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第8話「隔離された愛玩動物」
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白い天井を見つめながら、晴人はゆっくりと目を開けた。
鼻を突くのは、薬品のような鋭い匂いと、清潔なリネンの香りだ。あの甘く濃厚な、レグルスの獣の匂いはどこにもない。
「……気がついたかね?」
声をかけてきたのは、白衣を着た老齢の男だった。丸い眼鏡の奥の瞳は優しげだが、頭には羊のようにくるりと巻いた角が生えている。
「ここは……?」
「王城の医療棟だよ。君が倒れてから丸二日が経過している」
「二日!?」
晴人は跳ね起こうとして、全身の気だるさに動きを止めた。熱は下がっているが、体の奥に火種が残っているような、奇妙な感覚がある。
「無理はいけない。君の症状は『発情期(ヒート)』によるものだ。抑制剤を投与して落ち着かせたが、まだ本調子ではないだろう」
「ヒート……? なんですか、それ」
医者は少し驚いたように目を丸くし、それから咳払いをして説明を始めた。
この世界には男女という性別の他に、第二の性としてアルファ、ベータ、オメガが存在すること。晴人はその中でも希少な『オメガ』であり、発情期には強烈なフェロモンを出して異性を引き寄せる性質があること。
そして、レグルスが『アルファ』の頂点に立つ存在であること。
「君のフェロモンは、陛下にとって劇薬に近い。理性を破壊しかねないほどの相性の良さだ。だから陛下は、君をここに隔離するよう命じられた」
「隔離……」
その言葉が、胸に重くのしかかった。
「もう、レグルス様には会えないんですか?」
「陛下のご判断次第だ。だが、今の陛下は君の匂いに当てられ、自室に籠もっておられる。君に危害を加えないための、苦渋の決断だろう」
医者が部屋を出て行った後、晴人は膝を抱えた。
安堵するべき状況なのかもしれない。捕食される恐怖も、襲われる危険もなくなったのだから。
けれど、心に残っているのは、あの夜、自分の身を案じて苦しげに顔を歪めていたレグルスの表情だった。
『逃げろ』と言った声の震え。自分を傷つけてまで理性を保とうとした高潔さ。
「……会いたい」
口に出して初めて、その感情の正体に気づいた。
ただの飼い主とペットではない。マッサージを通じて触れ合い、不器用な優しさに触れるうちに、晴人はあの大きなライオンに惹かれていたのだ。
窓の外を見る。二つの月は今日も綺麗だが、あの黄金の鬣(たてがみ)の輝きがないと、世界はひどく色褪せて見えた。
晴人は拳を握りしめた。
ただ守られているだけのペットで終わるつもりはない。自分はトリマーだ。気難しい猛獣と向き合い、信頼を勝ち取ってきたプロだ。
「待っててよ、レグルス様。こんな柵、飛び越えてみせるから」
鼻を突くのは、薬品のような鋭い匂いと、清潔なリネンの香りだ。あの甘く濃厚な、レグルスの獣の匂いはどこにもない。
「……気がついたかね?」
声をかけてきたのは、白衣を着た老齢の男だった。丸い眼鏡の奥の瞳は優しげだが、頭には羊のようにくるりと巻いた角が生えている。
「ここは……?」
「王城の医療棟だよ。君が倒れてから丸二日が経過している」
「二日!?」
晴人は跳ね起こうとして、全身の気だるさに動きを止めた。熱は下がっているが、体の奥に火種が残っているような、奇妙な感覚がある。
「無理はいけない。君の症状は『発情期(ヒート)』によるものだ。抑制剤を投与して落ち着かせたが、まだ本調子ではないだろう」
「ヒート……? なんですか、それ」
医者は少し驚いたように目を丸くし、それから咳払いをして説明を始めた。
この世界には男女という性別の他に、第二の性としてアルファ、ベータ、オメガが存在すること。晴人はその中でも希少な『オメガ』であり、発情期には強烈なフェロモンを出して異性を引き寄せる性質があること。
そして、レグルスが『アルファ』の頂点に立つ存在であること。
「君のフェロモンは、陛下にとって劇薬に近い。理性を破壊しかねないほどの相性の良さだ。だから陛下は、君をここに隔離するよう命じられた」
「隔離……」
その言葉が、胸に重くのしかかった。
「もう、レグルス様には会えないんですか?」
「陛下のご判断次第だ。だが、今の陛下は君の匂いに当てられ、自室に籠もっておられる。君に危害を加えないための、苦渋の決断だろう」
医者が部屋を出て行った後、晴人は膝を抱えた。
安堵するべき状況なのかもしれない。捕食される恐怖も、襲われる危険もなくなったのだから。
けれど、心に残っているのは、あの夜、自分の身を案じて苦しげに顔を歪めていたレグルスの表情だった。
『逃げろ』と言った声の震え。自分を傷つけてまで理性を保とうとした高潔さ。
「……会いたい」
口に出して初めて、その感情の正体に気づいた。
ただの飼い主とペットではない。マッサージを通じて触れ合い、不器用な優しさに触れるうちに、晴人はあの大きなライオンに惹かれていたのだ。
窓の外を見る。二つの月は今日も綺麗だが、あの黄金の鬣(たてがみ)の輝きがないと、世界はひどく色褪せて見えた。
晴人は拳を握りしめた。
ただ守られているだけのペットで終わるつもりはない。自分はトリマーだ。気難しい猛獣と向き合い、信頼を勝ち取ってきたプロだ。
「待っててよ、レグルス様。こんな柵、飛び越えてみせるから」
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