安楽椅子から立ち上がれ

Marty

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第二章 小さくなるストライド

小さくなるストライド (10)

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 開きっぱなしの扉から女生徒がこちらを見ている。さきほどまでのジャージ姿ではなく、学校指定のセーラー服を纏っている。
「小沢さんか」
 ピタリとした制服に身を包んだ小沢さんを真正面から見て、さきとは違う印象を抱く。思わず息を呑んでしまった。
 背が高く、少し長めの紺色のスカートから覗くスラリと伸びた脚は細くて長い。詳しくはないが、ファッション雑誌の中から飛び出してきたそれ、と言われても信じられそうなスタイルの良さだ。これが 初対面なら、綺麗な人だと素直に思えたに違いない。
「先生はどうだった? 怒られなかった?」
 認めたくはないが、しばし俺は見とれていた。小沢さんの問いにほとんど不意を衝かれたようになってしまった。
「あっ、ああ。それは、問題ない。大丈夫だった」
「本当に? こんなに遅れてしまったのに」
 言いながら教室に入ってきた。俺は一度持ちかけた鞄を下ろす。
「まあね。上手くやったよ。そういうことは得意なんだ」
 俺の前まで来ると怪訝そうに首を傾げ、
「どうやったの?」
「企業秘密だ」
 小沢さんは黙った。不服に思っただろうか。
「優秀な企業ね。有限会社山田島」
「やめてくれ」
 宝島みたいである。
 少し間が空いた。何かに迷っているような雰囲気が彼女から漂う。やがて決心がついたように訥々と喋り始める。
「そうね、この席を借りるわ」
 誰に対して許可を取ったつもりだろうか。
 言うと、俺の隣の席の椅子に腰かける。徐にポケットからメモ用紙とペンを取り出して机に置く。
「その優秀さを見込んで、少しお願いがあるの。聞いてくれるかしら」
 聞く前から、嫌だ。とはさすがに言えまい。俺も椅子に腰かけ、
「なんだ」
 努めて冷静に訊き返す。
「教えてほしいの。私はどうしたら良いのか」
「そんなもん分からん」
「早いわ。辰吉くん」
 口を引き結んで下を向いてしまった。やれやれと言った感じで頭を掻く。
「何を、どうしたいんだ。初めから話してくれ」
 小沢さんはパッと顔を上げ、急いでペンを手に取る。
「さっきも話したけれど、私は周りに誤解されやすいの。きっとそれは生来的かつ無意識的な私の行動や表現のせい。そこまでは分かっている」
 俺は頷く。
「私は私を分かってもらいたい。ではどうすれば良い? 無意識的な振る舞いが災いの元であるならば、それを意識すれば是正できると言ってもいいはず」
 まあ、言っていることは分かる。
「でも一人では無理。なぜなら、生来的な無意識は意識できない」
 確かにその通り。ではつまり。確信を持って訊く。
「第三者の目が必要だと」
 小沢さんはゆっくり頷く。
「それも、偏った目を持たない人が、ね」
「俺がそれだと?」
「ええ」
「買いかぶりすぎだ」
 呆れて長い溜息を吐く。しかし小沢さんは食い下がる。
「あなたは他の人とは違うわ。私の言葉に耳を傾け、すぐに考えを改めてくれた」
 他の人とは違う、か。
「それは小沢さんが、今までしっかり周りに訴えかけなかったからだろう」
 小沢さんは目を閉じてかぶりを振る。それは諦めを覚えた行為に思えた。
「無関心な人に何を言っても無駄だった。彼らは信じたいものだけを信じている。その中に私の声は含まれていない。でもそれは私にも責任がある」
 彼女のこの台詞には妙に納得してしまった。しかし、
「別に俺は小沢さんに関心があるわけじゃない」
「だからよ」
 彼女の声は力強かった。溜まっていたものを思い切り吐き出すように。
「あなたは真実を見ようとする気骨があるように思ったの。主観に捕われず、常に客観性を持ち合わせて理解しようとしている。そして、自分の考えを改めることに抵抗がない。これは簡単そうでいて、とても難しいことよ」
 一息に言いきると、
「だからあなたは賢い」
「その結論は飛躍だ」
 小沢さんは真っ直ぐな目で俺を見据えている。だから俺は視線を外さずにはいられない。
「今回はたまたまだ。気骨なんて言葉、使われるような人間じゃない」
 そうだ。たまたま。偶然。タイミング。俺は強い意思など持っていない。
「小沢さんのあの言葉が無かったら、他の奴らと相違なかっただろうよ。いいか、俺はそんな大層な奴じゃあない」
「分かったわ。あなたがそう言うなら、そういうことにしておきましょう」
「よろしく頼む」
「それで、教えてくれるかしら。私がどうしたら良いか」
 奥歯を噛む。自然に眉間にしわが寄る。唇も噛みしめ過ぎて、今にも鉄の味がしそうである。
「話を聞いていたのか」
 語気も強まるというものだ。
「もちろん」
 あっけらかんとしている。ふざけているのか、それとも馬鹿にしているのか。両方なのか。
「私はあなたの言ったことを信じる。考えも改める。でもあなたに教えてほしい。それは変わらない」
 言葉に詰まってしまった。なんというか、無茶苦茶だ。理屈が崩壊した熱っぽさがない言葉ほど、反応に困るものは無い。感情論ではない。だからこそ始末に困る。そんな感じである。
「気骨があるのは小沢さんの方だろ」
 首を傾げて、
「それは無いと思うけれど」
「いいや。これだけは改めない」
 ほんのり、本当にほんのりだが彼女の口許が緩んだ。
「そう。ではその件は保留ということで」
「保留かよ」
「もしくわ、そうね、じゃんけんでどうかしら」
 拳を見つめ、握ったり広げたりしている。
「じゃんけんで決めるようなことじゃないだろ。保留でいい」
 俺は椅子に深く座り直す。あまり長い話にはしたくないが、蔑ろにするのも気が引ける。両手で腿のあたりをパンと叩いた。仕切り直しである。
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