5 / 27
第四話「想定外のヒーロー」
しおりを挟む
王宮で、隣国の王子の誕生を祝う盛大な祝賀会が開かれた。きらびやかなシャンデリアが広間を照らし、着飾った貴族たちの楽しげな声が、オーケストラの優雅な演奏と混じり合っている。
ルキウスは、そんな華やかな輪から少し離れた壁際に立ち、目立たないように息を潜めていた。彼の目的はただ一つ、ゲームの強制イベントを回避することだ。
今夜は、ゲームで最初の断罪フラグが立つ重要な日。シナリオでは、この祝賀会でルキウスが聖女セリアと初めて遭遇し、彼女の出自をなじり、わざとワインをかけて恥をかかせる。その場面を王太子アレクシスに目撃され、彼の軽蔑を決定的なものにしてしまうのだ。
(絶対にセリアには近づかない。目も合わせない)
ルキウスは、グラスの中のフルーツジュースをちびちびと飲みながら、聖女セリアの姿を探した。ゲームのヒロインである彼女は、平民出身ながらその聖なる力を見出され、神殿に保護されている。今夜のような場には不慣れなはずだ。
人混みの中に、すぐに彼女は見つかった。質素だが清潔な神官服に身を包んだ、栗色の髪の可憐な少女。一人、どうしていいか分からずに、おろおろと立ち尽くしている。その姿は、いかにも庇護欲をそそるものだった。
ルキウスは、彼女から最も遠い場所へと、そっと移動する。関わらなければ、何も起こらない。そう信じていた。
しかし、運命とは皮肉なものだ。
ルキウスが目を離した一瞬、一人の太った貴族が、よろめきながらセリアのすぐそばを通りかかった。男の手には、なみなみと注がれた赤ワインのグラス。
(まずい!)
ルキウスがそう思った時には、すでに遅かった。男の体が大きく傾ぎ、その手からグラスが滑り落ちる。その先には、何も知らずに立ち尽くすセリアがいる。ゲームのシナリオが、別の形で再現されようとしていた。
ここでセリアがワインを浴びれば、たとえルキウスのせいではなくても、周りの貴族たちは「悪役令息の婚約者がいる前で、聖女が恥をかかされた」と面白おかしく噂を立てるだろう。それは、結局アレクシスの耳にも入るに違いない。
考えるより先に、体が動いていた。
「危ない!」
ルキウスは、人混みをかき分け、セリアの前に飛び出した。どん、と鈍い衝撃。生温かい液体が、彼の着ていた純白の礼服にぶちまけられる。鮮やかな赤ワインが、まるで血痕のように白い生地に滲んでいく。
「きゃっ!」
セリアが、小さな悲鳴を上げた。何が起こったのか分からず、目を丸くしている。
ワインをこぼした貴族は、相手がエアハルト辺境伯家の次期当主だと気づくと、さっと顔を青くした。
「も、申し訳ございません、ルキウス様!」
周囲の注目が一斉に集まる。ざわめきが波のように広がっていく。ゲームのシナリオとは違う。だが、これではどちらにせよ目立ってしまう。
最悪だ、とルキウスが舌打ちしかけた、その時。
「みっともない真似はよせ」
凛とした、氷のように冷たい声が響いた。その声に、場のすべての人間が動きを止め、凍りつく。声の主は、王太子アレクシスだった。
彼は、いつの間に現れたのか、ルキウスのすぐそばに立っていた。そのサファイアの瞳は、ワインをこぼした貴族を射抜くように見据えている。
「祝賀の場で騒ぎを起こすとは、見苦しい。下がりなさい」
「は、はひっ!」
貴族は、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去った。
アレクシスは、次にセリアへと視線を移した。セリアは、王太子の威圧感に怯え、小さく身をすくませる。しかし、アレクシスの視線はすぐに彼女から外れ、隣に立つルキウスへと向けられた。
ルキウスは、これから浴びせられるであろう軽蔑の言葉を覚悟し、ぐっと身構えた。
だが、アレクシスの口から出たのは、予想とはまったく違うものだった。
彼は無言で、自身の胸ポケットから純白のハンカチを取り出すと、それをルキウスに差し出したのだ。
「……え?」
ルキウスは、呆然とアレクシスを見上げた。アレクシスの表情は、相変わらず能面のように変わらない。しかし、その蒼い瞳の奥に、ほんのわずかだが、今までとは違う色が宿っているように見えた。
「……ありがとうございます、殿下」
ルキウスは、夢遊病者のようにそのハンカチを受け取った。滑らかなシルクの生地には、かすかにアレクシスのものと思われる、清涼な香りがした。
アレクシスは、それ以上何も言わず、再び背を向けて人混みの中へと消えていく。
残されたルキウスは、ワインで汚れた礼服と、手の中にある真っ白なハンカチを、ただ交互に見つめることしかできなかった。
断罪フラグは、回避できたのだろうか。それとも、新たなフラグが立ってしまったのだろうか。
確かなことは、一つだけ。
氷のように冷たいと思っていた婚約者の、ほんのわずかな優しさに、ルキ...きうすの心は、自分でも気づかないうちに、小さく揺れ動いていた。
ルキウスは、そんな華やかな輪から少し離れた壁際に立ち、目立たないように息を潜めていた。彼の目的はただ一つ、ゲームの強制イベントを回避することだ。
今夜は、ゲームで最初の断罪フラグが立つ重要な日。シナリオでは、この祝賀会でルキウスが聖女セリアと初めて遭遇し、彼女の出自をなじり、わざとワインをかけて恥をかかせる。その場面を王太子アレクシスに目撃され、彼の軽蔑を決定的なものにしてしまうのだ。
(絶対にセリアには近づかない。目も合わせない)
ルキウスは、グラスの中のフルーツジュースをちびちびと飲みながら、聖女セリアの姿を探した。ゲームのヒロインである彼女は、平民出身ながらその聖なる力を見出され、神殿に保護されている。今夜のような場には不慣れなはずだ。
人混みの中に、すぐに彼女は見つかった。質素だが清潔な神官服に身を包んだ、栗色の髪の可憐な少女。一人、どうしていいか分からずに、おろおろと立ち尽くしている。その姿は、いかにも庇護欲をそそるものだった。
ルキウスは、彼女から最も遠い場所へと、そっと移動する。関わらなければ、何も起こらない。そう信じていた。
しかし、運命とは皮肉なものだ。
ルキウスが目を離した一瞬、一人の太った貴族が、よろめきながらセリアのすぐそばを通りかかった。男の手には、なみなみと注がれた赤ワインのグラス。
(まずい!)
ルキウスがそう思った時には、すでに遅かった。男の体が大きく傾ぎ、その手からグラスが滑り落ちる。その先には、何も知らずに立ち尽くすセリアがいる。ゲームのシナリオが、別の形で再現されようとしていた。
ここでセリアがワインを浴びれば、たとえルキウスのせいではなくても、周りの貴族たちは「悪役令息の婚約者がいる前で、聖女が恥をかかされた」と面白おかしく噂を立てるだろう。それは、結局アレクシスの耳にも入るに違いない。
考えるより先に、体が動いていた。
「危ない!」
ルキウスは、人混みをかき分け、セリアの前に飛び出した。どん、と鈍い衝撃。生温かい液体が、彼の着ていた純白の礼服にぶちまけられる。鮮やかな赤ワインが、まるで血痕のように白い生地に滲んでいく。
「きゃっ!」
セリアが、小さな悲鳴を上げた。何が起こったのか分からず、目を丸くしている。
ワインをこぼした貴族は、相手がエアハルト辺境伯家の次期当主だと気づくと、さっと顔を青くした。
「も、申し訳ございません、ルキウス様!」
周囲の注目が一斉に集まる。ざわめきが波のように広がっていく。ゲームのシナリオとは違う。だが、これではどちらにせよ目立ってしまう。
最悪だ、とルキウスが舌打ちしかけた、その時。
「みっともない真似はよせ」
凛とした、氷のように冷たい声が響いた。その声に、場のすべての人間が動きを止め、凍りつく。声の主は、王太子アレクシスだった。
彼は、いつの間に現れたのか、ルキウスのすぐそばに立っていた。そのサファイアの瞳は、ワインをこぼした貴族を射抜くように見据えている。
「祝賀の場で騒ぎを起こすとは、見苦しい。下がりなさい」
「は、はひっ!」
貴族は、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去った。
アレクシスは、次にセリアへと視線を移した。セリアは、王太子の威圧感に怯え、小さく身をすくませる。しかし、アレクシスの視線はすぐに彼女から外れ、隣に立つルキウスへと向けられた。
ルキウスは、これから浴びせられるであろう軽蔑の言葉を覚悟し、ぐっと身構えた。
だが、アレクシスの口から出たのは、予想とはまったく違うものだった。
彼は無言で、自身の胸ポケットから純白のハンカチを取り出すと、それをルキウスに差し出したのだ。
「……え?」
ルキウスは、呆然とアレクシスを見上げた。アレクシスの表情は、相変わらず能面のように変わらない。しかし、その蒼い瞳の奥に、ほんのわずかだが、今までとは違う色が宿っているように見えた。
「……ありがとうございます、殿下」
ルキウスは、夢遊病者のようにそのハンカチを受け取った。滑らかなシルクの生地には、かすかにアレクシスのものと思われる、清涼な香りがした。
アレクシスは、それ以上何も言わず、再び背を向けて人混みの中へと消えていく。
残されたルキウスは、ワインで汚れた礼服と、手の中にある真っ白なハンカチを、ただ交互に見つめることしかできなかった。
断罪フラグは、回避できたのだろうか。それとも、新たなフラグが立ってしまったのだろうか。
確かなことは、一つだけ。
氷のように冷たいと思っていた婚約者の、ほんのわずかな優しさに、ルキ...きうすの心は、自分でも気づかないうちに、小さく揺れ動いていた。
163
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
本当に悪役なんですか?
メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。
状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて…
ムーンライトノベルズ にも掲載中です。
【完結】悪役に転生したので、皇太子を推して生き延びる
ざっしゅ
BL
気づけば、男の婚約者がいる悪役として転生してしまったソウタ。
この小説は、主人公である皇太子ルースが、悪役たちの陰謀によって記憶を失い、最終的に復讐を遂げるという残酷な物語だった。ソウタは、自分の命を守るため、原作の悪役としての行動を改め、記憶を失ったルースを友人として大切にする。
ソウタの献身的な行動は周囲に「ルースへの深い愛」だと噂され、ルース自身もその噂に満更でもない様子を見せ始める。
呪われた辺境伯は、異世界転生者を手放さない
波崎 亨璃
BL
ーーー呪われた辺境伯に捕まったのは、俺の方だった。
異世界に迷い込んだ駆真は「呪われた辺境伯」と呼ばれるレオニスの領地に落ちてしまう。
強すぎる魔力のせいで、人を近づけることができないレオニス。
彼に触れれば衰弱し、最悪の場合、命を落とす。
しかしカルマだけはなぜかその影響を一切受けなかった。その事実に気づいたレオニスは次第にカルマを手放さなくなっていく。
「俺に触れられるのは、お前だけだ」
呪いよりも重い執着と孤独から始まる、救済BL。
となります。
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
聖女召喚の巻き添えで喚ばれた「オマケ」の男子高校生ですが、魔王様の「抱き枕」として重宝されています
八百屋 成美
BL
聖女召喚に巻き込まれて異世界に来た主人公。聖女は優遇されるが、魔力のない主人公は城から追い出され、魔の森へ捨てられる。
そこで出会ったのは、強大な魔力ゆえに不眠症に悩む魔王。なぜか主人公の「匂い」や「体温」だけが魔王を安眠させることができると判明し、魔王城で「生きた抱き枕」として飼われることになる。
【完結】双子の兄が主人公で、困る
* ゆるゆ
BL
『きらきら男は僕のモノ』公言する、ぴんくの髪の主人公な兄のせいで、見た目はそっくりだが質実剛健、ちいさなことからコツコツとな双子の弟が、兄のとばっちりで断罪されかけたり、 悪役令息からいじわるされたり 、逆ハーレムになりかけたりとか、ほんとに困る──! 伴侶(予定)いるので。……って思ってたのに……!
ルティとトトの動画を作りました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
本編、両親にごあいさつ編、完結しました!
おまけのお話を、時々更新しています。
本編以外はぜんぶ、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】悪役令息の従者に転職しました
* ゆるゆ
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
透夜×ロロァのお話です。
本編完結、『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編、完結しました!
時々おまけを更新するかもです。
『悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?』のカイの師匠も
『悪役令息の伴侶(予定)に転生しました』のトマの師匠も、このお話の主人公、透夜です!(笑)
大陸中に、かっこいー激つよ従僕たちを輸出して、悪役令息たちをたすける透夜(笑)
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる