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第7話「氷解の告白」
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翌朝、帝国の空は、まるでこれから起こる嵐を予感させるかのように、厚い灰色の雲に覆われていた。
クロヴィスは軍の正装に身を包み、腰には愛用の長剣を佩いている。その隣には、セレーネの正装である白い衣を纏ったユアンが、緊張した面持ちで、しかし背筋を伸ばして立っていた。二人はリオをはじめとするクロヴィスの腹心数名だけを伴い、皇帝の待つ謁見の間へと向かった。
皇帝への謁見は、極秘裏に行われた。クロヴィスが差し出した分厚い証拠書類の束に、老練な皇帝は静かに、しかし鋭い視線で目を通していく。宰相オルバンが、反和平派の貴族やセレーネ国内の反乱分子と結託し、国を揺るがそうとしていた事実。そして、将軍の番であるユアンを毒殺しようとしたこと。全ての罪が、動かぬ証拠と共に白日の下に晒された。
皇帝の顔が、みるみるうちに怒りで赤く染まっていく。
「……オルバンを、ここへ」
皇帝の静かな命令が、謁見の間に響き渡った。
何も知らずに呼び出された宰相オルバンは、いつものように柔和な笑みを浮かべて謁見の間に現れた。だが、そこにクロヴィスとユアンがいるのを見て、そして皇帝のただならぬ雰囲気を感じ取って、その顔からすっと笑みが消えた。
「陛下、これは一体……」
「とぼけるな、オルバン」
皇帝は、証拠書類の束を彼の足元に投げつけた。
「貴様の罪は、全て分かっている。帝国を裏切り、私腹を肥やし、あまつさえ将軍の番にまで手をかけた。万死に値するぞ」
書類に目を通したオルバンの顔が、絶望で歪む。もはや、言い逃れはできない。全てが終わったのだと悟ったのだろう。
だが、追い詰められた獣は、最後の牙を剥く。
オルバンは、一瞬の隙をついて懐から隠し持っていた短剣を抜き放つと、最も力の弱いユアンに襲いかかった。
「ユアン!」
クロヴィスの絶叫が響く。だが、間に合わない。オルバンの腕がユアンの首に回され、その喉元に冷たい刃が突きつけられた。
「動くな! 動けば、このオメガの命はないぞ!」
オルバンは、ユアンを盾にしながら、じりじりと後退する。兵士たちが一斉に剣を抜くが、人質を取られていては手が出せない。
ユアンの体は、恐怖で氷のように固まっていた。喉元に感じる、死の冷たさ。耳元で聞こえる、オルバンの荒い息遣い。頭が真っ白になり、足が震える。
(怖い……!)
だが、その時。ユアンの脳裏に、クロヴィスの声が響いた。
『もしもの時は、相手の重心を崩せ。肘で、みぞおちを突くんだ』
それは、調査の合間に、クロヴィスが護身術として教えてくれたことだった。まさか、本当に使う時が来るなんて。
ユアンは、恐怖に震えながらも、教わった通りに、渾身の力を込めてオルバンの脇腹に肘を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
予想外の抵抗に、オルバンの体勢が一瞬だけ崩れる。人質を抑える腕の力が、ほんのわずかに緩んだ。
その一瞬の隙を、氷の将軍が見逃すはずがなかった。
クロヴィスは、もはや人間の目では追えないほどの速度で踏み込むと、オルバンの腕を掴んで捻り上げる。甲高い悲鳴と共に、短剣が床に落ちて甲高い音を立てた。解放されたユアンの体を、駆けつけたリオが抱きとめる。
クロヴィスは、抵抗するオルバンを床に叩きつけ、その首筋に自らの剣を突きつけた。
「……終わりだ、宰相」
冷徹な声が、勝負の終わりを告げた。
全ての騒動が終わり、宰相オルバンとその一派が捕らえられた後。
クロヴィスとユアンは、二人きりで城のバルコニーに立っていた。いつの間にか空を覆っていた分厚い雲は切れ、間から差し込む月光が、二人を優しく照らしている。
ユアンはまだ、先ほどの恐怖で体がかすかに震えていた。そんなユアンの肩を、クロヴィスは後ろから、そっと大きな体で包み込んだ。彼の外套越しに伝わる体温が、心地良い。
「……すまなかった。お前を、危険な目に」
「いいえ……。あなたこそ、ご無事で、よかった……」
クロヴィスは、ユアンを抱く腕に力を込めた。まるで、この世で最も大切な宝物を、二度と手放さないと誓うかのように。
「お前を失うかと思った……」
その声は、微かに震えていた。氷の将軍と呼ばれた男が、初めて見せる弱さだった。
「もし、お前に何かあったら、私は……。私は、宰相を殺し、帝国を焼き、そして、自らも……」
そこまで言って、彼は言葉を詰まらせた。
ユアンは、ゆっくりと振り返ると、クロヴィスの頬にそっと手を添えた。彼の灰色の瞳が、見たこともないほどの熱を帯びて、ユアンを見つめている。
「クロヴィス」
ユアンが初めて、彼の名を敬称なしで呼んだ。
クロヴィスは、その呼び名に一瞬だけ目を見開くと、まるで堪えきれないというように、ユアンを力強く抱きしめた。
「もう離さない。誰にも渡さない。お前は、私のものだ」
そして、彼はユアンの耳元で、囁いた。ずっと聞きたかった、けれど聞けるはずがないと思っていた言葉を。
「ユアン、愛している」
それは、氷が解ける音だった。クロヴィスの心を長年覆っていた、分厚い氷が、完全に溶けて流れ出す音。
その初めて聞く愛の言葉に、ユアンの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「私も、です……。私も、あなたを……クロヴィス様を、愛しています……!」
涙に濡れた声でそう答えると、クロヴィスはユアンの顔を両手で包み込み、貪るようにその唇を塞いだ。それは、激しく、そしてどこまでも優しい口づけだった。二人は、お互いの存在を確かめ合うように、何度も、何度も口づけを交わした。
政略結婚という名の冬から始まった二人の物語は、今、全ての障害を乗り越え、愛という名の、輝かしい春を迎えたのだった。
クロヴィスは軍の正装に身を包み、腰には愛用の長剣を佩いている。その隣には、セレーネの正装である白い衣を纏ったユアンが、緊張した面持ちで、しかし背筋を伸ばして立っていた。二人はリオをはじめとするクロヴィスの腹心数名だけを伴い、皇帝の待つ謁見の間へと向かった。
皇帝への謁見は、極秘裏に行われた。クロヴィスが差し出した分厚い証拠書類の束に、老練な皇帝は静かに、しかし鋭い視線で目を通していく。宰相オルバンが、反和平派の貴族やセレーネ国内の反乱分子と結託し、国を揺るがそうとしていた事実。そして、将軍の番であるユアンを毒殺しようとしたこと。全ての罪が、動かぬ証拠と共に白日の下に晒された。
皇帝の顔が、みるみるうちに怒りで赤く染まっていく。
「……オルバンを、ここへ」
皇帝の静かな命令が、謁見の間に響き渡った。
何も知らずに呼び出された宰相オルバンは、いつものように柔和な笑みを浮かべて謁見の間に現れた。だが、そこにクロヴィスとユアンがいるのを見て、そして皇帝のただならぬ雰囲気を感じ取って、その顔からすっと笑みが消えた。
「陛下、これは一体……」
「とぼけるな、オルバン」
皇帝は、証拠書類の束を彼の足元に投げつけた。
「貴様の罪は、全て分かっている。帝国を裏切り、私腹を肥やし、あまつさえ将軍の番にまで手をかけた。万死に値するぞ」
書類に目を通したオルバンの顔が、絶望で歪む。もはや、言い逃れはできない。全てが終わったのだと悟ったのだろう。
だが、追い詰められた獣は、最後の牙を剥く。
オルバンは、一瞬の隙をついて懐から隠し持っていた短剣を抜き放つと、最も力の弱いユアンに襲いかかった。
「ユアン!」
クロヴィスの絶叫が響く。だが、間に合わない。オルバンの腕がユアンの首に回され、その喉元に冷たい刃が突きつけられた。
「動くな! 動けば、このオメガの命はないぞ!」
オルバンは、ユアンを盾にしながら、じりじりと後退する。兵士たちが一斉に剣を抜くが、人質を取られていては手が出せない。
ユアンの体は、恐怖で氷のように固まっていた。喉元に感じる、死の冷たさ。耳元で聞こえる、オルバンの荒い息遣い。頭が真っ白になり、足が震える。
(怖い……!)
だが、その時。ユアンの脳裏に、クロヴィスの声が響いた。
『もしもの時は、相手の重心を崩せ。肘で、みぞおちを突くんだ』
それは、調査の合間に、クロヴィスが護身術として教えてくれたことだった。まさか、本当に使う時が来るなんて。
ユアンは、恐怖に震えながらも、教わった通りに、渾身の力を込めてオルバンの脇腹に肘を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
予想外の抵抗に、オルバンの体勢が一瞬だけ崩れる。人質を抑える腕の力が、ほんのわずかに緩んだ。
その一瞬の隙を、氷の将軍が見逃すはずがなかった。
クロヴィスは、もはや人間の目では追えないほどの速度で踏み込むと、オルバンの腕を掴んで捻り上げる。甲高い悲鳴と共に、短剣が床に落ちて甲高い音を立てた。解放されたユアンの体を、駆けつけたリオが抱きとめる。
クロヴィスは、抵抗するオルバンを床に叩きつけ、その首筋に自らの剣を突きつけた。
「……終わりだ、宰相」
冷徹な声が、勝負の終わりを告げた。
全ての騒動が終わり、宰相オルバンとその一派が捕らえられた後。
クロヴィスとユアンは、二人きりで城のバルコニーに立っていた。いつの間にか空を覆っていた分厚い雲は切れ、間から差し込む月光が、二人を優しく照らしている。
ユアンはまだ、先ほどの恐怖で体がかすかに震えていた。そんなユアンの肩を、クロヴィスは後ろから、そっと大きな体で包み込んだ。彼の外套越しに伝わる体温が、心地良い。
「……すまなかった。お前を、危険な目に」
「いいえ……。あなたこそ、ご無事で、よかった……」
クロヴィスは、ユアンを抱く腕に力を込めた。まるで、この世で最も大切な宝物を、二度と手放さないと誓うかのように。
「お前を失うかと思った……」
その声は、微かに震えていた。氷の将軍と呼ばれた男が、初めて見せる弱さだった。
「もし、お前に何かあったら、私は……。私は、宰相を殺し、帝国を焼き、そして、自らも……」
そこまで言って、彼は言葉を詰まらせた。
ユアンは、ゆっくりと振り返ると、クロヴィスの頬にそっと手を添えた。彼の灰色の瞳が、見たこともないほどの熱を帯びて、ユアンを見つめている。
「クロヴィス」
ユアンが初めて、彼の名を敬称なしで呼んだ。
クロヴィスは、その呼び名に一瞬だけ目を見開くと、まるで堪えきれないというように、ユアンを力強く抱きしめた。
「もう離さない。誰にも渡さない。お前は、私のものだ」
そして、彼はユアンの耳元で、囁いた。ずっと聞きたかった、けれど聞けるはずがないと思っていた言葉を。
「ユアン、愛している」
それは、氷が解ける音だった。クロヴィスの心を長年覆っていた、分厚い氷が、完全に溶けて流れ出す音。
その初めて聞く愛の言葉に、ユアンの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「私も、です……。私も、あなたを……クロヴィス様を、愛しています……!」
涙に濡れた声でそう答えると、クロヴィスはユアンの顔を両手で包み込み、貪るようにその唇を塞いだ。それは、激しく、そしてどこまでも優しい口づけだった。二人は、お互いの存在を確かめ合うように、何度も、何度も口づけを交わした。
政略結婚という名の冬から始まった二人の物語は、今、全ての障害を乗り越え、愛という名の、輝かしい春を迎えたのだった。
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