2 / 15
第一話「呪いの沼と一筋の光」
しおりを挟む
意識がゆっくりと浮上する。
最後に見えたのは、雨に濡れたアスファルトと、猛スピードで迫るトラックのヘッドライトだった。ああ、死んだのか。実家の温泉旅館を継いで、日本一の宿にするという夢も、ここまでか。どこか他人事のようにそう思ったのを最後に、俺の意識は完全に途切れたはずだった。
なのに、今、俺は「在る」。
ただし、それは五体満足な体を取り戻したという意味ではなかった。目も鼻も口もない。手も足も動かせない。ただ、広大な「何か」と一体化した、意識だけの存在として、俺は再び世界に認識されていた。
そして、その「何か」が、絶望的に最悪な代物だった。
(なんだ……これは……)
俺の意識は、どす黒く濁り、淀んだ水の底にあった。ヘドロのように重く、あらゆる生命を拒絶する負のエネルギーが渦巻いている。人々が心の中で吐き捨てた憎悪、嫉妬、後悔、悲しみ。そんな汚泥のような感情が、俺自身の体であるかのようにまとわりついて離れない。
ここが、人々から「呪いの沼」と呼ばれ、忌み嫌われている土地だと理解するのに、時間はかからなかった。
俺は、呪いの沼になってしまったのだ。
生き物の気配は一切なく、光すら届かない。暗闇の中、ただひたすらに負の感情を受け止め続ける。時間がどれだけ過ぎたのかも分からない。一日か、一年か、あるいは百年か。果てしない孤独と絶望が、俺の意識を少しずつ蝕んでいく。もう、いっそこのまま消えてしまいたい。そう願った、その瞬間だった。
『――聞こえますか』
脳内に、直接声が響いた。男でも女でもない、無機質で、それでいてどこか優しい声。
『長きにわたる魂の停滞、ご苦労様でした。あなたの魂が、この土地の浄化に最も適していると判断されました。よって、スキルを授与します』
(スキル……?)
突然の出来事に混乱する。これは夢か、それともついに俺の精神がおかしくなったのか。
『スキル【万物浄化】と【源泉開発】を授けます。あなたの新しい人生に、光が在らんことを』
声が消えると同時に、俺の意識の中に、新たな知識が流れ込んできた。それはまるで、初めから知っていたかのように、ごく自然に俺の中に溶け込んでいく。
【万物浄化】――あらゆる呪いや汚れを祓い、本来の清らかな状態に戻す力。
【源泉開発】――望む泉質の温泉を、好きな場所に湧き出させる力。
温泉……。その言葉を聞いた途端、俺の心に、忘れかけていた情熱が灯った。
そうだ、俺は温泉旅館の跡取りだった。客が湯に浸かり、「極楽だあ」と笑ってくれるのが、何よりの喜びだった。お湯を愛し、お湯に生きてきたのだ。
「……やってみるか」
声にはならない、意思だけの呟き。
藁にもすがる思いだった。この永遠に続くかのような絶望から抜け出せるなら、何だってしてやる。
俺は意識を集中させた。スキルの使い方など習っていない。けれど、不思議と分かった。ただ強く、念じればいいのだと。
(俺の体よ、浄化されろ――!スキル【万物浄化】、発動!)
祈りに近い叫びだった。
その瞬間、俺の意識の中心――沼の最深部で、何かが弾けた。
ゴボッ、と大きな気泡がヘドロを押し上げる。最初は小さな変化だったが、それはやがて大きいうねりとなり、沼全体へと広がっていく。
俺の体そのものである泥水が、内側から放たれる柔らかな光によって浄化されていくのが分かった。長年溜め込まれた負の感情が、まるで朝霧のように霧散していく。まとわりついていた重苦しい感覚が消え、意識が軽くなる。
そして――。
ゴポゴポポポッ!
泥水を力強く押し分けるように、澄み切った温かい水が、勢いよく湧き上がり始めた。
それは、まさしく温泉だった。
俺の意識に、懐かしい香りが満ちていく。ほんのりと硫黄が香り、肌を優しく包み込むような、柔らかな湯の気配。前世で俺が最も愛した、極上の単純硫黄泉の香りだ。
「ああ……あったかい……」
涙を流せる体ではないはずなのに、魂が泣いているのが分かった。
数えきれないほどの時を、たった独り、冷たい絶望の中にいた。その俺が今、自分自身の力で生み出した温もりに包まれている。
浄化は沼全体に及び、どす黒い水はどこまでも透き通った青色へと変わっていった。水面には、生まれたての温泉から立ち上る真っ白な湯気が、まるでベールのようにかかっている。
その湯気が、ゆっくりと水面の一点に集まり始めた。まるで意思を持つかのように渦を巻き、密度を増していく。
そして、それは徐々に人の形を成していった。
頭、胴体、腕、そして足。
ぼんやりと霞んではいるが、確かにそれは人型だった。
(俺……なのか?)
試しに腕を動かそうと意識すると、湯気でできた腕がふわりと持ち上がる。足を動かせば、同じように動く。
まだ実体はない。触れようとすれば、するりと通り抜けてしまうだろう。それでも、俺は再び、人の形を得たのだ。
目の前に広がるのは、自らが生み出した奇跡の光景。湯気の向こうで、夕日が水面をきらきらと照らしている。生き物の気配すらなかったこの場所に、鳥のさえずりが聞こえる。
俺は、この忌み嫌われた「呪いの沼」を、最高の癒やしの場所に変えたのだ。
絶望の底で見つけた、温かい希望の光。
俺の第二の人生は、どうやら最高の温泉と共に始まるらしい。
湯気でできた顔に、おぼろげな笑みが浮かんだ。俺は、この新しい体で、この場所で、もう一度夢を追いかけると決意した。
最後に見えたのは、雨に濡れたアスファルトと、猛スピードで迫るトラックのヘッドライトだった。ああ、死んだのか。実家の温泉旅館を継いで、日本一の宿にするという夢も、ここまでか。どこか他人事のようにそう思ったのを最後に、俺の意識は完全に途切れたはずだった。
なのに、今、俺は「在る」。
ただし、それは五体満足な体を取り戻したという意味ではなかった。目も鼻も口もない。手も足も動かせない。ただ、広大な「何か」と一体化した、意識だけの存在として、俺は再び世界に認識されていた。
そして、その「何か」が、絶望的に最悪な代物だった。
(なんだ……これは……)
俺の意識は、どす黒く濁り、淀んだ水の底にあった。ヘドロのように重く、あらゆる生命を拒絶する負のエネルギーが渦巻いている。人々が心の中で吐き捨てた憎悪、嫉妬、後悔、悲しみ。そんな汚泥のような感情が、俺自身の体であるかのようにまとわりついて離れない。
ここが、人々から「呪いの沼」と呼ばれ、忌み嫌われている土地だと理解するのに、時間はかからなかった。
俺は、呪いの沼になってしまったのだ。
生き物の気配は一切なく、光すら届かない。暗闇の中、ただひたすらに負の感情を受け止め続ける。時間がどれだけ過ぎたのかも分からない。一日か、一年か、あるいは百年か。果てしない孤独と絶望が、俺の意識を少しずつ蝕んでいく。もう、いっそこのまま消えてしまいたい。そう願った、その瞬間だった。
『――聞こえますか』
脳内に、直接声が響いた。男でも女でもない、無機質で、それでいてどこか優しい声。
『長きにわたる魂の停滞、ご苦労様でした。あなたの魂が、この土地の浄化に最も適していると判断されました。よって、スキルを授与します』
(スキル……?)
突然の出来事に混乱する。これは夢か、それともついに俺の精神がおかしくなったのか。
『スキル【万物浄化】と【源泉開発】を授けます。あなたの新しい人生に、光が在らんことを』
声が消えると同時に、俺の意識の中に、新たな知識が流れ込んできた。それはまるで、初めから知っていたかのように、ごく自然に俺の中に溶け込んでいく。
【万物浄化】――あらゆる呪いや汚れを祓い、本来の清らかな状態に戻す力。
【源泉開発】――望む泉質の温泉を、好きな場所に湧き出させる力。
温泉……。その言葉を聞いた途端、俺の心に、忘れかけていた情熱が灯った。
そうだ、俺は温泉旅館の跡取りだった。客が湯に浸かり、「極楽だあ」と笑ってくれるのが、何よりの喜びだった。お湯を愛し、お湯に生きてきたのだ。
「……やってみるか」
声にはならない、意思だけの呟き。
藁にもすがる思いだった。この永遠に続くかのような絶望から抜け出せるなら、何だってしてやる。
俺は意識を集中させた。スキルの使い方など習っていない。けれど、不思議と分かった。ただ強く、念じればいいのだと。
(俺の体よ、浄化されろ――!スキル【万物浄化】、発動!)
祈りに近い叫びだった。
その瞬間、俺の意識の中心――沼の最深部で、何かが弾けた。
ゴボッ、と大きな気泡がヘドロを押し上げる。最初は小さな変化だったが、それはやがて大きいうねりとなり、沼全体へと広がっていく。
俺の体そのものである泥水が、内側から放たれる柔らかな光によって浄化されていくのが分かった。長年溜め込まれた負の感情が、まるで朝霧のように霧散していく。まとわりついていた重苦しい感覚が消え、意識が軽くなる。
そして――。
ゴポゴポポポッ!
泥水を力強く押し分けるように、澄み切った温かい水が、勢いよく湧き上がり始めた。
それは、まさしく温泉だった。
俺の意識に、懐かしい香りが満ちていく。ほんのりと硫黄が香り、肌を優しく包み込むような、柔らかな湯の気配。前世で俺が最も愛した、極上の単純硫黄泉の香りだ。
「ああ……あったかい……」
涙を流せる体ではないはずなのに、魂が泣いているのが分かった。
数えきれないほどの時を、たった独り、冷たい絶望の中にいた。その俺が今、自分自身の力で生み出した温もりに包まれている。
浄化は沼全体に及び、どす黒い水はどこまでも透き通った青色へと変わっていった。水面には、生まれたての温泉から立ち上る真っ白な湯気が、まるでベールのようにかかっている。
その湯気が、ゆっくりと水面の一点に集まり始めた。まるで意思を持つかのように渦を巻き、密度を増していく。
そして、それは徐々に人の形を成していった。
頭、胴体、腕、そして足。
ぼんやりと霞んではいるが、確かにそれは人型だった。
(俺……なのか?)
試しに腕を動かそうと意識すると、湯気でできた腕がふわりと持ち上がる。足を動かせば、同じように動く。
まだ実体はない。触れようとすれば、するりと通り抜けてしまうだろう。それでも、俺は再び、人の形を得たのだ。
目の前に広がるのは、自らが生み出した奇跡の光景。湯気の向こうで、夕日が水面をきらきらと照らしている。生き物の気配すらなかったこの場所に、鳥のさえずりが聞こえる。
俺は、この忌み嫌われた「呪いの沼」を、最高の癒やしの場所に変えたのだ。
絶望の底で見つけた、温かい希望の光。
俺の第二の人生は、どうやら最高の温泉と共に始まるらしい。
湯気でできた顔に、おぼろげな笑みが浮かんだ。俺は、この新しい体で、この場所で、もう一度夢を追いかけると決意した。
249
あなたにおすすめの小説
【連載版】魔王さまのヒミツ♡ ~バレたら即・下剋上?!クール魔王の素顔は泣き虫チキンな箱入り息子~
黒木 鳴
BL
歴代最年少で魔王の地位に就いたレイには隠し通さなければならない秘密がある。それは……「魔王もうやだぁぁぁ~~!!下剋上こわいよぉぉぉーーー!!!」その実態が泣き虫ポンコツ魔王だということ。バレれば即・下剋上を挑まれることは必至!なので先々代の魔王を父に持ち、悪魔公爵ジェラルドが膝を折ったという2枚看板を武器にクールな魔王を演じている。だけどその実力を疑う者たちも出てきて……?!果たしてレイの運命は……?!溺愛腹黒系悪魔×初心な小悪魔系吸血鬼。お茶目なパパんも大活躍!!短編「魔王さまのヒミツ♡」文字数の関係で削ったシーン・設定などを大幅加筆の連載版となります。
悲報、転生したらギャルゲーの主人公だったのに、悪友も一緒に転生してきたせいで開幕即終了のお知らせ
椿谷あずる
BL
平凡な高校生だった俺は、ある日事故で命を落としギャルゲーの世界に主人公としてに転生した――はずだった。薔薇色のハーレムライフを望んだ俺の前に、なぜか一緒に事故に巻き込まれた悪友・野里レンまで転生してきて!?「お前だけハーレムなんて、絶対ズルいだろ?」っておい、俺のハーレム計画はどうなるんだ?ヒロインじゃなく、男とばかりフラグが立ってしまうギャルゲー世界。俺のハーレム計画、開幕十分で即終了のお知らせ……!
災厄の魔導士と呼ばれた男は、転生後静かに暮らしたいので失業勇者を紐にしている場合ではない!
椿谷あずる
BL
かつて“災厄の魔導士”と呼ばれ恐れられたゼルファス・クロードは、転生後、平穏に暮らすことだけを望んでいた。
ある日、夜の森で倒れている銀髪の勇者、リアン・アルディナを見つける。かつて自分にとどめを刺した相手だが、今は仲間から見限られ孤独だった。
平穏を乱されたくないゼルファスだったが、森に現れた魔物の襲撃により、仕方なく勇者を連れ帰ることに。
天然でのんびりした勇者と、達観し皮肉屋の魔導士。
「……いや、回復したら帰れよ」「えーっ」
平穏には程遠い、なんかゆるっとした日常のおはなし。
猫カフェの溺愛契約〜獣人の甘い約束〜
なの
BL
人見知りの悠月――ゆづきにとって、叔父が営む保護猫カフェ「ニャンコの隠れ家」だけが心の居場所だった。
そんな悠月には昔から猫の言葉がわかる――という特殊な能力があった。
しかし経営難で閉店の危機に……
愛する猫たちとの別れが迫る中、運命を変える男が現れた。
猫のような美しい瞳を持つ謎の客・玲音――れお。
彼が差し出したのは「店を救う代わりに、お前と契約したい」という甘い誘惑。
契約のはずが、いつしか年の差を超えた溺愛に包まれて――
甘々すぎる生活に、だんだんと心が溶けていく悠月。
だけど玲音には秘密があった。
満月の夜に現れる獣の姿。猫たちだけが知る彼の正体、そして命をかけた契約の真実
「君を守るためなら、俺は何でもする」
これは愛なのか契約だけなのか……
すべてを賭けた禁断の恋の行方は?
猫たちが見守る小さなカフェで紡がれる、奇跡のハッピーエンド。
完結·氷の宰相の寝かしつけ係に任命されました
禅
BL
幼い頃から心に穴が空いたような虚無感があった亮。
その穴を埋めた子を探しながら、寂しさから逃げるようにボイス配信をする日々。
そんなある日、亮は突然異世界に召喚された。
その目的は――――――
異世界召喚された青年が美貌の宰相の寝かしつけをする話
※小説家になろうにも掲載中
異世界転生した双子は今世でも双子で勇者側と悪魔側にわかれました
陽花紫
BL
異世界転生をした双子の兄弟は、今世でも双子であった。
しかし運命は二人を引き離し、一人は教会、もう一人は森へと捨てられた。
それぞれの場所で育った男たちは、やがて知ることとなる。
ここはBLゲームの中の世界であるのだということを。再会した双子は、どのようなエンディングを迎えるのであろうか。
小説家になろうにも掲載中です。
『君を幸せにする』と毎日プロポーズしてくるチート宮廷魔術師に、飽きられるためにOKしたら、なぜか溺愛が止まらない。
春凪アラシ
BL
「君を一生幸せにする」――その言葉が、これほど厄介だなんて思わなかった。
チート宮廷魔術師×うさぎ獣人の道具屋。
毎朝押しかけてプロポーズしてくる天才宮廷魔術師・シグに、うんざりしながらも返事をしてしまったうさぎ獣人の道具屋である俺・トア。
でもこれは恋人になるためじゃない、“一目惚れの幻想を崩し、幻滅させて諦めさせる作戦”のはずだった。
……なのに、なんでコイツ、飽きることなく俺の元に来るんだよ?
“うさぎ獣人らしくない俺”に、どうしてそんな真っ直ぐな目を向けるんだ――?
見た目も性格も不釣り合いなふたりが織りなす、ちょっと不器用な異種族BL。
同じ世界観の「「世界一美しい僕が、初恋の一目惚れ軍人に振られました」僕の辞書に諦めはないので全力で振り向かせます」を投稿してます!トアも出てくるので良かったらご覧ください✨
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる