文学談義

斎宮

文字の大きさ
3 / 4
山月記

山月記①

しおりを挟む

 校庭の木々が桜から新緑へと衣替えをして、少し湿気が多くなってきた五月。桜の雨降る先生との出会いから数日しか経っていないと言うのに、もう季節は変わろうとしている。本当に桜が散るのは早いものである。少し寂しさを覚えながら校庭の木々を眺めつつ、私は人がウジのように湧いている購買へと足を進めた。普段は母の手製の弁当で昼食を済ませる私にとって、学校の購買というのは非常に縁がないものである。それなのに今回足を向けたのは、先生からお使いを頼まれたからだ。それは、購買でエビマヨおにぎりを買ってくるというものだった。そんな変わり種なおにぎりが高校の購買に売っているわけがないだろうと思っていたが、それは当たり前のようにそこに存在していた。


「…本当にあった」


 それを取ろうと棚に手を伸ばすが、何者かの手によってそれは拒まれた。こんな変わり種のおにぎりを、他に狙っていた人がいたことに驚いた。最後の一個ということも無いし、腕を下ろしてそのひとつを譲ろうと顔を向ければ、そこには一人の男が立っていた。その男の容姿などに抱いた感想を省けば、私が彼に抱いた感想はただ一つ。何故ここにいる?というものだった。体の奥底から警報が鳴る。逃げろと叫ぶ自分がいる。どうして?何故?と疑問をめぐらせる頭では、そんな自分自身からの警報に反応できるほどの余裕がなかった。その男は昔と変わらない、意地の悪い笑みを浮かべて私の手を掴んでいる手に力を込めた。


「久しぶりだな」


 声をかけられたのを合図に、男の手を振り払って一目散にその場から逃げ出した。入学してから今まで、まともに人と関わってこなかったせいで知らなかった。あの男が同じ高校に進学していたことに。その事実は私にとって、結構絶望的なものだった。どうして今まで、こんな危険な人物が近くにいたのに気が付かなかったのか。己の危機感の無さに呆れを通り越して、一周まわって怒りが込み上げてきた。

 背後から彼が私の名前を呼ぶ声がする。気持ち悪くて吐き気を催した。背筋がゾッとして悪寒がする。やめろ。黙れ。心の中の叫び声が止まらなかった。なんでこのタイミングで私に話しかけてきたのか分からないが、とりあえずもう二度と関わりたくないので、私は全力で彼から逃げた。


白峰風虎しらねふうがか」


 おにぎりを買いに行ったくせに、息を切らし、顔を真っ青にして帰ってきた私を見て、先生はただ事ではないと悟ったらしい。いつもは頼んだものを買ってこないと有り得んほど怒るくせに、今回はお咎めなしで話を聞いてくれた。話を聞いた先生は、顎に手を当てて私が告げた男の名前を口にした。白峰風虎という男は、昔からここらの土地を収めていた地主の家系なんだそうだ。移り変わる時代の中でも財産を失うことはほとんどなく、今では「白峰グループ」という有名な金融グループへと成長している。確かサッカーの世界大会かなんかに協賛していて名が広まったはずだ。白峰風虎も小学校の頃からサッカーの界隈では有名だったと噂で聞いたことがある。

 私は小・中学校時代の彼しか知らないので先生から高校での評価を聞いた。どうやら白峰風虎は成績こそいいものの、授業態度が最悪な問題児として職員室で名を馳せているらしい。先生も現国の授業で苦労していると話した。それでいて小テストなどではいい点数を叩き出すから、タチが悪いのだと。まるで教師たちを下に見ているような態度だと先生は続けた。プライドが高すぎると。先日ちょうどその話をしたからなのか、ふと頭に浮かんでしまった。


「まるで李徴のようですね」

 
 李徴とは中島敦の小説、『山月記』に出てくる主人公の名前である。とても高い自尊心を持ち、その自尊心を傷つけられたことによって虎となってしまう男だ。私の言葉に先生はニヤッと笑った。この笑みこそ私たちの文学談義が始まる合図である。が、ちょうどよくチャイムが鳴ってしまった。もう少しで五限目の授業が始まってしまう。国語科準備室を飛び出して、教室へ駆け出しながら思う。そういえば彼の名前に虎の字が入っていた気がする、と。そして私は虐められていた当時から、彼のことを人間だと思ったことは一度も無かった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

哲子67歳★恋して焦げて乱れ咲き♪

obbligato
恋愛
67歳、二次元大好き独身女子のぶっとんだ恋愛劇。 ※哲子は至って真面目に恋愛しています。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...