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第2話「極北の飢餓とシャベルの輝き」
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「黒鉄の砦」は、その名の通り絶望的なまでに無機質な場所だった。
見渡す限りの荒野。灰色の空。そして、連日襲い来る魔物の群れ。
到着から一週間、ルカたち遠征部隊は休む間もなく戦闘に駆り出されていた。
剣を振るい、魔物を退け、泥のように眠る。
その繰り返しの中で、ルカの精神はじりじりと削られていった。
だが、最も深刻だったのは魔物ではなかった。
「……また、干し肉と固パンか」
食堂のテーブルで、同僚のガルドが嫌な顔をしてつぶやく。
彼の皿の上には、石のように硬いパンと、塩辛いだけの干し肉、そして具のない薄いスープが置かれている。
ここ数ヶ月、補給線が魔物によって度々寸断され、砦の食糧事情は極限状態にあった。
新鮮な野菜など夢のまた夢。ビタミン不足で体調を崩す兵士も増え始め、士気の低下は目に見えて明らかだった。
ルカもまた、味気ないパンをスープに浸して飲み込む。
口の中に広がるのは、古びた小麦の粉っぽい味と、絶望的な塩気だけ。
体が悲鳴を上げているのが分かった。
新鮮な水気。シャキッとした歯ごたえ。大地の恵みが詰まった、あの野菜たちの味が恋しい。
『限界だ……』
ルカの中で何かが切れた。
食欲の限界ではない。
「土を触りたい」という、オメガとしての巣作り本能の限界だった。
戦闘のストレスと、荒涼とした景色が、ルカの精神を追い詰めていたのだ。
自分の場所を作らなければ。安心できる場所を。生命の気配がする場所を。
その日の深夜。
非番だったルカは、宿舎を抜け出した。
手には剣ではなく、補修工事用具置き場から拝借した大きなシャベル(スコップ)と、クワが握られている。そして懐には、王都から大切に持ってきた種袋。
向かったのは、砦の裏手にある放棄された区画だ。かつては練兵場として使われていたようだが、今は瓦礫が積まれ、誰も近づかない場所になっている。
風除けの壁があり、日当たりも悪くない。
何より、誰も来ない。
「ここなら……」
ルカは地面に膝をついた。
ゴツゴツとした石ころだらけの荒れ地。だが、シャベルを入れて掘り返すと、その下には意外にもしっとりとした黒土が眠っていた。
北方の大地は死んでいない。ただ、眠っているだけだ。
ルカの瞳が輝きを帯びる。
「よし」
ザクッ、ザクッ。
闇夜に、土を掘り返すリズミカルな音が響く。
石を取り除き、土塊をクワで砕き、空気を含ませるように耕していく。
汗が額を伝うが、疲れなど感じなかった。むしろ、剣を振るっている時よりも遥かに充実した魔力が体中を巡るのを感じる。
ルカは知らなかったが、彼の持つ魔力は「植物育成」や「豊穣」に特化した、極めて希少な性質を帯びていた。
オメガのフェロモンと共に放出されるその魔力は、不毛の地を瞬く間に肥沃な農地へと変える力を持っている。
無心でクワを振るうルカの周囲で、土が微かに発光し、養分を蓄えていく現象が起きていたが、本人は没頭するあまり気づいていなかった。
一時間もしないうちに、畳六畳分ほどの見事な畝(うね)が出来上がった。
ふわふわのベッドのように柔らかく、空気を含んだ土。
これこそが、ルカにとっての最高の「巣」だった。
「いい土だ……これなら、すぐに芽が出るはず」
ルカは慈しむように種を蒔いた。
成長の早いラディッシュと小松菜、そして万能なネギ。
最後に近くの井戸から汲んできた水をたっぷりとやる。
水が土に染み込む音を聞いているだけで、荒んだ心が癒やされていくようだった。
「早く大きくなれよ」
そうつぶやいて、ルカは土を撫でた。
その指先から、淡い緑色の光が溢れ、種へと吸い込まれていく。
翌朝、その場所にとんでもない奇跡が起きるとは知らず、ルカは満足げに宿舎へと戻っていった。
久しぶりに、深く安らかな眠りにつくことができた。
しかし、運命は彼を放っておかない。
翌日、砦に激震が走る。
前線を視察するために、総司令官であるアレクセイ王子自らが、この砦に駐留することになったのだ。
しかも、その滞在予定地は、ルカが秘密の畑を作った裏手区画のすぐ側にある貴賓用天幕だった。
「……嘘だろ」
整列の最中、その知らせを聞いたルカは顔面蒼白になった。
バレる。畑が見つかる。いや、畑だけなら「食料不足対策です」と言い訳ができるかもしれない。
だが、そこに注ぎ込んだ魔力の痕跡を、最強の魔力を持つアルファが見逃すはずがない。
ルカの平穏な「巣作り」ライフに、暗雲が立ち込めていた。
見渡す限りの荒野。灰色の空。そして、連日襲い来る魔物の群れ。
到着から一週間、ルカたち遠征部隊は休む間もなく戦闘に駆り出されていた。
剣を振るい、魔物を退け、泥のように眠る。
その繰り返しの中で、ルカの精神はじりじりと削られていった。
だが、最も深刻だったのは魔物ではなかった。
「……また、干し肉と固パンか」
食堂のテーブルで、同僚のガルドが嫌な顔をしてつぶやく。
彼の皿の上には、石のように硬いパンと、塩辛いだけの干し肉、そして具のない薄いスープが置かれている。
ここ数ヶ月、補給線が魔物によって度々寸断され、砦の食糧事情は極限状態にあった。
新鮮な野菜など夢のまた夢。ビタミン不足で体調を崩す兵士も増え始め、士気の低下は目に見えて明らかだった。
ルカもまた、味気ないパンをスープに浸して飲み込む。
口の中に広がるのは、古びた小麦の粉っぽい味と、絶望的な塩気だけ。
体が悲鳴を上げているのが分かった。
新鮮な水気。シャキッとした歯ごたえ。大地の恵みが詰まった、あの野菜たちの味が恋しい。
『限界だ……』
ルカの中で何かが切れた。
食欲の限界ではない。
「土を触りたい」という、オメガとしての巣作り本能の限界だった。
戦闘のストレスと、荒涼とした景色が、ルカの精神を追い詰めていたのだ。
自分の場所を作らなければ。安心できる場所を。生命の気配がする場所を。
その日の深夜。
非番だったルカは、宿舎を抜け出した。
手には剣ではなく、補修工事用具置き場から拝借した大きなシャベル(スコップ)と、クワが握られている。そして懐には、王都から大切に持ってきた種袋。
向かったのは、砦の裏手にある放棄された区画だ。かつては練兵場として使われていたようだが、今は瓦礫が積まれ、誰も近づかない場所になっている。
風除けの壁があり、日当たりも悪くない。
何より、誰も来ない。
「ここなら……」
ルカは地面に膝をついた。
ゴツゴツとした石ころだらけの荒れ地。だが、シャベルを入れて掘り返すと、その下には意外にもしっとりとした黒土が眠っていた。
北方の大地は死んでいない。ただ、眠っているだけだ。
ルカの瞳が輝きを帯びる。
「よし」
ザクッ、ザクッ。
闇夜に、土を掘り返すリズミカルな音が響く。
石を取り除き、土塊をクワで砕き、空気を含ませるように耕していく。
汗が額を伝うが、疲れなど感じなかった。むしろ、剣を振るっている時よりも遥かに充実した魔力が体中を巡るのを感じる。
ルカは知らなかったが、彼の持つ魔力は「植物育成」や「豊穣」に特化した、極めて希少な性質を帯びていた。
オメガのフェロモンと共に放出されるその魔力は、不毛の地を瞬く間に肥沃な農地へと変える力を持っている。
無心でクワを振るうルカの周囲で、土が微かに発光し、養分を蓄えていく現象が起きていたが、本人は没頭するあまり気づいていなかった。
一時間もしないうちに、畳六畳分ほどの見事な畝(うね)が出来上がった。
ふわふわのベッドのように柔らかく、空気を含んだ土。
これこそが、ルカにとっての最高の「巣」だった。
「いい土だ……これなら、すぐに芽が出るはず」
ルカは慈しむように種を蒔いた。
成長の早いラディッシュと小松菜、そして万能なネギ。
最後に近くの井戸から汲んできた水をたっぷりとやる。
水が土に染み込む音を聞いているだけで、荒んだ心が癒やされていくようだった。
「早く大きくなれよ」
そうつぶやいて、ルカは土を撫でた。
その指先から、淡い緑色の光が溢れ、種へと吸い込まれていく。
翌朝、その場所にとんでもない奇跡が起きるとは知らず、ルカは満足げに宿舎へと戻っていった。
久しぶりに、深く安らかな眠りにつくことができた。
しかし、運命は彼を放っておかない。
翌日、砦に激震が走る。
前線を視察するために、総司令官であるアレクセイ王子自らが、この砦に駐留することになったのだ。
しかも、その滞在予定地は、ルカが秘密の畑を作った裏手区画のすぐ側にある貴賓用天幕だった。
「……嘘だろ」
整列の最中、その知らせを聞いたルカは顔面蒼白になった。
バレる。畑が見つかる。いや、畑だけなら「食料不足対策です」と言い訳ができるかもしれない。
だが、そこに注ぎ込んだ魔力の痕跡を、最強の魔力を持つアルファが見逃すはずがない。
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