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那由他

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 目覚めると僕は、病院のベッドに寝ていた。


 すぐに僕は入院した記憶を探したが、覚えは無かった。
 起き上がっても、体はどこも痛くないし、何の問題も無くベッドから降りる事も出来た。

 窓の外は眩しい日の光。昼過ぎだろうか。こんな昼間に、一体僕は何をしているのだろう?
 すると、何者かがドアをノックする。


「失礼します」

 看護師かと思ったが、部屋に来たのは喪服の様な黒いスーツ姿の、20歳前後の女性だった。

「おはようございます、ナユタさん。起きたばかりのところ申し訳ございませんが、こちらへお着替え下さい」

「はい…? ナユタ?」

 僕は目を瞬かせる。身長150センチあるかないかの小柄な女は、無表情のまま続けた。

「『那由他』はあなたの名前です。ご質問は移動中にお答えしますので、まずはお着替え下さい」

 女は紙袋と箱をベッドの上に置くと、ベッドサイドのカーテンを引いた。


(待ってるみたいだし、さっさと着替えた方がいいかな?)

 頭上にハテナマークを浮かべつつ、那由他は言われた通りにする事にした。
 箱の中身はピカピカの黒い革靴。紙袋の中には新品でビニール袋に入った黒のジャケットとスラックス、白のワイシャツ、黒いネクタイ、黒の靴下だった。
 特注であるかのように、どれもサイズぴったりだった。

 着替え終わりカーテンを開けると、女は言った。

「それでは、ついて来て下さい」


 廊下もほぼ病院の様だった。1つ違うとしたら、音は2人の足音だけで、人の気配がこのフロアに全くない。
 女は歩きながら、視線だけこちらに向けて言った。

「ようこそ不可称へ。極量センターの青蓮華、と申します」

「はあ…」

「そしてここは、天国でも地獄でもない、言わばあの世とこの世の間です。あなたも私も、生きている人間ではありません」

「え…?」

 いやいや、普通に足も有るし踏みしめている感覚だってある。何言ってるんだろう。

 青蓮華は続けた。

「協議の結果、那由他さんは極量センター員へ任命されました。…ご質問はありますか?」

 聞きたい事はいっぱいあるが、考えが纏まらない。寝起きだからだろうか。那由他は取りあえず口を開いた。

「これから…、何処へ?」

「極量センターです。分かり易く言いますと、閻魔大王の詰所でしょうか。
あなたは特殊な人生を歩まれたので、閻魔大王を補佐する役目を与えられました」

「そうなんですか…」

(死んだ後も仕事しないといけないのか。何だかなぁ)

 だが那由他はある事に気づく。

「…僕はどうやって死んだんでしょう? 何も覚えてないのですが」

 だいたい、『那由他』なんて名前じゃない。だが何て名前だったのか、記憶も無い。

 青蓮華は鼻で笑った。

「覚えてませんか。それは悪い事ではありません」

 思い出そうと試みる那由他に、青蓮華は尚も言う。

「誰しも死んだ時が楽しいわけ、無いですし。覚えてて、いい事ありますかね?」


 渡り廊下を向かった先にある、白い建物が『極量センター』らしい。
 受付と思われる所に居る黒服の女性が、会釈してきた。青蓮華も会釈したので、那由他もそれに倣った。

 エレベーターで上階へ。青蓮華は口を開いた。

「もう1人の研修アドバイザーと、この施設の所長を紹介します。あとはそのまま、新人研修となります」

「研修…、何時までですか?」

 那由他のその言葉に、青蓮華は呆れ顔を浮かべる。

「不可称に『時』の概念はありません」

「え」

 聞き返すが早いか、エレベーターが目的階に到着した。外に長身の女が待っていた。青蓮華が口を開く。

「新人の那由他さんです」

 取りあえず会釈すると、長身の女も会釈し口を開いた。

「初めまして、細羅です。よろしくお願いします」

 細羅は持っていた紙袋から、書類やファイルを見せた。

「こちら那由他さんにです。『センター員心得と研修予定表』、『業務手引き』、『接客まにある』となります」

「細羅さん、『まにある』では無く『マニュアル』です」

 淡々と話していた細羅だが、青蓮華の指摘に首を少し竦めてみせた。

「失礼しました」

 細羅は生身の人間ぽい表情を浮かべたのち、結構な重さの一式を那由他に渡した。
 慌てて持ち直す那由他を横目に、2人は歩き出す。

「那由他さん、ではこちらへ」

 先にあったのは『所長室』というプレートのある、重厚そうなドア。細羅がノックすると、中から男の声で返事があった。

(閻魔大王…か)

 自然と背筋の伸びた那由他が、入室して目の当たりにしたのは、20代後半くらいの若い男だった。
 少し長めの襟足の黒髪に黒スーツ、濃灰色シャツに白ネクタイという恰好のその男は、にこやかに笑った。

「初めまして、センター長の一持です。分からない事があったら、そこの姉さん達に聞いてね~」

(喋り方チャラいし見た目もホストみたい…)

 那由他は一応挨拶する。

「那由他です。よろしくお願いいたします」

「よろしく~。あ、そうそう早速だけど…」

 笑顔で返した一持は座り直し『本題』を切り出す。

「『勘定調整』、開催が決定しました」

 その言葉に、那由他の両隣の2人が反応した。

「そうですか。忙しくなりますね」

「開催は間もなくですか?」

「もうしばらく先かな。なのでそれまでに那由他くんに基礎をしっかりお願いします」

「「はい」」



(不可称とは、『この世』と『あの世』の間の、名前に出来ない世界)

(天獄とは、対象者が生前にした良い行い『天』と悪い行い『獄』の総合値)

(相殺とは、天獄に『マイナス=負債』が生じる際に行う、3種類の負債解消措置)


 ある日突然死亡を宣告された僕は、謎の施設で無償労働している。

 『生きてません』とか『時の概念は無い』と言われ、にわかに信じられなかったけど、空腹感も排泄感も感じないし、空は永久に暗くならないから、どうやら事実の様だ。


 様々な不可人(死者)を見て、色んな人生や死に様を知った。
 けれど僕が何者で、生前どんな行いを経てこの特殊な現在に至ったかは、欠片も判らない。


「青蓮華さんと細羅さんは、仲が良いですよね」

「そうかしら」

 資料整理の傍ら、那由他が言うと、青蓮華は手元の資料から目を離さずに返事した。
 向かいのデスクから、細羅が口を挟む。

「お互い真逆の方向を向いた人だったけど、今は互いに丸くなったのよ」

「へえ、『真逆』ですか」

 ホチキスで紙を止める那由他に、細羅は答える。

「間に入ってた人は、大変だったでしょうね」

 細羅の言葉に、青蓮華は少し口元を緩める。那由他はしみじみと呟いた。

「僕の前任者は大変だったんですか…」

「違うわ。此処へ来る前の話よ」

 青蓮華の言葉に、那由他は思わず2人を見やる。

「え…、生前の話ですか?」

「いいえ。『死後』よ」

「そうね。『死後』ですね」

 2人は簡潔に言い、業務を続けた。

(意味分からない)

 那由他は手を止める事無く、更に質問した。

「僕らみたいにこの仕事する人って、死後すぐに就くんですか?」

 細羅は目線をこちらに向けずに答えた。

「人によってそれぞれよ。死後間もなくの人もいれば、生者の守護を経る人もいるし…」

「…彷徨った後の人もいるわね」

 青蓮華が妙な言い方をした。

 鳴った内線に細羅が出てやり取りを始めたので、話題はそこで流れた。

「それでは、『イロト』さんを迎えに行きますので」

 受話器を置いた細羅はそう言い、席を立った。



 会議室へ向かいつつ、那由他が青蓮華へ問う。

「『異路人いろと』って、生者ですよね?」

「ええ。相殺決定者が生者なのは、あなたにとって初めての案件ね」

 心なしか、青蓮華は複雑そうな顔をしていた。


 審判室とは違い、会議室には、長テーブルが2つと席が5つ。
 その席の1つに、白髪混じりの60代前半の男が着席していた。2人が入室すると会釈をした。

波島なみしまです。よろしくお願いします」

(どう見ても不可人だ)

 思ったが顔には出さずに、軽く会釈を返す。青蓮華が資料と口を開く。

「波島尭則たかのりさんですね。奥様である、むつ子さんの相殺会議に参加頂き、ありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします」

 ノックの音と共に細羅が入室した。その後ろから、ピンボケの様に薄くぼやけた20代後半の女性が続いた。

 一瞬、那由他は自分の疲れ目かと思ったが、それは違っていた。細羅が言った。

武山百花たけやまももかさんです。どうぞご着席下さい」

 こちらの世界に一時的に呼び出した、生者だ。百花は向かいの尭則を、怪訝な目で見た。
 細羅が百花に説明をする。

「今日はあなたのお祖母様であるむつ子さんの事で、尭則氏がお話ししたい事があるそうです」

 尭則は口を開いた。

「…久しぶり。綺麗になったな、モカ」

 百花は目を丸くした後、話し始めた。

「おじいちゃん…。どうしたの?」

「おばあちゃんなんだけど…、このままでは天国に行けなくなる。モカの力を貸して欲しい」

 青蓮華が百花に天獄帳を見せる。

「むつ子さんの現在の残高です。額はマイナス138万となります」

「はい?! 借金を肩代わりしろって?」

 百花の顔色が一瞬で変わる。尭則が宥める。

「違う、お金じゃない。
…おばあちゃんの死期が近い。このままマイナスのままだと、おばあちゃんは地獄行きになってしまう。助けて欲しいんだ」

 百花の表情は変わらない。青蓮華も口添えする。

「マイナスがプラスマイナス0まで解消されれば、むつ子さんは尭則さんと同じ場所に行けます。解消をお手伝い頂けますでしょうか?」

「出来る訳ないでしょう!!」

 百花は一喝して立ち上がった。

「あの人があたしや母さん達に何をして来たか分かってて言ってんの? おじいちゃんの頼みでも無理だね!!」

 喚き終えた瞬間、百花の姿は消失した。

 生者が不可称へ来る時は、睡眠中か意識不明の状態の時のみだ。今回の場合は睡眠中で、覚醒したから消失したのだろう。

 細羅が言う。

「…相殺依頼は反故になりましたので、むつ子さんの残高は依頼要請の規則に則って、マイナス10万加算となります」

 尭則は頭を掻きむしった。

「娘に…、娘の方に要請をする事は出来ませんか?」

「出来かねます。むつ子さんの場合は1回限りですので」

「妻は…、どんな目に遭うでしょう?」

 尭則は縋る様な目で青蓮華を見た。

「お辛い目に遭うかも知れませんが、『勘定調整』で相殺額が通常より上乗せになります。上手く行けばプラスへ転じる可能性もありますので、『可能性』を信じてみてはいかがでしょうか?」

「…分かりました。ありがとうございます」



 次に始まった会議は、不可人のみで生者の寿命を話し合い。
 対象者の両親が息子の天獄帳を見る。

「こちら、八寿彦やすひこさんの天獄帳となります」

 負債はマイナス990万。那由他が携わる対象者の中では断トツだ。

 母親が、顔を曇らせる。

「何で…、どうやっても減らないの?」

「先日、10万を使って(マイナス加算)発生した出来事に関して、八寿彦さんは何の行動もしませんでした」

 細羅が顚末を説明すると、父親が母親へ怒鳴った。

「お前が八寿彦を甘やかしてきたからだ!!」

「落ち着いて下さい」

 那由他が言ったが、父親は怒りに身体を震わせる。母親が言った。

「何とか…、何とか負債を私が肩代わりする方法は無いんですか?!」

「残念ですが、既に亡くなった死者が肩代わりする事は出来ません」


 しかも両親は自身の寿命を引き換えに、対象者の多額の負債を相殺している。

(相殺済みで、残990万。そもそも、何をやってここまで膨らんだのか…)

 考えてる事を顔に出さず、那由他は口を開く。

「このままでは、3度転生しても厳しいかと。ご子孫もおりませんので、当人本人が全て相殺しないとなりません。
1000万を超えてしまいますと…」


 1000万を超えた場合の措置は、1つしかない。しかし、それを縁者に伝えるべきか。


 そんな那由他を察して、細羅がある提案を持ちかける。

「『勘定調整』を利用してはいかがでしょう? 利用する事で特別な行動をせずとも、負債を減少させる事が可能かもしれません」

 細羅の言葉に、両親は顔をパッと上げる。

「本当ですか?」

「どういったものですか?」

「転生を繰り返しても、相殺しきれず残った分が上乗せされる事があります。その為、だいたい7度転生後に1回、負債を0にする作業が必要となるのです。
八寿彦さんは条件を満たしているので利用可能ですが、その代わり今生での長生きは出来なくなります」

「そんな…、あの子はまだ40なのに」

 母親が言うと、青蓮華がたしなめる。

「ですが、このままでは本末転倒ですよ? 転生先へ持っていき相殺したとしても、複数回の人生が全て短命になりますから」

 両親は苦渋の決断をした。



 次のケースは対象者の両親が参加した。少し事情があった。
 青蓮華が書類を見つつ口を開く。

横田万結美よこたまゆみさんの相殺ですが、本人のご子孫は不在。4親等の従兄弟は居るけど、自身は1人っ子で伯父伯母も既に他界…。
そうなると、存命の近い親族に相殺の手伝いを頼めないですね」

 対象者の父が言う。

「この子の場合、前世からのものですし。今も苦しんでいる事柄がありますから…」

 那由他も口を添える。

「従兄弟になりますと、関係性も薄いですから、相殺額も相応に少額となります。
万結美さん自体の寿命はそれなりの長さですから…、生存中に相殺可能かもしれません」

 微妙なラインの獄。しかも前世からの持ち越し分なので、今生での相殺が必須だった。

 細羅がある提案をする。

「万結美さんに、寿命までの人生をかけてやらねばならない仕事、をして頂きましょう」

「人生をかけた仕事…? 現在とは別にですか?」

「はい。別に苦行という訳ではありません。万結美さんはその仕事をする事で、獄を解消し天を増やす事も出来ますよ」



 横田万結美の件が終了し、資料を片付ける那由他に、青蓮華が新たな対象者の資料を渡す。

「これ、次の件です」

 渡された対象者の名前を見て、那由他の手がはたと止まる。

「あれ? この名前…」

「ええ、先の対象者の配偶者よ」

 先の対象者には『子孫無し』とあったのに、その配偶者には『子孫有り』と記載されている。

(ああ、バツイチで前妻との子ってやつかな?)


 養子や配偶者など、血の繋がりのない場合の相殺義務は、『縁が出来てから(結婚や入籍)の獄限定』である。


 特に先の対象者に関しては『前世』のものだった。
 まあ、訊かなくてもいいかと思った那由他だが、会議は思ったのと違う方向へ進んだ。


慎平しんぺいさんの獄の相殺ですが、配偶者の方の早逝を含めても残りますね」

「配偶者の方は『被害者』で、慎平さんの獄の発生源なんですよね。相殺関係にはならないので…。
なので、ご子息である翔平しょうへいさんに相殺頂こうと思います」

(え、さっきの人、殺されるの?)

 戸惑う那由他をそのままに、今回の対象者の祖父は腕組みした。

「相殺…、可哀そうだな。幼い内に両親と離れ離れになる訳だし」

「ええ、勿論それを考慮しての話です。母親が父親に殺され、実の親以外の人間から育てられる。その事柄をもって慎平さんの獄は全て相殺され、翔平さんの天も増えます」

 細羅の説明に、祖母が質問した。

「育ての親ですか…、苦労するんですよね?」

「楽ばかりでないのが人生ですよ」

 青蓮華が口添えした。



 休憩時間。那由他は呟いた。

「何か、人生って理不尽ですよね…」

 紅茶を飲む青蓮華が答えた。

「私はこの仕事を始めてから、ある意味感動してますよ。『何て無駄の無い世界だろう!』って」

 その言葉に那由他は苦笑した。

「そりゃあ、僕達は『理不尽の理由』を知ってるからですよ」

「…さっきの件みたいに、『先に決まる人に後の人が合わせるケース』が存在するのは、何故だと思う?」

 青蓮華の問いに、那由他は顎に手を当てて少し考えた。

「えーと…『多徳者の優先権』でしたっけ?」

「ご名答。ね? 無駄がないでしょ? 良い事をした人に選択肢が多く存在する」


 先の様に決定しても、生者が土壇場で違う方へ進む事もある。
 会議の内容が、必ずしも確定する訳でないのも、那由他は実際に見ている。


「…細羅さん、『勘定調整』後にここを離れるかもしれない」

「え?」

 思わず青蓮華を見ると、つまらなそうな表情だった。

「異路人を連れて来たでしょ? あれ、細羅さんの縁者が関係してるから、適用された」

「…寂しくなりますね」


 職員は、縁者の不可称入り(死亡)をもって転生など異動する事が多い慣例だ。
 那由他には分からないが、言葉に出来ない2人の親密さには、何となく気づいていた。
 
 だが、青蓮華は想像とは違った言葉を口にした。

「私は、細羅さんにセンター長をやって欲しかったわ」

 飲み終わった紅茶の紙コップをゴミ箱に捨てると、青蓮華は振り返り一言添えた。

「…別に一持さんが嫌いな訳ではありませんからね? 言っておきますけど」

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