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第3話「見え隠れする不器用さ」
城内を自由に歩いていいと言われたものの、私は自分の部屋から出る勇気が持てずにいた。
廊下ですれ違う兵士たちの視線が怖いし、もし迷子になって禁止区域に入ってしまったら、今度こそ首をはねられるかもしれない。
午前中は部屋で本を読んで過ごした。
本棚には、北国の歴史や伝説、植物図鑑などが並んでおり、この国を知るには良い教材だった。
窓の外はずっと雪が降っている。
静かだ。
あまりにも静かで、自分が世界から切り離されてしまったような孤独感に襲われる。
昼食の時間になり、マーサが食事を運んできてくれた。
彼女と少し会話を交わし、北国の風習について教えてもらう。
「この国では、オメガも働いているのですか?」
私が何気なく尋ねると、マーサはきょとんとした顔をした。
「ええ、もちろんですよ。アルファもベータもオメガも、能力のある者が適した仕事をする。それがノースの流儀です」
「……そうなんですか」
驚きだった。
サウスでは、オメガは家に閉じ込められ、子供を産むためだけに生かされている。
政治や軍事に関わることなど許されず、ましてや自分の意志で働くなど考えられなかった。
「リアン様も、何かしてみたいことがあれば、陛下にご相談なさってみては?」
「と、とんでもない! 私なんかにできることなんて……」
私は首をブンブンと横に振った。
自分に価値があるとは思えない。
ただ邪魔にならないように、息を潜めて生きることしか教わってこなかったのだから。
午後になり、雪が小降りになった頃、部屋の扉がノックされた。
マーサかと思いきや、入ってきたのは見知らぬ若い女性だった。
パンツルックの軍服に身を包み、腰には剣を差している。
長い髪を後ろで一つに束ね、その瞳は理知的で涼やかだ。
「失礼します。リアン殿下ですね」
ハキハキとした声。
私は緊張して立ち上がった。
「は、はい……」
「私はマリア。ガルド陛下の側近を務めております。陛下より、殿下を温室へご案内するようにと仰せつかりました」
「温室……ですか?」
「ええ。城内ばかりでは気が滅入るだろうと。ついてきてください」
マリアと名乗ったその女性は、ベータ特有の安定した空気をまとっていた。
アルファのような威圧感もなく、オメガのような儚さもない。
ただ、凛としていて、かっこいい。
私は彼女の背中を追いかけた。
城の東棟にある渡り廊下を抜けると、ガラス張りの巨大なドームが見えてきた。
外は極寒の世界なのに、そのドームの中だけは別世界のようだ。
扉を開けると、むっとするほどの湿気と、花の香りが漂ってきた。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れた。
そこには、色とりどりの花が咲き乱れていた。
南国でも見たことのない珍しい花や、巨大なシダ植物が生い茂っている。
中央には小さな噴水があり、澄んだ水音を響かせていた。
「すごい……こんな北国に、こんな場所があるなんて」
「地熱を利用しているんです。陛下は、荒涼とした景色ばかりでは心が荒むとお考えになり、先代の王が作ったこの温室を大切に維持されているんですよ」
マリアが説明してくれた。
ガルド王が、花を?
あの強面で、無骨な彼が、こんな繊細な場所を大切にしているなんて、想像がつかない。
私は花壇に近づき、紫色の小さな花をのぞき込んだ。
可憐で、けれど力強く咲いている。
「きれいですね……」
「陛下は、植物がお好きというよりは、生命力そのものがお好きなようです。厳しい環境でも懸命に生きようとするものが」
マリアの言葉に、私はハッとした。
懸命に生きようとするもの。
今の私は、どうだろうか。
諦めと恐怖に支配され、ただ流されるままに生きているだけではないか。
その時、奥の茂みがガサリと揺れた。
ビクッとして振り返ると、そこにはガルド王が立っていた。
手には土にまみれたスコップを持ち、軍服の袖をまくり上げている。
頬には泥がついていた。
「へ、陛下!?」
私は驚きのあまり、裏返った声を出してしまった。
ガルド王は私を見て、バツが悪そうに顔をしかめた。
「……来たか」
「あの、陛下が……ここで作業を?」
「……庭師が腰を痛めた。代わりだ」
彼はぶっきらぼうにそう言い、視線を逸らした。
王自らが庭仕事の代行をするなんて、聞いたことがない。
マリアが小さくため息をつき、私に耳打ちした。
「嘘ですよ。陛下はリアン殿下に見せたかったんです。でも自分から誘うのは恥ずかしいから、偶然を装ってここで待機していたんです」
「えっ」
私は目を見開いてガルド王を見た。
彼はマリアをギロリと睨みつけたが、耳が少し赤くなっているように見えた。
「余計なことを言うな、マリア」
「事実でしょう。さっきから『まだ来ないのか』とそわそわしていたくせに」
「黙れ」
そのやり取りを見て、私は呆気にとられた。
あの恐ろしい魔王が、まるで少年のようにすねている。
私のために、この場所を見せようとしてくれていた?
私を喜ばせようと?
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
昨日の豪華な部屋。
今朝のショール。
そして、この温室。
言葉は少なく、態度は乱暴に見えるけれど、彼の行動には常に「気遣い」があった。
もしかして、この人は、私が思っていたような「怪物」ではないのかもしれない。
私は勇気を出して、一歩彼に近づいた。
「陛下……ありがとうございます。とても美しい場所ですね。心が洗われるようです」
精一杯の笑顔を向ける。
ガルド王は、まじまじと私の顔を見た。
そして、ふいっと顔を背け、手に持っていたスコップを握りしめた。
「……そうか。なら、好きに見ていけ」
声は低かったが、拒絶の響きはなかった。
むしろ、どこか照れ隠しのような響きが含まれている。
私は初めて、彼に対する恐怖心が少しだけ薄れるのを感じた。
顔の傷は怖い。体も大きくて怖い。
でも、その不器用な優しさは、決して怖いものではない。
温室の暖かな空気の中で、私とガルド王、そしてマリアの間に流れる時間は、思いのほか穏やかだった。
だが、この時の私はまだ知らなかった。
彼が背負っているものの重さと、私たちが直面することになる「壁」の高さを。
不器用な二人の距離は、まだ縮まったとは言えないまま、北国の夜は更けていく。
廊下ですれ違う兵士たちの視線が怖いし、もし迷子になって禁止区域に入ってしまったら、今度こそ首をはねられるかもしれない。
午前中は部屋で本を読んで過ごした。
本棚には、北国の歴史や伝説、植物図鑑などが並んでおり、この国を知るには良い教材だった。
窓の外はずっと雪が降っている。
静かだ。
あまりにも静かで、自分が世界から切り離されてしまったような孤独感に襲われる。
昼食の時間になり、マーサが食事を運んできてくれた。
彼女と少し会話を交わし、北国の風習について教えてもらう。
「この国では、オメガも働いているのですか?」
私が何気なく尋ねると、マーサはきょとんとした顔をした。
「ええ、もちろんですよ。アルファもベータもオメガも、能力のある者が適した仕事をする。それがノースの流儀です」
「……そうなんですか」
驚きだった。
サウスでは、オメガは家に閉じ込められ、子供を産むためだけに生かされている。
政治や軍事に関わることなど許されず、ましてや自分の意志で働くなど考えられなかった。
「リアン様も、何かしてみたいことがあれば、陛下にご相談なさってみては?」
「と、とんでもない! 私なんかにできることなんて……」
私は首をブンブンと横に振った。
自分に価値があるとは思えない。
ただ邪魔にならないように、息を潜めて生きることしか教わってこなかったのだから。
午後になり、雪が小降りになった頃、部屋の扉がノックされた。
マーサかと思いきや、入ってきたのは見知らぬ若い女性だった。
パンツルックの軍服に身を包み、腰には剣を差している。
長い髪を後ろで一つに束ね、その瞳は理知的で涼やかだ。
「失礼します。リアン殿下ですね」
ハキハキとした声。
私は緊張して立ち上がった。
「は、はい……」
「私はマリア。ガルド陛下の側近を務めております。陛下より、殿下を温室へご案内するようにと仰せつかりました」
「温室……ですか?」
「ええ。城内ばかりでは気が滅入るだろうと。ついてきてください」
マリアと名乗ったその女性は、ベータ特有の安定した空気をまとっていた。
アルファのような威圧感もなく、オメガのような儚さもない。
ただ、凛としていて、かっこいい。
私は彼女の背中を追いかけた。
城の東棟にある渡り廊下を抜けると、ガラス張りの巨大なドームが見えてきた。
外は極寒の世界なのに、そのドームの中だけは別世界のようだ。
扉を開けると、むっとするほどの湿気と、花の香りが漂ってきた。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れた。
そこには、色とりどりの花が咲き乱れていた。
南国でも見たことのない珍しい花や、巨大なシダ植物が生い茂っている。
中央には小さな噴水があり、澄んだ水音を響かせていた。
「すごい……こんな北国に、こんな場所があるなんて」
「地熱を利用しているんです。陛下は、荒涼とした景色ばかりでは心が荒むとお考えになり、先代の王が作ったこの温室を大切に維持されているんですよ」
マリアが説明してくれた。
ガルド王が、花を?
あの強面で、無骨な彼が、こんな繊細な場所を大切にしているなんて、想像がつかない。
私は花壇に近づき、紫色の小さな花をのぞき込んだ。
可憐で、けれど力強く咲いている。
「きれいですね……」
「陛下は、植物がお好きというよりは、生命力そのものがお好きなようです。厳しい環境でも懸命に生きようとするものが」
マリアの言葉に、私はハッとした。
懸命に生きようとするもの。
今の私は、どうだろうか。
諦めと恐怖に支配され、ただ流されるままに生きているだけではないか。
その時、奥の茂みがガサリと揺れた。
ビクッとして振り返ると、そこにはガルド王が立っていた。
手には土にまみれたスコップを持ち、軍服の袖をまくり上げている。
頬には泥がついていた。
「へ、陛下!?」
私は驚きのあまり、裏返った声を出してしまった。
ガルド王は私を見て、バツが悪そうに顔をしかめた。
「……来たか」
「あの、陛下が……ここで作業を?」
「……庭師が腰を痛めた。代わりだ」
彼はぶっきらぼうにそう言い、視線を逸らした。
王自らが庭仕事の代行をするなんて、聞いたことがない。
マリアが小さくため息をつき、私に耳打ちした。
「嘘ですよ。陛下はリアン殿下に見せたかったんです。でも自分から誘うのは恥ずかしいから、偶然を装ってここで待機していたんです」
「えっ」
私は目を見開いてガルド王を見た。
彼はマリアをギロリと睨みつけたが、耳が少し赤くなっているように見えた。
「余計なことを言うな、マリア」
「事実でしょう。さっきから『まだ来ないのか』とそわそわしていたくせに」
「黙れ」
そのやり取りを見て、私は呆気にとられた。
あの恐ろしい魔王が、まるで少年のようにすねている。
私のために、この場所を見せようとしてくれていた?
私を喜ばせようと?
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
昨日の豪華な部屋。
今朝のショール。
そして、この温室。
言葉は少なく、態度は乱暴に見えるけれど、彼の行動には常に「気遣い」があった。
もしかして、この人は、私が思っていたような「怪物」ではないのかもしれない。
私は勇気を出して、一歩彼に近づいた。
「陛下……ありがとうございます。とても美しい場所ですね。心が洗われるようです」
精一杯の笑顔を向ける。
ガルド王は、まじまじと私の顔を見た。
そして、ふいっと顔を背け、手に持っていたスコップを握りしめた。
「……そうか。なら、好きに見ていけ」
声は低かったが、拒絶の響きはなかった。
むしろ、どこか照れ隠しのような響きが含まれている。
私は初めて、彼に対する恐怖心が少しだけ薄れるのを感じた。
顔の傷は怖い。体も大きくて怖い。
でも、その不器用な優しさは、決して怖いものではない。
温室の暖かな空気の中で、私とガルド王、そしてマリアの間に流れる時間は、思いのほか穏やかだった。
だが、この時の私はまだ知らなかった。
彼が背負っているものの重さと、私たちが直面することになる「壁」の高さを。
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