まるで生まれる前から決まっていたかのように【本編完結・12/21番外完結】

桜以和果

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【番外】離宮へ(21)

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 王の騏驥たちにも、幾つも質問していた。調教師にも、厩務員たちにも。さらには魔術師にも。
 調教のことを、普段の暮らしのことを、世話の方法のことを。騏驥という生き物そのものについてのことを。
 時には褒めながら、労いながら。
 次にいつ話せるかわからないから、という様子で、熱心に。
 その真剣さに打たれ、シィンも思わずダンジァに自由に答えることを許したほどだ。

 昼間のことを思い返し、シィンは微かに顔を曇らせる。
 弟の誕生日の贈り物として、彼の希望を叶えられて良かったと思う。喜んでもらえてなによりだと思う。
 だが……本当にこれでよかったのだろうか。

 思い返せば思い返すほどに、そんな不安が胸の中に静かに込み上げてくる。
 明日からはまた、彼は騏驥のことは話題に出せない毎日に戻ってしまうだろう。
 いっときの、少しだけの喜びを与えて、その後は放っておくなんて、余計に残酷だったのではないだろうか。
 ——母が懸念していたように。

 幸いと言うべきか、夕食時の母は特に機嫌を損ねている様子ではなかった。
 内心はわからないが……少なくとも、それまでのようにシィンを責める言葉を発することはなかったし、ルゥイがどう過ごしたかについても、必要以上に尋ねてきたり問い詰めたりしてくるようなことはなかった。
 尋ねられるよりも早く、そして問い詰められてもこれほど話さないだろうと言うぐらい、ルゥイが語り続けたせいもあるのだろうが……。
 なににせよ、終始穏やかで、シィンはホッとしたものだった。
 自分が咎められるならともかく、ルゥイと母の仲が悪くなることは避けたかったから。

 しかし同時に、シィンは今日のルゥイの様子から一つの可能性を考えていた。
 シィン自身、まだ確信を持っているわけじゃない。だからルゥイ本人に話していいのかわからないし、ましてや母に話す方がいいのかもわからないが……。
 もしかしたら、ルゥイのためになるのではないか、という可能性。

(だが……話せばきっと母上は今まで以上にお怒りになるだろうな……)

 シィンが胸の中で独りごちたとき。
 部屋の扉が、そっと叩かれた音がした。

(——?)

 兄弟二人の時間を妨げられ、シィンが微かに眉を寄せたとき、薄く扉が開く。
 次の間で控えている従者が恐縮した様子で半身をのぞかせた。

「お寛ぎのところ、申し訳ございません。その……妃殿下がお越しに……」

「母上が??」

 シィンは慌てて寝台を降りる。
 寝巻きの上に睡袍を羽織りながらルゥイを見たが、彼も不思議そうな顔だ。

 そうしていると、扉が開き、母妃が一人の侍女を従えて入ってくる。

「母上……どうなさったのですか?」

 緊張しつつ、シィンは尋ねた。
 まさか、今になってシィンを叱りに来たとは思いたくないが、こんな夜にわざわざ部屋を訪ねてくる理由もわからない。
 それともルゥイに用だろうか?

 椅子をすすめたが、腰を下ろそうとはしない。
 ということは長い話をするためにやってきたわけではないと言うことか。

 シィンがついつい色々と考えていると、母妃に続いて入ってきた侍女が持っていた盆を桌の上に下ろす音がした。
 さらには、盆に乗せていた箱のようなものを、そっと桌の上に置く。
 よくよく見れば、それは普通の箱ではなく重箱だ。
 しっとりとした美しい塗りにシィンが目を引かれていると、

「話が弾んでいるようですね」

 母妃が言った。
 咎めるような気配はない。淡々とした——落ち着いた、いつもの声音だ。
 シィンはいくらかホッとする。しかしシィンが応えるより早く、

「兄上とは、話すことがたくさんあるのです!」

 弾んだ声でルゥイが言う。寝台の上の彼は、「早く話の続きをしたい」と言わんばかりにゆらゆらと身体を揺らしている。
 彼らしい我儘で可愛らしい仕草だ。だが、母妃の前でそれをやられるのは、シィンとしてはいささか心臓に悪い。
 今日はシィンのやることに目を瞑ってくれはしたが、これが続くとは限らない。

「ご安心ください。ルゥイを疲れさせることのないようにいたします」

 だからシィンは、控えめにそう応じる。
 視界の端に、ルゥイが不満そうに口を尖らせたのが映ったが、実際のところシィンも心配なのだ。
 今日は無理をさせすぎたのではないか、と。

 それほど軟弱ではないだろうとは思うが、いかんせん、離宮に住むようになってからの彼は騏驥と引き離されていた。
 なのに今日は、ほぼ一日中騏驥と一緒だったのだ。
 見た目は元気そうでも、どれほど疲れているか、体力を削られているかはシィンにもわからない。

 すると母妃は「そう」というように無言で頷き、次いでチラリと視線を桌の上の重箱に向ける。
 さらにシィンに、そしてルゥイに目を向け、再び桌の方を見やると、

「…………夜更かしするならお腹も空くでしょう」

 僅かに目を伏せ、独り言のようにポツリと呟く。
 そしてすぐに踵を返したかと思うと、シィンが見送りの言葉を口にするより早く、部屋を出ていってしまった。来たとき同様に、侍女とともに。
 残されたのは、桌の上の重箱。
 
 思ってもいなかった慌ただしさに、シィンも戸惑ってしまう。
 不意にやってきたことにも驚いたが、こんなに忙しなく帰ってしまうなんて。
 こんな母妃を見たのは初めてかもしれない。

「……母上は、どうしたのでしょう??」

 と、同じように不審に思ったらしいルゥイが、寝台を降りてシィンに近づいてきた。
 声の調子だけでも、いつもと違って感じられたのだろう。
 しかし尋ねられても、シィンにもわからない。

 わかっているのは……。

 シィンは桌に近づく。
 わかっているのは、母が来たのは、この重箱のためだったということだ。
 ルゥイも寄って来ると、手を伸ばしてそっと重箱に触れる。
 
「先ほどの母上のお言葉から考えるに、何か食べ物を持ってきてくださったのでしょうか?」

「そう……かもしれないが……」

 そんなことがあるのだろうか。
 母が、わざわざ自分たちに?

 それはつまり、ルゥイの夜更かしを認めると言うことだ。シィンと語り合うことを。騏驥について。騎士について。
 本当に、そんなことを許してくれるというのだろうか。
 
 ルゥイが望むなら、叶えるということだろうか。

(母上は……わたしのことはお嫌いでも、ルゥイのことは可愛がっていらっしゃるから……)

 重箱を見つめたまま考えていると、そんなシィンに焦れたのだろう。

「兄上! 早く開けてください!」

 ルゥイが袖を引っ張ってくる。
 シィンは慌てて「わかったわかった」と応じた。

(まったく……)

 遠慮のない弟に、苦笑が漏れる。

 ずっと母と一緒のルゥイが羨ましくないと言えば嘘になる。
 母に愛されている彼が羨ましくないと言えば嘘になる。
 けれど、そんなふうに羨ましく思うのと同じぐらい、シィンもまたこの弟を愛していて可愛らしく思っているのだ。
 があった後も、それまでとなんら変わらずシィンを慕ってくれる彼を。
  
 だから。

(わたしが我慢すればいいだけだ)

 母と離れている寂しさも、素っ気なくされる悲しさも。

 改めてそう思いながら、シィンは重箱の蓋を取る。
 次の瞬間、シィンは息を呑んだ。

「……兄上?」

 シィンの異変を感じ取ったルゥイが不思議そうな声をあげる。
 だがシィンはすぐに返事ができなかった。
 
 重箱に入っていたのは、菓子だった。
 美味しそうな。

 ——シィンが好きな、茶の香りが漂う菓子だった。
 
 飾り気のない、素朴な、温かな。
 おそらく手作りの、菓子。

(これは……)

 母が作ったものなのだろうか。
 手ずから?
 わたしたちのために?

 息を詰めて、二段目も見てみる。そこにあったのも菓子だ。
 こちらも手作りのようだ。いくつもの木の実や干し果実が練り込まれた焼き菓子。

 これは見覚えがある。まだ子供のころに——まだ母もルゥイも城にいた頃に母が作ってくれていた菓子だ。
 
「お菓子ですね!」

 菓子を見つめるシィンの耳に、ルゥイの声がした。
 彼は可愛らしく、香りを嗅ぐような仕草を見せると、

「いい香りだなあ……母上が作ってくれたのでしょうか? 兄上、早く食べましょう! 美味しそうです」

 楽しそうな声で言う。そして再び香りを嗅ぐような仕草を見せた。

「んん……茶の香りもします。それは兄上のための菓子ですね」

「わたしのため……?」

 のため、ではなく?

 戸惑うシィンに、ルゥイは「はい」と笑顔で頷いた。

「わたしは、茶を飲むのは好きですが、茶の味の菓子はあまり好きではないのです。母上もそれはご存じです。でも兄上は、昔からお好きですよね」

 言うと、ルゥイは「お茶を淹れましょう!」と、いそいそと用意を始める。
 母の菓子を得て、すっかり夜更かしする気になっているようだ。

 シィンはルゥイがするに任せながら、菓子を見つめ続ける。
 目の奥が熱くなる。

(わたしの好きなものを……)

 覚えていてくれたのだ。母は。
 そしてそれを——こうして——。

 帰らなくてよかった、とシィンは思った。
 昨日の夜の辛さに負けて、帰ってしまわなくてよかっ。今日を過ごせてよかった。
 ルゥイの喜ぶ顔を見られて、その上……。

(ああ……)

 シィンは胸の中で息を吐く。

(ダンジァ……)

 お前のおかげだ。
 お前が支えてくれたおかげだ。

 シィンは、今はここにいない、けれどいつも胸の中にいる最愛の騏驥に向けて呟く。
 彼はきっと「自分はなにもしていません」と言うだろう。でも——。

(お前は……本当に……)

 特別な騏驥だ。

 シィンは胸が熱くなるのを感じながら、重箱を寝台へ運ぶ。
 菓子はきっと、とてもとても美味しいだろう。

 思いがけない深夜の茶会に、踊りださんばかりに喜んでいるルゥイに微笑みながら、シィンは、今夜のことはきっと忘れないだろう、と思った。 

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