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第3話「忍び寄る帝国の影と逃避行の始まり」
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運命の番となってから、カインとリンの関係は目に見えて変わった。これまで二人の間にあった見えない壁は消え去り、互いを求める気持ちに正直になった。それは言葉にしなくとも、交わす視線や触れ合う指先から、痛いほどに伝わってきた。カインは、リンの隣で目覚める朝に、これまで感じたことのない幸福感と安らぎを覚えていた。戦うためだけに存在していた自分が、誰かを愛し、守りたいと心から願う。そんな人間らしい温かい感情が、凍てついていた彼の心を少しずつ満たしていった。
(このまま、時が止まればいい)
もう、ガルム帝国の騎士カイン・アークライトに戻る必要はない。このまま一人の男「アッシュ」として、愛する番の隣で生きていきたい。カインの心には、そんな甘い願いが芽生え始めていた。
しかし、現実は彼に安住の地を与えてはくれなかった。夜、リンの寝顔を見つめながら、カインは故国に残してきた親友、レオの顔を思い浮かべた。自分が死んだと思っているだろうか。それとも、まだ自分を探してくれているだろうか。そして、終わりの見えない戦争の現実が、彼に騎士としての使命と責任を冷酷に思い出させた。この偽りの平穏は、いつか必ず終わりが来る。
その頃、ガルム帝国の帝都では、宰相ゲルハルト・フォン・ベルクの扇動によって、反シルヴァニア感情がかつてないほど高まりを見せていた。
「英雄カイン・アークライト殿の失踪は、シルヴァニアによる卑劣な奇襲、拉致に他ならない!我々は、この屈辱に断固として報復せねばならぬ!」
議会でそう演説するゲルハルトの言葉に、貴族や民衆は熱狂した。主戦派であるゲルハルトにとって、平和を望む声も多かったカインの不在は、戦争を継続し、私腹を肥やすための絶好の機会だったのだ。彼はシルヴァニアへの総攻撃を皇帝に進言し、着々とその準備を進めていた。
しかし、黒獅子騎士団を引き継いだレオ・シュタイナーは、その公式発表に強い違和感を覚えていた。
「団長が、あのような初歩的な罠に、やすやすとかかるはずがない……」
カインの能力を誰よりも知るレオは、あの日の撤退命令を無視したカインの行動そのものに、何か不可解な点を感じていた。まるで、何かに誘い込まれるように、敵陣の奥深くへと進んでいったように見えたのだ。レオは、カインが何者かによって意図的に陥れられたのではないかという疑念を抱き、信頼できる部下と共に、独自の調査を開始していた。親友の無念を晴らすため、そして、その生存を信じて。
穏やかなシルヴァニアの村にも、帝国の影は静かに、しかし確実に忍び寄っていた。ある日の昼下がり、村の入り口がにわかに騒がしくなった。カインが何事かと様子をうかがうと、そこにはガルム帝国の紋章を掲げた一団の姿があった。黒い鎧に身を包んだ彼らは、間違いなく帝国の兵士だ。
「この辺りで、黒獅子騎士団の団長らしき男を見なかったか!銀髪に、蒼い瞳のアルファだ!」
捜索隊の隊長らしき男が、村長に威圧的に問いかける。村人たちの間に緊張が走った。彼らの視線が、おずおずと診療所の方へと向けられる。カインがこの村に来てからひと月以上。いくら風貌が変わったとはいえ、その抜きん出た体躯と鋭い眼光は隠しようもなかった。
(見つかったか……!)
カインは咄嗟にリンの腕を掴み、診療所の裏手へと隠れた。リンの顔は恐怖で青ざめている。
「アッシュさん……」
村人たちの囁き声が聞こえてくる。
「あいつだろ、診療所にいる……」
「帝国の騎士様だったのか」
「匿ったりしたら、俺たちまで……」
「帝国に引き渡すべきだ」
恐怖は、人の心を簡単に蝕む。昨日まで笑顔を交わした村人たちが、今は自分たちを守るためにカインを差し出そうとしていた。それは仕方のないことだと、カインは思った。彼らを責めることはできない。
捜索隊の兵士たちが、ゆっくりと診療所へ向かってくる。もう、逃げ場はない。カインは、リンだけでも逃がそうと、彼の背中を強く押した。
「リン、お前だけでも逃げろ。俺のことは構うな」
「嫌です!」
しかし、リンはカインの手を振り払い、彼の前に立ちはだかるようにして叫んだ。
「この人は私の患者です!あなたたちに渡すわけにはいきません!」
その声は震えていたが、瞳には強い決意の光が宿っていた。医師としての信念が、恐怖に打ち勝ったのだ。カインは胸を突かれた。この期に及んで、まだ自分を守ろうとしてくれるのか。
兵士たちが嘲るように笑う。
「ほう、敵国の騎士をかばうとは、感心な医者だな。ならば、お前も同罪だ。二人まとめて捕らえろ!」
兵士たちが、一斉に剣を抜いて迫ってくる。万事休すかと思われたその時、カインはリンの手を強く握りしめた。
「リン、走れ!」
「えっ?」
「俺を信じろ!」
カインはリンを抱きかかえるようにして、診療所の裏窓から飛び出した。そして、そのまま村の裏手にある森へと向かって、全速力で駆け出す。背後から兵士たちの怒声と追いかけてくる足音が聞こえる。
「逃がすな!追え!」
敵国の騎士と、彼をかばったオメガの医師。もう、あの穏やかな村に戻ることはできない。カインとリンの、行く末も見えない、愛の逃避行が始まった。鬱蒼とした森の中、二人はただ互いの手の温もりだけを頼りに、闇雲に走り続けた。カインは心に誓う。この腕の中にある温もりだけは、何があっても失わない、と。
(このまま、時が止まればいい)
もう、ガルム帝国の騎士カイン・アークライトに戻る必要はない。このまま一人の男「アッシュ」として、愛する番の隣で生きていきたい。カインの心には、そんな甘い願いが芽生え始めていた。
しかし、現実は彼に安住の地を与えてはくれなかった。夜、リンの寝顔を見つめながら、カインは故国に残してきた親友、レオの顔を思い浮かべた。自分が死んだと思っているだろうか。それとも、まだ自分を探してくれているだろうか。そして、終わりの見えない戦争の現実が、彼に騎士としての使命と責任を冷酷に思い出させた。この偽りの平穏は、いつか必ず終わりが来る。
その頃、ガルム帝国の帝都では、宰相ゲルハルト・フォン・ベルクの扇動によって、反シルヴァニア感情がかつてないほど高まりを見せていた。
「英雄カイン・アークライト殿の失踪は、シルヴァニアによる卑劣な奇襲、拉致に他ならない!我々は、この屈辱に断固として報復せねばならぬ!」
議会でそう演説するゲルハルトの言葉に、貴族や民衆は熱狂した。主戦派であるゲルハルトにとって、平和を望む声も多かったカインの不在は、戦争を継続し、私腹を肥やすための絶好の機会だったのだ。彼はシルヴァニアへの総攻撃を皇帝に進言し、着々とその準備を進めていた。
しかし、黒獅子騎士団を引き継いだレオ・シュタイナーは、その公式発表に強い違和感を覚えていた。
「団長が、あのような初歩的な罠に、やすやすとかかるはずがない……」
カインの能力を誰よりも知るレオは、あの日の撤退命令を無視したカインの行動そのものに、何か不可解な点を感じていた。まるで、何かに誘い込まれるように、敵陣の奥深くへと進んでいったように見えたのだ。レオは、カインが何者かによって意図的に陥れられたのではないかという疑念を抱き、信頼できる部下と共に、独自の調査を開始していた。親友の無念を晴らすため、そして、その生存を信じて。
穏やかなシルヴァニアの村にも、帝国の影は静かに、しかし確実に忍び寄っていた。ある日の昼下がり、村の入り口がにわかに騒がしくなった。カインが何事かと様子をうかがうと、そこにはガルム帝国の紋章を掲げた一団の姿があった。黒い鎧に身を包んだ彼らは、間違いなく帝国の兵士だ。
「この辺りで、黒獅子騎士団の団長らしき男を見なかったか!銀髪に、蒼い瞳のアルファだ!」
捜索隊の隊長らしき男が、村長に威圧的に問いかける。村人たちの間に緊張が走った。彼らの視線が、おずおずと診療所の方へと向けられる。カインがこの村に来てからひと月以上。いくら風貌が変わったとはいえ、その抜きん出た体躯と鋭い眼光は隠しようもなかった。
(見つかったか……!)
カインは咄嗟にリンの腕を掴み、診療所の裏手へと隠れた。リンの顔は恐怖で青ざめている。
「アッシュさん……」
村人たちの囁き声が聞こえてくる。
「あいつだろ、診療所にいる……」
「帝国の騎士様だったのか」
「匿ったりしたら、俺たちまで……」
「帝国に引き渡すべきだ」
恐怖は、人の心を簡単に蝕む。昨日まで笑顔を交わした村人たちが、今は自分たちを守るためにカインを差し出そうとしていた。それは仕方のないことだと、カインは思った。彼らを責めることはできない。
捜索隊の兵士たちが、ゆっくりと診療所へ向かってくる。もう、逃げ場はない。カインは、リンだけでも逃がそうと、彼の背中を強く押した。
「リン、お前だけでも逃げろ。俺のことは構うな」
「嫌です!」
しかし、リンはカインの手を振り払い、彼の前に立ちはだかるようにして叫んだ。
「この人は私の患者です!あなたたちに渡すわけにはいきません!」
その声は震えていたが、瞳には強い決意の光が宿っていた。医師としての信念が、恐怖に打ち勝ったのだ。カインは胸を突かれた。この期に及んで、まだ自分を守ろうとしてくれるのか。
兵士たちが嘲るように笑う。
「ほう、敵国の騎士をかばうとは、感心な医者だな。ならば、お前も同罪だ。二人まとめて捕らえろ!」
兵士たちが、一斉に剣を抜いて迫ってくる。万事休すかと思われたその時、カインはリンの手を強く握りしめた。
「リン、走れ!」
「えっ?」
「俺を信じろ!」
カインはリンを抱きかかえるようにして、診療所の裏窓から飛び出した。そして、そのまま村の裏手にある森へと向かって、全速力で駆け出す。背後から兵士たちの怒声と追いかけてくる足音が聞こえる。
「逃がすな!追え!」
敵国の騎士と、彼をかばったオメガの医師。もう、あの穏やかな村に戻ることはできない。カインとリンの、行く末も見えない、愛の逃避行が始まった。鬱蒼とした森の中、二人はただ互いの手の温もりだけを頼りに、闇雲に走り続けた。カインは心に誓う。この腕の中にある温もりだけは、何があっても失わない、と。
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