)


 ちゃぷん!ちゃぷん!カララン!!…ズン。


 酷い眩暈を吉男は覚えた。

(事故った…)

 目を開けると、雨に濡れた雑草が見えた。

(そう言えばシートベルト、締めたっけ?車外に飛んだか?)

 立ち上がると交差点脇の水田に、裏返しになった見覚えのある軽自動車があった。

「晶!!」

 駆け寄ったが、どうする事も出来ない。
 中から火がついた様に泣き喚く晶の声がした。車の窓越しに、水色の毛布が見える。

「晶、いま出すぞ!」

 ドアロックしてた事を思い出し、運転席へ回った。運転席を見た吉男はギョッとした。
 あり得ない方向へ血塗れの頭を捻じ曲げた男が、割れたフロントガラスからはみ出していた。


 そして、その男は吉男自身だった。


「よしお」

 訳の分からない吉男に、何者かが声を掛けた。声の主を見た吉男は凍り付いた。

「親、父…?」

 そこには15年前に63歳で急死した父が居た。いやいや。自分は頭を打って幻を見てるに違いない。

 とにかくドアを開けようと手を伸ばすと、手はドアをすり抜けた。

(何や、これ…!!)

「吉男、諦めろ。お前は死んだんだ」

 父:吉久よしひさは静かだが強い口調で言った。

(夢だ。とにかく早く中から晶を出さないと!)

 吉男は吉久を無視して、何度もドアの取っ手を掴もうと試みる。
 いきなり、吉久は吉男の首根を掴み引っ張った。吉男は咳き込んだ。

「ちょっと!」


 吉久は車から2メートル程離れた所で放すと、生前、吉男がやらかした跡を見つけた時と同じ仕草で(場違いにも、懐かしいと思った)、ある物を指し示した。

 そこには取れたサイドミラーが落ちていた。覗いた鏡面には、映っている筈の自分の姿が無い。
 それどころか、絶え間なく降り注ぐ雨の中、吉久も自分も髪や服が全然濡れておらず、冷たさも感じない。


「…分かったか?」

 静かに訊く吉久をすり抜けて、事故を目撃したらしい人が裏返った車に駆け寄る。

(死んだ?俺が?)

 呆然としつつ、吉男は無意識に自分の頬に触れた。

「あの子は大丈夫だ。来なさい」

 吉久は無表情で手を差し出した。



 気付くと吉男は吉久と共に、どこかの会社の様な所に居た。

(会社があった頃に世話になっていた、保険会社みたいだな)

「ようこそ不可称ふかしょうへ。極量センターの細羅と申します」

「同じく青蓮華と申します。宜しくお願い致します」

 保険屋の様な、黒スーツに白シャツ姿の2人の若い女がそれぞれ自己紹介すると、吉久は深々と頭を下げた。
 女に覚えは無かったが、吉男もそれに倣い頭を下げた。


 促された先には、『相殺審判室』というプレートの部屋。通された中は会議室の様な…。

(何か、テレビで見た事がある裁判所の様だ…)


 コの字型に10席程が配置され、何故か全ての席にA4大の『鏡』が、座った人間の顔が映る様な角度で設置されていた。


 席の1番端に吉久が座ると、その横へ座るよう促された。先の所員『細羅』が吉男の左へ、『青蓮華』が正面右側へ向かい合うように着席。

 傍聴席の様な所に、震災で死んだ妻の姿を見つけ、吉男は初めて自分が死んだ事が身に染みた。

 青蓮華が席を立ち、小冊子を場内の皆へ配布する。プリント数枚をホチキスで綴じたそれと、吉男にだけ通帳の様な物を渡した。


 淡緑の表紙には『ナガキタ・ヨシオ様』の印字と、鳥の羽の細密画の挿絵、上部には太字のゴシック体で『 天 獄 』とのロゴ。


(テンゴクとでも読むんか…?何だこれ)


 学校のチャイムの様な音の後、奥のドアから40代半ば位の女が入ってきた。女は白いスーツ姿で、いかにも他の人間より立場が上の様だった。

 妻らの座る席へ一礼、青蓮華に一礼、吉男達に一礼した後着席し、澄んだよく通る声で話し始めた。

「初めまして、審判長の無等です。これより、長北吉男様の相殺審判を開始致します」

 戸惑う吉男をよそに、無等は優しく微笑んで続けた。

「まず、最初に…。ここは天国でも地獄でもありません。俗に言う『あの世』との狭間です。肉体へ戻り生き返る事は出来かねます。どうか悪しからず…」

 吉男は上唇を舐めた。

(このオバはん…もしかして)

「そして、時間の概念はございませんので、じっくりお話し合いをしましょう。ここでは、生前の吉男様の行いを以て、今後の処遇を決定する場となります。
…それでは吉男様、お手元の『天獄帳てんごくちょう』をゆっくりお開き下さい」

(閻魔様っちゅう訳か…)

 恐々と天獄帳に手を伸ばすと、細羅が脇から説明を始める。

「こちらに記載されている数字ですが、これはお金の金額ではありません」

 開いて1ページ目、吉男の生まれた日付の欄には『新規 200,000』とあった。

「ご先祖様や、前世の吉男様が積まれた『天(徳)』でございます。これは生まれた時にプラス20万から開始した事を示します」

 微減・微増を繰り返し2ページ目へ。ある地点から10万ずつ増加している。吉久が言った。

「日付、覚えてるか? お前が長北製作所の方針転換をしたからや」


 そうだ。下がった収益を回復させるため、大胆な方針転換を打ち出した時期だった。
 6人しかない従業員に給料を碌に払えずにいたが、吉男が見つけてきた仕事のお陰で、やっと人並みに払えるようになった。


 吉久が続ける。

「お前は、この6人のそれぞれの家族までも救ったのさ。…嬉しかったよ」

(懐かしいな。栗原さんと阿久津は震災で死んじまったけど、木場くんは大手に入社する足掛かりとなったし、井佐さんと関さんには工場業務の要となってくれたし、佐伯さんは親子2代でやってくれた。…皆、どうしてるだろう)

 思いながら辿ると、残高はあっと言う間に300万近くになっていた。お金では無いとの事だが、増えるのを見るのは嬉しい。

 吉久は口を開く。

「俺にとって自慢の息子だったよ。…だがな」

 ページを捲ると、ある地点から支出が目立つようになる。

「天狗になったと思うんや」


 溜息の様な吉久の声を聞きつつ、辿った先は支出がかさみ残高が『0』。その後はマイナスとなっていた。


 吉男は思わず口を開く。

「マイナス? これ、どういう事?」

「マイナスはつまりプラスの逆。『悪い事』ということですね」

 細羅の返答に、吉男はムッとした。

(俺は別に人の物盗ったり、犯罪なんかしてないぞ!)

 吉久は静かな声で言う。

「思い出しや? 俺が死ぬ少し前だ」

「ええ? …工場2つ目作った事か? 別に、騙して工場用地取ったとか、他社を陥れるみたいな事はしてないぞ」

 それどころか、その当時は優良地元企業として、県から表彰されたのに。納得のいかない吉男に、青蓮華が尋ねる。

「それでは、確認しますか?」

(手違いに決まってる)

 吉男は了承すると、鏡は一瞬暗くなった後、テレビの様に映像が流れ始めた。

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