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第18話「雨上がりの約束」
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翌日俺は重い心で店のシャッターを開けた。
開店時間になってもクロードは現れなかった。
いつもならベルの音と同時に「おはよう、レン」と笑顔で入ってくる彼がいない。ただそれだけで店の空気はがらんとして冷たく感じられた。
時間がひどくゆっくりと流れていく。
コーヒーを淹れても味見をしてくれる人がいない。
本棚の本を整理してもそれを読んでくれる人がいない。
カウンターの隅の彼の指定席がぽっかりと空いている。その空席が俺の胸に突き刺さるようだった。
俺は自分が思っていた以上に彼という存在に依存していたのかもしれない。彼のいる日常が当たり前になっていたのだ。
昼過ぎになっても彼の姿は見えない。
もう今日は来ないのかもしれない。いや明日も明後日ももう二度と……。
最悪の想像が頭をよぎり俺はカウンターの下でぎゅっと拳を握りしめた。
俺から会いに行くべきだろうか。城に行って昨日のことを謝るべきか。
だが何を? 俺は間違ったことは言っていないはずだ。謝れば俺たちの関係は元に戻るかもしれないが、それは根本的な解決にはならない。また同じことが繰り返されるだけだ。
ぐるぐると同じことばかりを考えていると不意にカラン、とドアベルが鳴った。
びくりとして顔を上げるとそこに立っていたのは少しだけ気まずそうな、そして憔悴しきったような表情のクロードだった。
彼はいつもの席には座らず入り口の近くで立ち尽くしている。
「……レン」
かすれた声で彼が俺の名前を呼んだ。
俺は何も答えられなかった。ただじっと彼を見つめる。
やがて彼は意を決したようにゆっくりと俺の方へ歩み寄ってきた。そしてカウンター越しに深々と頭を下げた。
「……昨日は、すまなかった」
その声は消え入りそうなほど小さく、だが誠実な響きを持っていた。
「君の言う通りだ。私は思い上がっていた。君の心を自分のものだと勘違いしていた。君の優しさに甘えて君を束縛しようとしてしまった……本当に申し訳ない」
王子である彼が平民である俺に頭を下げる。それは本来ありえないことだ。彼のプライドを考えればどれほどの勇気が必要だっただろうか。
その姿を見て俺の心の中にあったわだかまりが、すうっと溶けていくのを感じた。
「……顔を、上げてください」
俺がそう言うとクロードは恐る恐る顔を上げた。その紫の瞳は不安げに揺れている。
「俺の方こそすみませんでした。きつい言い方をしてしまって……」
「いや、君は何も悪くない。悪いのは全て私だ」
クロードは首を横に振った。
「私は君を失うのが怖い。他の誰かが君のその優しい笑顔に触れるのが許せない。……みっともない嫉妬だと分かっているんだが」
彼は自嘲するようにそう言った。
その弱々しい姿は俺が初めて見る彼の姿だった。いつも自信に満ち溢れている彼がこんなにも脆い一面を持っているなんて思ってもみなかった。
「……クロードさん」
俺はカウンターから出て彼の前に立った。そして思い切って彼の胸に顔をうずめた。
「俺があなた以外の誰かを好きになることなんて絶対にありませんから。だから……そんなに心配しないでください」
抱きしめ返す勇気はなくてただ彼の服をぎゅっと掴むのが精一杯だった。
俺の言葉にクロードの体が小さく震えた。
やがて彼の腕が優しく俺の背中に回される。
「……ああ、レン。ありがとう」
耳元で囁かれた声は安堵と喜びに満ちていた。
「約束する。もう二度と君を不安にさせるような真似はしない。君の自由と君の心を何よりも尊重すると誓おう」
「俺も約束します。あなたを不安にさせないように、もっとちゃんと気持ちを伝えますから」
どちらからともなく顔を上げて俺たちは見つめ合った。
そしてどちらからともなくふっと笑みがこぼれた。
それは嵐が過ぎ去った後の雨上がりの空にかかる虹のような、穏やかで温かい瞬間だった。
俺たちの絆はこの初めての喧嘩を経てさらに強くそして深く結ばれたのだ。
この日のブレンドコーヒーはほんの少しだけ、しょっぱい味がした。
開店時間になってもクロードは現れなかった。
いつもならベルの音と同時に「おはよう、レン」と笑顔で入ってくる彼がいない。ただそれだけで店の空気はがらんとして冷たく感じられた。
時間がひどくゆっくりと流れていく。
コーヒーを淹れても味見をしてくれる人がいない。
本棚の本を整理してもそれを読んでくれる人がいない。
カウンターの隅の彼の指定席がぽっかりと空いている。その空席が俺の胸に突き刺さるようだった。
俺は自分が思っていた以上に彼という存在に依存していたのかもしれない。彼のいる日常が当たり前になっていたのだ。
昼過ぎになっても彼の姿は見えない。
もう今日は来ないのかもしれない。いや明日も明後日ももう二度と……。
最悪の想像が頭をよぎり俺はカウンターの下でぎゅっと拳を握りしめた。
俺から会いに行くべきだろうか。城に行って昨日のことを謝るべきか。
だが何を? 俺は間違ったことは言っていないはずだ。謝れば俺たちの関係は元に戻るかもしれないが、それは根本的な解決にはならない。また同じことが繰り返されるだけだ。
ぐるぐると同じことばかりを考えていると不意にカラン、とドアベルが鳴った。
びくりとして顔を上げるとそこに立っていたのは少しだけ気まずそうな、そして憔悴しきったような表情のクロードだった。
彼はいつもの席には座らず入り口の近くで立ち尽くしている。
「……レン」
かすれた声で彼が俺の名前を呼んだ。
俺は何も答えられなかった。ただじっと彼を見つめる。
やがて彼は意を決したようにゆっくりと俺の方へ歩み寄ってきた。そしてカウンター越しに深々と頭を下げた。
「……昨日は、すまなかった」
その声は消え入りそうなほど小さく、だが誠実な響きを持っていた。
「君の言う通りだ。私は思い上がっていた。君の心を自分のものだと勘違いしていた。君の優しさに甘えて君を束縛しようとしてしまった……本当に申し訳ない」
王子である彼が平民である俺に頭を下げる。それは本来ありえないことだ。彼のプライドを考えればどれほどの勇気が必要だっただろうか。
その姿を見て俺の心の中にあったわだかまりが、すうっと溶けていくのを感じた。
「……顔を、上げてください」
俺がそう言うとクロードは恐る恐る顔を上げた。その紫の瞳は不安げに揺れている。
「俺の方こそすみませんでした。きつい言い方をしてしまって……」
「いや、君は何も悪くない。悪いのは全て私だ」
クロードは首を横に振った。
「私は君を失うのが怖い。他の誰かが君のその優しい笑顔に触れるのが許せない。……みっともない嫉妬だと分かっているんだが」
彼は自嘲するようにそう言った。
その弱々しい姿は俺が初めて見る彼の姿だった。いつも自信に満ち溢れている彼がこんなにも脆い一面を持っているなんて思ってもみなかった。
「……クロードさん」
俺はカウンターから出て彼の前に立った。そして思い切って彼の胸に顔をうずめた。
「俺があなた以外の誰かを好きになることなんて絶対にありませんから。だから……そんなに心配しないでください」
抱きしめ返す勇気はなくてただ彼の服をぎゅっと掴むのが精一杯だった。
俺の言葉にクロードの体が小さく震えた。
やがて彼の腕が優しく俺の背中に回される。
「……ああ、レン。ありがとう」
耳元で囁かれた声は安堵と喜びに満ちていた。
「約束する。もう二度と君を不安にさせるような真似はしない。君の自由と君の心を何よりも尊重すると誓おう」
「俺も約束します。あなたを不安にさせないように、もっとちゃんと気持ちを伝えますから」
どちらからともなく顔を上げて俺たちは見つめ合った。
そしてどちらからともなくふっと笑みがこぼれた。
それは嵐が過ぎ去った後の雨上がりの空にかかる虹のような、穏やかで温かい瞬間だった。
俺たちの絆はこの初めての喧嘩を経てさらに強くそして深く結ばれたのだ。
この日のブレンドコーヒーはほんの少しだけ、しょっぱい味がした。
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