的中率100%の占い師ですが、運命の相手を追い返そうとしたら不器用な軍人がやってきました

水凪しおん

文字の大きさ
3 / 15

第2話「雨上がりの再訪」

しおりを挟む
 店は、いつにも増して静まり返っていた。
 木枠の窓から差し込む光が、空気中を舞う細かな埃を照らし出している。紫苑は一人、机の上の水盤を見つめていた。
 李翔という男が訪れてから、すでに五日が経過していた。
 あの日、冷酷な言葉で彼を突き放した。過去の幻影など捨ててしまえと、占いすら行わずに断言したのだ。真面目な軍人である彼なら、占い師の言葉を重く受け止め、二度とこんな裏路地の店には足を向けないはずだった。

『これでよかったのだ』

 自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。
 オメガである自分にとって、運命のアルファと関わることは破滅を意味する。理性を奪われ、本能に支配されるだけの人生など絶対に認めない。
 白磁の器に入ったお茶は、すでにすっかり冷めきっていた。口に運ぶ気にもなれず、ただじっと水面を眺め続けた。
 水は鏡のように穏やかで、何の波紋も生み出さない。平和な日常が戻ってきただけだ。それなのに、なぜか胸の奥に小さな棘が刺さったような、奇妙な違和感が消えなかった。
 ふと、雨の気配がした。
 窓の外を見ると、いつの間にか厚い雲が煌都の空を覆い隠していた。細かい雨粒が、古い瓦屋根を叩く音が聞こえ始める。
 椅子から立ち上がり、窓を閉めようと手を伸ばした。
 その時、カランという鈴の音が店内に響き渡った。
 肩がびくりと跳ねる。ゆっくりと振り返ると、そこには見覚えのある大柄な影が立っていた。

「突然やってきてすまない」

 濃紺の軍服を雨で濡らした李翔だった。
 紫苑は呼吸を止めた。彼から漂う香りが、本物の雨の匂いと混じり合い、あの日よりもさらに色濃く感覚を刺激してきたからだ。

「……なぜ、また来たのですか」

 窓辺に立ったまま、警戒を隠そうともせずに問いかけた。

「あなたにはもう、お伝えしたはずです。あの人とは縁がないと」

 李翔は扉を静かに閉め、帽子を手で払って水滴を落とした。表情は相変わらず真面目で、どこか思い詰めたような硬さがある。

「わかっている。あなたの言葉は、ずっと頭の中で繰り返していた」

 一歩、こちらへ近づいた。無意識に後ずさりしそうになるのを、必死にこらえた。

「過去にしがみつくなという助言は、正しかった。私は、幻影を追いかけているだけだったのかもしれない」

「それなら、どうして」

「だが、どうしても納得できないことがあってな」

 真っすぐな瞳が、こちらを捉えた。その眼差しには、隠しきれない熱が宿っている。

「縁がないと言われた時、私は絶望すると思っていた。だが、不思議と心は穏やかだったのだ。あなたの声を聞いていると、長年の胸のつかえが下りるような、そんな気がして」

 紫苑は眉間にしわを寄せた。彼の言っている意味が、まったく理解できなかった。

「私は占い師です。あなたの心を癒やすための医者ではありません」

「わかっている。だが、もう少しだけ、あなたの話を聞かせてくれないだろうか」

 不器用に頭を下げた。

「どんなに厳しい言葉でもいい。あなたが紡ぐ言葉には、不思議な力がある。ただ、それを聞きたいのだ」

 絶句した。
 占い師として生きてきて、こんな客は初めてだった。未来を知るためではなく、ただ言葉を求めてやってくるなど、聞いたことがない。

『この男は、何を考えているのだ』

 混乱していた。彼を遠ざけるために投げつけた冷たい言葉が、逆に彼を引き寄せる結果になってしまったのだ。

***

 断るべきだ。今すぐ店から追い出さなければならない。
 しかし、雨に濡れた姿を見ていると、どうしても冷酷な言葉が口から出てこなかった。不器用な誠実さが、頑なな心を少しずつ削り取っていく。

「……服が濡れています。風邪を引きますよ」

 自分でも信じられないような言葉を口にしていた。
 棚から清潔な布を取り出し、無造作に投げ渡す。驚いたように布を受け取り、顔をほころばせた。

「すまない。感謝する」

 布で頭や肩を拭く間、紫苑は再び椅子に腰を下ろし、新しいお茶を淹れ始めた。
 茶葉の香りが店内に広がり、放たれる森の香りと静かに溶け合っていく。手元の茶器を見つめながら、心を落ち着かせようと努めた。

「勘違いしないでください。ただ、店の中を水浸しにされたくないだけです」

「わかっている。気遣い、痛み入る」

 嬉しそうに言い、前回と同じ客用の丸椅子に遠慮がちに座った。
 温かいお茶の入った器を、無言で差し出した。両手で大切そうに器を包み込み、ゆっくりと口をつける。

「美味い。冷えた体に染み渡るようだ」

 その飾らない笑顔を見て、微かに息を吐いた。

『運命のアルファが、こんなにも鈍感で素直な男だなんて』

 本能が恐れていたような暴力性も支配欲も、彼からは微塵も感じられない。それがさらに戸惑わせていた。

「それで、私に何を聞きたいというのですか」

 冷たい声色を保とうと意識しながら尋ねた。
 李翔はお茶の器を机に置き、真剣な表情に戻った。

「あなたは、運命というものを信じるか」

 唐突な問いだった。指先が、わずかにこわばる。

「占い師にそれを聞くのですか」

「すまない。おかしな問いだったな」

 自嘲するように笑った。

「私はずっと、幼い頃の出会いを運命だと思っていた。いつか必ず再会できると、信じて疑わなかった」

 視線が、虚空をさまようように遠くを向いた。

「だが、あなたの言葉で目が覚めた。運命などというものは、自分が勝手に作り上げた幻想にすぎないのかもしれないとな」

 胸が、チクリと痛んだ。

「幻想、ですか」

「あぁ。だから私は、もう過去の幻影を探すのをやめる。これからは、自分の目で見て、自分の足で探すことにした」

 真っすぐに見つめ直した。

「だから、ここへ来たのだ」

 息を呑んだ。瞳の奥底にある真っすぐな感情が、痛いほど伝わってくる。

『彼は、自分の意思でここに来たというのか』

 運命に引き寄せられたからではなく、彼自身の選択として、会いに来た。その事実が、心を激しく揺さぶった。

「あなたは、本当に変わった人ですね」

 視線をそらし、手元の水盤を見つめた。水面には何も映っていない。ただ、揺れる心だけがそこに存在していた。

「迷惑だっただろうか」

 不安そうに尋ねる。

「迷惑です」

 即答した。しかし、その声には以前のような冷たい刺はなかった。

「ですが、雨が止むまでなら、ここに居ても構いません」

 顔が、ぱっと明るくなった。

「感謝する」

 外の雨音は、まだしばらく止みそうにない。冷めた自分のお茶を一口だけ飲んだ。喉を通る冷たい液体が、なぜか少しだけ温かく感じられた。
 運命を回避するためには、彼を遠ざけなければならない。頭ではわかっているのに、店から追い出すことができなかった。
 静かな雨音と、二つの異なる香りが混ざり合う空間で、心に小さな迷いの種が芽生え始めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない

子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」 家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。 無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。 しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。 5年後、雪の夜。彼と再会する。 「もう離さない」 再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。 彼は温かい手のひらを持つ人だった。 身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。

『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました

小池 月
BL
 大学一年の半田壱兎<はんだ いちと>は男性オメガ。壱兎は生涯ひとりを貫くことを決めた『アルファ拒食症』のバース性診断をうけている。  壱兎は過去に、オメガであるために男子の輪に入れず、女子からは異端として避けられ、孤独を経験している。  加えてベータ男子からの性的からかいを受けて不登校も経験した。そんな経緯から徹底してオメガ性を抑えベータとして生きる『アルファ拒食症』の道を選んだ。  大学に入り壱兎は初めてアルファと出会う。  そのアルファ男性が、壱兎とは違う学部の相川弘夢<あいかわ ひろむ>だった。壱兎と弘夢はすぐに仲良くなるが、弘夢のアルファフェロモンの影響で壱兎に発情期が来てしまう。そこから壱兎のオメガ性との向き合い、弘夢との関係への向き合いが始まるーー。 ☆BLです。全年齢対応作品です☆

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

声なき王子は素性不明の猟師に恋をする

石月煤子
BL
第一王子である腹違いの兄から命を狙われた、妾の子である庶子のロスティア。 毒薬によって声を失った彼は城から逃げ延び、雪原に倒れていたところを、猟師と狼によって助けられた。 「王冠はあんたに相応しい。王子」 貴方のそばで生きられたら。 それ以上の幸福なんて、きっと、ない。

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。

『君を幸せにする』と毎日プロポーズしてくるチート宮廷魔術師に、飽きられるためにOKしたら、なぜか溺愛が止まらない。

春凪アラシ
BL
「君を一生幸せにする」――その言葉が、これほど厄介だなんて思わなかった。 チート宮廷魔術師×うさぎ獣人の道具屋。
毎朝押しかけてプロポーズしてくる天才宮廷魔術師・シグに、うんざりしながらも返事をしてしまったうさぎ獣人の道具屋である俺・トア。 
でもこれは恋人になるためじゃない、“一目惚れの幻想を崩し、幻滅させて諦めさせる作戦”のはずだった。 ……なのに、なんでコイツ、飽きることなく俺の元に来るんだよ? 
“うさぎ獣人らしくない俺”に、どうしてそんな真っ直ぐな目を向けるんだ――? 見た目も性格も不釣り合いなふたりが織りなす、ちょっと不器用な異種族BL。 同じ世界観の「「世界一美しい僕が、初恋の一目惚れ軍人に振られました」僕の辞書に諦めはないので全力で振り向かせます」を投稿してます!トアも出てくるので良かったらご覧ください✨

αからΩになった俺が幸せを掴むまで

なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。 10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。 義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。 アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。 義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が… 義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。 そんな海里が本当の幸せを掴むまで…

処理中です...