安楽椅子から立ち上がれ

Marty

文字の大きさ
上 下
54 / 66
第四章 ニッキイ・ウェルトの考察

ニッキイ・ウェルトの考察 (9)

しおりを挟む
 分厚い灰色の雲から抜け出た黄色の光線が、踏み込んだ足を照らしたのだ。では進むしかないではないか。前が少しでも見えるのなら不安がることはない。その先が正しいのかどうか、自分で考える必要がある。
 苦みをもう一口含み、ゆっくりと飲み下す。喉を通り胃に落ちていく感覚が、閃きがひとつの考えに昇華されていくのと似ている。腕を組んでみた。
 傘の所在は実は思案することもない。手に持っていなかったのだ。ここに来た小沢さんは傘立てに置いたのだろう。そう、置いたのだ。今日の俺と同じように。
 問題などありもしないように思える。
 あるとすれば、あの図書館の日である。
 あの日も、彼女は傘を手に持っていなかった。しかし、彼女は濡れていなかった。仮に折りたたみの傘を使用していたとしても、使用直後に濡れたそれを鞄なんぞにしまうとは思えない。やはり、図書館の傘立てに置いてあったのは間違いない。
 ――では、傘はどこにあったのだ。
 決してふざけている訳ではない。彼女の言う、《傘》はどこにあったのだ。
 思い出してみろ。もう一度。彼女はなんと言っていたのか。あのとき、俺になんと言い残して行ってしまったのか。
 腕に力が入り、瞑目する。自分が冷静であることが鼓動を通じて感じられる。
 雲間を強引にこじ開け、正しさの光を浴びなくてはいけない。
 ――そうだ、それは確か。いや、間違いなく、
『そろそろ行くわ。傘を置き忘れてきてしまったし』
 目を開ける。幻の彼女はもういなくなってしまっていた。もう必要ないでしょ、と言わんばかりである。考えろ、言葉の意味を。
 腕を解く。苦笑いともつかぬ、緩む口元を感じ取った。しかし、心は笑ってなどいなかった。考えが確信に変わりつつあるのだ。ゾクリとする。
 
 ――おかしいではないか。
しおりを挟む

処理中です...