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第2話「ビタミン剤と勘違いの始まり」
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入団試験をトップ成績で通過したルッツは、瞬く間に騎士団内の噂の的となった。「狂犬のオメガ」「突然変異種」など、好き勝手な二つ名が飛び交っている。
宿舎は通常、α・β・Ωで棟が分けられている。しかし、実戦部隊にΩが入団すること自体が前代未聞だったため、ルッツには特別に個室が与えられた。これは幸運だった。βであることが露見するリスクが減る。
朝、鏡の前で身支度を整えながら、ルッツは小瓶を取り出した。中に入っているのは、街の雑貨屋で安く売っていたビタミン入りのラムネ菓子だ。
「さて、今日も抑制剤(ラムネ)を飲んでおくか」
あえて誰かに見られるかもしれない場所で、これ見よがしに口に放り込むのが日課になっている。
ボリボリと噛み砕き、甘酸っぱい味を堪能してから、ルッツは部屋を出た。
訓練場へ向かう廊下で、数人のα騎士たちとすれ違う。彼らはルッツを見ると、あからさまに壁際に寄って道を空けた。
「おい、あれだろ……試験官を秒殺したっていうΩは」
「目つきがヤバい。あれは絶対にカタギじゃないぞ」
「近寄るな、噛みつかれるぞ」
ひそひそ話が聞こえてくる。ルッツは小さくため息をついた。
(随分と化け物扱いだな。まあ、ナメられるよりはマシか)
訓練場に到着すると、すでに朝の鍛錬が始まっていた。教官の怒号が飛ぶ中、新入団員たちが泥まみれになって走り回っている。
「遅い! αならもっと足が動くはずだ!」
「β部隊、隊列を乱すな!」
ルッツが合流すると、一瞬だけ空気が張り詰めた。
「ルッツ、お前は別メニューだ」
教官が苦い顔で告げる。
「Ω用のメニューはない。とりあえずαと同じ重りをつけて走れ」
「了解」
ルッツは何の不満も見せず、指定された装備を身につけた。通常の倍近い重量の鉄塊だ。周囲のαたちが「正気か?」という目で見てくる。
だが、ルッツにとって身体操作とは筋力のみに頼るものではない。骨格で支え、呼吸で巡らせる。
タッ、タッ、タッ。
軽快なリズムで走り出したルッツに、再びどよめきが起きた。
「嘘だろ……あの装備で、あの速度?」
「フェロモン強化でもしてるのか?」
「いや、匂いはしないぞ。完全に抑制剤で抑え込んでるんだ」
勝手な解釈が進んでいく。βだから匂いがしないだけなのだが、彼らの中では「鉄壁の理性で本能を制御しているストイックなΩ」という虚像が出来上がりつつあった。
昼休憩、食堂の一角を陣取って食事をしていると、同期のβ騎士であるカイルが恐る恐る話しかけてきた。
「あー、その、ルッツ……隣、いいか?」
「ああ、構わないよ」
カイルはほっとしたように座り、スープを啜った。
「お前、すげえな。α連中が完全にビビってるぜ」
「ただのハッタリだよ」
「ハッタリであの動きはできないって。……なあ、辛くないのか? その、Ωとしての本能とかさ」
カイルが声を潜める。
「ここはαだらけだろ。抑制剤を飲んでても、あいつらのフェロモンに当てられることとか、ないのか?」
ルッツはスプーンを止め、きょとんとした。
(ああ、そうか。そういう設定だった)
βの自分には、αのフェロモンなどただの体臭にしか感じられない。汗臭いな、程度だ。だが、Ωにとっては理性を揺さぶる麻薬のようなものらしい。
ルッツは深刻そうな顔を作って、肩をすくめた。
「気合でなんとかなるもんだ」
「気合……!」
カイルが戦慄したように目を見開く。
「マジかよ……精神力が化け物すぎるだろ……」
また一つ、誤解が積み重なった音がした。
その時、食堂の入り口がにわかに騒がしくなった。空気が変わる。重く、冷たい圧力が空間を支配する。
ざっ、と騎士たちが一斉に起立し、姿勢を正した。
「殿下だ……イグニス殿下がいらっしゃったぞ!」
誰かの悲鳴のような声が聞こえた。
ルッツが振り返ると、黒い軍服に身を包んだ長身の男が、護衛を引き連れて歩いてくるところだった。
燃えるような赤髪に、黄金の瞳。整いすぎた顔立ちは彫刻のようだが、その瞳に宿る光は捕食者のそれだ。
第一王子、イグニス・フォン・ドラグノフ。
彼が歩くたびに、周囲の空気がビリビリと震える。
(うわ、すごい威圧感。これが王族のオーラってやつか)
ルッツはのんきに感心していたが、周囲の様子がおかしいことに気づいた。
αの騎士たちでさえ、顔を青くして震えている。一部の者は膝をつきそうになっていた。
「……カイル?」
隣を見ると、βのカイルまでガタガタと震えている。
「だ、めだ……息が……強すぎる……」
どうやらイグニスは、無意識のうちに強烈な威圧(フェロモン)を垂れ流しているらしい。最強のαである彼のフェロモンは、他者を強制的に平伏させる「王の重圧」そのものだった。
だが、ルッツには効かない。
なぜなら、βだからだ。
(みんな大袈裟だな。ちょっと香水の匂いがキツイ上司が来ただけじゃないか)
ルッツは一人だけ、涼しい顔でスプーンを口に運んだ。
その平然とした動作が、黄金の瞳に捉えられるまでは。
宿舎は通常、α・β・Ωで棟が分けられている。しかし、実戦部隊にΩが入団すること自体が前代未聞だったため、ルッツには特別に個室が与えられた。これは幸運だった。βであることが露見するリスクが減る。
朝、鏡の前で身支度を整えながら、ルッツは小瓶を取り出した。中に入っているのは、街の雑貨屋で安く売っていたビタミン入りのラムネ菓子だ。
「さて、今日も抑制剤(ラムネ)を飲んでおくか」
あえて誰かに見られるかもしれない場所で、これ見よがしに口に放り込むのが日課になっている。
ボリボリと噛み砕き、甘酸っぱい味を堪能してから、ルッツは部屋を出た。
訓練場へ向かう廊下で、数人のα騎士たちとすれ違う。彼らはルッツを見ると、あからさまに壁際に寄って道を空けた。
「おい、あれだろ……試験官を秒殺したっていうΩは」
「目つきがヤバい。あれは絶対にカタギじゃないぞ」
「近寄るな、噛みつかれるぞ」
ひそひそ話が聞こえてくる。ルッツは小さくため息をついた。
(随分と化け物扱いだな。まあ、ナメられるよりはマシか)
訓練場に到着すると、すでに朝の鍛錬が始まっていた。教官の怒号が飛ぶ中、新入団員たちが泥まみれになって走り回っている。
「遅い! αならもっと足が動くはずだ!」
「β部隊、隊列を乱すな!」
ルッツが合流すると、一瞬だけ空気が張り詰めた。
「ルッツ、お前は別メニューだ」
教官が苦い顔で告げる。
「Ω用のメニューはない。とりあえずαと同じ重りをつけて走れ」
「了解」
ルッツは何の不満も見せず、指定された装備を身につけた。通常の倍近い重量の鉄塊だ。周囲のαたちが「正気か?」という目で見てくる。
だが、ルッツにとって身体操作とは筋力のみに頼るものではない。骨格で支え、呼吸で巡らせる。
タッ、タッ、タッ。
軽快なリズムで走り出したルッツに、再びどよめきが起きた。
「嘘だろ……あの装備で、あの速度?」
「フェロモン強化でもしてるのか?」
「いや、匂いはしないぞ。完全に抑制剤で抑え込んでるんだ」
勝手な解釈が進んでいく。βだから匂いがしないだけなのだが、彼らの中では「鉄壁の理性で本能を制御しているストイックなΩ」という虚像が出来上がりつつあった。
昼休憩、食堂の一角を陣取って食事をしていると、同期のβ騎士であるカイルが恐る恐る話しかけてきた。
「あー、その、ルッツ……隣、いいか?」
「ああ、構わないよ」
カイルはほっとしたように座り、スープを啜った。
「お前、すげえな。α連中が完全にビビってるぜ」
「ただのハッタリだよ」
「ハッタリであの動きはできないって。……なあ、辛くないのか? その、Ωとしての本能とかさ」
カイルが声を潜める。
「ここはαだらけだろ。抑制剤を飲んでても、あいつらのフェロモンに当てられることとか、ないのか?」
ルッツはスプーンを止め、きょとんとした。
(ああ、そうか。そういう設定だった)
βの自分には、αのフェロモンなどただの体臭にしか感じられない。汗臭いな、程度だ。だが、Ωにとっては理性を揺さぶる麻薬のようなものらしい。
ルッツは深刻そうな顔を作って、肩をすくめた。
「気合でなんとかなるもんだ」
「気合……!」
カイルが戦慄したように目を見開く。
「マジかよ……精神力が化け物すぎるだろ……」
また一つ、誤解が積み重なった音がした。
その時、食堂の入り口がにわかに騒がしくなった。空気が変わる。重く、冷たい圧力が空間を支配する。
ざっ、と騎士たちが一斉に起立し、姿勢を正した。
「殿下だ……イグニス殿下がいらっしゃったぞ!」
誰かの悲鳴のような声が聞こえた。
ルッツが振り返ると、黒い軍服に身を包んだ長身の男が、護衛を引き連れて歩いてくるところだった。
燃えるような赤髪に、黄金の瞳。整いすぎた顔立ちは彫刻のようだが、その瞳に宿る光は捕食者のそれだ。
第一王子、イグニス・フォン・ドラグノフ。
彼が歩くたびに、周囲の空気がビリビリと震える。
(うわ、すごい威圧感。これが王族のオーラってやつか)
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「……カイル?」
隣を見ると、βのカイルまでガタガタと震えている。
「だ、めだ……息が……強すぎる……」
どうやらイグニスは、無意識のうちに強烈な威圧(フェロモン)を垂れ流しているらしい。最強のαである彼のフェロモンは、他者を強制的に平伏させる「王の重圧」そのものだった。
だが、ルッツには効かない。
なぜなら、βだからだ。
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