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54 王子、心ここにあらず
しおりを挟む彼のため、と言うよりは自分がそうしたくて。
眼下に広がる本馬場では、二レース目の騏驥たちが返し馬* に入っている。
[返し馬:パドックから本馬場に入場してきた馬が、発走時刻まで馬場のあちこちに散ってする足ならしのこと。いわば馬のウォーミングアップ。(JRAホームページより)。本作では、待機所から本馬場に入ってきた騏驥たちが騎士を乗せて最後の調整のために馬場を軽く流して走っている状態]
どれも今日のために調教が重ねられ、よく鍛えられた素晴らしい騏驥たちだ。
毛艶はピカピカだし、流して駆けていても秘めた闘志と躍動感が伝わってくる。
もちろん騎士たちのやる気もだ。
馬場からは遠いこの最上階のゴンドラから見ていてもそれが伝わってくるほどだから、より近い場所でそれらを見ている観客たちは一層だろう。
場内警備からの報告によれば、危険なほどではないものの入場者の数は増え続けているらしい。盛況で何よりだ。中には騏驥を初めて見る者もいるだろう。
騏驥と騎士の地位やあり方を、国民に改めて納得させ浸透させること——。
それが、この大会に観客を入れた目的でもあったが、目の当たりにすれば、この国を支える逞しく美しい彼らに惹きつけられるに違いない。
そう。
彼らは異形だが美しいのだ。
ある意味、ただの人よりも。
シィンは、先刻の開会式で、そして宴の夜に見たダンジァの姿を思い出していた。
あの時は側に供の者たちがいたせいで「似合っている」と一言言うにとどめたが、本当ならもっともっと褒めたかった。
もっともっともっと眺めていたかった。
近くから——遠くから眺めて、いかに似合っているかを微に入り細に入り、彼が照れて嫌がっても構わず伝え、褒めまくりたかった。
それほど似合っていたのだ。
礼装姿の彼は美丈夫ぶりが引き立っていて、その姿を見たときは胸が高鳴るとともに自分の見る目の確かさが嬉しくなったほどだ。
もちろん、彼が帯びていた剣も含めて。
彼がどんな思いでいるのかはわからないけれど、礼装に帯剣した彼の佇まいといったら、どこに出しても恥ずかしくない——どころか、どこへでも出しまくり、どこへでも連れていきたい——そんなふうに思うほどの格好の良さだった。
そして、そんな嬉しさやドキドキするような気持ちはずっと消えず、本人に言えなかった分を——彼がいかに素晴らしかったかを、その後顔を合わせたウェンライとツェンリェンに延々と話してしまったほどだ。
うんざりされてしまってもまだ話し続けて、最後には二人に「少し落ち着いてください」と呆れられたほどだった。
(だって、騒ぎたくもなるだろう)
今思い出しても胸がドキドキする。
本当に——本当に、本当に格好良かったのだ。
しかも、そんな風にシィンを嗜めつつ、ツェンリェンはといえばしっかりとシィンの気になることを確かめてくれていた。
ダンジァと”あの騎士”のことを。
『殿下の騏驥とリィ殿下との間に特別な気持ちのやりとりはございません。本人に訊いて確認いたしましたし、確信いたしました。わたしが言うのですから信じられるでしょう?』
そう言われた時は、『本人に訊いて!?』とドキリとしたものの、流石に色恋に手練れた彼は、シィンが気にしていることは隠したまま上手く訊いてくれたらしい。
そんなことを訊いてほしかったことまで知られていたのかと思うと恥ずかしくて、「余計なことを」と言いはしたものの、本心では彼の気遣いはとても嬉しかった。
思い返せば思い返すほど、彼とあの騎士とのことを疑って取り乱した自分が情けなくなってしまう。
王子としての自分の立場を自覚してからというもの、あんなに感情を露わにしたことはなかったはずだ。
抑えられていた。我慢できていた。嬉しいことも喜びすぎないように、悲しいことも周囲に心配されるほど態度に出さないように。
それなのに……怒りを、悔しさをあんなに露わにしてしまうとは……。
しかもその後も——疑っていないと自分に言い聞かせてもやっぱり疑って気になって不安になって——。しばらくぐるぐるしていたから、ずっと気になっていたことが一つ晴れたことには心からほっとしたものだった。
(でもウェンライに「殿下はやきもち焼きなのですね」と面白そうに言われことには頭にきた! そうだよ! 悪かったな! こんなの初めてなんだから仕方ないじゃないか!
——なので、仕返しに彼にはうんとたくさん仕事をしてもらうことにしたのだ。
ツェンリェンの提案に対しても、彼は「嫌だ嫌だ」とごねていたが、「やれ。わたしためにやれ」で頷かせた。
いつもは説教されたり言い返されたりのわたしだが、いざと言うときは王子の強権を発動するのだ! ……いつかやり返されそうで怖いけど……)
大会後のダンジァの処遇については、まだ自分の中で答えが出ていないし、動揺した態度を見せてしまったことが彼にどう影響しているかもわからないから、不安ではある。
『必ず殿下に勝利を』——。そんなふうにわざわざ言ってくれたことを思えば、彼からの信頼はまだ失われていないのだろうが……。
今のように、なかなか「王子」としての立場から離れられず、彼との時間が取れないのがもどかしい。
とはいえ、ツェンリェンのおかげで一つ憂いが消えたことは間違いなく、それにはひとまず安堵していた。
(開会式の姿も立派だったな……)
堂々としていて、贔屓目だとしても一番優れた騏驥のように見えた。
人の姿であっても、その額に輝く星が見えるかのように。
早く乗りたい、と思う。
早く、彼に乗りたい。
会いたい——。
騏驥からは最も遠い場所に座しながら、けれどシィンの心は彼の騏驥に飛んでいた。
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