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第3話「雨の匂いと運命の番」
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雨は激しさを増し、街の石畳を容赦なく叩きつけていた。
灰色の空からは冷たい水の塊が絶え間なく落ちてきて、リアムの視界を白く霞ませる。
薄っぺらいシャツは完全に雨水を吸い込み、冷たい皮膚にべったりと張り付いていた。
靴の中にも水が入り込み、一歩踏み出すたびにぐちゃりという不快な音を立てる。
リアムは肩をすぼめ、凍える体を抱きしめるようにして薄暗い路地裏を歩いていた。
行き交う人々は皆、傘を深く差して足早に通り過ぎていく。
ずぶ濡れで歩くリアムに一瞥をくれる者もいたが、誰も声をかけようとはしない。
その冷ややかな視線は、彼が社会の底辺に落ちたことを無言で告げていた。
体中の熱が奪われ、指先の感覚が失われていく。
空腹と疲労で足元がふらつき、まっすぐに歩くことすら難しい。
雨の匂いに混じって、路地裏の湿ったカビの匂い、泥の跳ねる泥臭さが鼻をつく。
『もう、歩けない……』
リアムの足がもつれ、濡れた石畳の上に膝をついた。
両手で体を支えようとしたが、力が入らずにそのまま前のめりに倒れ込む。
冷たい石の感触が頬に伝わり、泥水が顔を汚す。
息を吸い込むたびに胸の奥が冷たく痛み、心臓の鼓動が弱々しく耳の奥で鳴っていた。
このまま目を閉じれば、すべてが終わるのだろうか。
家族からの虐待、元婚約者の裏切り、無実の罪。
そのすべてから解放されて、土に還ることができるのだろうか。
リアムの意識は、冷たい闇の底へと少しずつ沈みかけていた。
***
その時だった。
冷たい雨の匂いを切り裂くように、強烈な香りがリアムの鼻腔を突き抜けた。
深い森の奥で静かに燃える炎のような、重厚で、恐ろしいほど甘い香り。
その香りを嗅いだ瞬間、リアムの全身の細胞が爆発するような熱を持った。
凍えきっていたはずの体の奥底から、信じられないほどの熱量が沸き上がり、指先まで駆け巡る。
『なんだ、この香りは……』
リアムは重い瞼を必死に押し上げた。
霞む視界の先に、黒い外套を深く羽織った長身の男が立っているのが見えた。
男の足元で雨粒が弾け、周囲の空気がそこだけ異質な重力を持っているように感じられる。
圧倒的な存在感。
それは、間違いなく最上位のアルファが放つ覇気だった。
男がゆっくりと歩み寄り、リアムの前にしゃがみ込む。
雨に濡れた黒髪の隙間から、氷のように冷たく、しかし同時に燃え盛るような強い光を宿した青い瞳がリアムを見下ろしていた。
視線が交差した瞬間、リアムの心臓が大きく跳ねた。
オメガとしての本能が、激しく警鐘を鳴らすと同時に、抗えない引力で男を求めている。
息が荒くなり、胸が苦しいほどに締め付けられる。
運命の番。
知識としてしか知らなかったその言葉が、リアムの頭の中で閃光のように弾けた。
アレクシス・フォン・ローゼンバーグは、お忍びの視察のために街を歩いていた。
冷徹な王太子として軍を率いる彼は、常に張り詰めた緊張感の中に生きている。
しかし今、目の前の泥だらけの青年を見た瞬間、アレクシスの内側で何かが激しく崩れ落ちた。
微かに漂ってくる、雨に濡れた白い花のような、儚くも甘い香り。
それはアレクシスが長年探し求め、決して見つけることができなかった、彼の魂の欠片そのものだった。
理性が吹き飛び、本能だけが体を支配する。
「……君は」
アレクシスの低い声が、雨音を打ち消してリアムの耳に届く。
その声は、触れれば火傷しそうなほどの熱を帯びていた。
大きな手が伸びてきて、リアムの泥だらけの頬にそっと触れる。
指先の分厚いタコと、驚くほど温かい体温が伝わってきた。
「あ……」
リアムの唇から、かすかな吐息が漏れる。
恐ろしいはずのアルファに対して、なぜか恐怖を感じない。
むしろ、その大きな手にすがりつきたいという衝動が、理性を塗りつぶしていく。
アレクシスはリアムの痛々しい姿を見て、鋭い眉間に深いしわを寄せた。
服は薄く、雨に濡れて氷のように冷たくなっている。
顔色は青白く、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
「誰が君をこんな目に遭わせた」
アレクシスの声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
しかし、リアムにはそれに答える気力は残されていなかった。
安心感と熱が体を包み込み、張り詰めていた糸がふつりと切れる。
「……あったかい」
リアムの体が力なく傾き、アレクシスの広い胸の中に倒れ込んだ。
雨の冷たさはもう感じない。
アレクシスのマントから漂う森の香りと、力強い心臓の鼓動だけが、リアムの世界のすべてを埋め尽くしていた。
アレクシスは倒れ込んできたリアムの細い体を、壊れ物を扱うかのように優しく、しかし決して逃がさない強さで抱きとめた。
その軽さに、アレクシスは再び顔をしかめる。
これほどまでに痩せ細り、傷ついたオメガを、彼は見たことがなかった。
「もう大丈夫だ。私が君を守る」
誰に聞かせるわけでもなく、アレクシスは低く誓うように言った。
彼は着ていた黒い外套を脱ぎ、雨に濡れたリアムの体をすっぽりと包み込む。
そのまま軽々とリアムを横抱きに抱え上げた。
従者が慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえるが、アレクシスの視線は腕の中の青年にだけ注がれていた。
青白い顔で眠るリアムの表情は、どこか安心しきっているように見える。
その顔を見つめながら、アレクシスの胸の奥に、かつて感じたことのない激しい保護欲と独占欲が渦巻いていた。
「急いで城に戻る。馬車を回せ」
アレクシスの鋭い命令が飛ぶ。
雨はまだ降り続いていたが、リアムの心はもう、冷たい闇の中にはいなかった。
圧倒的な熱と甘い香りに包まれたまま、リアムは深い眠りの底へとゆっくりと沈んでいった。
灰色の空からは冷たい水の塊が絶え間なく落ちてきて、リアムの視界を白く霞ませる。
薄っぺらいシャツは完全に雨水を吸い込み、冷たい皮膚にべったりと張り付いていた。
靴の中にも水が入り込み、一歩踏み出すたびにぐちゃりという不快な音を立てる。
リアムは肩をすぼめ、凍える体を抱きしめるようにして薄暗い路地裏を歩いていた。
行き交う人々は皆、傘を深く差して足早に通り過ぎていく。
ずぶ濡れで歩くリアムに一瞥をくれる者もいたが、誰も声をかけようとはしない。
その冷ややかな視線は、彼が社会の底辺に落ちたことを無言で告げていた。
体中の熱が奪われ、指先の感覚が失われていく。
空腹と疲労で足元がふらつき、まっすぐに歩くことすら難しい。
雨の匂いに混じって、路地裏の湿ったカビの匂い、泥の跳ねる泥臭さが鼻をつく。
『もう、歩けない……』
リアムの足がもつれ、濡れた石畳の上に膝をついた。
両手で体を支えようとしたが、力が入らずにそのまま前のめりに倒れ込む。
冷たい石の感触が頬に伝わり、泥水が顔を汚す。
息を吸い込むたびに胸の奥が冷たく痛み、心臓の鼓動が弱々しく耳の奥で鳴っていた。
このまま目を閉じれば、すべてが終わるのだろうか。
家族からの虐待、元婚約者の裏切り、無実の罪。
そのすべてから解放されて、土に還ることができるのだろうか。
リアムの意識は、冷たい闇の底へと少しずつ沈みかけていた。
***
その時だった。
冷たい雨の匂いを切り裂くように、強烈な香りがリアムの鼻腔を突き抜けた。
深い森の奥で静かに燃える炎のような、重厚で、恐ろしいほど甘い香り。
その香りを嗅いだ瞬間、リアムの全身の細胞が爆発するような熱を持った。
凍えきっていたはずの体の奥底から、信じられないほどの熱量が沸き上がり、指先まで駆け巡る。
『なんだ、この香りは……』
リアムは重い瞼を必死に押し上げた。
霞む視界の先に、黒い外套を深く羽織った長身の男が立っているのが見えた。
男の足元で雨粒が弾け、周囲の空気がそこだけ異質な重力を持っているように感じられる。
圧倒的な存在感。
それは、間違いなく最上位のアルファが放つ覇気だった。
男がゆっくりと歩み寄り、リアムの前にしゃがみ込む。
雨に濡れた黒髪の隙間から、氷のように冷たく、しかし同時に燃え盛るような強い光を宿した青い瞳がリアムを見下ろしていた。
視線が交差した瞬間、リアムの心臓が大きく跳ねた。
オメガとしての本能が、激しく警鐘を鳴らすと同時に、抗えない引力で男を求めている。
息が荒くなり、胸が苦しいほどに締め付けられる。
運命の番。
知識としてしか知らなかったその言葉が、リアムの頭の中で閃光のように弾けた。
アレクシス・フォン・ローゼンバーグは、お忍びの視察のために街を歩いていた。
冷徹な王太子として軍を率いる彼は、常に張り詰めた緊張感の中に生きている。
しかし今、目の前の泥だらけの青年を見た瞬間、アレクシスの内側で何かが激しく崩れ落ちた。
微かに漂ってくる、雨に濡れた白い花のような、儚くも甘い香り。
それはアレクシスが長年探し求め、決して見つけることができなかった、彼の魂の欠片そのものだった。
理性が吹き飛び、本能だけが体を支配する。
「……君は」
アレクシスの低い声が、雨音を打ち消してリアムの耳に届く。
その声は、触れれば火傷しそうなほどの熱を帯びていた。
大きな手が伸びてきて、リアムの泥だらけの頬にそっと触れる。
指先の分厚いタコと、驚くほど温かい体温が伝わってきた。
「あ……」
リアムの唇から、かすかな吐息が漏れる。
恐ろしいはずのアルファに対して、なぜか恐怖を感じない。
むしろ、その大きな手にすがりつきたいという衝動が、理性を塗りつぶしていく。
アレクシスはリアムの痛々しい姿を見て、鋭い眉間に深いしわを寄せた。
服は薄く、雨に濡れて氷のように冷たくなっている。
顔色は青白く、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
「誰が君をこんな目に遭わせた」
アレクシスの声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
しかし、リアムにはそれに答える気力は残されていなかった。
安心感と熱が体を包み込み、張り詰めていた糸がふつりと切れる。
「……あったかい」
リアムの体が力なく傾き、アレクシスの広い胸の中に倒れ込んだ。
雨の冷たさはもう感じない。
アレクシスのマントから漂う森の香りと、力強い心臓の鼓動だけが、リアムの世界のすべてを埋め尽くしていた。
アレクシスは倒れ込んできたリアムの細い体を、壊れ物を扱うかのように優しく、しかし決して逃がさない強さで抱きとめた。
その軽さに、アレクシスは再び顔をしかめる。
これほどまでに痩せ細り、傷ついたオメガを、彼は見たことがなかった。
「もう大丈夫だ。私が君を守る」
誰に聞かせるわけでもなく、アレクシスは低く誓うように言った。
彼は着ていた黒い外套を脱ぎ、雨に濡れたリアムの体をすっぽりと包み込む。
そのまま軽々とリアムを横抱きに抱え上げた。
従者が慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえるが、アレクシスの視線は腕の中の青年にだけ注がれていた。
青白い顔で眠るリアムの表情は、どこか安心しきっているように見える。
その顔を見つめながら、アレクシスの胸の奥に、かつて感じたことのない激しい保護欲と独占欲が渦巻いていた。
「急いで城に戻る。馬車を回せ」
アレクシスの鋭い命令が飛ぶ。
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