実況配信中!没落オメガの通信魔術師と氷の騎士団長の契約結婚~迷宮の底でヒートしたら冷徹アルファの溺愛が始まった

水凪しおん

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第1話「王都の片隅に隠れ潜む者」

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 薄暗い部屋の片隅で、乾いた風が窓の隙間をすり抜ける音がした。
 ルミナス・アステリアは古びた木の椅子に深く腰掛け、目の前に置かれた金属製の魔力盤を静かに見つめていた。
 部屋の中には埃っぽい匂いと、古い紙が発する独特の甘い香りが入り混じって漂っていた。
 壁際には読み古された魔術書が乱雑に積み上げられ、その隙間を縫うように這わされた細い銅線が、微かな青い光を脈打たせている。

 ルミナスの指先が魔力盤の表面に触れると、冷たい金属の感触とともに、微弱な魔力が皮膚の下を這うような感覚が広がった。
 彼はゆっくりと息を吐き出しながら、自身の体内に眠る魔力を細い糸のように紡ぎ出した。
 指先から流れ出た魔力が盤面の溝を走り、複雑な幾何学模様を描きながら光の束となって空間に浮かび上がった。
 異世界魔法通信と呼ばれるこの技術は、遠く離れた場所の映像や音声を魔力の波に乗せて届けるものだった。
 ルミナスはその術式を独自に改良し、裏社会や訳ありの依頼人たちから細々と通信の仕事を引き受けて生計を立てていた。

 盤面の中央に淡い光の球体が生まれ、そこに不鮮明な映像が映し出された。
 どこかの酒場での密会の様子が、ざらついた音とともに流れ込んでくる。
 ルミナスは感情を交えずに映像の乱れを補正し、魔力の供給を一定に保つことだけに集中した。
 依頼人にとって必要なのは鮮明な情報だけであり、通信を繋ぐ術師の存在など気にも留めない。
 それでよかった。
 没落した貴族の末裔であり、さらにオメガという厄介な体質を持って生まれた彼にとって、誰の目にも留まらない透明な存在でいることこそが唯一の身を守る術だったからだ。

 通信の仕事が終わると、ルミナスは重い息をついて背もたれに体を預けた。
 疲労で熱を持った眼球を手のひらで押さえ、痛みを和らげようとまぶたの裏に広がる暗闇を見つめた。
 部屋の隅に置かれた小さな木箱から、くすんだ茶色のガラス小瓶を取り出した。
 中に入っているのは、オメガとしての特有の周期を抑え込み、ベータを偽装するための高価な抑制薬だった。
 コルクの栓を抜くと、鼻を突くような薬草のえぐみが漂ってきた。

 ルミナスは顔をしかめながら、その苦い液体を一気に飲み干した。
 喉を焼くような痛みが食道を通って胃に落ちていくのを感じながら、彼は小さく咳き込んだ。
 薬の効果が現れると、自身の奥底でくすぶっていた微かな熱が強制的に冷まされ、手足の先が氷のように冷たくなっていった。
 この冷たさこそが、自分が安全なベータに成りすませているという証だった。
 薬代を稼ぎ、亡き両親が残した借金を返すためだけに、彼の日々は消費されていた。

***

 窓の外から、街の喧騒が次第に大きくなって部屋の中にまで届き始めた。
 ルミナスは重い腰を上げ、擦り切れた灰色の外套を羽織って外へと出た。
 王都の裏通りは湿った石畳の冷気と、露店から漂う焦げた肉の匂いで満ちていた。
 人々が肩をぶつけ合いながら早足で行き交い、誰もが興奮したような熱を帯びた声を上げていた。
 ルミナスは人波を避けるように壁際を歩き、大通りへと続く薄暗い路地を抜けた。

 大通りの中央広場には、見上げるほど巨大な魔力水晶が設置されていた。
 普段は王室からの簡単な知らせや時刻を告げるだけの水晶が、今日は眩いほどの光を放ち、鮮明な映像を映し出していた。
 水晶の前に集まった数千人の群衆が、熱狂的な歓声を上げながらその映像を見つめていた。
 ルミナスも外套のフードを深く被り直し、人々の頭越しに水晶を見上げた。

 映像の中には、王城の壮麗なバルコニーが映っていた。
 そこに立つのは、銀の装飾が施された漆黒の鎧を身に纏った長身の騎士だった。
 風に揺れる氷のように冷たい銀色の髪と、獲物を狙う鷹のような鋭い金色の瞳。
 彼こそが、王国最強のアルファと謳われる騎士団長、レオンハルト・ヴァン・シュトラウスだった。
 レオンハルトの姿が映し出された瞬間、広場の群衆から割れんばかりの歓声が沸き起こった。
 特にオメガやベータの者たちは、その圧倒的な存在感に魅了され、熱っぽい視線を送っていた。

 水晶から流れる厳かな声が、広場全体に響き渡った。
 王国北部に位置する死の領域、未踏破迷宮アビスロンドの完全攻略が決定したという知らせだった。
 さらに、その攻略の全容を魔法通信によって王都の水晶へと実況中継するという前代未聞の計画が発表された。
 人々は迷宮の恐ろしさを忘れ、英雄の戦いを目の当たりにできるという喜びに沸き立った。
 しかし、ルミナスは冷ややかな目でその熱狂を見つめていた。

『迷宮の深層から魔力を王都まで繋ぐなんて、どれほどの術式と魔力が必要になるのか分かっているのだろうか』

 ルミナスは心の中でつぶやきながら、無謀とも言えるその計画の難しさを頭の中で計算していた。
 通常の通信魔術師では、瘴気に満ちた迷宮の奥深くから映像を届けることなど不可能に近い。
 魔力の波が瘴気に飲み込まれ、術式が焼き切れてしまうのが関の山だった。
 自分には関係のない華やかな世界の出来事だ。
 ルミナスはそう結論づけ、広場の熱狂を背にして歩き出そうとした。

***

 その時だった。
 人混みを掻き分けるようにして、見知った顔の男がルミナスの前に立ち塞がった。
 裏社会で仕事の斡旋をしている手配師の男だった。
 男は油断のない目で周囲を窺うと、ルミナスの腕を強引に引いて路地裏の影へと連れ込んだ。
 薄暗い壁に背を押し付けられ、ルミナスは警戒して男の顔を睨みつけた。

「こんな所で何をしているんだ。仕事なら今は受けていないはずだ」

 ルミナスが声を潜めて言うと、男はにやりと口角を上げて一枚の羊皮紙を差し出した。

「お前しかできない大仕事が舞い込んだんだよ。断るなんて言わせないぜ」

 男の押し付けがましい態度に、ルミナスは顔をしかめながら羊皮紙を受け取った。
 そこに書かれていた内容に目を落とした瞬間、ルミナスの呼吸が不自然に止まった。
 依頼主は王国騎士団。
 内容は、未踏破迷宮アビスロンド攻略戦における専属の通信魔術師の募集だった。
 提示された報酬額は、ルミナスが抱える莫大な借金を一度に返し切り、さらに一生遊んで暮らせるほどの非現実的な数字だった。
 だが、ルミナスの目を釘付けにしたのはその報酬の額ではなかった。

『採用条件。身元の確かな者。そして、騎士団長レオンハルト・ヴァン・シュトラウスとの法的な婚姻契約を結べる者』

 ルミナスは息を呑み、何度もその文字を読み返した。
 ただの通信魔術師を雇うために、なぜ偽装結婚などという異常な条件が必要なのか。
 全く理解できなかった。

「どういうことだ。これは一体何の冗談だ」

 ルミナスが震える声で尋ねると、男は肩をすくめて答えた。

「俺にも詳しい裏の事情は分からない。だが、騎士団長様は周囲から押し付けられる面倒な縁談をこの機会に完全に潰したいらしい。それに、迷宮の奥深くで王国の機密に触れる通信を任せる以上、ただの雇われ術師じゃなく、家族という絶対的な立場に縛り付けておきたいってことだろうよ」

 男の言葉は理にかなっているように聞こえたが、ルミナスにとってはあまりにも危険すぎる話だった。
 相手は鋭い感覚を持つ最強のアルファだ。
 もし自分が偽装のベータであり、隠れオメガであることが知られれば、ただでは済まない。
 契約違反として牢に放り込まれるか、最悪の場合は命を落とす可能性すらあった。

「断る。こんな危険な真似、僕にはできない」

 ルミナスは羊皮紙を突き返そうとしたが、男はそれを受け取らずに低く凄んだ声を出した。

「お前の借金取りが最近、裏の顔役どもに債権を回そうとしているらしいぞ。そうなればお前は炭鉱送りか、もっと酷い場所に売られることになる。この依頼はお前が生き残るための最後の命綱だ」

 男の言葉に、ルミナスの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
 選択肢など最初から残されていなかったのだ。
 握りしめた羊皮紙の端が、冷や汗をかいた指先でくしゃりと音を立てて歪んだ。

「分かった。行くしかないなら、行くよ」

 ルミナスは搾り出すような声で答えた。
 路地裏の湿った空気が、彼の喉の奥に冷たく張り付いた。
 それは、彼がこれまで必死に守り抜いてきた平穏な隠遁生活の、完全な終わりを意味していた。
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