希少な『月魄のオメガ』だとバレたら、冷酷無慈悲な最強アルファに囚われ、契約の番として甘く激しく溺愛されています。

水凪しおん

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第4話「契約という名の束縛」

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 病院からの帰り道、僕の足取りは鉛のように重かった。
 雫が治るかもしれない。その希望と、そのために僕が支払わなければならない代償。二つの事実が、頭の中でぐるぐると回り続けている。

『お前自身だ、湊』

 皇さんの声が、耳の奥で何度も反響する。
 彼の言う「お前自身」が何を意味するのか。考えたくもなかった。でも、考えずにはいられない。
 アルファがオメガを欲しがる理由なんて、一つしかない。
 番(つがい)として傍に置き、自分の子を産ませるため。
 僕がベータだと偽っていることなど、彼にはとっくに見抜かれているのだろう。

 アパートの古びた階段を上り、鍵を開けて部屋に入る。電気もつけず、そのままドアの前にへたり込んだ。
 狭くて日当たりの悪い、家賃だけのボロアパート。でも、ここは誰にも脅かされることのない、僕だけの城であり、唯一の安息の場所だった。
 その聖域すら、もはや安全ではない。

 どうすればいい。
 雫を助けたい。でも、そのためには、僕の全てをあの男に捧げなければならない。僕の身体も、心も、未来も。
 それは、僕が水瀬湊として生きてきた人生を、捨てることと同義だった。
 嫌だ。そんなのは、絶対に嫌だ。

 僕は、皇さんから渡されたスマートフォンを強く握りしめた。これを叩き割って、どこか遠くへ逃げてしまおうか。雫を連れて、誰も僕たちを知らない場所へ……。
 でも、そんなことできっこない。病気の雫を連れて逃げたところで、すぐに捕まるのが関の山だ。それに、治療費がなければ、雫は……。
 そこまで考えて、僕は唇を強く噛みしめた。

『……僕には、もう、選ぶ権利なんてないんだ』

 諦めにも似た感情が、胸に広がる。
 僕は震える指で、たった一つだけ登録された番号に電話をかけた。

 数コールもしないうちに、相手が出る。

「……僕です、水瀬です」

『決心はついたか』

 静かだが、有無を言わせぬ響きを持った声。

「……あなたの、望みは何ですか。僕に、何をしろと?」

 僕は、最後の抵抗のように尋ねた。

『簡単なことだ。俺の傍にいろ。俺以外の誰にも触れさせるな。俺だけを見ろ。……俺の、番になれ』

「……っ」

 はっきりと告げられた言葉に、息が詰まる。
 ああ、やっぱり。この人は、僕をそういう対象として見ていたんだ。

「もし……もし、僕があなたの番になったら、本当に、雫を助けてくれるんですか」

「ああ、約束する。世界中から最高の医療チームを呼び寄せ、必ずお前の妹を完治させる」

 彼の言葉に、嘘は感じられない。この人なら、本当にそれをやってのけるだろう。
 僕のたった一つの願いが、すぐ目の前にぶら下がっている。手を伸ばせば、届く場所に。

「……分かり、ました」

 喉から絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、惨めだった。

「あなたの言う通りにします。だから……だから、雫を、助けてください」

 もう、プライドも、意地も、何もかも捨てていた。ただ、妹を救いたい。その一心だけだった。

『賢明な判断だ。今すぐ迎えに行く。荷物をまとめておけ』

「え? い、今から?」

『当然だろう。お前は今日から、俺の家で暮らすんだ』

 電話は、またしても一方的に切られた。
 僕は呆然としながらも、彼の命令通り、小さなスーツケースに数少ない身の回りのものを詰め始めた。作業はすぐに終わってしまった。
 花屋の店長には、なんて言おうか。『一身上の都合で辞めます』とでもメッセージを送っておけばいいだろうか。優しくしてくれた店長の顔が浮かび、胸が痛んだ。

 三十分もしないうちに、アパートの前に黒塗りの高級車が停まった。
 僕は最後の別れを告げるように、薄暗い部屋を一度だけ見回し、静かにドアを閉めた。

 車に乗り込むと、後部座席で皇さんが待っていた。
 彼は僕の小さなスーツケースを一瞥すると、小さく鼻で笑う。

「荷物はそれだけか」

「……はい」

「まあ、いい。必要なものは、全てこちらで用意する。お前が持ってきたものは、全て捨てろ」

「え……でも、これには思い出の物も……」

「いらない。お前の過去は、全て俺が消してやる。これからは、俺との思い出だけを作ればいい」

 どこまでも、傲慢で、独善的な人。
 僕は何も言い返せず、俯いた。

 車が向かった先は、都心にそびえ立つ超高層マンションの最上階だった。
 エレベーターを降りると、そこはもう彼の部屋の玄関だった。ワンフロア全てが、彼の住居なのだ。
 中に入ると、生活感の全くない、モデルルームのように洗練された空間が広がっていた。窓の外には、宝石を散りばめたような東京の夜景。僕が今まで生きてきた世界とは、何もかもが違う。

「お前の部屋はここだ」

 案内されたのは、リビングの隣にある、僕のアパートの部屋よりもずっと広い一室だった。大きなベッドに、ウォークインクローゼット。全てが最高級品で揃えられている。

「……ありがとうございます」

「礼を言う必要はない。これは契約だ」

 彼はそう言うと、一枚の書類を僕の前に差し出した。

「サインしろ」

 そこに書かれていたのは、法的な拘束力を持つ『番契約書』だった。
 甲、皇戒吏。乙、水瀬湊。
 乙は甲の所有物となり、甲の命令に絶対服従すること。
 乙は甲以外の者と、一切の性的接触を禁ずる。
 その代わり、甲は乙の妹、水瀬雫の治療に関する一切の費用を負担し、乙の生活を保障する。

 それは、僕の魂を売り渡す、悪魔との契約書だった。
 僕は震える手でペンを取り、乙の欄に『水瀬湊』とサインをした。
 その瞬間、僕の人生は、僕のものではなくなったのだと、はっきりと理解した。
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