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武山百花1

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 武山百花たけやまももかが、家業である青果の仕入業を始めて、来月で6年が経とうとしていた。


 やりたい仕事が無かった訳でないが、長いこと続く就職氷河期もあり、『家業を継ぐ』事を堅実に決断した。
 元々、自宅はよくある昔ながらの商店街で八百屋を営んでいた。
 90年代後半から、不況のあおりや大手スーパーの台頭で経営が傾きだし、店の存続が危うくなっていった。

 折しも大学で経済を学んでいた百花は、『個人商店としてではなく問屋として存続』という立て直し例がある事を知り、在学中から家業の経営に携わるようになった。

 現在、商店街の半数はシャッターを閉めているが、『武山青果』の様に経営方針を方向転換した商店や会社は、『現役』として生き残っている。


(今日は天気悪いな)

 百花がハンドルを握る軽トラックは、漆黒の闇の中を進んだ。
 3月の午前4時は当然夜明け前だが、今日は星も見えないくらい厚い雲が空を覆っていた。


 武山青果は、提携契約をしている店舗から注文を受けた野菜と果物類を市場で仕入れ、店舗へ配達する業務を主におこなっている。

 競売終了後、台車に載せた品物を車へ搬入していると、声を掛けられた。

「おはよう、武山さん」

「おはようございます、高嶋さん」


 声を掛けたのは、花きかき類の卸売をしている高嶋誠也たかしませいやだった。
 2つ年上で、百花がここに出入りするようになった頃からの顔見知りの1人である。


「珍しいね、今日こっちの車なの?」

「ああ、代車なんです。いま車検で」

 言いつつ、高嶋に淡い恋心を抱く百花は軽トラを見られたくなかったな、と胸の内で思った。
 知る由もなく高嶋は続けた。

「そうなんだ。車検は、あの幼馴染のとこ?」

「ええ、まあ。普通にディーラーでもいいんですけどね、父の代からの付き合いだから」


 百花の幼馴染の自宅は、自動車やバイクの修理工場を営んでいる。
 小学生の頃は同じ商店街内に小さな町工場があったが、土地の再開発に合わせ移転し、修理工場を新しくした。


 高嶋は笑った。

「そう? でも清野ガレージほど、丁寧にしてくれるとこ無いし、あそこが1番と思うよ?」

「そうですか? まあ、たまに割引して貰えますね! あはは」

「じゃあ、またねー」

 花きは卒業式シーズンの今が繁忙期だ。高嶋は手を振ると大量の伝票を手に、自分の車へと戻っていった。

(今日、会えた。良かった)

 とは言え、高嶋は結婚していて子供も居る。略奪して、どうにかなりたい訳では無い。
 百花は配送先へ向かった。


 百花の暮らす白印はくいん市は、かつて海水浴場が存在しなかった。
 海側には小さな港町と田畑しか無かったのだが、2000年代初頭に大規模商業施設を誘致したのをきっかけに、海水浴場が整備され再開発が進んだ。

 過疎化や農業の担い手不足で増えた空き地を中心に、『海浜リゾート都市』を掲げ『海の見える○○』という売り文句で、買い上げられた土地には色んな物が建設された。


 5年前にオープンしたホテルマークホワイトは、その再開発地域の中核を担う様な施設で、そこのレストランは武山青果の得意先だ。

「おはようございます! 武山青果です」

「おはようございまーす」

 満面の笑みで出迎えてきたのは、レストランの調理師の1人、黒石だ。

(うわ、来たよ)

 顔には出さず、百花は伝票を片手に注文された食材を検品してもらう。


 黒石はホテル開業時からの従業員だが、外部の人間である百花ですら『ちょっと問題アリな人物』なのが窺えるのだ。


 1番問題なのは…。

「今日もお美しいですね、百花さんは!」

 百花に気があるのが、丸わかりなこと。

「そう言えば、今日は違う車なんですね」

「車検出してるんですけど…、何で分かったんですか?」

 百花が停めた業者用の駐車場所は、レストランや厨房の何処からも見えない筈である。

「ああ、従業員用トイレだよ。いつもね、あそこの窓から『今日はお父様かな、百花さんかな?』って見てるんだ」

(それ本人に言う?キモイんですけど)

 営業用笑顔が引きつり始める百花は、黒石によこされた受領印付き控えを、雑にジャンパーのポケットに押し込んだ。

 黒石は笑顔で話し続ける。

「車検って何処に頼んでるんですか? 僕の車も最近調子悪くって…」

「黒石さん! 食材悪くなるから、早く運び入れて下さい!!」

 無駄話する黒石をピシャリと注意したのは、総支配人の妻で副支配人の横田七海よこたななみだった。

「すみません」

 黒石は七海に睨まれ、厨房奥へと退散した。黒石が居なくなると、七海は笑って話しかける。

「災難だったね、百花ちゃん。大丈夫だった?」

(うわ、来たよ)

 黒田の次に、面倒臭いのが七海だ。七海は裏口へ向かう百花に、話しながら付いて来る。


 元々、支配人には妻が居たが、それを略奪&授かり婚に持ち込み、新しい妻の座についたのが七海だった。
 勿論、古株の従業員や関係先からの受けは悪く、本人の立ち振る舞いも相まって、特に女性からの受けが悪い。
 百花には、外部の人間であり年の近い同性である事から、気軽に話しかけてくるのだが…。


「ねえ、黒石から付き合おうとか迫られてない?」

「いいえ、ありませんよ」

「そうなんだ。あいつね『百花さん1人っ子だし、もしもの未来があったら俺は黒石姓じゃなくなるね』とかバイト君に言ってたの。キモくね?」

「はぁ、『もしも』…? そもそも付き合う気すら無いですよ」

「だよねぇ! なら、さっさと彼氏作りなよ。彼氏居ないから、あんなのに粘着されるんだよ。下旬にある婚活パーティー、空きがあるから参加しなよ~」

「えー、婚活パーティーですか…?」

「そうだよ、30なんてあっという間だよ? あたしもきっと、30超えてたら結婚無理だったと思うし。20代の内に動かないと損だよ?」

 七海は駐車場までついて来ると、手を振ってホテルへ戻って行った。

(アドバイスという名のマウントだよ…。しかも親友でもないのに距離感近すぎだし…)


 再開発で住み始めた人も多く、町並みも暮らす人々の層も多種多様になった。たまに、自分が小学生の頃はどうだったのか、忘れそうになる。

(過疎ってマイナス面だけ取り上げるけど、『少人数』はみんな顔見知りで互いの思いやりが届きやすい事だと思うし、住む場所の距離はあっても心の距離は近かった、そんな気がするんだけどな)

 ハンドルを握りつつ、明るくなっていく街を百花は進んだ。



 他2件の配送先に立ち寄り後は、百花の心の拠り所へ。向かった先は、武山青果のある商店街から駅を挟んで反対側にある、昭和の名残りのある町。

 そこの区画は再開発事業の範囲外なので、小学生の頃から町並みは変わらない。

「おはようございます! 武山青果です」

「おはよう、モカちゃん」

 笑顔で迎えたのは、この小さな隠れ家カフェを切り盛りする片山万結美かたやままゆみだ。

「検品お願いしまーす。今日は天気悪いですね」

「ほんとね、お布団干したかったのに!」

 万結美は、先述のホテルオーナーの元妻だ。

「あ、モカちゃんこの後予定ある? 昨日作ったツナサンド余っちゃって。珈琲淹れるから、食べていかない?」

「わーい! ご馳走になります!!」


 離婚した万結美は、既に両親が他界していたので、帰る実家は無かった。
 だがマークホワイト建設前、元夫の両親が経営していた旅館の『若女将』時代の知り合いから、後継者不在で閉店予定のこの店を紹介された。

 元から珈琲やカフェに興味があった万結美は猛勉強し、この店を継ぐ事になった。
 現在は住み込みで、元店主から譲られたこの店を切り盛りして生計をたてている。
 ここの固定客のほとんどは、若女将・元妻時代の知人や得意先の人間だ。勿論、百花もその1人である。


「最近、パンケーキ食べに行ったのね。美味しかったから、うちでも始めたいなって」

「いいですね、食べたい!!」


 追い出される様な形の離婚劇だったが、万結美は泣き言も恨み言も口にせず、前だけを見て生きている。

 豆を挽きつつ、万結美が尋ねる。

「あれ? 車、どうしたの?」

「車検なの。昼に出来上がるって言われた」

「あら、あの幼馴染のとこの? 早くおばちゃんに紹介してよ、彼ピ」

「だーかーら、彼氏じゃないっすよ。夢追って夢破れた出戻り! それに万結美ちゃんは自分の事『おばちゃん』言わないの!」

 百花は口を尖らせた後、笑って続けた。

「万結美ちゃんも独身だから、恋愛自由じゃん? それなのに、自分で『おばちゃん』呼びするのは良くないよ」

「ええー、恋? まだこりごりなんだけど」

 万結美は肩を竦めて笑うと、淹れたての珈琲を百花の前に置いた。



 帰宅し、受領書の控えをネット帳簿へパソコンで入力した百花は、昼食後に外出の支度をした。

 母が尋ねる。

「あれ? 出かけるの?」

「車検終わって、引き取りに」

「ああ、すっかり忘れてた。じゃあ徹くんの父さん母さんによろしく言っといて」

「はいはーい」


 話題に度々上がる『清野ガレージ』は、赤子の頃からの腐れ縁で同級生である清野徹せいのとおるの両親が営む自動車整備工場だ。
 徹の父親は百花の父と同級生で、家族ぐるみの付き合いがある。

 幼い頃の徹は1つ年上の姉の後ろをついて歩く、気弱で泣き虫な少年だった。
 空手を習うことになった百花と、一緒に習い始めると自信がついたのか、中学生になる頃にはヤンチャを繰り返すようになった。

 一緒につるんでた先輩に感化されギターを始めると『俺はミュージシャンになる!』と意気込み、高校を中退し東京へ行った。

 そこで色々あったのか、見切りをつけて一昨年の年末に戻ってきた。
 戻った当初は『俺、出戻りだから』などと自虐を言っていたが、昨年春から車両整備士の専門学校に通い始めた。

 30歳を前に現実が見えたのか。徹は特に何も言わないが、百花もそれに関しては何も言わないでいる。


 新整備工場は、綺麗すぎて何だか落ち着かない。やって来た百花に、徹の父親は手を振ってこっちに来た。

「おう! 仕上がったよ」

「ありがとうございます」

 案内された所には、ワックスもかけたのか、ピカピカの軽ワゴンがあった。いつも頼んでないのに洗車までしてくれる。
 頭に何かを乗せられ、振り向くとそこには徹が居た。

「お前、いつまでこのオンボロMTマニュアル車乗るつもりだ?」

 頭に乗せられたのは、新車のパンフレットだった。パンフレットを取りつつ、百花は反論する。

「関係ない。あたしはマニュアル車が好きなの」

「この型マジ古過ぎ。どうしても軽ワゴンがいいんなら、いくらでもで新しいのあるだろ?」

「古くても、手をかけりゃ長い間いい走り出来るんだよ。それは俺らの腕次第!」

 横から出て来た徹の父親は、徹をチョンと小突いた。徹の母親が、事務室から顔を覗かせる。

「モカちゃん、こっちでマドレーヌ食べない?」

「あ、行きまーす!」


 徹の両親が、工場を移転させたのには幾つか理由がある。
 1つは商店街内に構えていた兼住居が、耐震基準が怪しいくらい老朽化したこと。もう1つは将来を見据えて、だった。


「モカちゃんの車検、徹もやったのよ」

「おお。そうだったんですね」

「最終確認は父さんだから、安心してね!」

「マジすか! じゃあ超安心ですね」


 東京から戻った徹に工場を継いでもらい、更に家族が増えてもいいように移転したらしい。

 東京に行った当初から、徹は現実に直面し、母親にだけ弱音を吐いていた。
 徹の母親は『たった1度の人生なんだから、最後まで諦めずに挑戦しなさい。帰るのはそれから!』と、励まし続けたそうだ。


 談笑していると、携帯電話が鳴った。相手は百花の父だ。

『あー、もしもし。今どこ?』

「徹んち。車検終わって取りに」

『あのさ、悪いけど港3丁目の灰田食堂行って、伝票控え取ってきて。2日前のやつ置き忘れたみたいでさ』

「はあ? それ父さんの管轄でしょ。何であたしに頼むのさ!」

『悪い悪い。代わりに奢るからさ。向こうには言ってあるから』

 悪態をついた百花だが、売掛の清算日が近い事は良く知っている。勿論、無視はしない。

 電話を終えると、徹の母親がしみじみと言った。

「本当、モカちゃんきちんと仕事してて、立派な大人になったわね」

「そうですか? まだまだヒヨッコですよ」

 百花が立ち上がると、徹の母親はマドレーヌを差し出した。

「これ、お父さんとお母さんと父方祖母おばあちゃんの分。持って行って」

「あらー、ありがとうございます」

「お母さんに、介護大変だろうけどたまにうち来て、お茶のみしようって言っといて」

「はーい!」

 百花は愛車に乗り、整備工場を後にした。


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