出来損ないΩと虐げられ追放された僕が、魂香を操る薬師として呪われ騎士団長様を癒し、溺愛されるまで

水凪しおん

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第6話「忍び寄る悪意」

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「木漏れ日の薬瓶」の評判は、その小さな店の佇まいとは裏腹に、王都の中で確かなさざ波を広げ始めていた。
 それは職人街の井戸端会議から、やがては貴族のサロンの噂話へと、人々の口伝えによってゆっくりと、しかし確実に届いていった。
「南地区に、どんな病も癒すという魔法のような薬師がいるらしい」
「店主は、類稀な魂香を持つ、美しいΩの青年だとか」

 その噂は、当然のごとく、二つの場所の耳にも届いていた。
 一つは、王宮の中枢、宮廷薬師たちの長である、バルテルミー薬師長の耳に。
 そしてもう一つは、エリオットが逃げ出してきた生家、グレイフィールド子爵家の耳に。

「街の薬師、だと? 正規の教育も受けず、ギルドの認可もない、ただの素人ではないか」

 宮廷薬師長室。バルテルミーは、部下からの報告を聞き鼻で笑った。
 彼は、代々宮廷薬師を輩出してきた名家のαであり、己の知識と権威に絶対の自信を持っている。そんな彼にとって、エリオットのような存在は自らが築き上げてきた秩序を乱す、不快な雑音でしかなかった。

「しかし、薬師長。その者の作る薬は、実際に驚くほどの効果があると評判でして……」

「黙れ! そんなものは、まじないか何かであろう。由緒正しき薬学を愚弄する、許しがたい行為だ。……少し、調べてみる必要があるな」

 バルテルミーの瞳に、嫉妬と侮蔑の入り混じった冷たい光が宿った。

 時を同じくして、グレイフィールド子爵家の屋敷も激震に見舞われていた。

「あの出来損ないが……Ωだと!?」

 父である子爵の怒声が、屋敷中に響き渡る。

「それも、貴族たちの間で噂になるほどの強力な魂香を持つΩだと申すか! なぜ、洗礼の儀の前に気づかなかったのだ!」

 勘当し、厄介払いしたはずの三男が、とんでもない価値を持つ「商品」だった。その事実に、父と兄たちは悔しさと欲望で顔を歪ませた。

「父上、これは好機です!」

 長兄のギデオンが、卑しい笑みを浮かべて進言する。

「あれを連れ戻し、有力な貴族に嫁がせれば、我が家の地位は安泰。カイゼル騎士団長に睨まれた失点も、十分に挽回できますぞ!」

「うむ……。そうだ、その通りだ。何としても、エリオットを連れ戻せ。あれは、グレイフィールド家の所有物だ。どこぞの馬の骨ともわからぬ者たちに、いいようにされてたまるか」

 こうして、エリオットがようやく手に入れた穏やかな日常に、二つの悪意ある影が、じわりじわりと忍び寄り始めていた。

 最初に異変が起きたのは、薬草の仕入れだった。
 いつも薬草を卸してもらっていた市場の問屋が、突然、取引を断ってきたのだ。

「申し訳ありません、エリオットさん。急に、他のところから大口の注文が入ってしまって、そちらに卸す分がなくなってしまったんです」

 問屋の主人は、明らかに何かを隠すように、目を泳がせながらそう言った。
 エリオットは他の問屋もいくつか回ってみたが、どこも答えは同じだった。まるで示し合わせたかのように、誰も彼に薬草を売ってくれようとしない。

『おかしい……。何かが、起きている』

 不安な気持ちを抱えながら店に戻ると、今度は店の前に数人の男たちがたむろしていた。彼らは店に入ろうとする客を威嚇したり、店の悪口を大声で言いふらしたりしている。

「おい、聞いたかよ。この店の薬には、ヤバい草が入ってるらしいぜ」

「店主も、魂香で客を誑かす、いかがわしいΩだとか」

 根も葉もない、悪質な噂。
 そのせいで、客足はぱったりと途絶えてしまった。

 エリオットは、店の奥でただ震えることしかできなかった。
 誰が、何のために、こんなことを。
 思い当たる節は、ありすぎた。自分を連れ戻そうとする実家だろうか。それとも、自分の存在を快く思わない、どこかの誰かだろうか。

 夜になり、カイゼルがいつものように店を訪れた。
 昼間の出来事で憔悴しきったエリオットの姿を見て、彼はすぐに事態を察した。

「……何があった」

 低い声で尋ねるカイゼルに、エリオットは震える声で、仕入れのことや店の前の嫌がらせのことを話した。
 すべてを聞き終えたカイゼルの魂香が、静かな怒りでぴりぴりと張り詰めるのがわかった。

「……すぐに、私の方で調べさせよう。このような卑劣な真似、誰がやったにせよ許しておくわけにはいかない」

 カイゼルの言葉は心強かった。けれど、エリオットは素直にそれに甘えることができなかった。

『また、誰かに守ってもらうだけなのか』

 実家では、虐げられるだけの無力な存在だった。
 この店を開いて、初めて自分の力で立つことの喜びを知った。この「木漏れ日の薬瓶」は、彼が自分の手で築き上げた、大切な、大切な居場所なのだ。

「いえ、カイゼル様。お気持ちは、とても嬉しいです。ですが……」

 エリオットは、顔を上げた。その瞳には、恐怖の色を押し殺した強い意志の光が灯っていた。

「この問題は、僕自身で解決したいんです」

「エリオット……。だが、相手は君が思うよりも、陰湿で強力な権力を持っているやもしれん」

「それでも、です。ここは、僕の店だから。僕が、僕自身の力で守りたいんです」

 ただ守られるだけのか弱いΩでは、終わりたくない。
 自分の知識と技術で、正々堂々と世間に認めさせたい。
 その強い想いが、エリオットを突き動かしていた。

 カイゼルは、そんなエリオットの覚悟に満ちた瞳を、しばらく黙って見つめていた。
 そして、やがて小さく息をつくと、彼の決意を尊重するように静かにうなずいた。

「……わかった。君の意志を、尊重しよう。だが、約束してくれ。本当に危険が迫った時は、必ず私を頼ると」

「はい。……ありがとうございます、カイゼル様」

 カイゼルが帰った後、エリオットは一人、店のカウンターに座り考え込んでいた。
 どうすれば、自分の力を正当な形で示すことができるだろう。
 悪意ある噂や妨害を、跳ね返すことができるだろう。

 その時、彼の脳裏に一つの記憶が蘇った。
 それは、祖母の部屋で見つけた古い本に書かれていた、ある催しのことだった。

『王都薬師ギルド主催 公式品評会』

 年に一度、王都中の薬師たちが自慢の薬を持ち寄り、その出来栄えを競い合う、最も権威ある大会。
 そこで最高賞を受賞した者は、ギルド公認の最高位薬師として、絶大な名誉と信頼を得ることができる。

『これだ……』

 エリオットの目に、再び光が戻った。
 この品評会に参加し、優勝する。
 それができれば、自分の薬が本物であることを、誰にも文句の言わせない形で証明できる。
 宮廷薬師長だろうと、実家の子爵家だろうと、ギルド公認の薬師に手出しはできなくなるはずだ。

 それは、無謀な挑戦かもしれない。
 けれど、もう、ただ怯えているだけの自分ではいたくなかった。
 守りたい場所がある。そして、隣で支えてくれる人がいる。
 その事実が、エリオットに今まで感じたことのない勇気を与えてくれていた。

 彼は、棚から一番上質な薬草を取り出すと、静かに乳鉢へと向かった。
 品評会まで、あと一週間。
 最高の薬を、作り上げるのだ。
 自分のすべてを懸けて。
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