85 / 157
83 騏驥の決意
しおりを挟む離れたくない。そう——離れたくないのだ。
シィンと。
自らを信じてくれた無二の騎士と。
もう二度と。
「……離れたくありません……」
ダンジァはシィンを抱きしめて繰り返す。
離れない。離したくない。
彼はわたしの騎士。
彼だけがわたしの騎士だ。
そしてわたしは彼の騏驥。
彼に命じられるまで、わたしは彼から離れない。
もしくは——たとえ命じられても。
そう固く決意するダンジァを見下ろしてくるツェンリェンの視線は、今まで知っていた彼のそれと別人のようだ。信じられないほどに鋭く恐ろしい。
王子を護らんとする騎士の目だ。そしておそらくは、大切な友人を護ろうとする者の目なのだろう。
だがダンジァも怯まなかった。
息を詰め、一歩も譲らず見つめ返す。
絶対に離れない。
自分に命令できるのはシィン様だけ。
その気持ちだけで。
部屋の空気が張り詰め、薄くなるかのようだ。皆、成り行きを見守っているからなのか、物音ひとつしない。
一体どれほどそうしていただろうか。
「っ……」
先に息を吐いたのは、ツェンリェンの方だった。
彼はふうっと息をつくと、小さく肩を竦めてみせた。
「強情だな。まったく……時間がないというのに」
「……」
ダンジァはぐっと言葉に詰まった。それは確かにそうなのだ。シィンの容体を思えば、ここで揉めている場合ではない。
(でも……)
でも、離れたくない。自然とシィンを抱きしめる腕に力をこめてしまう自分の勝手さに眉を寄せたときだった。
ツェンリェンが小さく苦笑したかと思うと、彼は医師や衛士たちを振り返り、言葉を交わす。ほどなく、医師と数名の衛士たちが部屋を出て行く。
連れて他の衛士たちも、整然と部屋を出ていく。残ったのは医師一人と、衛士数人だ。
いったい、何が?
戸惑うダンジァに、振り向いたツェンリェンは言った。
「医師たちをここに連れてくる。薬師たちもやってくるだろう。症状を調べるための諸々の機材も運び込む。一時的に……簡易だが、ここを医館代わりにする。だからお前はしっかりと殿下のお側についていろ。……いいな」
「!」
思わぬ言葉に、ダンジァは瞠目する。直後、お礼を言おうとしたダンジァにツェンリェンは「礼には及ばない」と言うように首を振ってみせた。
「これから、ここの調査をして真犯人を捜索することを考えれば、医館に運ぶよりも、却ってここに留め置く方が安全だろうと判断したまでのことだ。医館にも警護をつけるつもりだったが、あそこは場所柄人の出入りが多い。どんな輩が紛れ込んでくるかわからないからな」
「…………」
ツェンリェンの言葉に、ダンジァは息を呑む。
そうだ。そもそも、ここだって本来なら安全なはずの場所だったのだ。競技大会の、騏驥たちの控室。騏驥も騎士もリラックスして本番までの時間を過ごす場所。……それなのに。
ダンジァは思い出して眉を寄せる。
そこで、はっと気になった。
「あ……あの、ですが殿下は大丈夫なのですか? ここで……その、ご容体やお命は……」
「もちろん処置が早いに越したことはない。が、幸い殿下は加護の魔術を受けられている。病状がどの程度なのかはともかく、よほどのことがない限り、即座に命を落とされるようなことはない」
でなければ、お前とここで押し問答などしていない。
そう言うツェンリェンに、ダンジァは「申し訳ございません」と謝るしかない。
気持ちはどうやれ、ダンジァのやったことは騎士への反抗だ。ツェンリェンは強硬手段を取ることだってできた。それなのに彼はダンジァの意思を尊重してくれて……。
感謝を噛み締めるダンジァの前で、彼は穏やかに目を細め、口の端を上げる。そして、呟くように言った。
「殿下は良い騏驥と出逢われたものだ」
その声や表情は、見慣れた彼のものだ。ダンジァもいくらかほっとする。
だが、ツェンリェンはこちらの気持ちを慮ってくれたとはいえ、事態が好転した訳ではないのだ。
今のツェンリェンの言い方を極端に言い換えれば、はっきりわかっていることは「即死は免れた」ということでしかない。
今すぐ命が危ないというわけではない——ということは、逆に言えばそれ以外はわからない、ということなのだろう。
(あんなに、血を吐かれていたし……)
その跡も生々しい床を見つめ、眉を顰めると、ダンジァは思う。ダンジアが纏っている服も、あちこちにシィンの零した血がこびりついている。
血の気の失せた顔、今までとはまるで違う、力のない瞳。弱々しかった手……。
思い出すと、まだ胸が痛い。
それに、さっきシィンを診た医師は、毒の質がわからないと言っていた。急に呼ばれて急に診ただけとはいえ、城の医師が「詳しく調べなればわからない」というような毒が使われたのだ。だとしたら……この後シィンがどうなるのかも、またわからない……。
毒の質が判明して毒消しできればいいが、もし——万が一それが叶わなかったら……。
(いや。——いや)
大丈夫だ。きっと。
ダンジァは、ゾッと背中が冷たくなったのを打ち消すように首を振ると、自分を安心させるように言い聞かせる。
床に座ったまま、抱き抱えているシィンの手をぎゅっと握った。
城の——医館の医師や薬師に任せれば大丈夫だ。彼らは医師や薬師たちの中でも特に優秀なものたちのはずなのだから。
部屋に残った数人の衛士たちがあちこちを調べ始めている中、ダンジァはぐるぐると考える。すると、
「さて——」
ツェンリェンが、そんなダンジァに向けて言った。
「では改めて事情を聞——」
しかし、彼がそう続けようとした寸前。
「まったく——」
その声を打ち消すように、どこからか声が響いた。
驚くダンジァの耳に、声は続く。
「なにを悠長なことを。さっさとその騏驥を締め上げて話を聞き出すべきでしょう。いちいち甘いのですよ、あなたは」
あたりを見回すダンジァの目に映ったのは、ゆらりと立ち上がった”あの女性”の姿。気を失って壁際で休んでいたはずの女性は、今、不機嫌も露わな様子で乱れた髪を掻き上げながら、こちらを睨みつけている。
ダンジァを。そしてツェンリェンを。
そして、ふん、と鼻を鳴らして大股に近づいてくる女性に、ツェンリェンが苦笑する。
女性?
否。
その姿はまごうことなくシィンの補佐官——ウェンライだった。
1
あなたにおすすめの小説
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
仮面王子は下僕志願
灰鷹
BL
父親の顔は知らず、奔放な母のもとで育った渡辺響は、安定した職業に就くために勉強だけはずっと頑張ってきた。その甲斐あって有名進学校に進学できたものの、クラスメイトとは話題も合わず、ボッチキャラとして浮いていた。クラスの中で唯一、委員長の川嶋昴陽だけが響のことを気にかけてくれて、面倒見のよい彼に秘かに恋心を抱いていた。しかし、修学旅行の最終日に川嶋が隣で寝ていた朝倉にキスしようとしているところを目撃し、反射的にそれを写真に収めてしまう。写真を消せと川嶋に詰め寄られるが、怒りをあらわにした彼の態度に反発し――。女子から「王子」と呼ばれる人気者優等生×寂しさを抱えるボッチな茶髪男子、の失恋から始まるハートフル青春BL。
※ アルファポリス様で開催されている『青春BLカップ』コンテストに応募しています。今回は投票制ではないですが、閲覧ポイントでランキングが変わるそうなので、完結後にまとめてではなくリアルタイムでお読みいただけると、めちゃくちゃ励みになります。
※ 視点は攻め受け両方で章ごとに変わります。完結した作品に加筆してコンテスト期間中の完結を目指します。不定期更新。
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
【完結】end roll.〜あなたの最期に、俺はいましたか〜
みやの
BL
ーー……俺は、本能に殺されたかった。
自分で選び、番になった恋人を事故で亡くしたオメガ・要。
残されたのは、抜け殻みたいな体と、二度と戻らない日々への悔いだけだった。
この世界には、生涯に一度だけ「本当の番」がいる――
そう信じられていても、要はもう「運命」なんて言葉を信じることができない。
亡くした番の記憶と、本能が求める現在のあいだで引き裂かれながら、
それでも生きてしまうΩの物語。
痛くて、残酷なラブストーリー。
イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です
はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。
自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。
ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。
外伝完結、続編連載中です。
憎くて恋しい君にだけは、絶対会いたくなかったのに。
Q矢(Q.➽)
BL
愛する人達を守る為に、俺は戦いに出たのに。
満身創痍ながらも生き残り、帰還してみれば、とっくの昔に彼は俺を諦めていたらしい。
よし、じゃあ、もう死のうかな…から始まる転生物語。
愛しすぎて愛が枯渇してしまった俺は、もう誰も愛する気力は無い。
だから生まれ変わっても君には会いたく無いって願ったんだ。
それなのに転生先にはまんまと彼が。
でも、どっち?
判別のつかないままの二人の彼の愛と執着に溺死寸前の主人公君。
今世は幸せになりに来ました。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる