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第8話「すれ違う想い」
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僕の心が限界に達するのに、そう時間はかからなかった。
決定的な出来事は、ある晴れた日の午後に起きた。
その日も、瑠衣さんは友人らしき二人のオメガを連れてマンションにやってきた。そして、僕をリビングから追い出すと、三人で楽しそうにお茶会を始めた。
居場所のなくなった僕は、自分の部屋のベッドの上で、膝を抱えて蹲っていた。
彼女たちの甲高い笑い声が、壁を隔てていても聞こえてくる。その全てが、僕を嘲笑っているように感じられた。
『もう、嫌だ……』
ここから、逃げ出したい。
でも、僕にはどこにも行く場所がない。雫のことを考えれば、皇さんの元を離れるなんて、絶対にできない。
がんじがらめの状況に、涙が滲む。
コンコン、と控えめなノックの音。
「湊様。少し、よろしいでしょうか」
ドアの外から聞こえてきたのは、高遠さんの声だった。
「……高遠さん」
ドアを開けると、彼は心配そうな顔で僕を見つめていた。
「顔色が優れませんね。……瑠衣様たちのことは、お気になさらないでください」
彼の言葉に、僕はただ力なく首を振ることしかできなかった。
「……少し、外の空気を吸っても、いいでしょうか」
気分転換が必要だった。このまま部屋にいても、悪いことばかり考えてしまう。
「もちろん、構いませんよ。気分が晴れるなら、そこのバルコニーへどうぞ。私が付き添います」
高遠さんに案内されて、僕はリビングの先にある広いバルコニーに出た。
ガラスのフェンスの向こうには、どこまでも広がる青い空。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、少しだけ、息がしやすくなった気がした。
「……ありがとうございます、高遠さん」
「いえ。……湊様、あまりご自分を追い詰めないでください。戒吏様は、あなたのことを、本当に大切に思っておいでです」
高遠さんの優しい言葉が、心に沁みる。
この人は、僕の味方でいてくれるのかもしれない。そう思っただけで、少し救われた。
僕が高遠さんとバルコニーで話している間、リビングでは瑠衣さんたちが何やら画策していることなど、知る由もなかった。
その日の夜。
仕事から帰ってきた皇さんは、いつもと様子が違った。
挨拶もそこそこに、僕の腕を掴むと、荒々しい力でリビングのソファに突き飛ばす。
「いっ……!?」
突然のことに、何が起きたのか分からない。
見上げると、そこには、見たこともないほど冷たい、怒りに燃える金色の瞳があった。
「皇さん……? どうしたんですか……」
「とぼけるなッ!」
怒声と共に、テーブルの上に一枚の写真が叩きつけられた。
そこに写っていたのは、今日、僕が高遠さんとバルコニーで話している姿だった。
ただ、その写真は、非常に悪意のある角度から撮られていた。僕が高遠さんにもたれかかるように見え、高遠さんが僕の肩を抱いているように見える、絶妙なアングル。まるで、恋人同士が睦み合っているかのような写真だった。
「これは、どういうことだ、湊。説明しろ」
地獄の底から響くような、低い声。
僕は、はっと息を呑んだ。
やられた。瑠衣さんの、策略だ。
「ち、違います! これは……! 高遠さんと、少し話をしていただけで……!」
「話? バルコニーで、二人きりでか。随分と、親密そうじゃないか」
彼の瞳は、嫉妬の炎で燃え上がっていた。僕の言葉なんて、少しも届いていない。
「俺というものがありながら、他の男と……しかも、俺が唯一心を許していた高遠と、密会か。湊、お前だけは裏切らないと信じていたのに。ずいぶんと、俺を舐めてくれたものだな」
「違うんです! 信じてください!」
必死に訴えるけれど、彼は聞く耳を持たない。
それどころか、僕の顎を強く掴み、無理やり顔を上げさせた。
「信じる? お前は、俺を裏切ったんだぞ。この、貞操のないオメガめ」
その言葉が、僕の心を粉々に打ち砕いた。
貞操のない、オメガ。
彼は、僕をそんな風に見ていたのか。
契約で縛り、金の鳥籠に閉じ込めて、結局は、アルファの本能のままに僕を疑い、蔑むのか。
僕があなたを裏切るはずがないじゃないか。
あなただけが、僕の全てなのに。
雫を助けてくれた、あなたを。
不器用だけど、本当は優しいあなたを。
僕が、どれだけ……。
喉まで出かかった言葉を、僕はぐっと飲み込んだ。
言えない。言えるはずがない。
僕が彼に惹かれ始めているなんて、そんなこと、絶対に知られてはいけない。
知られたら、この人はもっと僕を支配しようとするだろう。僕の心まで、彼の所有物になってしまう。
涙が、ぼろぼろと溢れ出す。
違う、違うんだ。信じてほしい。
でも、僕の口からは、嗚咽しか出てこない。
僕の涙を見た皇さんは、一瞬、狼狽えたような顔をした。掴んでいた顎の力が、少しだけ緩む。
けれど、それも一瞬のこと。彼はすぐに冷酷な表情に戻ると、僕を突き放すように言った。
「……もういい。お前の顔も見たくない。自分の部屋にいろ」
その言葉は、僕にとって死刑宣告にも等しかった。
信じてもらえない。彼に、拒絶された。
ふらふらと立ち上がり、自分の部屋に向かう。その背中に、彼の冷たい視線が突き刺さっているのを感じた。
ドアを閉めた瞬間、僕はその場に崩れ落ちた。
胸が、張り裂けそうに痛い。
僕たちの間にあった、脆く、儚い信頼関係。それは、こんなにも簡単に壊れてしまうものだったのか。
彼が僕を信じてくれないのなら、もう、ここにいる意味なんてない。
でも、どこにも行けない。
暗い部屋の中、僕は声を殺して泣き続けた。
心と身体が、バラバラになっていくような感覚。
そして、僕の意識は、ぷつりと糸が切れるように途絶えた。
決定的な出来事は、ある晴れた日の午後に起きた。
その日も、瑠衣さんは友人らしき二人のオメガを連れてマンションにやってきた。そして、僕をリビングから追い出すと、三人で楽しそうにお茶会を始めた。
居場所のなくなった僕は、自分の部屋のベッドの上で、膝を抱えて蹲っていた。
彼女たちの甲高い笑い声が、壁を隔てていても聞こえてくる。その全てが、僕を嘲笑っているように感じられた。
『もう、嫌だ……』
ここから、逃げ出したい。
でも、僕にはどこにも行く場所がない。雫のことを考えれば、皇さんの元を離れるなんて、絶対にできない。
がんじがらめの状況に、涙が滲む。
コンコン、と控えめなノックの音。
「湊様。少し、よろしいでしょうか」
ドアの外から聞こえてきたのは、高遠さんの声だった。
「……高遠さん」
ドアを開けると、彼は心配そうな顔で僕を見つめていた。
「顔色が優れませんね。……瑠衣様たちのことは、お気になさらないでください」
彼の言葉に、僕はただ力なく首を振ることしかできなかった。
「……少し、外の空気を吸っても、いいでしょうか」
気分転換が必要だった。このまま部屋にいても、悪いことばかり考えてしまう。
「もちろん、構いませんよ。気分が晴れるなら、そこのバルコニーへどうぞ。私が付き添います」
高遠さんに案内されて、僕はリビングの先にある広いバルコニーに出た。
ガラスのフェンスの向こうには、どこまでも広がる青い空。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、少しだけ、息がしやすくなった気がした。
「……ありがとうございます、高遠さん」
「いえ。……湊様、あまりご自分を追い詰めないでください。戒吏様は、あなたのことを、本当に大切に思っておいでです」
高遠さんの優しい言葉が、心に沁みる。
この人は、僕の味方でいてくれるのかもしれない。そう思っただけで、少し救われた。
僕が高遠さんとバルコニーで話している間、リビングでは瑠衣さんたちが何やら画策していることなど、知る由もなかった。
その日の夜。
仕事から帰ってきた皇さんは、いつもと様子が違った。
挨拶もそこそこに、僕の腕を掴むと、荒々しい力でリビングのソファに突き飛ばす。
「いっ……!?」
突然のことに、何が起きたのか分からない。
見上げると、そこには、見たこともないほど冷たい、怒りに燃える金色の瞳があった。
「皇さん……? どうしたんですか……」
「とぼけるなッ!」
怒声と共に、テーブルの上に一枚の写真が叩きつけられた。
そこに写っていたのは、今日、僕が高遠さんとバルコニーで話している姿だった。
ただ、その写真は、非常に悪意のある角度から撮られていた。僕が高遠さんにもたれかかるように見え、高遠さんが僕の肩を抱いているように見える、絶妙なアングル。まるで、恋人同士が睦み合っているかのような写真だった。
「これは、どういうことだ、湊。説明しろ」
地獄の底から響くような、低い声。
僕は、はっと息を呑んだ。
やられた。瑠衣さんの、策略だ。
「ち、違います! これは……! 高遠さんと、少し話をしていただけで……!」
「話? バルコニーで、二人きりでか。随分と、親密そうじゃないか」
彼の瞳は、嫉妬の炎で燃え上がっていた。僕の言葉なんて、少しも届いていない。
「俺というものがありながら、他の男と……しかも、俺が唯一心を許していた高遠と、密会か。湊、お前だけは裏切らないと信じていたのに。ずいぶんと、俺を舐めてくれたものだな」
「違うんです! 信じてください!」
必死に訴えるけれど、彼は聞く耳を持たない。
それどころか、僕の顎を強く掴み、無理やり顔を上げさせた。
「信じる? お前は、俺を裏切ったんだぞ。この、貞操のないオメガめ」
その言葉が、僕の心を粉々に打ち砕いた。
貞操のない、オメガ。
彼は、僕をそんな風に見ていたのか。
契約で縛り、金の鳥籠に閉じ込めて、結局は、アルファの本能のままに僕を疑い、蔑むのか。
僕があなたを裏切るはずがないじゃないか。
あなただけが、僕の全てなのに。
雫を助けてくれた、あなたを。
不器用だけど、本当は優しいあなたを。
僕が、どれだけ……。
喉まで出かかった言葉を、僕はぐっと飲み込んだ。
言えない。言えるはずがない。
僕が彼に惹かれ始めているなんて、そんなこと、絶対に知られてはいけない。
知られたら、この人はもっと僕を支配しようとするだろう。僕の心まで、彼の所有物になってしまう。
涙が、ぼろぼろと溢れ出す。
違う、違うんだ。信じてほしい。
でも、僕の口からは、嗚咽しか出てこない。
僕の涙を見た皇さんは、一瞬、狼狽えたような顔をした。掴んでいた顎の力が、少しだけ緩む。
けれど、それも一瞬のこと。彼はすぐに冷酷な表情に戻ると、僕を突き放すように言った。
「……もういい。お前の顔も見たくない。自分の部屋にいろ」
その言葉は、僕にとって死刑宣告にも等しかった。
信じてもらえない。彼に、拒絶された。
ふらふらと立ち上がり、自分の部屋に向かう。その背中に、彼の冷たい視線が突き刺さっているのを感じた。
ドアを閉めた瞬間、僕はその場に崩れ落ちた。
胸が、張り裂けそうに痛い。
僕たちの間にあった、脆く、儚い信頼関係。それは、こんなにも簡単に壊れてしまうものだったのか。
彼が僕を信じてくれないのなら、もう、ここにいる意味なんてない。
でも、どこにも行けない。
暗い部屋の中、僕は声を殺して泣き続けた。
心と身体が、バラバラになっていくような感覚。
そして、僕の意識は、ぷつりと糸が切れるように途絶えた。
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