類い稀なる麗しきかんばせと決して褒められたものではない性格を持つ雅璃怜のまったく不本意ながらたびたび乱されがちな日々の生活と情緒。

桜以和果

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其の二の二 檀真威の提案

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「!」

 咄嗟に離れようして腰を上げかけたが、スイと肩を押さえられて止められる。
 触れられただけなのに動けなくなる。睨み上げたが帰ってくるのは笑顔ばかりで、それどころか檀真威は当然のように隣に腰を下ろしてくる。
 傍らから覗き込むように見つめられ、雅璃怜はぷいと顔を逸らす。と、小さく笑った声がした。

「ちゃんと話は聞いただろう。そんなに嫌わなくても」

「…………」

 雅璃怜はそっと振り返る。この男のペースに乗せられたくはないが、正直なところ機嫌を損ねたいわけでもない。
 彼の酒楼は街で一番大きい。となれば物や人の行き来も多い。噂も自然と集まる。それになにより檀真威は馬のことに詳しい。特技なのか、名馬を見抜く目に優れているらしく、そのため、馬の売買に携わっている者が立ち寄ることも多いし、馬でやってくるものも多い。 だから今日、雅璃怜はここにやって来たのだった。檀真威に話をして、協力を仰ぐために。

 目が合うと、檀真威が微笑んだ。 

「話はわかった。すぐに調べさせよう。用人たち全員にも何か見かけていないか確認するし、ひょっとしたら常連で何か知っている者もいるかもしれない。彼らにも訊こう。そうだな……三日もあれば色々と話を聞いて取り纏められるんじゃないかな」

「! そうか。……助かる」

 手掛かりを探して街中の者に話を聞くわけにもいかないから、三日ほどで情報が集められるなら充分だ。雅璃怜がほっとしていると、檀真威は「どういたしまして」とにっこり笑った。

「貴方の役に立てるならなによりだよ。ただ……それと合わせて一つ相談と言うか提案があるんだが……」

「なんだ」

 少し嫌な予感がする。が、話も聞かずに否とは言いづらい。取り敢えず続きを促すと、檀真威は綺麗に弓型を描いた唇を開いて言った。

「わたしにも、その現場を見せてもらえないかな」

「現場……? もしかして馬留処のことか? 領府の中だぞ」

「だから提案だよ。というか——お願いかな。どう?」

「…………」

 雅璃怜は返答に窮した。そもそも役所は許可もない市井の者の立ち入りを許していない。その上馬留処となれば、財産である馬が管理されている場所だし、檀真威自身も言っていたように、なによりこの事件の現場なのだ。個人的に協力を依頼したとはいえ、檀真威は部外者。連れて行くには躊躇いがある。
 もしかしたら——万が一だが、この男が今回の馬の失踪事件に関わっている可能性だってあるのだ。なにしろ馬に詳しいのだし、売買のルートも良く知っている。
 だがそう思う一方で、詳しい者なら現場を見て何か気付くこともあるかもしれない、とも思う。馬丁や役人や雅璃怜も現場を確かめたが、第三者が見た方が気付く違和感もあるかもしれない。
 しかし……。

「…………」

 雅璃怜は檀真威を見つめる。睨むように見る。割と近いこの距離で見つめると、彼の面差しがとても整っていることが改めてわかる。華やかで人目を惹く魅力的な貌。
 ——と、その貌が、不意に苦笑を浮かべた。

「そんなに見つめられると照れてしまうよ。貴方の綺麗な顔は盗み見るぐらいがちょうどいいのかもしれないね。正面切って見られると戸惑ってしまう」

「戸惑うのはやましいことがあるせいじゃないのか」

「そんなものはなにも。むしろ、いっそ貌ではなくわたしの心の中を見つめてくれればと思うぐらいなのに。貴方に伝えても伝えてもまだ尽きない想いがある胸の中を、その美しい目で見てほしいな」

「っ……」

 よくそんな恥ずかしいことがすらすらと出てくるな!
 雅璃怜は「下らないことを言うな」と言いながら扇で顔を隠したが、耳まで熱くなっていくのを止められない。
 客や用人を相手にしている普段は愛想がないくせに、どうしてこの男は無用な時にこうも舌が回るのか。
 相手にしないのが一番だということは経験上よくわかっているが、今回はこちらから頼みごとをしに来ただけに分が悪い。
 こんな仕事が回ってきた不幸を恨むしかないのだ。

 そもそも雅璃怜は周囲とあまり折り合いが良くない。
 ただでさえ「余所者」の上、仕事内容はといえば、街の役人たちにとってみれでまるでスパイされているか監視されているかのようなもので、そんなことをする奴にいい印象があるわけがない。
 しかも雅璃怜はこちらに赴任してきてから、既に幾つかの仕事を「してしまった」。

 その内容はさほど大したものではないのだが(縁故での採用があったために弾かれて不合格にされた者を、別のもっといい役職に推薦した程度のものだ。よくある)、面白くない者には面白くないだろう。
 それもあって、こうしてややこしい仕事が回ってきたのだ。
(もっとも、馬は王都に献上する機会も多いため、きちんと調べなければゆくゆくは大問題に可能性があると判断してのことでもあろうが)

(そう……なるべく迅速に確実にケリをつけねばならない問題であるのは事実なのだ……)

 自分の評価にもかかわる。

 雅璃怜は考えを巡らせると、息を整えてぱちんと扇を閉じる。そして真正面から檀真威を見つめ返した(なんと彼は雅璃怜が扇で彼を観なくなってからもまだじっと雅璃怜を見ていた!)。 

「……考えておく。検討しておく。善処する……。これでいいな」

「もちろん。——ありがとう」

 すると檀真威は嬉しそうに笑みを見せ、ぎゅっと雅璃怜の手を握ってくる。
 馴れ馴れしい! と叱ると、彼は声上げて笑って手を離した。

「扇で叩かれなくてよかったよ」

 そう言うと、

「大丈夫だよ。領府に立ち入ったときにはちゃんと弁えて行動する。わたしはただ貴方の役に立ちたいだけだ。そのためには、より多く情報が欲しい……それだけだよ」

 部外者を立ち入らせることの不安を抱いている雅璃怜の心を見透かしたかのように、安心
させるように言う。
“頼まれごとをされた側”の言動としては完璧なものだ。
 相変わらずそつのない奴だなと思いつつ、しかしその言葉が単なる礼儀や社交辞令ではない可能性を孕んでいることに、雅璃怜はどんなかおをすればいいのかわからない。

 この男はいったい……自分をどうしたいのだろう。

 考えてしまうとそれ自体が相手の策略に乗ってしまっているようで癪で、雅璃怜は無言のまま立ち上がった。

「どこいくの」

 すぐさま檀真威から声がかかる。

「帰るんだ」

「泊まって行きなよ。もう夜だ」

「子供じゃない」

「子供じゃなくても危ないよ。なにしろ馬泥棒がいるんだろう? そんな輩、馬だけじゃ飽き足らずに、人のものを奪おうとして乱暴な手段にでるかもしれない」

「自分の身を守ることぐらいはできる。——今日は時間を割いてもらえて感謝する。何かわかればまた——」

 しかしそう言って立ち去ろうとした手がぎゅっと掴まれた。
 今度はさっきよりも強い。振り解こうとしても離れない。

「檀真威、離せ」

「久しぶりなのに、用件だけ話して終わりなんてつれなさ過ぎる」

「これ以上お前と話すことなんかない」

 触れられている指先が、声が震えている気がして恥ずかしい。
 けれど強く振り払おうとしてもやはり手は離れない。それどころか、檀真威はやおら立ち上がったかと思うとすぐ側まで近づいてきた。
 咄嗟に顔を逸らすと、その耳にクスリと小さな笑い声が聞こえた。

「奇遇だ。わたしも貴方とこれ以上話す気はない」

「!?」

 そして声が続いたかと思うと、次の瞬間、雅璃怜の細い身体はふっと浮いていた。 
 違う。檀真威に抱き上げられているのだ。彼の胸の前に抱えあげられ有無を言わさず寝台に運ばれる。

「檀真威! 下ろせ! 離……っ!」

 暴れて逃れようとしたが、間に合わない。
 そのまま寝台の上に下ろされたかと思うと、無言のまま檀真威がのしかかってきた。
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