氷鉄の騎士団長に拾われたスラムのオメガは、無自覚な溺愛に溶かされる

水凪しおん

文字の大きさ
4 / 9

第3話「騎士団長の過保護」

しおりを挟む
 三日もすると、ノアの熱はすっかり下がり、体調は回復していた。

 これほど快適な寝床と栄養満点の食事があれば、回復しないほうが難しい。

 だが、体調が良くなると同時に、ノアの中に新たな焦りが生まれた。

 ただ飯を食らい続けるわけにはいかない。

 いつ追い出されるかわからない状況で、少しでも役に立って自分の価値を示さなければ、という強迫観念が彼を突き動かした。

 早朝、まだ日が昇りきらない薄暗い時間。

 ノアは与えられた服――上質な綿のシャツとズボンに身を包み、そっと部屋を抜け出した。

 広い屋敷の中を迷いながら進み、厨房らしき場所を見つける。

 すでに数人の使用人が働き始めていた。

「あの、おはようございます」

 ノアが声をかけると、ふくよかな女性料理長が驚いて振り返った。

「あら、お客様! こんな時間になんですか? お腹が空きましたか?」

「いえ、違います。俺、何か手伝わせてください。掃除でも、皿洗いでも、なんでもしますから」

 必死に頭を下げるノアに、料理長たちは顔を見合わせて困惑した。

「そんな、旦那様が連れてこられた大切なお客様に、お仕事をさせるわけには……」

「お願いします! じっとしているのは苦手なんです。働かせてください」

 ノアのあまりの剣幕に、料理長は折れた。

「じゃあ……ジャガイモの皮むきをお願いできるかしら? 座ってできる仕事だし」

「はい! ありがとうございます!」

 ノアは椅子に座り、山積みのジャガイモと格闘し始めた。

 スラムでは生きるために何でもやった。手先は器用な方だ。皮むきくらい、お手の物だった。

 一心不乱に手を動かしていると、厨房の入り口がにわかに騒がしくなった。

 冷ややかな空気が流れ込んでくる。

「……ここで何をしている」

 地を這うような低い声。

 ノアがビクリとして振り返ると、そこには眉間に深いしわを刻んだヴァレリウスが立っていた。

 騎士団の制服をきっちりと着込み、腰には剣。これから出仕するところなのだろう。その姿は威厳に満ちていて、ただ立っているだけで空気が張り詰める。

 料理長や他の使用人たちが、慌てて整列し頭を下げた。

「だ、旦那様! これはその、お客様がどうしてもと……」

「俺が頼んだんです!」

 ノアは慌てて立ち上がり、かばうように前に出た。手にはまだピーラーとジャガイモが握られている。

「ただで置いてもらうわけにはいきません。働かせてください」

「必要ないと言ったはずだ」

 ヴァレリウスは大股でノアに近づくと、その手からピーラーを取り上げた。乱暴ではないが、拒絶の意思は明確だった。

「お前の手は、こんなことをするためにあるんじゃない」

「でも……っ!」

「まだ病み上がりだ。倒れでもしたらどうする」

 ヴァレリウスの言葉は正論だったが、その口調は厳しかった。

 ノアは唇を噛む。やはり、迷惑なのだろうか。自分のようなスラム育ちがチョロチョロするのは目障りなのかもしれない。

 うつむくノアの様子に、ヴァレリウスはハッとしたように口元を緩めた。

 彼は大きなため息をつき、膝をついてノアの手を取った。

 冷水で作業していたせいで、ノアの指先は赤くかじかんでいる。

 ヴァレリウスは自分の両手でその小さな手を包み込み、温めるようにさすった。

「冷たくなっている……」

 その声は、先ほどまでの厳しさが嘘のように沈痛だった。

 まるで世界の大罪を目の当たりにしたかのような嘆きように、周囲の使用人たちがポカンと口を開けている。

 あの「氷鉄の騎士」が、少年の手を温めている? しかも、あんなに悲痛な表情で?

「ヴァレリウス様……?」

「すまない、言い方がきつかったか。怒っているわけではないのだ」

 ヴァレリウスはノアの手を握ったまま、困ったように眉を下げた。

「ただ、お前が傷つくのが嫌なだけだ。指先に小さな切り傷ひとつでもできたらと思うと、気が気じゃない」

「え、あ、はい……?」

 ジャガイモの皮むきで怪我をするほど軟弱ではないつもりだが、ヴァレリウスの目があまりに真剣なので、何も言えなくなる。

「部屋に戻って休んでいてくれ。夜には、お前の好きな菓子を買って帰るから」

「こ、子供じゃないです!」

「そうか。では、本はどうだ? 図書室は好きに使っていい」

 ヴァレリウスは、ノアの手が十分に温まったのを確認すると、ようやく満足したように立ち上がった。

「マーサ、彼に温かいミルクを。蜂蜜を多めに入れて」

「はい、かしこまりました」

(旦那様、そんな甘党でしたっけ?)

 料理長の心の声など全く知らず、ヴァレリウスは名残惜しそうにノアをちらりと見て、仕事へと向かった。

 厨房に残されたのは、呆然とするノアと、ニヤニヤと笑いを堪える使用人たちだった。

「……愛されてますねえ、お客様」

「ち、違います! あれは、ペットを心配する飼い主みたいなもので……」

「さあ、どうでしょうねえ」

 料理長は楽しそうに笑いながら、ミルクを温め始めた。

 ノアは赤くなった顔を両手で隠す。

 あの厳格な騎士団長が、自分の指先が冷えているだけであんなにうろたえるなんて。

 不器用すぎる優しさが、じわじわと胸に染み込んでくる。

 同時に、自分の中で育ちつつある感情に気づき、ノアは小さく首を振った。

『勘違いするな。彼は雲の上の人だ。俺みたいなのが、ほだされていい相手じゃない』

 そう自分に言い聞かせても、包まれた手の温もりは、いつまでも消えずに残っていた。

 ***

 その日の午後、騎士団の詰め所で、ヴァレリウスは副官に妙な質問をしていた。

「おい、オメガというのは、一体何をすれば喜ぶんだ?」

「……は? 団長、熱でもあるんですか?」

 副官は書類を落としそうになった。

 書類仕事の手を止め、真顔で悩む上司の姿は、部下たちにとって新たな伝説の幕開けとなるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

隠れオメガの整備士は自由になりたい。なのに暴走する最強騎士を身体を張って止めたら、運命の番だとバレて過保護な専属契約を結ばされました

水凪しおん
BL
※オメガバース設定。激しい戦闘描写や、執着攻めによるマーキング描写、軽度の性的な接触の描写がありますので、15歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。 汚染された惑星を浄化する生体兵器『機装(ギア)』。 その搭乗者は優れた能力を持つ『アルファ』に限られ、彼らの精神を安定させる鎮静剤として『オメガ』が存在する世界。 整備士のエリアンは、オメガであることを隠し、ベータと偽って軍の最前線で働いていた。 オメガは道具のように扱われるこの社会で、自由を守るための必死の嘘だった。 だがある日、軍最強のエリートパイロット・クレイドの機装が暴走する事故に遭遇する。 死を覚悟して止めに入ったエリアンだったが、暴走する機体はなぜか彼にだけ反応し、沈静化した。 それは、隠していたオメガのフェロモンが、クレイドと強烈な『共鳴』を起こした瞬間だった。 「見つけた。俺の対になる存在を」 正体がバレたと戦慄するエリアンに対し、冷徹なはずのクレイドが向けたのは、処罰ではなく執着に満ちた熱い視線で……? 孤独なエリート騎士×身分を隠した健気な整備士。 星の命運と本能が交錯する、近未来SFオメガバース!

冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。

水凪しおん
BL
これは、愛を知らなかった二人が、本当の愛を見つけるまでの物語。 国のための「生贄」として、敵国の将軍に嫁いだオメガの王子、ユアン。 彼を待っていたのは、「氷の将軍」と恐れられるアルファ、クロヴィスとの心ない日々だった。 世継ぎを産むための「道具」として扱われ、絶望に暮れるユアン。 しかし、冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさと孤独な瞳。 孤独な夜にかけられた一枚の外套が、凍てついた心を少しずつ溶かし始める。 これは、政略結婚という偽りから始まった、運命の恋。 帝国に渦巻く陰謀に立ち向かう中で、二人は互いを守り、支え合う「共犯者」となる。 偽りの夫婦が、唯一無二の「番」になるまでの軌跡を、どうぞ見届けてください。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

恵方巻を食べてオメガになるはずが、氷の騎士団長様に胃袋を掴まれ溺愛されています

水凪しおん
BL
「俺はベータだ。けれど、クラウス様の隣に立ちたい」 王城の厨房で働く地味な料理人ルエンは、近衛騎士団長のクラウスに叶わぬ恋をしていた。身分も属性も違う自分には、彼との未来などない。そう諦めかけていたある日、ルエンは「伝説の恵方巻を食べればオメガになれる」という噂を耳にする。 一縷の望みをかけ、ルエンは危険な食材探しの旅へ! しかし、なぜかその旅先にはいつもクラウスの姿があって……? 勘違いから始まる、ベータ料理人×氷の騎士団長の胃袋攻略ラブファンタジー!

氷の騎士と浄化のオメガ~「出来損ない」と追放された僕ですが、最強の騎士団長様に拾われて、運命の番としてとろとろに溺愛されています~

水凪しおん
BL
「お前のような出来損ないは、我が家の恥だ!」 公爵家の不義の子として生まれ、フェロモンも弱く「出来損ないのオメガ」と虐げられてきたユキ。 18歳の誕生日に濡れ衣を着せられ、真冬の夜、着の身着のままで実家を追放されてしまう。 行き倒れかけたユキを救ったのは、隣国の英雄であり、冷徹無比と恐れられる『氷の騎士団長』レオンハルトだった。 「行く当てがないなら、俺のところへ来い。お前を保護する」 最強の騎士様に拾われたユキだったが、彼を待っていたのは冷遇……ではなく、とろとろに甘やかされる溺愛生活!? しかも、ただの「出来損ない」だと思っていたユキには、国を救い、レオンハルトの「呪い」を解く『聖なる浄化の力』が秘められていて……? 【不器用で一途な最強騎士団長(α) × 健気で料理上手な追放令息(Ω)】 どん底から始まる、運命の救済シンデレラ・オメガバース。 もふもふ聖獣も一緒です!

虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした

水凪しおん
BL
貧しい村で育った隠れオメガのリアム。彼の運命は、冷酷無比と噂される『銀薔薇の公爵』アシュレイと出会ったことで、激しく動き出す。 強大な魔力の呪いに苦しむ公爵にとって、リアムの持つ不思議な『浄化』の力は唯一の希望だった。道具として屋敷に囚われたリアムだったが、氷の仮面に隠された公爵の孤独と優しさに触れるうち、抗いがたい絆が芽生え始める。 「お前は、俺だけのものだ」 これは、身分も性も、運命さえも乗り越えていく、不器用で一途な二人の成り上がりロマンス。惹かれ合う魂が、やがて世界の理をも変える奇跡を紡ぎ出す――。

新年に余り物でおせちを作ったら、冷酷と噂の騎士団長様に「運命の番」だと求婚されました

水凪しおん
BL
料理人だった俺が転生したのは、男性オメガというだけで家族に虐げられる不遇の青年カイ。 新年くらいはと前世の記憶を頼りに作ったのは、この世界にはない『おせち料理』だった。 それを偶然口にしたのは、氷のように冷酷と噂される最強の騎士団長リアム。 「お前は俺の運命の番だ」 彼の屋敷に保護され、俺の作る料理が彼の心を溶かしていく。 不器用で、だけどまっすぐな愛情を注いでくれる彼と、美味しい料理で紡ぐ、甘くて温かい異世界スローライフ。

処理中です...