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第5話「満月の夜に、孤独の影を知る」
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満月の夜は、決まって空気が澄み渡り、星々の輝きが一層強く感じられた。
そして、そんな夜になると、フェンリルはいつも洞窟を出て、月が一番よく見える切り立った崖の上で、独り遠吠えをするのだった。
ウォォォォン―――。
天にまで届きそうな、力強い咆哮。けれど、その声にはどこか、聞く者の胸を締め付けるような、深く、哀しい響きが込められていた。
最初のうちは、神獣としての習性か何かだろうと気にも留めていなかった。だが、毎月繰り返されるその光景に、俺は次第に彼の心の内に触れたいと思うようになっていた。
ある満月の晩、俺は温かいミルクのスープを木の器に入れ、そっと崖の上にいる彼の元へと向かった。
俺の気配に気づいたフェンリルは、一瞬だけこちらに視線を向けたが、特に何も言わず、再び月を見上げた。その許しを得たと解釈し、俺は彼の隣に静かに腰を下ろす。
「これ、どうぞ。身体が温まりますよ」
差し出したスープを、フェンリルは黙って受け取り、器用に舌を使って飲み干した。
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。ただ、心地よい夜風と、虫の音だけが聞こえていた。
やがて、ぽつり、と。
今まで一度も聞いたことのない、静かな声でフェンリルが語り始めた。
「……我が、この山に来てから、どれほどの時が経ったか」
それは、独り言のようでもあり、俺に語りかけているようでもあった。
「数千の月が満ち、欠けるのを見てきた。季節は巡り、木々は生まれ変わり、生きとし生けるものは皆、生まれては死んでいく。その繰り返しだ」
彼の金色の瞳は、遠い過去を見つめているようだった。
「かつては、同胞もいた。共に山を駆け、空を仰いだ者たちが。だが、彼らも悠久の時の流れの中では、ただの刹那。皆、我を置いて消えていった」
その横顔は、いつも俺が見ている尊大で威厳に満ちた神獣のものではなかった。
長い、あまりにも長い孤独に、ただ独りで耐え続けてきた、一つの寂しい魂の姿だった。
彼の抱える途方もない孤独と、気の遠くなるような時間。それを想像しただけで、胸が苦しくなった。
俺は、かけるべき言葉を見つけられなかった。
どんな慰めの言葉も、彼の数千年の孤独の前では、あまりに陳腐で、無力に思えたから。
だから、俺はただ黙って、彼の隣に座り続けた。
自分も、元の世界では一人だった。家族がいたけれど、どこか心の距離を感じていて、本当の意味で心を通わせた相手はいなかった。この世界に来てからも、生贄になるまでは、ずっと孤独だった。
彼の孤独の痛みが、自分のことのように感じられた。スケールは全く違うけれど、心の根底にある寂しさは、きっと同じだ。
「……俺が、いますよ」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「フェンリル様は、もう独りじゃありません。俺が、ここにいますから」
そう言って、俺は彼の巨大な身体に、そっと寄り添った。温かく、柔らかな白い毛皮に頬を寄せる。
フェンリルは驚いたように、ぴくりと身体を硬くした。だが、俺を拒絶することはしなかった。
やがて、彼の身体から力が抜け、その温もりを分かち合うように、静かに佇んでいる。
月明かりの下、二つの孤独な影が、静かに寄り添っていた。
俺は生贄で、いつかはこの命も尽きる時が来るだろう。彼の生きる悠久の時間に比べれば、俺の一生など瞬きのようなものだ。
それでも。
今、この瞬間、俺は彼の隣にいる。彼の孤独を、少しでも和らげることができている。
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
「……ユキ」
不意に、フェンリルが俺の名前を呼んだ。
「お前は、温かいな」
その声は、夜風に溶けてしまいそうなほど、優しく響いた。
俺は何も答えず、ただ強く、彼の毛皮に顔をうずめた。この温もりが、彼の数千年の孤独を、少しでも癒せるようにと願いながら。
満月は、ただ静かに、寄り添う二人を照らし続けていた。
そして、そんな夜になると、フェンリルはいつも洞窟を出て、月が一番よく見える切り立った崖の上で、独り遠吠えをするのだった。
ウォォォォン―――。
天にまで届きそうな、力強い咆哮。けれど、その声にはどこか、聞く者の胸を締め付けるような、深く、哀しい響きが込められていた。
最初のうちは、神獣としての習性か何かだろうと気にも留めていなかった。だが、毎月繰り返されるその光景に、俺は次第に彼の心の内に触れたいと思うようになっていた。
ある満月の晩、俺は温かいミルクのスープを木の器に入れ、そっと崖の上にいる彼の元へと向かった。
俺の気配に気づいたフェンリルは、一瞬だけこちらに視線を向けたが、特に何も言わず、再び月を見上げた。その許しを得たと解釈し、俺は彼の隣に静かに腰を下ろす。
「これ、どうぞ。身体が温まりますよ」
差し出したスープを、フェンリルは黙って受け取り、器用に舌を使って飲み干した。
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。ただ、心地よい夜風と、虫の音だけが聞こえていた。
やがて、ぽつり、と。
今まで一度も聞いたことのない、静かな声でフェンリルが語り始めた。
「……我が、この山に来てから、どれほどの時が経ったか」
それは、独り言のようでもあり、俺に語りかけているようでもあった。
「数千の月が満ち、欠けるのを見てきた。季節は巡り、木々は生まれ変わり、生きとし生けるものは皆、生まれては死んでいく。その繰り返しだ」
彼の金色の瞳は、遠い過去を見つめているようだった。
「かつては、同胞もいた。共に山を駆け、空を仰いだ者たちが。だが、彼らも悠久の時の流れの中では、ただの刹那。皆、我を置いて消えていった」
その横顔は、いつも俺が見ている尊大で威厳に満ちた神獣のものではなかった。
長い、あまりにも長い孤独に、ただ独りで耐え続けてきた、一つの寂しい魂の姿だった。
彼の抱える途方もない孤独と、気の遠くなるような時間。それを想像しただけで、胸が苦しくなった。
俺は、かけるべき言葉を見つけられなかった。
どんな慰めの言葉も、彼の数千年の孤独の前では、あまりに陳腐で、無力に思えたから。
だから、俺はただ黙って、彼の隣に座り続けた。
自分も、元の世界では一人だった。家族がいたけれど、どこか心の距離を感じていて、本当の意味で心を通わせた相手はいなかった。この世界に来てからも、生贄になるまでは、ずっと孤独だった。
彼の孤独の痛みが、自分のことのように感じられた。スケールは全く違うけれど、心の根底にある寂しさは、きっと同じだ。
「……俺が、いますよ」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「フェンリル様は、もう独りじゃありません。俺が、ここにいますから」
そう言って、俺は彼の巨大な身体に、そっと寄り添った。温かく、柔らかな白い毛皮に頬を寄せる。
フェンリルは驚いたように、ぴくりと身体を硬くした。だが、俺を拒絶することはしなかった。
やがて、彼の身体から力が抜け、その温もりを分かち合うように、静かに佇んでいる。
月明かりの下、二つの孤独な影が、静かに寄り添っていた。
俺は生贄で、いつかはこの命も尽きる時が来るだろう。彼の生きる悠久の時間に比べれば、俺の一生など瞬きのようなものだ。
それでも。
今、この瞬間、俺は彼の隣にいる。彼の孤独を、少しでも和らげることができている。
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
「……ユキ」
不意に、フェンリルが俺の名前を呼んだ。
「お前は、温かいな」
その声は、夜風に溶けてしまいそうなほど、優しく響いた。
俺は何も答えず、ただ強く、彼の毛皮に顔をうずめた。この温もりが、彼の数千年の孤独を、少しでも癒せるようにと願いながら。
満月は、ただ静かに、寄り添う二人を照らし続けていた。
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