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探偵に趣味はない

探偵に趣味はない 第四話

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室内は、綺麗に整頓されていた。床にもテーブルの上にも埃すらない。キッチンは、きちんと整理されていて、冷蔵庫の中まで空っぽだ。警察の捜査は終わっていると見える。
水樹は、リビングを見回してみた。大きなテレビ、それが収納されている棚の上にルイ・ナカムラと思しき人と、彼の友人らしき人を写した写真がある。水樹はそれに顔を寄せた。
写っているのが全員男性なので、どれがルイ・ナカムラかは分からないが、ケーキの上に、二十五という形の蝋燭が乗っていて、そのケーキを持っている人物の周りにいる人たちも皆同年代に見えることから、誰がルイ・ナカムラであっても、年齢は二十五歳程度だろう。また、その写真の右下の日付が昨年のものだ。或いは、この写真にルイ・ナカムラがおらず、親しい友達のものだとしても、そんなに年の離れた友人とは考えにくいから、やはりルイ・ナカムラは二十五、六と考えられる。黒いソファ、本棚、パソコンデスク。そして、ベッド。死体があった場所。マンションの外観から想像するより、高級そうな家具だ。
「何か、手がかりになるようなものはありますかね」
理人は、早速ルイ・ナカムラのパソコンの電源を入れる。コンピューターが一番得意なのは彼だ。陽希は、ソファに座ってスマホを弄っている。
「陽希。貴方は何をしているのです」
「ん? ルイ・ナカムラが死んだってニュース、改めて見てた」
「……そうですか」
「悲しいなー。ほんと。水樹ちゃんは、何してるの」
「……この部屋について調べています。現場には情報がたくさんありますから」
「へぇ」
陽希は、それ以上何も言わずに、スマホをいじっている。
「……理人。これは」
「はい」
水樹は、あることに気づいた。
「ルイ・ナカムラの書きかけの小説が、残っています」
「次回の更新用でしょうか。ええと、確か、今回の小説は……どんなあらすじだったのでしたっけ?」
「『僕の幼馴染が、僕に恋をした』」
陽希の声が飛ぶ。彼はスマホからようやく顔を上げ、
「小学生の子が親に殺されるって話……ルイ・ナカムラにしては珍しく、過激な筆致でさ。で、小学生の子は、主人公の男の子に、ずっと片思いしていて。でも主人公は鈍感だから、気づかないんだよ。その間に、小学生の子は、親に殺害され……あ、いや、殺害されるところまでは、アップされなかったんだけど。いかにもそれっぽいストーリー展開ではあった」
「殺害するところまでは、書いていたのでしょうか」
「データを探してみてくれる?」
陽希は、目を伏せて呟く。理人は、眉を寄せて水樹を見た。水樹は、その視線を受け止める。理人は、もう一度、ルイ・ナカムラのパソコンを見詰めた。スクロールは、とても速い。
「ええ、そのような展開になっています。此処にデータがあるということは、そうなるはずのお話だったのでしょうね。でも、どうして、殺されてしまったのでしょう、ルイ・ナカムラは」
「分かりません。今はまだ」
「……陽希。貴方は、どう思っていますか」
陽希は、顔を上げた。
「俺は……考えたくないけど、これが実際の事件、ルイ・ナカムラの身に関わる事件だったんじゃねぇかって、思ってるんだ……うん……だから、ルイ・ナカムラは、その小説をアップして、殺された」
陽希の表情が曇っていく。水樹は、理人の横顔を見る。理人もまた、難しい顔で画面を見ていた。
「殺されたのなら、犯人がいるわけですが、そう考えると、小説の中のこの小学生を殺した関係者……かもしれません」
陽希は、黙り込んでしまう。なんだか泣きそうになっている。
「どちらにせよ、私達が今、すべきことは、ルイ・ナカムラの身の回りを調べることです。陽希も、手伝ってくれますよね」
「……もちろん」
理人は、陽希を見て微笑む。それから、水樹の方を向いて言った。
「水樹。貴方は引き続き、ルイ・ナカムラのパソコンのデータを調べてください。私は、他の場所を探します」

***

ルイ・ナカムラの自宅の捜索は終わった。分かったのは、ルイ・ナカムラという人間が、充分以上に稼いでいたのに、何故か引っ越そうとはしていなかったこと、そして、一冊のノートに日記を残していたことだ。
帰りの車中、水樹と陽希は運転を理人に任せて、後部座席に乗り、そのノートを開いた。ノートには、几帳面な字で、ルイ・ナカムラの素直な感情が綴られていた。
序盤は、ネット小説家として徐々に人気になっていくことへの喜びや、SNSに載せるほどでもない日々の出来事などが書かれている。しかし、中盤から、内容から不安定さが滲むようになってくる。
水樹は、それらの中の印象深い文章を、いくらか読み上げた。
「あの過去の事実が僕をずっと苛んでいる」
「罪を償うことは出来ないのか」
「ここに住んでいることがあの人にばれたらどうなるのだろう」
 その一方で、何らかの意を決したような記述がある。
「僕がどうなっても、僕はこの事実を公表する」
「小説と言う形であれば他人に迷惑を掛けることはないだろう」
そして、いよいよ終盤になると、具体的な精神的の不安定の理由について記載されていた。水樹は一度息を呑み、それから静かに朗読を続ける。
「『僕は中学生のころ親友と共に訪れた、あの別荘で、あの日、親友が彼女を犯しているのを見てしまった。ひどい熱帯夜で、皮膚を打ち合う、粘り気のある音が忘れられない。僕はあくまで見ていただけだ。だが、其処が問題だ。見て見ぬふりをした僕は同罪と言える。そのせいで、彼女は精神を病み、親と揉めた挙句、親に理由すら言えないままに、親が彼女を突き飛ばした拍子に死んでしまった。その悲しみは想像を絶する』……つまり、ルイ・ナカムラは、とある性的暴行の光景を目撃し、性暴力を行った犯人に拠って、口封じで殺されたということでしょうか」
「その話、今はやめて」
 顔を上げると、陽希が恐ろしい形相になっていた。
次の瞬間だった。陽希に表情の意味を問う暇もなく、わずかに車が揺れ、前の座席の背もたれに、水樹は捕まった。陽希はもう、前の座席の間に顔を出し、手を伸ばしていた。ハッとなって運転席を見ると、理人が胸を押さえて、顔を青くしていた。「人の顔が青くなる」なんて表現は嘘だろうと水樹は思っていたのだが、実際に青かった。と言っても、この瞬間、現実的に、そんなことを考えている余裕はなかったが。陽希がハンドルを持って運転を立て直すとともに、ひと様を巻き込まないように、車を道の脇に寄せた。
嘔吐反射を繰り返しながら、ハンドルに寄り掛かって苦しんでいる理人を、後部座席から見て、水樹は暫く動揺のあまり、何もできなかった。陽希が手を握り、少しだけ落ち着いてきたころに、ようやく救急車を呼んだくらいだ。救急車には、陽希が乗り込んだ。水樹の不自由な足で歩いて帰るには事務所は遠く、タクシーを呼んで帰った。
タクシーの中でも殆ど放心状態。事務所に戻ってからも、ソファに座って、時計の針の音を聞くばかりで、何も手につかなかった。勿論、車が間もなく事故を起こしそうだった恐怖のせいもあるが、普段ちょっと嫌味でありながら落ち着いている理人が、急にあんな不調になったことがショックだった。
「ただいまぁー」
陽希が、自宅みたいに帰ってきて、目が覚めたような気になる。時計を見ると、事務所が閉まる定時よりずっと夜が更けていた。
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