上司と部下の溺愛事情。

桐嶋いろは

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第一章

浮気された私(宇月琴音)

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1日は忙しい。
朝早く起きて弁当を作り満員電車に揺られて会社に出勤し、デスクワークをしてから取引先で営業をし、また帰ってきてデスクワークをする。
大体、定時に上がれることはなく残業をしている。
でも、一番生き生きとしていられる時間なのかもしれない。

長く伸ばしてパーマをかけたふわふわの髪を束ねてポニーテールにしる。
化粧は濃すぎず薄すぎず、タイトスカートは露出をしていないもかかわらず、体のラインが出るので男が喜びやすい。
鎖骨が見えるくらいにボタンを開けて、ヒールはしっかり磨いて所作は美しく。

少しぐらいの色気と、清潔感と、嘘みたいな作り笑顔と、高い声で取引先の人に気に入ってもらえるかどうか。
怒られることもあるし、セクハラもあるけれどこの仕事は嫌いじゃない。

頑張った分が認めてもらえて、それが給料に反映される。

自分自身の存在価値を感じられるから。

そんな風にして何か変化が起きる訳でもなくただ自分のやるべきことに精一杯取り組んでいた。

でも、26歳になり色々と思うところがある。
このままこの仕事を続けていけるのだろうか。

少なくとも、結婚をしたら今と同じような激務なら結婚相手は嫌がるし、子供ができたとして仕事復帰ができるとは思えない。

だからと言って、祥と付き合っている以上仕事を続けないと破産してしまう。

もし、子供ができたらそれこそ終わりだ。

でも、そもそもどうして祥と付き合っているのだろう。
どうして別れないんだろう。
どうして別れられないんだろう。
自分は本当に祥のことを愛しているのだろうか。
そんな風に、ふと考える機会が多くなってきた。

私が、自分の本心を言えないのは幼い頃からだった。

私には3つ下の妹と4つ下の弟がいる。
父は仕事で忙しく、年子で生まれた妹と弟にかかりきりで疲れ切っていた母の姿を物心がついた頃から見ており、「お姉ちゃんなんだから・・・」と耳が痛くなるほど言われ続けて、なるべく「母を助けよう」「母を困らせないようにしよう」「いい子でいよう」と、何かにつけて我慢を求められる機会が多かったため、人に「甘える」ことがうまくできない。

頼ることができない。
嫌なこともとにかく我慢をして、人に本心を語れない。

母はきっとそんなことには気がついていないと思うが、この幼い頃からのモヤモヤはずっと続いていた。

だからこそ、祥との微妙な関係もただダラダラと続いてしまっているのかもしれない。

「嫌だ」と言えれば「楽」になれるのに・・・







一目惚れ・・・そんな漫画や小説のような話が実在するのだろうか。
でも、祥は私に「一目惚れした」と言った。
何がなんでも自分のモノにしたい。
そんな恋がこの先私にできるのだろうか。

しかし、変わらない日常が私の中で変化して行く・・・





朝礼の際に、部長が一人の身長の高い男を連れてやって来た。

「みんなに紹介する。新しくこの営業課の課長として配属になる藤村くんだ。」

「藤村秀斗(ふじむらしゅうと)です。上海支店からこの度移動になりました。至らぬ点あるかと思いますがよろしくお願いします。」

女性社員が、ざわついている。
低く優しい声に、キリッとした目鼻立ちと清潔感のある黒髪はワックスで、自然なパーマふうに綺麗にセットされて、耳元を少し刈り上げている。
背が高く細身のスーツがよく似合う。
誰から見ても、仕事のデキるイケメン営業マンだった。


「まだ、30歳なんだって。」
「高校と大学はアメリカにいたらしいから英語ペラペラなんだって。」
そんな噂話が聞こえてきた。

私は、相当美人な奥さんか彼女がいるだろうと勝手に思い込み、違う世界の住人だと思いながらも、全てが整っている男に一瞬見とれていた。

しかしすぐに脳裏に祥が浮かぶ。

少しでも他の男のことを考えていたことがバレたらどうなるのだろうか。
スマホの連絡先の男は、当の昔に仕事関係の男以外は消されている。

過去に、短大で仲良くなったタメの男友達と他の何人かの女友達と飲みに行ったあと、私は身体中を蹴られた。
ゼミの関係で、連絡が来た時スマホの画面を踏みつけてバキバキに割られたこともあった。

そのようなこともあり2日に1回は勝手にスマホをチェックしている。
もちろん祥も自慢げにメッセージの履歴を見せてくれるのだが浮気は、違うアプリのメッセージを経由して連絡を取り合っていることを私は知っている。

あれは数ヶ月前、たまたまディスプレイに出てきた画面を見てしまい

「昨日は本当に気持ちよかったよ。またしようね」の後にハートが連打されていた。
あの自己中心的なセックスのどこが気持ちいのだろうか。
建前で言っているのか。
それとも、私に対しては雑で他の女の子には優しくするのだろうか。

整った顔立ちと、スーツをスマートに着こなす新しい課長を目の前にし、私は思わず彼がどのように女性を愛するのかを想像してしまった。


きっと、何度も甘いキスを繰り返し、優しく抱いてくれるのだろう。
こんな男の人に愛されている女はどんなに幸せだろうか・・・

自分に自信もあるだろうからきっと束縛もしないだろうし、むしろ私が束縛をしてしまうかもしれない。


そんなことを考えるだけで気持ちがなぜか楽になった。
でもその時の私は、恋愛対象としてではなく、まるで遠くを見るような・・・
そう芸能人や、漫画に出てくるイケメンと自分の恋愛を妄想しているような気分だった。




午後は、営業先で打ち合わせのはずだったが、1時間遅らせてほしいと言われちょうど自宅のアパートが近かったので、家で休もうと思い、一時帰宅した。
梅雨が明け、東京の夏はうだるように暑い。

ドアを開けると、冷房が効いているので涼しかった。
カーテンを閉め切って暗くなっているので、祥が寝ているのだろう。
人に光熱費を払わせておいてエアコンをガンガン使う神経の図太さに怒りがこみ上げる。

ヒールを脱ぐと、玄関にはなぜか22.5センチの女物のローファーがおいてある。

まずこの歳で、高校生が通学に履くようなローファーは履かないし、私の足のサイズは23センチでこのサイズの靴は履けない。

すると、かすかにベッドが軋む音に、知らない女が喘ぐ声が聞こえてくる。

1LDKのため、寝室へは一つ扉があった。琴音が、ドアに恐る恐る耳を当てると

「彼女さんの部屋なんでしょ・・・バレたらやばくない。」
甲高い、若い女の声がする。

「だいじょうだって、あいつ仕事だし。マグロだし。」
「マグロとか!ウケる~~~。うちとのエッチは気持ちい??」
「うん。めっちゃいい。」


私は、身の毛のよだつ気持ち悪さと怒りに襲われた。

自分の家に、知らない間に知らない女が上がり込み、自分のベッドで自分の彼氏とセックスをする。
そして二人が、自分の陰口を言っている。

悲しみよりも、怒りが勝り勢いよくドアを開けた。

「何してんの?」

低い声でボソッと呟いた。
女は、自分で染めたと思われるパサパサに痛んだ汚いロングの金髪が乱れて、カラコンとつけまつげに頼り切った化粧が汗でぐしゃぐしゃになっている。
この女の汗がこのシーツに染み込んでいると考えるとゾッとする。
セックスで火照った顔が、私の顔を見て青ざめて行く。

「やば!超修羅場なんですけど!!!!うち帰る!!!!」

その女は、秒技で下着と制服を着て逃げていった。
ローファーで憶測はしていたが高校生という衝撃に思わず女を引き止めるのをためらってしまった。
本当は、学校名を聞き出し、親を呼び出そうかと考えたら、もしも18歳未満だったら、祥の立場が危うくなってしまう。私は、何もできずにその場に座り込んだ。

祥からの謝罪の言葉を待っていたのに、彼は額に汗を浮かべながら、まるで「邪魔すんなよ」という表情で、舌打ちしながら私を睨んだ。

それから、「お前のせいでイケなかったじゃねーか。責任取れよ。」と言って私の上に覆い被さり、強引に服を脱がせようとした。

「やめて」と必死に抵抗するが、一向に祥はその手を離さない。

「もう、別れて・・・お願いだから、別れて・・・もう、触らないで」と私は今までに発したことがないような強い口調でそういい、祥を突き飛ばした。


今まで一度も抵抗や口答えをしなかった私に、祥は驚いていたがすぐに目つきが変わりまるで私が「浮気をした女」であるかのように蔑んだ目で私を見た。


「わかったよ。お前みたいなつまらない女もういらないよ。じゃ。」
一度、琴音のお腹を蹴り自分の荷物をまとめて、玄関の扉を乱暴に蹴りながら部屋を出ていった。

私は、蹴られた痛みに耐えながら、悔しさで涙が溢れた。
そして、これから妊娠・出産を控えた女性のお腹を蹴る男がこの世界にいるのだろうか。


今まで彼を好きだった自分が情けなくなっていた。

こんなにもあっけなく二人の6年弱は終わっていった。
でも、なぜか肩の荷が下りたのだ。

すぐに大家さんに鍵を変えてもらうよう頼み、寝具一式処分した。
お気に入りの白いシーツは、二人の汗が混ざりあい、湿っていて気持ち悪さに鳥肌がたった。
これを洗濯して使う気になどなれなかった。

涙を拭き、化粧を直し何事もなかったかのように営業先へ出向いたが、いつものペースがつかめず、先程のことを思い出してしまい、集中ができずにあっさりと商談を断られた。
おまけに私の態度が気に食わないと、会社に怒りの電話が来たそうで、上司たちには散々怒られた。

説教部屋から戻ると、私をフォローしてくれる人もいれば、「ざまあみろ」と目を向ける事務の女子社員の5人くらいのグループがいる。
仕事をしにきているのか、男を探しにきているのか、営業と違い事務は身だしなみにうるさくないため、髪色は明るく、爪は毎月ジェルネイルをしにサロンへ通い、服装も胸元を強調し、ミニスカートを履いている。

常に集団で行動し、昼はおしゃれなランチをSNSにアップして、夜は様々な業種の男たちと合コン三昧。
エステに、海外旅行。キラキラ生活を送ることがステータス。

そんな彼女たちから執拗にランチや、合コンに誘われていたのだが断り続けていたら「ノリが悪い」と嫌われてしまったのだ。
そのため、事務がやるべき仕事を琴音に押し付けてきたり、変な噂を流されたりもした。

お昼休みは、自分で作った弁当を屋上で食べるのが好きだし、祥と付き合っていたから合コンも無理だった。
普段は、そんな視線も気にならないのに、どうしてか今日ばかりは人の目が気になってしまう。


ずっと、自分のことを好きだと思っていた人に裏切られたこと。

あの女との行為の後に、強引に襲われそうになったこと。

それが仕事に影響して、ミスをして怒られたこと。

祥のことを本当は、愛していない自分に気がついてしまったこと。

化粧が濃いJKに負けたこと。

「マグロ」だと言われたこと・・・・


あたりは、暗くなり残業でやるべき仕事が残り少なくなり、昼間のフラッシュバックに、家に帰る気が失せた。

ああ、布団も買わなくちゃ・・・
でも、こんな時間に気軽に誘って、自分のためにきてくれるような友達はいない。
これが一人で田舎を飛び出した私の末路。

東京は孤独だ。

家族に自分の彼氏が自分の部屋に他の女を連れ込んでセックスをしていたなんて口が裂けても言えない。
同じ部署の営業は皆男で腹を割って話しなんてできない。

計り知れない寂しさが不安になる。

気分転換をしようと、自動販売機で飲み物を買おうとした時に、ふと言われた言葉が頭をよぎる。

「マグロ・・・・」
私は、無意識に呟きため息をついた。

「そんなにマグロ食べたいの?」
後ろから、笑いながら声をかけて来たのは、新しい課長だった。
私は、恥ずかしくなって思わず口を押さえた。

朝、初めて見たときも、さっきの説教のときも無愛想でクールな人だと思っていたが笑顔を見せたことに驚いた。
笑った時に細くなった目に、思わず見とれてしまった。

「ごめん。笑っちゃって・・・今日は、大変だったね。」

課長は、さりげなく私の買おうとしていたココアを押して、「奢りだよ。飲みなよ。」と差し出した。
ここまでの動作があまりに自然で今まで年下の男(気が使えない・自分勝手・わがまま)としか行動をともにしていなかったため、思わず感動していた。

お礼を言うと、課長はブラックコーヒーを押した。
ふと考えれば祥がコーヒーを飲んでいるところなど見たことがなかった。
いつも炭酸か、砂糖の入った甘い紅茶かお酒だった。
ブラックコーヒーを飲む姿に「大人の色気」を感じて、思わずじっとその横顔を見つめてしまった。

私の視線を感じ、課長が視線を落とし目があうと私はすぐに視線をそらし、謝罪をしなければと我に返った。

「今日は、本当にすみませんでした。」
私は、課長に向かって頭を下げた。


「しょうがないって。相手との相性もあるんだから、また次から頑張ればいいじゃん。それに、部長も君に何もヒアリングせずに怒りすぎだったと思うよ。フォローしてあげられなくてごめんね。俺、今日配属されたばっかりでなんもわかんなくて何も言えなかった。それに君がそんなにやる気のない社員だなんて聞いてないからさ。残業はありがたいけど、今日は早めに帰って休みなよ。あ、マグロそんなに食べたいなら連れっててあげるよ。」

どうしてこんなにも優しい言葉がかけられるのだろう。

さっきまで怒りでモヤモヤしていたのに、悔しさと悲しさが涙に変わっていく。

私の涙を見た課長は、慌てて自分のハンカチをポケットから出して、私のあごを自然に持ちハンカチで涙を拭いた。

ハンカチからは、洗剤のいい匂いがして、あごに触れた手が大きくて温かい。
ここまでを自然にできてしまう男はきっと何人の女を落としているに違いないと警戒しながらも、このまま抱きしめられたいと思ってしまう自分がいた。

「ちょっとちょっと大丈夫?」

少し慌てている課長に対して私は、ただただ謝るのだが涙が止まらない。
こんな風に誰かに優しくされたのが久しぶりだったから。

「課長、ハンカチありがとうございました。洗って返しますね。続きの仕事あるので戻ります。」

私は、涙を拭き取って何事もなかったように、作り笑顔で笑った。

もう、男には騙されない。
しばらくは仕事だけを頑張ろう。そう心の中で誓ったのだ。

もっとかわいい女の子なら、ここでもう少し泣いて、甘えるんだろう。
でも、私にはそれができなかった。
なんでも私に頼り切るアイツと付き合う中で、どんどん逞しくなってしまい、強くなろう強くなろうと自分に言い聞かせて、甘え方も忘れてしまった。


もっと上手に甘えられていたら、こんなことにはならなかったのかな?
セックスも、嫌なら断ればよかったのかもしれない。
何か改善策があったかもしれない。


行き場のない思いをぐるぐるさせながら、仕事を片付けて一人夜道を歩いた。

付き合っていた頃は、まっすぐ帰った。帰りが遅ければ何度も連絡が来たが、今は来ない。
何時に帰っても誰も文句言わない。無理に、体を求められることもない。
好きなものを食べて、好きなものを飲んで、好きな場所に寄り道して、好きな時間に帰ればいい。
意を決して一人でバーに入り、飲みなれていない強いお酒を流し込んだ。


私は、この日完全に調子に乗っていた。

(どうにでもなってしまえ!!もう全部忘れてやる。)

ただ、その気持ちだけだった。



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