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第10話「社会的証明の包囲網」
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ギガ・ソリューションズの不正の証拠を掴んだ慎一と理人。だが、理人が予測した通り、ただ証拠を突きつけるだけでは巨大企業の前に握り潰される可能性が高い。必要なのは、自分たちの主張の「正しさ」を裏付けてくれる、社会的なお墨付きだった。
「まず、業界内で影響力のあるキーパーソンを味方につける必要があります」
作戦会議で、理人はそう切り出した。
「キーパーソン?」
「はい。例えば、著名なITジャーナリストや、倫理観の強いことで知られる老舗企業の経営者などです。彼らが我々の主張に賛同してくれれば、それが『社会的証明』となり、他の企業や世論も我々の側に傾きやすくなります」
それは、人脈を何よりも重視してきた慎一の得意分野でもあった。
「なるほどな。そういうことなら、何人か心当たりがあるわ。俺が直接、会いに行って話をしてくる」
「待ってください」
理人は慎一を制した。
「ただお願いに行くだけでは、彼らは動いてくれないでしょう。むしろ、面倒事に巻き込まれるのを嫌って距離を置かれるのが関の山です。ここでも、行動経済学的なアプローチが必要です」
理人が提案したのは、「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」と呼ばれる交渉術だった。
「いきなり『ギガ社の不正を一緒に告発してください』という大きな要求をするのではなく、まずは『データ倫理について、少しだけ専門家としてのご意見を伺えませんか』という、相手が断りにくいごく小さな要求から始めるんです」
「フット・イン・ザ・ドア……ドアに足をかける、か。」
「はい。一度小さな要求を受け入れた相手は、次の要求も断りにくくなるという心理的な一貫性の原理が働きます。そうやって段階的に関係を築き、最終的に我々の目的である協力を取り付けるんです」
さらに、と理人は続けた。
「その際、我々が掴んだ証拠の『すべて』を見せてはいけません。情報の非対称性を利用し、あえて断片的な情報だけを見せることで相手の知的好奇心を刺激し、『もっと知りたい』という気持ちにさせるんです。これを心理学では『ツァイガルニク効果』と呼びます。人は、完了した事柄よりも未完了の事柄の方を強く記憶する傾向があるんです」
慎一は、理人の策略に舌を巻いた。それは、単なる根回しや交渉ではない。人間の心理を巧みに読み解き、相手を意のままに動かす高度な心理戦術だった。
「……君、ほんまに恐ろしい男やな」
慎一が感嘆の声を漏らすと、理人は少し照れたように視線をそらした。
「合理的な手順を踏むだけです」
その日から、慎一と理人の二人三脚による味方作りのための行脚が始まった。慎一が持ち前のコミュニケーション能力で相手の懐に入り込み、理人がロジカルな説明と巧みな情報開示で相手の心を掴む。二人のコンビネーションは、完璧だった。
最初に訪ねたのは、業界でも気骨のあるジャーナリストとして知られる初老の男性だった。慎一はまず世間話から入って相手の警戒心を解き、理人がすっと本題を切り出す。
「実は、最近のデータビジネスの在り方について、先生のご意見を伺いたく……」
フット・イン・ザ・ドアの言葉通り、最初はごく一般的な話題から入った。ジャーナリストは、自身の持論を気持ちよく語り始める。その話が途切れたタイミングで、理人が「例えば」と前置きして、ギガ社の不正を示唆するごく一部のデータを提示した。
「……これは、興味深いデータですね」
ジャーナリストの目の色が変わる。理人の狙い通り、ツァイガルニク効果が働き始めていた。
「もしご興味があれば、さらに詳細なデータもお見せできますが……」
そう言って、理人はあえて言葉を濁す。結局、ジャーナリストの方から「ぜひ、続きを聞かせてほしい」と乗り出してくる形になった。
次に訪ねたのは、IT業界の重鎮とされる大手ソフトウェア会社の創業者だった。彼に対しても、同じ手法でアプローチをかけた。最初は「若手経営者へのアドバイスを」という謙虚な姿勢で近づき、徐々に本題へと引きずり込んでいく。
こうした地道な活動を続けるうち、少しずつ、しかし確実にネクストリープの周りに「包囲網」が形成されていった。ジャーナリストは自身のブログでギガ社のビジネスモデルを批判する記事を書き始め、重鎮経営者は業界団体の会合でデータ倫理の重要性を説き始めた。
彼らは、直接ネクストリープの名前を出すことはなかったが、その言動は明らかにギガ社を牽制し、慎一たちの主張の正当性を補強するものだった。世論は、ゆっくりと、だが確実に動き始めていた。
ある夜、連日の交渉を終えて会社に戻るタクシーの中で、慎一は疲れ切って窓の外を眺めていた。隣に座る理人も、さすがに疲労の色を隠せないでいる。
「……なあ、理人」
「はい」
「ありがとうな。君がおらんと、ここまで来れんかった」
慎一が素直な気持ちを口にすると、理人はふっと笑った。それは、出会ってから初めて見る心からの温かい笑みだった。
「あなたこそ。あなたの、あの不思議な『人を惹きつける力』がなければ、誰も私たちの話に耳を貸してはくれなかったでしょう」
そう言うと、理人はそっと慎一の肩に頭をもたせかけた。突然のことに、慎一の心臓が大きく跳ねる。
「少し……疲れました。少しだけ、このままでいさせてください。」
理人の小さな寝息が聞こえてくる。慎一は、動くこともできず、ただ彼の温もりを感じていた。その華奢な肩には、どれだけの重圧がかかっているのだろう。自分のせいで、彼をこんな戦いに巻き込んでしまった。
守らなければ。この才能を、この純粋な魂を、絶対に。
慎一は、理人の頭を優しく引き寄せ、自分の肩にしっかりと抱き寄せた。タクシーの窓の外を流れる街の光が、二人の影を優しく照らしていた。
包囲網は、完成しつつあった。残るは、最後の一手。公正取引委員会への告発だ。業界の重鎮やジャーナリストという「社会的証明」を得た今、彼らの告発は以前とは比べ物にならない重みを持つはずだ。
最終決戦の日は、刻一刻と近づいていた。
「まず、業界内で影響力のあるキーパーソンを味方につける必要があります」
作戦会議で、理人はそう切り出した。
「キーパーソン?」
「はい。例えば、著名なITジャーナリストや、倫理観の強いことで知られる老舗企業の経営者などです。彼らが我々の主張に賛同してくれれば、それが『社会的証明』となり、他の企業や世論も我々の側に傾きやすくなります」
それは、人脈を何よりも重視してきた慎一の得意分野でもあった。
「なるほどな。そういうことなら、何人か心当たりがあるわ。俺が直接、会いに行って話をしてくる」
「待ってください」
理人は慎一を制した。
「ただお願いに行くだけでは、彼らは動いてくれないでしょう。むしろ、面倒事に巻き込まれるのを嫌って距離を置かれるのが関の山です。ここでも、行動経済学的なアプローチが必要です」
理人が提案したのは、「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」と呼ばれる交渉術だった。
「いきなり『ギガ社の不正を一緒に告発してください』という大きな要求をするのではなく、まずは『データ倫理について、少しだけ専門家としてのご意見を伺えませんか』という、相手が断りにくいごく小さな要求から始めるんです」
「フット・イン・ザ・ドア……ドアに足をかける、か。」
「はい。一度小さな要求を受け入れた相手は、次の要求も断りにくくなるという心理的な一貫性の原理が働きます。そうやって段階的に関係を築き、最終的に我々の目的である協力を取り付けるんです」
さらに、と理人は続けた。
「その際、我々が掴んだ証拠の『すべて』を見せてはいけません。情報の非対称性を利用し、あえて断片的な情報だけを見せることで相手の知的好奇心を刺激し、『もっと知りたい』という気持ちにさせるんです。これを心理学では『ツァイガルニク効果』と呼びます。人は、完了した事柄よりも未完了の事柄の方を強く記憶する傾向があるんです」
慎一は、理人の策略に舌を巻いた。それは、単なる根回しや交渉ではない。人間の心理を巧みに読み解き、相手を意のままに動かす高度な心理戦術だった。
「……君、ほんまに恐ろしい男やな」
慎一が感嘆の声を漏らすと、理人は少し照れたように視線をそらした。
「合理的な手順を踏むだけです」
その日から、慎一と理人の二人三脚による味方作りのための行脚が始まった。慎一が持ち前のコミュニケーション能力で相手の懐に入り込み、理人がロジカルな説明と巧みな情報開示で相手の心を掴む。二人のコンビネーションは、完璧だった。
最初に訪ねたのは、業界でも気骨のあるジャーナリストとして知られる初老の男性だった。慎一はまず世間話から入って相手の警戒心を解き、理人がすっと本題を切り出す。
「実は、最近のデータビジネスの在り方について、先生のご意見を伺いたく……」
フット・イン・ザ・ドアの言葉通り、最初はごく一般的な話題から入った。ジャーナリストは、自身の持論を気持ちよく語り始める。その話が途切れたタイミングで、理人が「例えば」と前置きして、ギガ社の不正を示唆するごく一部のデータを提示した。
「……これは、興味深いデータですね」
ジャーナリストの目の色が変わる。理人の狙い通り、ツァイガルニク効果が働き始めていた。
「もしご興味があれば、さらに詳細なデータもお見せできますが……」
そう言って、理人はあえて言葉を濁す。結局、ジャーナリストの方から「ぜひ、続きを聞かせてほしい」と乗り出してくる形になった。
次に訪ねたのは、IT業界の重鎮とされる大手ソフトウェア会社の創業者だった。彼に対しても、同じ手法でアプローチをかけた。最初は「若手経営者へのアドバイスを」という謙虚な姿勢で近づき、徐々に本題へと引きずり込んでいく。
こうした地道な活動を続けるうち、少しずつ、しかし確実にネクストリープの周りに「包囲網」が形成されていった。ジャーナリストは自身のブログでギガ社のビジネスモデルを批判する記事を書き始め、重鎮経営者は業界団体の会合でデータ倫理の重要性を説き始めた。
彼らは、直接ネクストリープの名前を出すことはなかったが、その言動は明らかにギガ社を牽制し、慎一たちの主張の正当性を補強するものだった。世論は、ゆっくりと、だが確実に動き始めていた。
ある夜、連日の交渉を終えて会社に戻るタクシーの中で、慎一は疲れ切って窓の外を眺めていた。隣に座る理人も、さすがに疲労の色を隠せないでいる。
「……なあ、理人」
「はい」
「ありがとうな。君がおらんと、ここまで来れんかった」
慎一が素直な気持ちを口にすると、理人はふっと笑った。それは、出会ってから初めて見る心からの温かい笑みだった。
「あなたこそ。あなたの、あの不思議な『人を惹きつける力』がなければ、誰も私たちの話に耳を貸してはくれなかったでしょう」
そう言うと、理人はそっと慎一の肩に頭をもたせかけた。突然のことに、慎一の心臓が大きく跳ねる。
「少し……疲れました。少しだけ、このままでいさせてください。」
理人の小さな寝息が聞こえてくる。慎一は、動くこともできず、ただ彼の温もりを感じていた。その華奢な肩には、どれだけの重圧がかかっているのだろう。自分のせいで、彼をこんな戦いに巻き込んでしまった。
守らなければ。この才能を、この純粋な魂を、絶対に。
慎一は、理人の頭を優しく引き寄せ、自分の肩にしっかりと抱き寄せた。タクシーの窓の外を流れる街の光が、二人の影を優しく照らしていた。
包囲網は、完成しつつあった。残るは、最後の一手。公正取引委員会への告発だ。業界の重鎮やジャーナリストという「社会的証明」を得た今、彼らの告発は以前とは比べ物にならない重みを持つはずだ。
最終決戦の日は、刻一刻と近づいていた。
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