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3 接近
しおりを挟む自分でも気づかないうちに、いつしかシィンは目の前の男に見入っていた。
そう。男は、それほど秀でた見た目だったのだ。
立場がら、シィンは大勢の人に会う。男にも女にも、若い者にも若くない者にも様々な相手に。
その中には「美しい」「美形」と称される者も少なからずいたし、シィンも皆それぞれに美しかったと思っている。
だが。
今、向かいにいる男は、過去に見た誰よりも整った貌だ。シィンの目にはそう見えた。
まず何より、賢そうなところがいい。怜悧という言葉がぴったり合う面差しでずっと眺めていられる。とにかく心地いいのだ。
きりりとした眉と、目の力が強いからだろう。意志の強さが感じられて、浮ついたところなど全くなさそうで好感が持てる。引き締まった口元も、高く形のいい鼻も男らしくて精悍だ。
そして雰囲気は……例えるならとびきり優秀で忠実な従者のような、というところだろうか。どんな秘密も守り、時にこちらを陰から支えてくれるような、そんな得難い従者といった風情だ。
清潔感があって落ち着いていて信頼できそうで……。
(褒めすぎか?)
たまたま相席になっただけの男を相手に自分は何を、とシィンは胸の中で苦笑する。だがそのぐらい、目の前の男は魅力的だったのだ。
自分にはすでに信頼できる従者はいるが、それでも。
(ああ、いや……違うな)
従者じゃない。
——騏驥だ。
そうだ——騏驥だ。
うん、とシィンは胸の中で頷く。
騏驥。
こちらの命まで預けられるような、そんな相手。
賢く、誠実で忠実な騏驥。
目の前の男は、そんな雰囲気なのだ。
彼の体格がいいせいもあるのだろう。
座っていても彼が長身なのは推測できるし、その座っている様も姿勢がとにかくいい。服の上からでははっきりとはわからないが、全体的な体格も、護衛の者たちに負けていなさそうだ。鍛えられているのが見て取れる。
騎士の雰囲気ではないから、もしかしたら、騎兵だろうか。でなければ、既にどこかの家に護衛として雇われている……とか?
だとしたら残念だ、とシィンは思う。
欲しいものはなんとしても手に入れたい性格だが、他人のものに手を出すのは憚られる。
それに、これは自分に課した取り決めでもあった。
立場的に、シィンが「欲しい」と言えば大概のものは手に入る。誰かの物でもだ。むしろ向こうから差し出してくることさえある。だからこそ、人のものだとわかったら手を引くことにしているのだ。
自分の立場を利用したくはない。できる限りは。
手に入れるなら、己の力と魅力で、だ。
「——おい」
シィンは手にしている軽食を食べ終えると、卓に身を乗り出して男に声をかけた。まずは話だ。声を聞かせろ。
「お前、この辺りに詳しいか?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お前、この辺りに詳しいか?」
向かいから不意に問いかけられ、ダンジァは戸惑った。
まさか彼の方から声をかけてくるとは。
貴族なのに随分気さくだ。
とりあえず「いいえ」と首を振ったが、胸の中は驚きでいっぱいだった。
(まあ、こんなところに来ているような人だから変わっているのだろうな)
悪人に騙されなければいいが……。
要らぬ心配をしてしまう。それなりに慣れた様子だから大丈夫だとは思うが、なにしろ見目がよい上にお金を持っていそうな身なりなのだ。
危ない目に遭わなければいいが、と気になってしまう。
これも縁だし、こうして自分といる間は何かあれば助けようと思う。だが、自分はサイ師の買い物が終われば荷物持ちをして帰らなければならない身だ。
その後大丈夫だろうか。彼の供はいないのだろうか?
気になってさっと周囲を見るが、それらしき者はいない。
本当に一人きりで街歩きをしているのか……。
やはり変わった方だな、と思っていると、
「そうか。何か面白い店があればと思ったのだが」
残念そうに彼は言う。食べている時といい今といい、気持ちがそのまま表に出る人のようだ。これもまた貴族にしては珍しいが、ダンジァにとってはもちろんこちらの方がいい。というか、むしろ好感が増す。
近寄り難いようでいて、親近感を覚えさせる不思議な魅力のある人だと思っていると、
「この店は美味いだろう」
彼は、ダンジァが手にしている軽食を視線で指しながら言う。ダンジァは「はい」と素直に頷いた。
「たまたま見かけて買ったのですが、美味しくて驚きました」
「たまたま、か。この辺りにはあまり?」
「はい……あまり」
まさか「騏驥なので普段は厩舎地区から出ることはなくて」とは言えず、ダンジァは曖昧に言葉を濁す。
すると男は(と言うよりも青年と言ったほうが似合う雰囲気だ)くっと笑った。
「お前、なんだか面白いな」
「??」
「間が独特だ。言われたことはないか」
「いえ……もう少し喋れと言われることはありますが」
そんなつもりはないのだが、無愛想に思われることが多い。
すると、青年は今度は「ははは」と声をあげて笑った。
「やはり面白いな。ああ——わたしのことは気にしないで食べろ。そういえば、お前が食べているものはわたしと同じものだったな。だがそちらの方が少し大きいのか」
「はい。店の人が——」
食べながら、説明しかけた時。
首の「輪」を隠していた布が、するりと緩む。慣れないために、上手く巻けていなかったのだろう。
「あっ」
咄嗟に抑えようとしたが、間に合わなかった。
喉元が露わになり、向かいの青年が息を呑んだのがわかる。
慌ててぐるぐる巻き直したが、多分、もう手遅れだ。
気まずく、ダンジァが俯いたのとほぼ同時、
「お前、騏驥か」
向かいから声がした。
さっきまでよりも固い声だが、潜められている。
周囲に聞こえないように配慮してくれたのだろう。その心遣いに感謝しつつ、ダンジァは頷く。
と、続けて声がした。
「こんなところに一人で?」
訝しそうな声音だ。脱走を疑われたのだろうか?
ダンジァは慌てて顔を上げた。
「はい。その……これには色々と事情が……」
そしてダンジァは、ちゃんと許可を得ていること、調教師の買い物の供であることなどを説明する。
信じてもらえるか不安だったが、青年はじっと聞いてくれている。
澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめられ、むしろダンジァのほうが戸惑ったほどだ。
やがて、彼はダンジァの話を一通り聞き終えると「なるほど」と頷いた。
「そういう事情か。サイ師ならやりそうなことだな」
「師をご存知なのですか?」
と言うことは、この方もやはり騎士なのだろうか?
考えるダンジァに答えを示すように、青年は頷く。
「ああ。面識はないが……確か東の厩舎地区だったか。ではお前も所属は東か」
「はい」
「ふむ」
言うと、青年は少し考える顔を見せる。
そして「食べろ」とダンジァの手の中の食べ物を指した。
食事に厳しい方のようだ。
まだ残っているそれをダンジァが急いで食べ終えると、青年は改めてダンジァを見つめてくる。
真剣な貌だ。
そして、言った。
「騏驥か。なら訊きたいことがある。お前らの中で一番のものは誰だ」
「え……」
一番?
戸惑うダンジァの向かいで青年は頷き、続ける。
「騎士の間での評判と、騏驥たちの間での評判は違っていたりするだろう。だからお前たちの中での評価を聞いてみたい。誰が一番だ?」
「…………」
「わたしは一番が好きだ。だからできるなら、一番の騏驥に騎乗したい。そう思って今まで様々な騏驥に乗ってみたが……今ひとつピンとこないのだ。そこで、お前たちの意見も聞ければと思ってな。いい機会だ。聞かせてくれ。参考にしたい」
瞳を輝かせて、青年は尋ねてくる。
気持ちはわからなくもない。
騎士なら、可能な限り「いい騏驥」に乗りたいものだろう。
だが……。
「……自分の口からは、なんとも申し上げられません」
ダンジァは辛うじてそう返す。が、青年は納得してくれない。
「なんだ? もしかして後のことを気にしているのか? だったら心配するな。お前がどう話そうと誰にも口外する気はない」
「そう……いう心配ではありませんが……」
ダンジァは口ごもる。
誰が一番か、なんて、自分には冷静に判断できない。
かといって、青年が真面目に聞いてきているのもわかるから、適当に言って誤魔化すこともできない。
黙り込んでしまうと、
「? どうした。何か……言いたくない訳があるのか?」
問うてくる声が、訝しさを増す。
こういう状況下で、これ以上詰め寄られた時にはどうすればいいのだろうか……。
青年から目を逸らしつつ、ダンジァが考え始めた時だった。
「おい……逃げるぞ」
「え??」
逃げる?
突然、予期していなかった言葉が聞こえた。
びっくりして目を向けると、向かいの青年は既に立ち上がっている。
そしてこちらに回り込んでくると、目を瞬かせるダンジァの腕を掴み、「さっさとしろ」と強引に引っ張り立たせる。
「え……あ、あの、でも」
「ほら、来い。こっちだ」
「い、いえ、あの——自分は」
「いいから急げ! 捕まる! 心配するな、わたしは騎士だ。騎士といるならなんの問題もないだろう」
「でも、あの——」
サイ師が……。
師との約束が……。
ダンジァはなんとか抵抗を試みるものの、青年はダンジァの腕を掴んだまま「行くぞ」と、人波の中後ろも見ずに進んでいく。
一体何があったのか尋ねる間も許さない勢いだ。
騎士が相手では力ずくで振り解くわけにもいかず、ダンジァは彼に引っ張られるままついて行くしかない。
にしても——。
(「捕まる」とか言っていたか……やはり悪い奴らに……)
だとすれば、乗りかかった船だ。青年が無事逃げられるまで付き合う方がいいだろう。
ダンジァは決心する。
しかし次の瞬間。
「あ……じ、自分はこれ以上は行けません」
大きな通りに差し掛かり、ダンジァは慌てて声を上げた。
まずい。
この道を越えると、二区画を越えることになる。自分は、これ以上は進めない。
だがそう訴えて慌てるダンジァに対し、貴族の青年は平気な顔だ。
「結界か? だがまあ大丈夫だろう」
平然と言うと「変われ」と命じてくる。
破術で結界を破る術でも持っているのだろうか。石か符でも持っているのだろうか?
(でも……)
そんなことをして大丈夫だろうか。
そもそも街中で姿を変えるなんて……。
惑うダンジァをよそに、
「早くしろ。わたしが悪者に捕まってもいいのか」
青年は急かすように言う。
「ぁ……」
そうだ。彼は追われている。そしてそんな彼が「大丈夫」と言うなら、きっと何か逃げるための術があるに違いない。
だとしたら、自分は従うまでだ。彼を守るまでだ。
そういえば、彼は僅かながらダンジァよりも背が低い。けれど彼と向かい合っていると、まるで身長差が逆になったような気分にさせられる。
佇まいにも声にも命令にも、それだけの迫力があるのだ。
まだ若いが、やはり騎士だからだろう。
(いまは、この方が自分の騎士だ)
ダンジァは「畏まりました」と頷くと、言われるまま馬の姿に変身する。
途端、辺りの人々から、わっと声が上がった。騏驥の変化を間近に見たからだろう。確かに、普通は街中で変化したりしない。
思っていた以上の反響の大きさにさらに心配になりつつも、ダンジァは「いまはその憂いは置いておいて」と自分を納得させ、行きましょう、と、改めて青年を見やる。
だが視線の先、彼は、なんだかぽかんとした顔だ。
(???)
大丈夫だろうか?
ダンジァが心配した直後。
目が合うと、青年は莞爾として笑う。
その笑みは、一瞬息が止まるような、まるで陽が射すかのような眩しいほどの笑みだ。逃げようとしているこんな時に相応しくないほどの——けれど今まで見たことがないほどの魅力的な笑み。
そして彼はひらりとダンジァに飛び乗ると、
「行こう!」
歯切れ良く声を上げる。
と同時に腹に一発脚を入れられ(合図をされ)、ダンジァは命じられるまま、勢いよく駆け出した。
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