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第4話「崩れ落ちた巨塔」
北国の夜は、生き物の気配を消し去るほどに静かだ。
分厚い石壁の外では、唸りを上げる猛吹雪が吹き荒れているはずなのに、城の中まではその轟音も届かない。
私はふと目を覚ました。
喉が渇いていた。
枕元に用意されていた水差しは空っぽだった。
マーサや他の使用人を呼ぶためのベルはあったが、こんな真夜中に叩き起こすのは気が引ける。
私はベッドを抜け出し、ショールを羽織って廊下へ出た。
石造りの床から冷気が這い上がってくる。
昼間にマリアから厨房の場所を聞いていたのが幸いだった。あそこなら水があるはずだ。
松明の明かりが等間隔に揺れる廊下を、足音を忍ばせて歩く。
城内は静まり返っていた。
兵士の巡回も、この時間帯は手薄になるのだろうか。あるいは、この酷寒の夜に侵入者など現れるはずもないという自信の表れなのかもしれない。
角を曲がろうとした時だった。
――ガツン。
鈍い音が、静寂を切り裂いた。
何かが倒れるような、重く、湿った音。
私は心臓が跳ね上がるのを感じた。
誰かいる。
咄嗟に壁の陰に身を隠し、様子をうかがう。
廊下の先、執務室へと続く扉の前で、巨大な影がうずくまっていた。
「……く、そ……ッ」
苦悶に満ちた低い唸り声。
その声を聞いた瞬間、私はそれが誰であるかを悟った。
「陛下!?」
恐怖よりも先に体が動いた。
私は駆け寄り、うずくまるその背中に手を伸ばした。
ガルド王だった。
彼は片膝をつき、肩で荒い息をしながら、壁に手をついて必死に体を支えていた。
いつもなら岩のように動じないはずのその巨体が、小刻みに震えている。
「陛下、どうされたのですか!?」
私が肩に触れると、彼はビクリと身を強張らせ、虚ろな目で私を見上げた。
「……リアン、か……」
その顔を見て、私は息を飲んだ。
顔色が土気色で、脂汗がびっしりと浮いている。
そして何より、左目の上を走るあの古傷が、まるで焼けた鉄を押し当てられたかのように赤く腫れ上がり、脈打っていたのだ。
「誰か! 誰か来てください!」
私は廊下に響き渡る声で叫んだ。
「よせ……大声を、出すな……」
ガルド王が私の腕を掴んだ。
その手の熱さに驚愕する。
火傷しそうなほどの高熱だ。
彼は、こんな状態で執務を続けていたのだろうか。
「でも、お体が……!」
「ただの……発作だ。いつもの、ことだ……」
彼はそう言い捨てて立ち上がろうとしたが、足に力が入らないのか、再び床へと崩れ落ちそうになった。
私は慌てて彼の体を支えた。
重い。
まるで鉛の塊のようだ。
鍛え抜かれた筋肉の重みと、高熱を発する体温が、私の細い腕にのしかかる。
立っていることさえやっとだったが、ここで私が倒れたら、彼が怪我をしてしまう。
必死に歯を食いしばり、彼の腰に腕を回して支える。
「部屋へ……お部屋へ戻りましょう。歩けますか?」
「……すまん」
ガルド王は、か細い声で謝罪の言葉を口にした。
あの傲慢で尊大に見えた「魔王」が、こんなにも弱々しい姿を見せるなんて。
その事実に、私の胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
恐怖の対象だった彼が、急に「守るべき病人」へと変わった瞬間だった。
廊下の向こうから、ようやく騒ぎを聞きつけた兵士たちの足音が近づいてくるのが聞こえた。
私は、彼の重みを一身に受け止めながら、ただ必死にその体を支え続けていた。
分厚い石壁の外では、唸りを上げる猛吹雪が吹き荒れているはずなのに、城の中まではその轟音も届かない。
私はふと目を覚ました。
喉が渇いていた。
枕元に用意されていた水差しは空っぽだった。
マーサや他の使用人を呼ぶためのベルはあったが、こんな真夜中に叩き起こすのは気が引ける。
私はベッドを抜け出し、ショールを羽織って廊下へ出た。
石造りの床から冷気が這い上がってくる。
昼間にマリアから厨房の場所を聞いていたのが幸いだった。あそこなら水があるはずだ。
松明の明かりが等間隔に揺れる廊下を、足音を忍ばせて歩く。
城内は静まり返っていた。
兵士の巡回も、この時間帯は手薄になるのだろうか。あるいは、この酷寒の夜に侵入者など現れるはずもないという自信の表れなのかもしれない。
角を曲がろうとした時だった。
――ガツン。
鈍い音が、静寂を切り裂いた。
何かが倒れるような、重く、湿った音。
私は心臓が跳ね上がるのを感じた。
誰かいる。
咄嗟に壁の陰に身を隠し、様子をうかがう。
廊下の先、執務室へと続く扉の前で、巨大な影がうずくまっていた。
「……く、そ……ッ」
苦悶に満ちた低い唸り声。
その声を聞いた瞬間、私はそれが誰であるかを悟った。
「陛下!?」
恐怖よりも先に体が動いた。
私は駆け寄り、うずくまるその背中に手を伸ばした。
ガルド王だった。
彼は片膝をつき、肩で荒い息をしながら、壁に手をついて必死に体を支えていた。
いつもなら岩のように動じないはずのその巨体が、小刻みに震えている。
「陛下、どうされたのですか!?」
私が肩に触れると、彼はビクリと身を強張らせ、虚ろな目で私を見上げた。
「……リアン、か……」
その顔を見て、私は息を飲んだ。
顔色が土気色で、脂汗がびっしりと浮いている。
そして何より、左目の上を走るあの古傷が、まるで焼けた鉄を押し当てられたかのように赤く腫れ上がり、脈打っていたのだ。
「誰か! 誰か来てください!」
私は廊下に響き渡る声で叫んだ。
「よせ……大声を、出すな……」
ガルド王が私の腕を掴んだ。
その手の熱さに驚愕する。
火傷しそうなほどの高熱だ。
彼は、こんな状態で執務を続けていたのだろうか。
「でも、お体が……!」
「ただの……発作だ。いつもの、ことだ……」
彼はそう言い捨てて立ち上がろうとしたが、足に力が入らないのか、再び床へと崩れ落ちそうになった。
私は慌てて彼の体を支えた。
重い。
まるで鉛の塊のようだ。
鍛え抜かれた筋肉の重みと、高熱を発する体温が、私の細い腕にのしかかる。
立っていることさえやっとだったが、ここで私が倒れたら、彼が怪我をしてしまう。
必死に歯を食いしばり、彼の腰に腕を回して支える。
「部屋へ……お部屋へ戻りましょう。歩けますか?」
「……すまん」
ガルド王は、か細い声で謝罪の言葉を口にした。
あの傲慢で尊大に見えた「魔王」が、こんなにも弱々しい姿を見せるなんて。
その事実に、私の胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
恐怖の対象だった彼が、急に「守るべき病人」へと変わった瞬間だった。
廊下の向こうから、ようやく騒ぎを聞きつけた兵士たちの足音が近づいてくるのが聞こえた。
私は、彼の重みを一身に受け止めながら、ただ必死にその体を支え続けていた。
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