1 / 5
プロローグ(1)
しおりを挟む
北千住駅から徒歩五分。河川敷に臨んだ道を通った途中に、新しいマンションが建つ。
『緑に囲まれた場所で新しい生活を始めませんか?都心からわずか二十分の憩いの場です』
マンションのポスターに書かれている通り、周りには緑が多い。
だからといって、住みにくいことは全くない。近くにはスーパーもコンビニも学校も病院もある。程よく田舎。その言葉が一番合う。
飛鳥は、きょうから始まるモデルルーム展覧会の接客係に選ばれた。
モデルルームは、マンション建設予定地と駅のちょうど交わったところにある。だから、駅からの距離は実際の距離と同じになる。お客様に実感してもらうために、あえてそこに建てていた。
モデルルーム開始時刻は朝九時。飛鳥は、時計を見た。いま八時半だった。お客様を迎える準備は整っていた。
よし、と飛鳥は女子トイレに向かった。
鏡の前で笑顔を作る。口角を上げるマッサージをして、きょう一日がんばろう、と気合をいれる。
ネットの普及が進んで、直接店舗に向かわなくても自宅でなんでも購入できる時代になった。飛鳥も、食料品以外の日用品は、ほぼネットに頼りきっている。よく利用するのは、洋服の購入だ。お店に行って試着して買うことがなくなった。
以前は足が疲れるまでファッションフロアを歩き回って、欲しい服を探していたが、ネットだと寝ながらでもいろんなサイトをはしごして、気になる服があればボタン一つで購入できる。消耗品だし、高い買い物じゃないからと軽い気持ちだ。
それに、もし、サイズが合わなかったり、イメージと異なる商品が来ても、フリマアプリで簡単にネットに出品できる。飛鳥は、そのアプリもヘビーユーザーだった。
でも、家は違う。実際に目で見て、肌で感じて、実際に暮らすイメージを湧かせて、お客さんの納得が得られて購入になる。
人生で何度もない高額な買い物だし、気に入らないからとフリーマーケットできるわけじゃない。
お客さんに満足してもらって、住みたいと思わせるためには、飛鳥のようなハウスメーカーの営業の力も大事になる。
今回は、スーツを新調した。先週、三十三歳の誕生日を迎えた。密かな自分へのプレゼントとして購入した。ライトグレーのパンツスーツで、オーダーメイドだ。スーツだけは、店舗に赴いてきちんとサイズを測ってもらう。家を購入するときの感覚と似ている気がする。
腕時計を見た。カルティエの時計。ブラックの革ベルトに長方形の羅針盤で十二、三、六、九は数字の代わりに宝石が埋められている。一昨年、いまの部署に移動したときに購入した。
時間は八時四十分をまわった。もうすぐ、ミーティングが始まる。
最後にもう一度鏡を見て、トイレを出た。
ちょうど先輩の早乙女慎也と出くわした。
「おう、瀬戸内、いいスーツ着てるね。気合い入ってんじゃん」
「ありがとうございます。おニューなんです。それより、なんで、早乙女さんがいらっしゃるんですか」
飛鳥は記憶を辿る。慎也は、今回選ばれていなかったはずだ。
「瀬戸内、初めてのチーフだろ?初日だけ面倒見てやれって課長からのお達しがあってさ。それにしても、チーフを任されるなんて、成長したなあ」
慎也が、子どもの成長を見るような目つきで言った。途端に、気恥ずかしくなる。
「その節は、お世話になりました。もー、早乙女さん、事務所へ行きますよ」
慎也の顔を直視できず、俯き加減に歩き出した。「なんだよ、褒めてんだよ」と言った慎也の声は笑っていた。ニヤついた顔が想像できる。
からかわれるのは、得意じゃない。でも、不思議と慎也からだったら嫌じゃなかった。
飛鳥は、足早に進みながら、自分でも成長したなあ、と感じていた。思わず苦笑いがこぼれる。
つい三年前まで、飛鳥はお客さんのことなんて一切考えていない営業だった。
『緑に囲まれた場所で新しい生活を始めませんか?都心からわずか二十分の憩いの場です』
マンションのポスターに書かれている通り、周りには緑が多い。
だからといって、住みにくいことは全くない。近くにはスーパーもコンビニも学校も病院もある。程よく田舎。その言葉が一番合う。
飛鳥は、きょうから始まるモデルルーム展覧会の接客係に選ばれた。
モデルルームは、マンション建設予定地と駅のちょうど交わったところにある。だから、駅からの距離は実際の距離と同じになる。お客様に実感してもらうために、あえてそこに建てていた。
モデルルーム開始時刻は朝九時。飛鳥は、時計を見た。いま八時半だった。お客様を迎える準備は整っていた。
よし、と飛鳥は女子トイレに向かった。
鏡の前で笑顔を作る。口角を上げるマッサージをして、きょう一日がんばろう、と気合をいれる。
ネットの普及が進んで、直接店舗に向かわなくても自宅でなんでも購入できる時代になった。飛鳥も、食料品以外の日用品は、ほぼネットに頼りきっている。よく利用するのは、洋服の購入だ。お店に行って試着して買うことがなくなった。
以前は足が疲れるまでファッションフロアを歩き回って、欲しい服を探していたが、ネットだと寝ながらでもいろんなサイトをはしごして、気になる服があればボタン一つで購入できる。消耗品だし、高い買い物じゃないからと軽い気持ちだ。
それに、もし、サイズが合わなかったり、イメージと異なる商品が来ても、フリマアプリで簡単にネットに出品できる。飛鳥は、そのアプリもヘビーユーザーだった。
でも、家は違う。実際に目で見て、肌で感じて、実際に暮らすイメージを湧かせて、お客さんの納得が得られて購入になる。
人生で何度もない高額な買い物だし、気に入らないからとフリーマーケットできるわけじゃない。
お客さんに満足してもらって、住みたいと思わせるためには、飛鳥のようなハウスメーカーの営業の力も大事になる。
今回は、スーツを新調した。先週、三十三歳の誕生日を迎えた。密かな自分へのプレゼントとして購入した。ライトグレーのパンツスーツで、オーダーメイドだ。スーツだけは、店舗に赴いてきちんとサイズを測ってもらう。家を購入するときの感覚と似ている気がする。
腕時計を見た。カルティエの時計。ブラックの革ベルトに長方形の羅針盤で十二、三、六、九は数字の代わりに宝石が埋められている。一昨年、いまの部署に移動したときに購入した。
時間は八時四十分をまわった。もうすぐ、ミーティングが始まる。
最後にもう一度鏡を見て、トイレを出た。
ちょうど先輩の早乙女慎也と出くわした。
「おう、瀬戸内、いいスーツ着てるね。気合い入ってんじゃん」
「ありがとうございます。おニューなんです。それより、なんで、早乙女さんがいらっしゃるんですか」
飛鳥は記憶を辿る。慎也は、今回選ばれていなかったはずだ。
「瀬戸内、初めてのチーフだろ?初日だけ面倒見てやれって課長からのお達しがあってさ。それにしても、チーフを任されるなんて、成長したなあ」
慎也が、子どもの成長を見るような目つきで言った。途端に、気恥ずかしくなる。
「その節は、お世話になりました。もー、早乙女さん、事務所へ行きますよ」
慎也の顔を直視できず、俯き加減に歩き出した。「なんだよ、褒めてんだよ」と言った慎也の声は笑っていた。ニヤついた顔が想像できる。
からかわれるのは、得意じゃない。でも、不思議と慎也からだったら嫌じゃなかった。
飛鳥は、足早に進みながら、自分でも成長したなあ、と感じていた。思わず苦笑いがこぼれる。
つい三年前まで、飛鳥はお客さんのことなんて一切考えていない営業だった。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる