実況配信中!没落オメガの通信魔術師と氷の騎士団長の契約結婚~迷宮の底でヒートしたら冷徹アルファの溺愛が始まった

水凪しおん

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第4話「深淵の瘴気と高鳴る鼓動」

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 未踏破迷宮アビスロンドの第十二層に足を踏み入れた瞬間、空気が物理的な重さを持ったように感じられた。
 天井からはねっとりとした緑色の瘴気が靄のように垂れ下がり、足元の石畳は濡れた苔で滑りやすくなっていた。
 肺に吸い込む空気はひどく冷たく、それでいて腐肉と湿った土の臭いが鼻腔の奥にへばりついて離れない。
 ルミナスは重い通信端末を抱えながら、足元がおぼつかない感覚と戦っていた。

 これまでの階層とは明らかに異なる、濃密で悪意に満ちた魔力の波動。
 それが皮膚の表面をちりちりと焼き、服の下でわずかに粟立った肌を這い回るようだった。
 ルミナスは額に浮かんだ冷や汗を手の甲で拭い、小さく荒くなる呼吸を必死に抑え込んだ。
 抑制薬の効き目が、この異常な高濃度の瘴気によって著しく阻害され始めている。
 腹の底からじわじわと湧き上がる不自然な熱が、ベータとしての偽装を内側から溶かしにかかっていたのだ。

「ルミナス、顔色が悪いぞ。魔力切れか」

 先頭を進んでいたレオンハルトが、不意に足を止めて振り返った。
 金色の鋭い瞳が、薄暗い瘴気越しにルミナスの顔をまっすぐに見据えている。
 その視線には冷徹な司令官としての響きだけでなく、わずかな気遣いのようなものが混じっていた。

「……いえ、問題ありません。瘴気が濃くなってきたため、通信の維持に少し集中しているだけです」

 ルミナスは平静を装い、唇をきつく引き結んで答えた。
 嘘だった。
 体内でくすぶり始めたオメガ特有の熱が、指先の微小な震えとなって表れ始めていた。
 手元の小型水晶には、王都の視聴者たちの反応が滝のように流れ込んでいる。

『団長、ルミナスのこと気にかけてる!』

『冷徹騎士団長がただの術師に声かけるなんて珍しいな』

『ルミナスの顔、確かに白っぽく見えるけど大丈夫か?』

『通信の映像はブレてないぞ。プロ意識高すぎ』

 視聴者たちの熱を帯びた言葉が水晶の表面を滑っていく。
 ルミナスはその文字を追う余裕もなく、ただ己の内に渦巻く熱を冷ますことだけに意識を集中させていた。

「無理はするな。お前の代わりはここにはいない。倒れられでもしたら、この作戦自体が根底から覆る」

 レオンハルトは低く静かな声で告げると、再び前を向いて歩き出した。
 その言葉は、彼にとってルミナスが単なる契約上の駒ではなく、攻略に不可欠な存在へと認識が変化していることを示していた。
 銀の鎧がすれ合う微かな音が、迷宮の静寂の中で規則正しいリズムを刻む。
 ルミナスはその背中を見つめながら、己の浅はかな考えを呪った。
 莫大な報酬に目が眩み、自分の体質がこの死の領域でどう反応するかを深く計算していなかったのだ。

『これ以上、瘴気が濃くなったら……薬が完全に切れ、ヒートが誘発されるかもしれない』

 心臓が不規則な鼓動を打ち始め、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
 ヒートが起これば、強烈なオメガのフェロモンがこの閉鎖空間に撒き散らされる。
 そうなれば、レオンハルトをはじめとするアルファの騎士たちは理性を失い、作戦は崩壊する。
 最悪の場合、自分がどう扱われるか想像するだけで、全身の血の気が引いた。
 絶対にそれだけは避けなければならない。

 ルミナスは奥歯を強く噛みしめ、口の中にわずかな血の味が広がるのを感じながら、足を進めた。
 その時、彼の独自の魔力解析視界が、前方から巨大な熱源が急速に近づいてくるのを捉えた。
 壁の向こう側、幾重にも重なる岩盤をすり抜けるようにして、それは一直線にこちらへと向かってきていた。

「レオンハルト様! 前方、壁の向こうから高位の魔物です! 岩盤を透過してきます、数は一体、ですが質量が桁違いです!」

 ルミナスの叫びが迷宮の反響音をかき消した。
 レオンハルトは即座に足を止め、腰の長剣を引き抜いた。
 刃が鞘から滑り出る鋭い金属音が響いた直後、目の前の分厚い岩壁が音を立てて内側から爆発したように吹き飛んだ。

 砕け散った岩の破片と土煙の中から姿を現したのは、全身が半透明の水晶で覆われた巨大な蠍の魔物、クリスタル・スコーピオンだった。
 その大きさは大型の馬車ほどもあり、二つの巨大な鋏が空気を切り裂くたびに、鋭い風切り音が迷宮に響き渡った。
 八つの複眼が不気味な赤い光を放ち、獲物を定めたかのようにレオンハルトへと巨大な尾の毒針を突き出してきた。

「散開しろ! 物理攻撃は水晶の甲殻に弾かれるぞ!」

 レオンハルトの怒声が響き、騎士たちが一斉に左右へと散った。
 直後、毒針がレオンハルトの立っていた場所の石畳を深々と貫き、周囲に毒液を撒き散らした。
 石畳がジュウジュウと音を立てて溶け、目に染みるような刺激臭が空間に充満する。
 ルミナスは通信の魔力を維持したまま、必死に後方へと飛び退いた。
 咳き込みそうになるのをこらえ、彼は水晶の魔物の体内を魔力視界で透かして見た。

 厚い水晶の装甲の下には、濃密な魔力が血液のように循環している。
 しかし、その流れには一箇所だけ、ひどく淀んで魔力が途切れている部分があった。

「レオンハルト様! 奴の弱点は胸部と腹部の接合部、左から三番目の甲殻の隙間です! そこだけ魔力の循環が途切れて、装甲が薄くなっています!」

 ルミナスの声が、混乱する戦場に一筋の光のように響いた。
 レオンハルトは巨大な鋏のなぎ払いを間一髪で躱しながら、ルミナスの言葉に一瞬だけ視線を向けた。
 迷いはない。
 彼はルミナスの解析を完全に信じ切り、床を強く蹴って蠍の魔物の懐へと飛び込んだ。

 空を裂く尾の毒針がレオンハルトの背後から迫る。
 しかし彼は振り返ることなく、全身の魔力を剣の刃に集中させた。
 青白い光を放つ剣身が、ルミナスの指定したわずかな隙間に吸い込まれるように突き立てられた。
 硬質な甲殻を砕く嫌な音とともに、剣の刃が魔物の深部にある魔石を正確に貫いた。

 断末魔の甲高い金切り声が響き渡り、巨大な水晶の蠍は内部から激しい光を放ちながら崩れ落ちた。
 粉々になった水晶の破片が雪のように降り注ぐ中、レオンハルトはゆっくりと剣を鞘に収めた。
 その光景は、あまりにも美しく、そして圧倒的だった。

 ルミナスの手元の水晶には、視聴者たちの熱狂が文字となって爆発的に表示されていた。

『うおおおお!一撃で仕留めた!』

『あのルミナスって術師、化け物かよ!あの一瞬で弱点を見抜くなんて!』

『団長も術師を完全に信じ切ってる!あの息の合い方、鳥肌が立った!』

『ただの偽装結婚って噂だったけど、これは本物のパートナーだろ!』

 王都の興奮が頂点に達する中、レオンハルトは静かな足取りでルミナスに近づいてきた。
 彼の手が、ルミナスの肩に軽く置かれた。
 冷たい金属の感触と、微かに漂うアルファの香りが、ルミナスの鼻腔をかすめた。

「見事な指示だった。お前がいなければ、騎士に被害が出ていたかもしれない。感謝する、ルミナス」

 レオンハルトの声には、これまでにない温かさと確かな信頼が込められていた。
 その素直な称賛の言葉と、肩に置かれた手から伝わる彼の熱が、ルミナスの胸の奥を予想外の力で揺さぶった。
 しかし、それと同時に、限界を迎えていたルミナスの身体の中で、決定的な何かが崩れ落ちる音がした。
 レオンハルトのアルファとしての香りを間近で吸い込んだ瞬間、抑え込んでいたオメガの熱が、制御不能な炎となって全身を駆け巡ったのだ。

 視界がぐらりと揺れ、膝の力が急速に抜けていく。
 ルミナスは声にならない小さな悲鳴を上げ、通信端末を抱えたまま、冷たい石畳の上へと崩れ落ちた。
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