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第2話「金の鳥籠への誘い」
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あの日以来、僕の平穏な日常は、皇戒吏という名の嵐によっていとも容易く掻き乱されていった。
翌日の昼過ぎ。店の前に、昨日見たものとは違う黒塗りの高級車が滑るように停まった。運転席から降りてきたスーツ姿の男性が、恭しく後部座席のドアを開ける。そこに現れたのは、もちろん、皇さんだった。
『本当に来てしまった……』
心の中で呻き、僕はとっさに店の奥へ隠れようとした。しかし、それより早く、カラン、と涼やかなベルの音が鳴る。
「湊」
低く呼ばれた名前に、心臓が跳ねる。まるでずっと前から僕の名前を知っていたかのような、自然な響きだった。
観葉植物の陰に隠れるなんていう子供じみた真似もできず、僕は引きつった笑みで振り返った。
「こ、こんにちは、皇さん。今日は、何かお花を?」
「いや。お前を迎えに来た」
「……はい?」
聞き間違いだろうか。迎えに? 僕を?
皇さんは、僕の疑問を無視して話を続ける。
「昼食がまだだろう。美味い店を知っている」
「あ、いえ、僕はまだ仕事中です。お気持ちだけで……」
「仕事なら問題ない」
彼が指を鳴らすと、いつの間にか後ろに控えていた秘書らしき男性が店長の前に進み出た。何やら分厚い封筒を手渡している。店長は最初こそ恐縮していたが、中身を見て目を丸くした。
『え、何あれ。買収?』
僕が呆然としている間に話はまとまったらしく、店長は満面の笑みで僕の肩を叩いた。
「水瀬くん、よかったじゃないか! 今日はもう上がっていいよ。皇様と、ごゆっくり!」
店長、あなたまで「様」付けですか。それに、その笑顔は完全に僕を売り渡した人の笑顔ですよ。
こうして僕は、あれよあれよという間に高級車の後部座席に押し込まれていた。隣に座る皇さんから漂う白檀の香りに、緊張で息が詰まりそうだ。
連れて行かれたのは、会員制の超高級レストランだった。広すぎる個室、テーブルに並んだ意味の分からない食器の数々。完全に場違いだ。周りの客も、いかにも上流階級といった人たちばかりで、僕の安物のシャツとジーンズがみすぼらしくて仕方がない。
「……あの、皇さん。どうして、僕なんかを?」
耐えきれず、僕は尋ねた。目の前で優雅にナイフとフォークを操る彼は、僕を一瞥すると、口の端を少しだけ上げる。
「言ったはずだ。お前は、俺のものになる、と」
「そんなこと言われても困ります。僕たち、昨日会ったばかりですし、身分も違いすぎます」
「身分など関係ない。俺が欲しいと思った。それだけだ」
あまりに傲慢で、自分勝手な物言い。でも、この人にとってはそれが世界の真理なのだろう。欲しいものは、どんな手を使っても手に入れる。それが、皇戒吏という男なのだ。
食事の間、彼は僕の家族のことや仕事のことなどを尋ねてきた。僕は当たり障りのない範囲で答えながらも、オメガであることや入院している妹のことは必死に隠した。この人に弱みを見せたら、何をされるか分からない。
「……そろそろ、店に戻らないと」
食事が終わり、デザートの皿が下げられると、僕は恐る恐る切り出した。
「送らせよう」
「いえ、電車で帰れますから!」
これ以上関わるのはごめんだ。僕は慌てて席を立とうとした。しかし、その手首を、彼に強く掴まれる。
「……っ」
「湊。俺から逃げられると思うなよ」
金色の瞳が、冷たく光る。その視線に射竦められ、僕は身動きが取れなくなった。
掴まれた手首が熱い。そこから彼の体温が流れ込んでくるようで、ぞくりと背筋が震えた。
結局、僕はまた車で店の前まで送られた。車を降りる間際、皇さんは小さな箱を僕に手渡す。
「これは……?」
「開けてみろ」
言われるがままに箱を開けると、中には最新型のスマートフォンが入っていた。
「僕、携帯は持ってますから」
「それは解約しろ。これを使え。俺の番号しか入っていない」
「……は?」
意味が分からない。というか、完全にストーカーの思考回路じゃないか。
「連絡は毎日しろ。もしなかったら、どうなるか……分かるな?」
脅しだ。完璧な脅し文句だ。
僕は青ざめて、こくこくと小さくうなずくことしかできなかった。
その日から、僕の生活は一変した。
朝、店のシャッターを開けると、どこからともなく皇さんの秘書の人が現れて、高級そうな朝食を差し入れてくる。昼には皇さん本人が現れて、昨日と同じように僕を高級レストランへ連行する。夜、仕事を終えると、家の前に彼の車が待っていて、これまた高級なディナーに付き合わされる。断るという選択肢は、僕には与えられていなかった。
周囲の目も変わり始めた。花屋の近所の人たちは、毎日高級車で送り迎えされる僕を遠巻きに見ながら、ひそひそと噂話をしている。店長は相変わらず「水瀬くん、すごいねえ」なんて暢気なことを言っているけれど、僕の心は休まる時がなかった。
まるで、少しずつ見えない檻に閉じ込められていくような感覚。
皇戒吏という男が作った、豪華絢爛な金の鳥籠に。
このままでは、僕の秘密も、妹のことも、全て彼に知られてしまう。
逃げなければ。
そう思うのに、彼の圧倒的な存在感の前では、僕の決意などなすすべもなかった。
翌日の昼過ぎ。店の前に、昨日見たものとは違う黒塗りの高級車が滑るように停まった。運転席から降りてきたスーツ姿の男性が、恭しく後部座席のドアを開ける。そこに現れたのは、もちろん、皇さんだった。
『本当に来てしまった……』
心の中で呻き、僕はとっさに店の奥へ隠れようとした。しかし、それより早く、カラン、と涼やかなベルの音が鳴る。
「湊」
低く呼ばれた名前に、心臓が跳ねる。まるでずっと前から僕の名前を知っていたかのような、自然な響きだった。
観葉植物の陰に隠れるなんていう子供じみた真似もできず、僕は引きつった笑みで振り返った。
「こ、こんにちは、皇さん。今日は、何かお花を?」
「いや。お前を迎えに来た」
「……はい?」
聞き間違いだろうか。迎えに? 僕を?
皇さんは、僕の疑問を無視して話を続ける。
「昼食がまだだろう。美味い店を知っている」
「あ、いえ、僕はまだ仕事中です。お気持ちだけで……」
「仕事なら問題ない」
彼が指を鳴らすと、いつの間にか後ろに控えていた秘書らしき男性が店長の前に進み出た。何やら分厚い封筒を手渡している。店長は最初こそ恐縮していたが、中身を見て目を丸くした。
『え、何あれ。買収?』
僕が呆然としている間に話はまとまったらしく、店長は満面の笑みで僕の肩を叩いた。
「水瀬くん、よかったじゃないか! 今日はもう上がっていいよ。皇様と、ごゆっくり!」
店長、あなたまで「様」付けですか。それに、その笑顔は完全に僕を売り渡した人の笑顔ですよ。
こうして僕は、あれよあれよという間に高級車の後部座席に押し込まれていた。隣に座る皇さんから漂う白檀の香りに、緊張で息が詰まりそうだ。
連れて行かれたのは、会員制の超高級レストランだった。広すぎる個室、テーブルに並んだ意味の分からない食器の数々。完全に場違いだ。周りの客も、いかにも上流階級といった人たちばかりで、僕の安物のシャツとジーンズがみすぼらしくて仕方がない。
「……あの、皇さん。どうして、僕なんかを?」
耐えきれず、僕は尋ねた。目の前で優雅にナイフとフォークを操る彼は、僕を一瞥すると、口の端を少しだけ上げる。
「言ったはずだ。お前は、俺のものになる、と」
「そんなこと言われても困ります。僕たち、昨日会ったばかりですし、身分も違いすぎます」
「身分など関係ない。俺が欲しいと思った。それだけだ」
あまりに傲慢で、自分勝手な物言い。でも、この人にとってはそれが世界の真理なのだろう。欲しいものは、どんな手を使っても手に入れる。それが、皇戒吏という男なのだ。
食事の間、彼は僕の家族のことや仕事のことなどを尋ねてきた。僕は当たり障りのない範囲で答えながらも、オメガであることや入院している妹のことは必死に隠した。この人に弱みを見せたら、何をされるか分からない。
「……そろそろ、店に戻らないと」
食事が終わり、デザートの皿が下げられると、僕は恐る恐る切り出した。
「送らせよう」
「いえ、電車で帰れますから!」
これ以上関わるのはごめんだ。僕は慌てて席を立とうとした。しかし、その手首を、彼に強く掴まれる。
「……っ」
「湊。俺から逃げられると思うなよ」
金色の瞳が、冷たく光る。その視線に射竦められ、僕は身動きが取れなくなった。
掴まれた手首が熱い。そこから彼の体温が流れ込んでくるようで、ぞくりと背筋が震えた。
結局、僕はまた車で店の前まで送られた。車を降りる間際、皇さんは小さな箱を僕に手渡す。
「これは……?」
「開けてみろ」
言われるがままに箱を開けると、中には最新型のスマートフォンが入っていた。
「僕、携帯は持ってますから」
「それは解約しろ。これを使え。俺の番号しか入っていない」
「……は?」
意味が分からない。というか、完全にストーカーの思考回路じゃないか。
「連絡は毎日しろ。もしなかったら、どうなるか……分かるな?」
脅しだ。完璧な脅し文句だ。
僕は青ざめて、こくこくと小さくうなずくことしかできなかった。
その日から、僕の生活は一変した。
朝、店のシャッターを開けると、どこからともなく皇さんの秘書の人が現れて、高級そうな朝食を差し入れてくる。昼には皇さん本人が現れて、昨日と同じように僕を高級レストランへ連行する。夜、仕事を終えると、家の前に彼の車が待っていて、これまた高級なディナーに付き合わされる。断るという選択肢は、僕には与えられていなかった。
周囲の目も変わり始めた。花屋の近所の人たちは、毎日高級車で送り迎えされる僕を遠巻きに見ながら、ひそひそと噂話をしている。店長は相変わらず「水瀬くん、すごいねえ」なんて暢気なことを言っているけれど、僕の心は休まる時がなかった。
まるで、少しずつ見えない檻に閉じ込められていくような感覚。
皇戒吏という男が作った、豪華絢爛な金の鳥籠に。
このままでは、僕の秘密も、妹のことも、全て彼に知られてしまう。
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そう思うのに、彼の圧倒的な存在感の前では、僕の決意などなすすべもなかった。
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