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110 どこよりも心地良く、安全で温かな
しおりを挟むするとダンジァは、そんなシィンをしっかりと守るように抱きしめたまま、一歩一歩ツォの方へ——崩れた壁の方へ近づいていく。そこから出ていくつもりなのだろう。
一歩、また一歩と近づくと、ツォの表情がみるみる強ばり、歪む。
だが、いくら阻みたくても普通の者が騏驥と戦うのは無理だ。たとえそれが人の姿の騏驥であっても。
調教師であり、それを誰より知っているツォは、ダンジァが近づくと歯痒そうに唇を噛みつつも、無言で道を譲る。
だが。
「……あの騏驥も、結局は役立たずだ」
すれ違う瞬間。
低く、吐き捨てるようにツォが言った言葉に、ダンジァの足がぴく、と止まった。
(?)
なぜ足を止めるのか。
そして、「あの騏驥」とは?
朦朧とする頭の中、それでもシィンが不思議に思っていると、ツォは自分の言葉にダンジァが反応したことで気をよくしたのだろう。
振り返ると、両の口角を上げてさらに言葉を継ぐ。
「まあ、きみがここに来た時点で察しはついていたけれど……。……彼は駄目さ。自尊心と褒められたい気持ちは人一倍あっても、残念ながら実力が伴ってない。そりゃ、悪くはない騏驥だ。でも『それだけ』。あらゆる面できみとは比べ物にならない。残酷だけれど、少し見ていればわかるよ。素質や才能の差は、どれだけ調教したところで埋められるものでもないからね」
まあ、きみはその中でもさらに特別だったようだけれど……。
ダンジァのあの姿を——毛色を思い出しているのだろう。
ツォが呟く。
「…………」
シィンは、ツォの話の半分も分からなかった。
なんとなくわかるのは、ツォがダンジァを引き合いに出してシュウインを——王の騏驥の一頭を貶めていること。そしてダンジァの気配は、一秒ごとに剣呑さを増しているということだ。
シィンを抱えている腕も微かに震えている。
シィンが思わずぎゅっと身を縮こまらせたとき。
「きみへの対抗心をたびたび口にしていたから、それならばと機会を与えたけれど——」
ツォが、続けて言う。
だがそれは、おそらく最後まで言えなかった。
彼の声は、「ゴッ」とも「ドッ」とも形容し難い、それらの入り混じった鈍い打撃音に中断されたからだ。
そして気づけば、彼は手の届かない場所まで吹き飛んでいた。それも、受け身も取れず、硬い床の上をもんどり打って滑り転がっていくような格好でだ。
驚くシィンの視界の端に、ダンジァが軽く右手を振る姿が映る。
彼が殴ったのだ。
彼の腕の中にあったシィンの身体は全く揺らがなかった。けれど……。
驚くシィンの耳に、
「……あなたは、調教師じゃない」
ツォに向けた、低い、ダンジァの声がした。
彼は転がっているツォに目を向けたまま、静かに続ける。
「技術がどうだとか知識がどうだとか、そんなことは知りません。管理している騏驥を褒めようが貶そうが、自分にはどうでもいいことです。でも——自分の目的のために騏驥を使うあなたは調教師じゃない! 騏驥は、あなたが恨みを晴らすために都合良く準備された道具じゃないんです! 皆、あなたを信じていたでしょうに……その信頼を利用して——挙句、自分の計画が失敗したからといってシュウインさんを悪し様に——」
感情を抑えきれなくなったのか、最後は声を荒らげかけ——ダンジァは堪えるように口を噤む。
「…………」
だがそれで、シィンもわかってしまった。
ツォはシィンを傷つけるために——シィンへの恨みを晴らすために、毒を盛るために、王の騏驥を使ったのだ……。
彼の思い通りになる騏驥を。彼に従順な騏驥を。
しかもダンジァは「皆」と言っていた。この件に関わった騏驥は一頭ではないのかもしれない……。
(なんということを……)
騏驥へのあまりに酷い仕打ちに、シィンはきつく目を瞑る。
ダンジァの憤りももっともだ。騏驥はある意味、調教師を誰より信頼している。
それを知っていながら、その立場を利用して騏驥を使って恨みを晴らそうとしたとは……。
しかしその時。
「……先に裏切ったのは、きみたちの方じゃないか……」
暗がりの中から、ツォの声がした。顔は見えない。声だけが届く。掠れた、まるで泣いているような声が。
「先にわたしを拒んだのは騏驥たちの方だ……。わたしの希望を、夢を、騏驥たちが阻んだ……。魔術と、そのしもべのきみたちがね……。裏切り返して、何が悪い。利用して何が悪い。騏驥たちがわたしを受け入れてくれてさえいれば、こんなことには……」
呻くように訥々と続けるツォの声に重なるようにして、練楼観を囲むように人が集まってくる音がする。
衛士たちが到着したのだ。
ツォを捕らえるための兵たちが。
「……ダンジァ」
その瞬間を見たくなくて、シィンは彼の騏驥を促す。
意を汲んでくれたダンジァは「かしこまりました」頷き、シィンを深く抱え直すと、そのまま、躊躇うことなく壊れた壁から飛び降りる。
「ぁ……」
瞬間、ふわ……と僅かに浮く身体。
けれど不安は微塵もなかった。ダンジァの両の腕の中は世界中のどこよりも快適だ。
ああ——いや。彼の背の上と同じぐらいに。
案の定、しなやかな着地は衝撃など全くなく、一切音もしなかった。
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