愛してるって言ったら殺す

桜以和果

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疎まれ令嬢

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 ◇ ◇ ◇ 


 一歩歩くごとに、周りにいる人たちがさっと目を逸らす。
 礼儀上、慌てたように顔を伏せる者もいれば、そそくさと足早に立ち去ろうとする者もいる。
 全身から興味津々といった気配を漂わせているくせに、なんとかそれを隠そうとして——失敗して。

 その滑稽さに、わたしは心の中で苦笑せずにいられなかった。

 婚姻の日程が決まり、国を出る日付も決まり、その報告のために登城しなければならないと決まってからというもの、なんとなく「こうなるだろう」と想像はしていたが、実際は想像以上だ。
 ずっと、屋敷に閉じ込められるも同然の生活をしていたから、わたしのことをよく知る者など、さしていないだろうに。

 いや……よく知らないがゆえのこの態度、なのだろう。

(城のみなさまは随分と暇で噂好きだこと) 

 手にした扇の陰で、わたしは小さく鼻を鳴らした。
 
 長く平和が続いている、と言われている今も、実際のところは隣国との小競り合いがしばしば起こっている辺境と違い、この王都の——王城に集う皆々は、たいそう暇なようだ。
 暇で暇で暇を持て余して——。
 だから噂が噂を呼んで、勝手に大きくなっていく。

 発端となった事実があったにせよ、いつしかそれが見えなくなるほどの尾鰭がついて……。

(そして、今……というわけね……)

 城に姿を見せただけで、全方向から怪訝な気配を向けられている自分。

 しかし、それも仕方がないことなのかもしれない。
 5年、10年、15年以上を経て膨れ上がった噂は、もう誰の手にも負えなくなっているに違いない。
 自分が周りからどんな風に見られているか、思われているかは、子供の頃から身をもってわかっている。
 他の誰より身内が——両親がわたしを忌んでいたから。

 
 本来なら。
 娘についてのよくない噂が生じた時点で、なんとかそれを消そうとするものだろう。
 娘を大事に思っているなら。
 両親なら。

 けれど父も母も、そうしようとはしなかった。
 家名を守ることには必死になったが、わたしを守ろうとはしてくれなかった。
 いや、むしろ、より状況を悪化させた張本人たち、とも言えるだろう。

 おかげで、わたしはこの国の貴族社会の歪な異物だ。
 子供の頃から、ずっと。
 もうすぐすという今に至っても——ずっと。

(屋敷を出る時には、いっそ笑顔で「厄介払いができてよかったですわね、お父さま、お母さま」とでも言ってやろうかしら) 

 そんなことさえ思ってしまう。

 だが、それを実行したとしても、きっと些細な意趣返しにもなりはしない。
“その通り”だからだ。
 まさしく”厄介払い”。

 さして関わりもない遠国から持ち込まれた縁談。
 両親が応じたのは、それに違いないのだから。 

(そんな、ろくでもない婚姻の報告をするために、わざわざ陛下に目通りしなければならないなんて……)

 手続きとは、面倒なことだ。
 陛下だって、既に「是」としたから話を進めることを許可したのだろうに。

(面倒ね、貴族って)

 とはいえ、いまさらわたしの立場が変わるわけでもない。
 
「貴族の娘としてきちんと育てている」という自己満足だけのために、高価で豪奢な衣をふんだんに与えはしても、宝石箱にも納まらないほどの宝玉の数々を与えはしても、王への結婚の報告に付き添うことはない両親が、いまさら変わることもないのと同じように。

 思わず溜息をつくと、それが聞こえたのだろう。

 柱の陰に隠れようとしていた女官の一人が、びくりと身を竦ませた。

(わたくしの溜息を聞いたからと言って、死ぬわけでもないでしょうに)

 そしてもちろん、目が合ったからと言って死ぬこともない。
 不吉な噂にさまざまに尾鰭がつけられているとはいえ、さすがにそれは、ない。

 なのに、そこここにいる女官たちだけでなく、たまたま通りがかったらしい官吏も、侍衛も、さらには騎士までもが、わたしを見かけるや否や強張った表情を見せる。

 本殿の大階段から薔薇庭を貫いて延びるこの大きな回廊は、本来なら、選りすぐりの白星石はくせいせきが敷き詰められた石畳の、控えめながら華麗な紋様と、手の込んだ意匠の凝らされた石柱が織りなす壮麗な美しさとで、城内でも三本の指に入る美しさを誇る場所だ。

 人の行き来も多い分、普段は雰囲気ももっと明るいだろう。差し込んでくる陽のように。
 にもかかわらず、今はこの辺り一帯に妙に緊迫した気配が漂ってしまっている。

 と言っても、女官や官吏や侍衛たちについては、元々、許可なく”きちんと”わたしの顔を見ることを許されていない身分だ。
 だから問題は、騎士なのだ。

 騎士のくせに——噂のせいで、こんな女一人を恐れて。

 この成望国の誇る騎士が。
 普段なら、堂々と城内を闊歩しているだろう騎士が、貴族であっても騎士ではないわたしを恐れるとは。
 婚姻前の身でありながら、護衛も侍女も連れず——連れることが出来ず、ただ一人きりで登城するしかなかったわたしを恐れるとは。

 それを身をもって知ると、やるせなさとも、ばかばかしさともつかない気持ちが込み上げてくる。
 と同時に、ふと一つの思いが湧いてくる。


 彼らは、わたしが話しかけたらどんな顔をするだろう?
 どう応じるだろう?

 城内の、しかも人目のある場所だ。
 
 その勇敢さを広く讃えられている騎士が、女ひとりに話しかけられて、素知らぬ素振りをするわけにはいかないだろう。
 わたしは、騎士ではないとはいえ、れっきとした二品にほん侯爵家の娘。
 わたしに話しかけられて、応えないことを許されている者など、限られている。
 そして彼らは、そうではない。

(どうするだろう?)

 運悪くここに居合わせてしまった騎士の一人に向け、意地悪というよりもっと残酷な気分で口を開こうとしたときだった。

「——スイ」

 一瞬早く、声がした。

 わたしからの声をやり過ごすことが許されている者が限られているように、わたしの名を呼ぶ者は——正確に言えばもまた、ごく限られている。

 ゆっくりと顔を向けると——。

 そこには想像していた通りの姿があった。

「GD……」

 以前見たとき同様に——否、いっそう美丈夫ぶりが増した騎士の姿が、そこにあった。
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