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第4話「皇帝陛下のための、秘密の夜食」
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政務、政務、また政務。皇帝アレスの毎日は山のように積まれた書類と終わりのない会議で埋め尽くされていた。俺がこの城に来てから、彼がゆっくりと食事をとっている姿をほとんど見たことがない。側近が盆を運んできても書類から目を離さずにスープを数口すするだけ。時にはそれすらも忘れ、食事に全く手を付けないまま夜更けを迎えることも珍しくなかった。
その姿を見るたびに俺の胸はちくりと痛んだ。あの冷たい瞳の奥に深い疲労の色が浮かんでいるのが分かる。このままではいつか倒れてしまうのではないか。
聖獣グリフォンの体調はすっかり回復した。今では俺が作った料理を毎日楽しみに待ってくれている。でもこの城で本当に食事を必要としているのは、もしかしたらアレス様の方なのかもしれない。
いてもたってもいられなくなった俺は、ある夜、決意を固めた。
人々が寝静まった深夜、俺はこっそりと厨房へと忍び込んだ。昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。月の光だけが磨かれた調理台をぼんやりと照らしていた。
アレス様のために何か作ろう。そう思っても何を作ればいいのか悩んだ。豪華な料理はきっと今の彼には負担になるだけだろう。消化が良くて栄養があって、そして少しでも心が安らぐようなもの。
俺が選んだのは温かいミルク粥だった。米を柔らかく煮てたっぷりのミルクでさらに煮込む。味付けはほんの少しの塩と隠し味のシナモン。そしてデザートにはちみつをたっぷりかけた果物のコンポートを添えた。どれも俺が幼い頃、熱を出した時に先生が作ってくれた優しい思い出の味だ。
お盆に乗せて緊張しながら皇帝の執務室へと向かう。この時間に皇帝の私室を訪ねることなど、本来なら許されるはずもない。もし見つかれば厳しく罰せられるだろう。それでも俺の足は止まらなかった。
執務室の扉をおそるおそるノックする。
「誰だ」
中から聞こえてきたのは案の定、不機嫌そうなアレスの声だった。
「……リオです。夜食をお持ちしました」
「必要ない。下がれ」
冷たい拒絶の言葉。分かっていたことだった。それでも俺は引き下がれなかった。
「少しだけでも何か召し上がってください。お疲れでしょうから」
扉の向こうの沈黙がアレスの苛立ちを物語っている。やがて諦めたようなため息が聞こえ、扉がゆっくりと開かれた。
「……しつこい男だ」
呆れたようにつぶやきながらもアレスは俺を中へと招き入れた。部屋の中は無数の書類が山積みになっており、灯されたランプの光が彼のやつれた横顔を映し出す。
俺はローテーブルの上にそっとお盆を置いた。ふわりとミルクとシナモンの甘い香りが広がる。
アレスは最初、迷惑そうに眉をひそめていた。しかし立ち上る湯気の向こうに見える俺の真剣な眼差しと、その優しい料理の香りに何か心を動かされたようだった。
彼は無言のまま椅子に座るとスプーンを手に取り、ためらうように一口、粥を口に運んだ。
その瞬間、アレスの氷のような表情がほんの少しだけ和らいだのが分かった。
彼は驚いたように目をわずかに見開き、そしてまた一口、もう一口とゆっくりと粥を食べ進めていく。張り詰めていた肩の力が抜け、険しい眉間のしわが少しずつ解きほぐされていく。
それはただ空腹を満たすだけの食事ではなかった。俺の心配する気持ちが、優しさが、その温かいミルク粥に溶け込んで彼の心と体をゆっくりと癒していくのが感じられた。
やがて粥も果物もすべて綺麗に食べ終えたアレスが、ぽつりとつぶやいた。
「……美味い」
そのたった一言が俺の胸を温かいもので満たした。心臓がとくんと大きく跳ねる。
「お口に合ってよかったです」
微笑んでそう言うのが精一杯だった。
この日からアレスのために夜食を作ることが、俺と彼の秘密の習慣になった。政務に疲れたアレスが俺の作る素朴な夜食を静かに食べる。会話は少ない。でもその穏やかな時間は、俺たち二人にとってかけがえのない大切なものになっていった。
その姿を見るたびに俺の胸はちくりと痛んだ。あの冷たい瞳の奥に深い疲労の色が浮かんでいるのが分かる。このままではいつか倒れてしまうのではないか。
聖獣グリフォンの体調はすっかり回復した。今では俺が作った料理を毎日楽しみに待ってくれている。でもこの城で本当に食事を必要としているのは、もしかしたらアレス様の方なのかもしれない。
いてもたってもいられなくなった俺は、ある夜、決意を固めた。
人々が寝静まった深夜、俺はこっそりと厨房へと忍び込んだ。昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。月の光だけが磨かれた調理台をぼんやりと照らしていた。
アレス様のために何か作ろう。そう思っても何を作ればいいのか悩んだ。豪華な料理はきっと今の彼には負担になるだけだろう。消化が良くて栄養があって、そして少しでも心が安らぐようなもの。
俺が選んだのは温かいミルク粥だった。米を柔らかく煮てたっぷりのミルクでさらに煮込む。味付けはほんの少しの塩と隠し味のシナモン。そしてデザートにはちみつをたっぷりかけた果物のコンポートを添えた。どれも俺が幼い頃、熱を出した時に先生が作ってくれた優しい思い出の味だ。
お盆に乗せて緊張しながら皇帝の執務室へと向かう。この時間に皇帝の私室を訪ねることなど、本来なら許されるはずもない。もし見つかれば厳しく罰せられるだろう。それでも俺の足は止まらなかった。
執務室の扉をおそるおそるノックする。
「誰だ」
中から聞こえてきたのは案の定、不機嫌そうなアレスの声だった。
「……リオです。夜食をお持ちしました」
「必要ない。下がれ」
冷たい拒絶の言葉。分かっていたことだった。それでも俺は引き下がれなかった。
「少しだけでも何か召し上がってください。お疲れでしょうから」
扉の向こうの沈黙がアレスの苛立ちを物語っている。やがて諦めたようなため息が聞こえ、扉がゆっくりと開かれた。
「……しつこい男だ」
呆れたようにつぶやきながらもアレスは俺を中へと招き入れた。部屋の中は無数の書類が山積みになっており、灯されたランプの光が彼のやつれた横顔を映し出す。
俺はローテーブルの上にそっとお盆を置いた。ふわりとミルクとシナモンの甘い香りが広がる。
アレスは最初、迷惑そうに眉をひそめていた。しかし立ち上る湯気の向こうに見える俺の真剣な眼差しと、その優しい料理の香りに何か心を動かされたようだった。
彼は無言のまま椅子に座るとスプーンを手に取り、ためらうように一口、粥を口に運んだ。
その瞬間、アレスの氷のような表情がほんの少しだけ和らいだのが分かった。
彼は驚いたように目をわずかに見開き、そしてまた一口、もう一口とゆっくりと粥を食べ進めていく。張り詰めていた肩の力が抜け、険しい眉間のしわが少しずつ解きほぐされていく。
それはただ空腹を満たすだけの食事ではなかった。俺の心配する気持ちが、優しさが、その温かいミルク粥に溶け込んで彼の心と体をゆっくりと癒していくのが感じられた。
やがて粥も果物もすべて綺麗に食べ終えたアレスが、ぽつりとつぶやいた。
「……美味い」
そのたった一言が俺の胸を温かいもので満たした。心臓がとくんと大きく跳ねる。
「お口に合ってよかったです」
微笑んでそう言うのが精一杯だった。
この日からアレスのために夜食を作ることが、俺と彼の秘密の習慣になった。政務に疲れたアレスが俺の作る素朴な夜食を静かに食べる。会話は少ない。でもその穏やかな時間は、俺たち二人にとってかけがえのない大切なものになっていった。
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